天使と〇〇

片宮 椋楽

天使と女

第1話

 私は今、とある喫茶店にいる。


 外は気持ちいいくらいに雲ひとつない快晴である。しかし、この場に日の光は入ってこない。というより、入る隙間がない。入れるための窓がひとつもないからだ。


 何故か? 答えは至って単純、地下だからである。木製アンティーク調のOPENプレートがかけられたドアを開け、人とすれ違う時には少し体を避けなければぶつかるほどの狭い木製の螺旋階段を下ったところにある。


 陽の光の代わりに店内を照らしているのは、天井に吊るされた人工の光のみ。その下で何も考えずにくるくると回っている羽がほんの少しだけ遮る。


 隠れ家のような温かみはあるものの、私は好きになれない。どうも味気なく感じるのだ。そのせいか、心なしか店内が薄暗く感じた。まあ、私は心臓を有していないから、違う意味でなのだが。


 その薄暗さを打ち消すためなのか、クラシックが辺りを包み込んでいる。穏やかでしっとりとした音楽が心地よい。はそんな風に思ったり、はたまた口に出したりするのだろう。現に、隣のテーブルに案内された2人の女性の一方が座りながら「実はさ、私ってクラシック結構好きなんだよね」と特に訪ねたわけでもない会話を切り出している。


 だが私は違う。それは人間的な性別で考えた際に男性であるからという意味でも、人間じゃないからという意味でもない。いやそもそも、私は見た目以外人間ではないのだが、今現在思っていることとは異なる。私にとってはただ、音楽を聴くよりも、陽の光を浴びることのできるほうが遥かに喜びというような類いを感じるのである。


 ふと視線がカウンターの方に向いた。正確には、カウンターからトレーを持った女性店員の方。

 トレーの上には、またコーヒーがある。しかも今度は、3つ。ここにきてから同じものばかりが運ばれている。随分と人気なようだ。


 行き先はどこだろう。少し気になった私は時間潰しがてら、目で追いかけてみることにした。


 まずは店の端へ向かい、横長の1人席の真ん中で立ち止まる。どうやらパソコンを開き、なにやら難しそうな言語をひたすら打っている男性らしい。


 濃紺のスーツに赤いネクタイ、茶色の靴を身にまとっている。スーツのジャケットからズボン、ネクタイ、ボーラーハットとかいう帽子から靴までもが白。それ以外の色の物を身につけていない。私とはまるで違う。だがしかし、誰が見るわけでもないのに、随分と服に手間をかけているのに、やはり疑問に思ってしまう。


「お待たせしました」


 店員は飽きもせずに笑みを浮かべると、邪魔にならぬようそばに1つカップを置く。


 さて、2つ目はどこ……えっ?


 思わず目を見張ってしまった。全て、そこに置かれたからだ。つまり、コーヒーカップ3つが置かれたのだ。


 1人で3杯も飲むのか? いやはや、なんと恐ろしい……


 以前から思っていたのだが、人間はなんでこうコーヒーを好んで口にするのだろう。私には到底理解することができない。


 以前、考えたことがある。もしかしたら私は甘いものが好きなため対極的位置にある苦みの代表格であるコーヒーが得意ではないのかもしれない、と。その際、私は一度、砂糖を大量に入れて飲んでみた。経験せずに結論付けるのは勿体無いと思ったからだ。けれど、駄目だった。どうも体が受け付けてくれなかった。おそらく、私はコーヒー自体そのものが苦手なのだと思われる。


 ありえないことだが、もし仮に私が何かの組織に捕らえられ、コーヒーをずっと飲まされ続ける拷問を受けたとしたら、おそらく耐えることができない。きっと何もかも全て綺麗さっぱりと話してしまうだろう。あぁ、考えただけで寒気がする。


 対称的に、今回の死確者しかくしゃはコーヒーが大好きだ。この店に来て私の向かいの席に座った瞬間に、水の注がれた透明なグラスを運んできた店員に向かって待ってましたと言わんばかりに、メニューも開かず「コーヒーを」と注文した。慣れた素振りだ。仕事でなのかプライベートでなのかまでは分からないが、何度か訪れたことがあるのだろう。


 脇目も振らずにコーヒーを注文するような人間ともしコーヒーの会話になったら、ほぼ分かり合えないだろう。確か資料には、1日に最低10杯は飲まないと眠れない、と書いてあった。

