事件編 【怠惰】の被害者
翌朝、布団から起き上がり民宿の食事場へ行くともう朝食の準備が整っていた。しかし民宿の方たちが見えない。家の中でオロオロしているとやがて家の人たちが戻ってきた。どうやら昨夜のことで動きがあったらしい。
「昨日のことで何かあったんですか?」
朝食を終えて僕が聞くと民宿の親父さんが答えてくれた。
「ええ、どうもね。亡くなった女の子の靴が見つかったそうなんですが…誰かから家に届けられていたとかで」
「届けられた! つまり彼女は殺されたってことですか」
「いやー、そこまではあっしには分かりません。…でも刑事さんの話を立ち聞きしたらどうも殺しの線が強いとか言ってました」
どういう事だろう。てっきり防波堤なりテトラポッドのあたりにでも遺書と共にある物と思ったが、殺人なのか? しかし警察が殺人の線で捜査しているからにはそれなりの理由があるのだろう。
ちょうどその頃警察が僕を訪ねてきた。事件について話があるらしい。民宿を出ると外はあいにくの曇り空である。昨日の天気予報でも強い低気圧が来ているから大雨に気を付けてくださいと言っていた。刑事さんたちに連れて行かれたのは地区の集会所。しかし今は警察の仮出張所になっている。着くと丁度前の聴取が終わったようで男の人が出てきた。
「あれは…第一発見者の谷さんですね」
「第一発見者ってあの若いお医者さんじゃなかったんですか」
「違いますよ。田島さんは今の谷さんが遺体を見つけてすぐに呼びに行ったんです」
集会所の中へ入ると早速ベテランと言った感じの刑事が質問を始めた。
「昨日も聞いたのにすまんね。もう一辺同じ質問するかもしれんが少々付き合ってください」
「はい」
この刑事は郷原と名乗った。一応階級は警部らしい。
「君は昨日来たばかりの観光客だそうだね」
「そうです。車でこの村に着いたのが午後6時ごろですでに村全体が騒然としていて歩いている人に聞いたら女の子が溺れたとかで」
「で、君もその人だかりのほうへ行ったと?」
「ええ」
「ほう、そうかい。田島さんちの若いのの話じゃ、いきなり亡くなった女の子の靴はどこかって聞いたんだって?」
「そうですね。少女の遺体が見えた時靴下をしているのに靴を履いてないのが気になって、もしかしたら自殺目的で海に飛び込む前に靴を脱いだんじゃないかと考えまして」
「なるほどな。お前さん、刑事になれるよ。普通そんなこと考えんわ」
「えっと、僕、推理小説が好きなもんですから」
まあそんなことはどうでもいい。
「他に何か気づいたことはなかったかね?」
「うーん、他にはあまりないですね。そういえば女の子の靴が見つかったと聞きましたが」
「あら、もう君にまで知られとんのか。狭い村だと情報が早いなあ。…そうなんだよ。あの女の子の家にな、送り届けられてたんだよ、ご丁寧に」
ここまでは親父さんに聞いたことだ。
「しかも手紙が添えられていた」
「手紙ですか。いったい何が」
「そこがちょっくら問題でなあ。あんまり言えんのじゃがもしかしたら殺人かもしれなくてな。お前さん、昨日怪しい人を見なかったかね」
「怪しい人…いや、特に気づきませんでしたね」
「そうかい。あと…そうだ、紙を見なかったかね」
「紙…というと?」
「亡くなった女の子が日記をつけていたみたいなんだけどね。その最後のページ、まあつまりは昨日の分を書くページだが、そこだけ切り取ってあって見つかってないんだよ」
「すいません。心当たりはないですね」
「いや、お前さんが謝ることはない。じゃあ話はこれで終わりだ。ありがとさん」
出ようとしたところ、すでに雨が降り出している。しかも本降りだ。
「ありゃ、降ってきちまったか。おい、西木おくって来い」
そう言われるまだ若そうな警察官が「はいっ」と言って奥から傘を二つ持ってきた。傘の数に限りがあるので貸しっぱなしにはできないそうだ。外へ出ると雨だけでなく風も強まってきていて海も荒れ模様だ。
ふと耳を澄ますと海の方から何かゴーという音が聞こえる。
「こりゃあ海鳴りだなあ。嵐の前振りだよ。大雨になるぞ」
郷原警部が音を聞きつけて外に出てきた。
「へえ、これが海鳴りですか。なんだか不気味ですね」
事件の後は嵐とは僕もなかなかついていない。昨日見た天気予報では大丈夫みたいなことを言っていたのに。
改めて西木刑事と民宿まで向かう。
「そういえば、さっきの谷さんって人は何やってる人なんですか?」
「ん? 谷さんですか。町役場で働いてる方と聞いてます。昨日も仕事帰りに遺体を見つけたそうです」
「そうなんですか」
推理小説ならまずは第一発見者を疑ってみる物だ。
「谷さんが見つけたのは何時ごろ何です?」
「えっと、5時40分あたりです。田島さんのお宅に駆け込んできたのが5時45分ちょうどだったそうですから」
「ちなみに被害者の死亡推定時刻は?」
「検死では午後の4時前後ですね」
4時ごろならまだ役場は仕事の時間だろう。谷さんにはアリバイがあるに違いない。
「あ、すいません。うっかりべらべらと喋ってしまいましたが捜査内容は他言無用ですのでお願いします」
「はい。もちろんです。でも最後に一つだけ聞いていいですか」
「…なんですか?」
「例の手紙には何が書いてあったんですか」
「そ、それは…えっと、絶対に言いふらさないでくださいね。書いてあったのは一言。『怠惰は大罪なり』です。私には何のことやらわからないんですが」
