海鳴りの街
歩人
プロローグ
大学生の夏休みとは暇なものである。その暇な時間を大学一年であった去年は車の免許を取るのに費やした。そして今年はその免許を使ってどこか旅にでも出かけようと思い立ったのだ。ちょうどいいことに社会人や中高生の休みは主に8月なので9月初頭はどこもすいている。
僕が選んだのは東北の某県にある漁村、明瀬町浦鳴地区だ。この集落について調べてみたところ、10年ほど前に浦鳴村から明瀬町に吸収合併されたそうだ。集落では漁業だけでなくその美しい海を見るため観光客が来るので民宿業も盛んである。
今日は泊まる民宿に着けばいいと思ったので地区に着いたのは午後6時を過ぎたころだった。すでに日は暮れている。そして不思議なことに僕がついたとき地区は騒然としていた。大勢の人が家から出て全体が坂になっている地区の下の海のほうへ向かっているようだ。ひとまず車の窓から人に尋ねてみた。
「何かあったんですか」
相手は少し怪しみながらも答えてくれた。
「女の子が海でおぼれたようなんです。あなたは観光客ですか。なら、しばらくはみんな戻ってこないと思いますよ」
そう言って去って行ってしまった。
着いて早々に事件が起きるとは運が悪い。だが先ほどの人は溺れたといっていたが亡くなったとは言っていない。迷惑な野次馬かもしれないが当分民宿にも行けそうにないので海のほうへ行ってみよう。
車は近くにあった空き地に停め、僕も坂の下のほうへ向かう。海辺は砂浜ではなくこの地方特有のリアス海岸で海水浴には向かなさそうだ。そして坂を下りてすぐに人だかりができていた。近くによってみる。
「おい! どうなんだ。生きてんのか」
「いや、だめかもしれん。息をしてない」
どうやら亡くなってしまったようだ。しかし今日の天気は曇りで海で泳ぎたくなる感じではないが…。もしかしたら何か獲っていたのかもしれない。この辺なら海藻や小魚ぐらいなら獲れてもおかしくはない。
しかしそれはすぐに否定された。ちらりと見えた遺体は水着やウエットスーツではなく私服を着ていたのだ。その上奇妙なことに遺体は靴下をはいているのに靴は履いていない。近くにも靴は落ちていない。
僕はすぐに考えた。靴を履かない溺死体。一番高い可能性は…自殺か。本来飛び降り自殺で靴を脱ぐという行為は滅多になくドラマなどで分かりやすくするための表現だったそうだが、最近はその影響で本当に靴を脱いで自殺する人がいるというのを聞いたことがある。それは海へ飛び込むときも同様なのではないだろうか。
念のため僕は人だかりの中のほうへ進んでいき、先ほどまでその倒れた少女の脈を見ていた若い医者風の男に聞く。
「ちょっとすみません。この女の子の近くに靴はありませんでしたか」
その人はこちらを向いてから訝しげな顔をして答えた。
「少なくとも私は見ていませんが…あなたは誰ですか?」
「観光客です。ただ、ちょっと靴を履いていないのが気になりまして。」
すると男は不機嫌にこういった。
「今はそれどころじゃないでしょう。観光客は出しゃばらないでください。別に警察でもないんでしょう」
確かに僕は観光客で大学生だからあまり出しゃばるのはよくないだろう。だがその時、近くにいた老人が声をかけてきた。
「靴がないとどうなるんだね?」
イントネーションの訛りが強いが聞き取れはした。
「いや、もしかしたら自殺の可能性があるかもしれないと思いまして」
「ふむ、確かにそうかもしれぬな」
老人は少し考えると大きな声で人だかりに怒鳴った。
「ここに大勢いても仕方ない。手の空いているものはこの娘の靴を探してきなさい」
この老人は村の権力者なのか、いやな顔をする人はいるものの皆いうことを聞いて動き出した。でもどうやら大半は家に戻っていったようだ。残ったのは僕と老人と医者、(おそらく)少女の親族、そして数人の野次馬だ。すると例の医者は露骨に嫌そうな顔をしてこう言った。
「じいさん。いくら何でもそんな観光客の言うことなんか聞いてどうすんだよ。地区のことに外の人間をかかわらせるなよ」
老人も答えて言う。
「馬鹿者。子供が死んでいるのだぞ。村がどうこう言っている場合ではなかろう。この青年の言うとおり、もし自殺だったらさっさとそのことを知っておいたほうがいいだろ」
二人の言い争いを聞きながら僕は肩身の狭い思いをしていた。
「おい、君。君は気にせんでいいぞ。君の考えは尤もなことだ。こいつはわしの孫でな。まだ医者になりたてのくせに威張り腐りおるんだよ。だから君が気にする必要はない」
老人がそう説明すると、医者のほうはふて腐れ再び遺体のほうを調べ始めた。
「ところで君は観光客と言っておったが今日は泊まる場所はあるのかね? まあと言っても9月になればどこの民宿も空いておろうがな」
「ええ、一応は予約してあります」
「そうか。それはよかった。旅行に来たのにこんなことになってすまんな。わしはこの町で町議会議員をやっておる田島幸三郎じゃ」
「あ、はい。僕は後藤貢と言います。大学生やってます」
僕もつい自己紹介をしてしまった。
「そんなことより警察は呼んだんですか? 水難事故でも自殺でも呼ぶことになると思いますが」
「ああ、さっき孫が電話しておったから大丈夫じゃ」
だがここは海街なのに山を越えてこなければいけない辺境にある。警察は外灯もない山道を通ってくることになるが大丈夫だろうか
そのあと遺体は一時的にあの医者の病院へ運ばれ、30分くらいすると無事に警察が到着したのであの老人と医者の孫と遺族とが警察に話をしていた。やがて僕も聴取を受けた。普通に暮らしていたら滅多にお目にかかれない私服の警官だ。聴取を終えたあと、田島老人から少し話を伺った。それによると田島老人も元は医者をしていてこの村に移り住んだが年を取ったので最近孫に村医者を継がせて自分は町議会議員になったそうだ。ちなみに老人の息子、若い医者の父親はこの地区の外の総合病院でやはり医者をしているらしい。
そして亡くなった少女の話も耳に入ってきた。亡くなったのはこの地区に住む羽場さん夫妻の孫、石原美海さん(15歳)だった。少女の死因はもちろん溺死(正確には水が肺にまで入っての窒息)だった。ほかに目立った外傷はなく、まだ事故か自殺か殺人かはわからないが、遺体が靴を履いていなかったことだけが謎であり、そして結局この日には靴を発見することはできなかった。また亡くなった少女の家からは遺書なども見つかっていない。ただし、毎日書いていた日記の事件当日の分を書くであろうページが切り取られていた。もちろんその結果、警察はそのページは遺書として使われ少女は自殺であるという仮説を立てていた。
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