 私は資料を貰った時に何度も矛盾しているではないかと声を大にして唱えた。コーヒーとは飲むと眠れなくなるもののはずだ。全く逆。一方は誤っているということだ。はて一体、どちらなのだろう。

 まあいい。いずれにしても、死確者は大のコーヒー好きなのであることには間違いない。人の好き嫌いを無闇矢鱈に踏み込むと仕事に支障が出る恐れがあると、先輩から聞いたことがある。話題に舵がきられぬよう、気をつけなければ。


 とはいえ、とりあえずは目の前にいない間は大丈夫だ。電話がかかってきて、早々に何処かへ行ってしまった。ここは地下。電波の入りやすいところにでも行ったのだろう。かけてきた相手が誰か分からないが、ケータイを手にした時、顔が一瞬引きつったのを見逃さなかった。眉もひそめていた。足早にその場を去ってもいた。

 そのことや資料のことから考えるに、電話の相手はおそらく——


「お待たせしてすいません」


 振り返る。死確者だ。

 私の正面に座り、かけている黒いシャープなメガネを直すと、先ほど運ばれてきたホットコーヒーではなく、水を飲んだ。そして、唇を口の中へ巻き込む仕草をしてから、少し大きめの手帳の上に置いてあったボールペンを手に取った。


「では、お電話でもお話しした通り、あくまで弁護が必要かどうかの査定をするためのお試し相談ということでよろしかったでしょうか」


「はい」そんな感じだったはずだ。


「お電話の内容の確認も込めまして、早速ですが今回のご相談について……」


「飲まないんですか?」私は気になってしょうがなかった。


「え?」


 話を遮られたためか、死確者は困った顔になる。


「コーヒーです」私は指をさした。「せっかく頼んだのに」


 死確者は視線を下げると、「あぁ」と薄い反応を示した。「喉が渇いたので、少し潤そうと」


「コーヒーでも潤いますよね?」


 私の問いに、死確者は少し怪訝な表情を浮かべた。


「感じ方の問題です。熱いものを飲んでも私は潤ったと思えないんです。ほら」語気を強めた。「まだこんなに湯気出てます」


「そういうことなんですね、了解しました」


 満足満足。資料からでは、人間の心情は分からない。実際に聞いてみなければ、 不明なことばかりだ。


「では改めて。今回のご相談というのは、離婚ということでよろしかったんですよね?」


「はい」私は


「では、離婚に至るまでの詳細をお聞かせ願いますか?」


「その前に一つよろしいですか」


「はい?」またしても困ったような顔を浮かべた。


「まだ自己紹介してないので」


 ああそうか、という納得の表情を浮かべると、死確者はテーブルに手をついた。


「ご予約頂いた時にお名前は把握してますから、かしこまったのは結構ですよ、明智さん」


「それは仮の名前なんです。現世で行動する時の」


 そう言うと、目を丸くした。


「あの……おっしゃってることがよく……」


「私はです」


「てんし?」


「ええ」私は首を一度縦に動かした。「天に使われる者なんです」


 一瞬目を開いたまま止まるが、すぐさま何かを理解したように持っていたペンを走らせた。「お名前が明智さんではなく、天使さんということですね」


「あっ、いや」そうではないのだ。まったく、日本語は難しい言語だ。


「読み方は、あまつかなどではなく、てんしでお間違いない……」


「そうではなく」


 話がややこしくなるのを避けるため、失礼ながら少し大声で、かつ途中で止めた。


「名前ではないんです。その、存在が天使なんです」


「はい?」


 死確者はどこか上擦った声を出した。何と表現すればいいのか分からず、曖昧な表現になってしまったせいだろう。


 隣のテーブルに座っている2人の女性が眉をひそめ、こちらを見ているのは至極当然だが、とりあえず無視をする。追々分かることだ。


「ええっと……天使ってあの?」


「はい、英語でエンジェルの、天使です」


 数少ない知っている英単語の一つを例に出した。


 死確者の瞬きが増える。確かに頭の上に輪っかはないし、荘厳な白い羽は生えていない。見た目人間にしか思えないだろうけれど、嘘ではない。


 上司、人間で言うところの神に誓って言える。


 私は天使だ。

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