怠惰は大罪なり…どういう意味だろう。いや、意味は分かる。怠惰なことは罪だという意味だ。何より【怠惰】はキリスト教の七つの大罪の一つ。明らかに犯人はそこから考えたんだろうとわかる。しかし意図が見えない。そんなメッセージを残す意味が。余計なことをしなければ自殺か事故で片付いていたかもしれない事件だ。これでは犯人がわざわざ殺人事件ですと告白しているようだ。
ひとまず民宿に戻ってきた。西木刑事は傘を持って帰って行った。すると親父さんが出てきて何を聞かれたのか尋ねてきた。僕は答えられる範囲で説明した。
「ところで亡くなった女の子はどういった子だったんですか」
「んん? ああ、そうだな。名前は確か美海ちゃんとか言ったっけなあ。聞いた話じゃ中学校でいじめだかにあって不登校になっとったそうだ」
不登校、このワードが僕の頭に引っ掛かった。つまり彼女はこの町に定住していたわけではないんだろう。これは推理ではなく想像だが名前の美しい海…美海というのはこの地区から見える海から名付けたのかもしれない。きっと少女はこの海が好きだったのだ。だがなぜ殺された?知り合いなんて少ないだろうに。
こんな事件がなければ美しい海を見に散歩にでも行ったもんだが雨が降っているし、人が殺されているのにそんな気分にはなれない。代わりに事件について考え、いくつか疑問点を挙げてみた。
①どうして犯人はわざわざ靴を持ち去ったり犯行のメッセージで自ら少女の死が殺人であることを明らかにしたのか。
②どうして不登校で知り合いも少ないであろう少女が殺されたのか。動機は何なのか。
③彼女が書いていた日記の最後のページはどこへ消えたのか。
僕が①の疑問について一つの仮説を思いついたのは夕食を終えたころだった。時計はすでに午後7時を回っており日はもう暮れ、雨もより強まってきたが僕は刑事たちのいる集会所へと向かうことにした。民宿を出ると午前中に聞いたのよりずっと大きく低い唸りが聞こえてくる。まるで怪物が海からこっちを襲おうとしているかのようだ。不安と緊張を抱えて少し早足になる。
てっきり集会所にはまだ4,5人は刑事さんがいるかと思っていたが、扉を開けると中には郷原警部と部下の西木刑事の2人しかいない。
「あれ、他の警察の方は?」
「おやおや、後藤さん。こんな時間にどうかしたんですか。他の刑事は今日のところはもう帰りましたよ。この雨ですから日が暮れる前に帰らないと山道は土砂崩れの危険がありますからね」
「刑事さん。実はお話がありまして、推理小説好きの素人の意見として聞いていただきたいんですが」
「何だい? ちょうど暇していたところでねえ」
「それどころではないかもしれません。ひとまず聞いてください」
それでやっと聞く気になったのか僕を部屋にあげて椅子につかせた。
「羽場さんの家に靴と共に手紙が送られてきたそうですね。そしてそこには『怠惰は大罪なり』と書いてあった」
「ほう、よく御存じで。それをどこでお聞きに?」
「あ、えーと、まあ、風の噂ですよ。地区中でいろんな噂が出回ってますから」
もちろんこれはそこにいる西木刑事から聞いたのだが彼の名誉のために伏せておく。
「そうですか。それなら仕方ない」
「それでですね。考えてみればおかしいんですよ。今回の事件は犯人が靴を持ち去ったりしなければおそらく事故か自殺で片付いていたところでしょう。にもかかわらず犯人はわざわざ手紙まで使ってこれが殺人であることを示している。犯人がこんなことをする理由は普通に考えたらありませんが推理小説の中なら一つだけ思いつくものがあるんです」
「それは何だね」
僕はひとつ息を深く吸ってから答えた。
「見立て殺人です」
まるで狙ったかのように外で稲光がして、落雷の音が聞こえた。
「見立て殺人というとあれかね。クリスティーの…【そして誰もいなくなった】とかの」
「はい。そうです。【そして誰もいなくなった】ではマザーグースが使われていましたが今回は七つの大罪なのではないかと」
「な、七つの大罪? なんか聞いたことはある気がするが何だいね、それは」
「キリスト教の教えです。僕も教徒ではないので詳しくは知りませんが人を罪へと導く欲望や感情のことで、確か怠惰、嫉妬、強欲、暴食、傲慢、色欲、憤怒の七つです」
「なるほど。だがなぜ殺された美海さんは怠惰だったんだ」
「僕の聞いた話では彼女はいじめが原因で不登校になっていたそうです。おそらく学校に行っていなかったから【怠惰】なのではないかと」
「…うーん。おい、西木。どう思う」
西木刑事は椅子に座らず僕たちの話をテーブルのわきで聞いていた。
「はい。私にはどうも論理が飛躍しているわけではないんですけど、それは推理小説の中のお話という感じがします」
「そうか。そうだよなあ。確かに私もいい推理だとは思うんだけど…」
その時、バタンと音がしたかと思うと集会所に飛び込むように入ってくる者がいた。昨日、遺体の検視をしていた田島医師だ。
「ハア、ハア、け、刑事さん。来てください。じいさんが…田島幸三郎が殺されてる。ヒイ、ヒイ…」
だいぶ息が荒い。走ってきたようだ。それにしても言ってるそばから第二の被害者が出てしまった。刑事たちはすぐさま現場へと向かう準備を始めた。
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