第7話
僕達は公園で会うことにした。去年の冬の日、雪の絨毯が敷かれていたあの公園。
遊具なんてものは必要最低限のものしかない。鉄棒と滑り台、シーソー位しかなかった。
夜。外灯がポツポツと灯り、中央には大きな桜の木があって、本格的な夏を前にしたこの時期、その桜の木は暗くなった深緑の葉を枝につけている。
そんな大きな桜の木の下に彼女は立っていた。黒い髪は桜の木と同じように夜風に揺られていて、彼女は一人桜の木を見上げている。
「こんばんは」
彼女は振り返ることなく、「こんばんは」と言葉を返す。
何があったのかはすでに先ほどの通話から聞いていて、彼女は泣いていないのだろうなと予想していたけれど、やはりその通りだった。
一人で立っているその後ろ姿は、本当に彼女らしい。強くて、とても弱々しく見えてしまう。
「ちょっと、よく分からなくなってしまったのよ」
「どんなふうに?」
夜の空気に「本当に人は死んでしまうものなのだなって、そう思ったわ」と、彼女の声が溶け込む。
「人は死ぬ。そんなのは当たり前で、皆知っているものでしょう。私だって知っていた。でも、なんていうのかしらね、大切な人が実際にいなくなるという経験を通して、なんだかよく分からなくなってしまったわ」
僕はゆっくりと彼女に近づく。
「人って死ぬのね。当たり前のことに、今日気が付いてしまった」
それから、僕は彼女の背中を抱きしめた。黒くて長い髪が、ふわりと僕の胸の内に収まる。
「先週君と出かけて話をしていた時、僕が何を考えていたか分かる?」
「何を考えていたの?」
「人と人との距離について考えていた」
誰か一人、この人だと自身にとって一番大切な人を決めたとする。そうしたら、その人と出来る限り距離を埋めたいと思うだろう。
先週、彼女は恋人同士なら許すことの出来る距離が15cmから0cmだと話をしていた。
「でも、それは間違いだと思う」
「どうして?」
人は、誰かとゼロ距離まで近づくことなんて出来ないと思うから。
「そうかもしれないわね」
「でも、0にまで近づくことが不可能ではないと思う」
彼女は「どういうこと?」と声を上げる。
「思ったんだよ。何というか、とても悲しいことだけど、少し救われるようなことを思ったんだ」
きっと、死者とならその距離をゼロにすることが出来る。誰かとの距離をゼロにまで縮めることが可能であるとしたら、それはその誰かが誰かにとっての思い出になった時なのだと、僕はそう思った。
「何それ、もしかして私を慰めようとしているの?」
「そうだよ。ゆっくりと思い出せばいい。きっと、今なら君は、あのおばあさんとの距離を0にまで縮めることが出来る」
「あなた、とても残酷なことを言うのね。それ、私に泣けって言っているようなものよ」
「その通りだよ」
僕は彼女に泣いて欲しいのだ。彼女は強くあろうとするから、涙を流すことさえ我慢する。
僕はそんな彼女のことが心配で仕方がないのだ。泣きたければ泣けばいい。怒りたければ怒ればいい。大声を出したければ大声を出せばいい。彼女にはそうして欲しいと、僕は思う。
ほんの少しだけ彼女を抱きしめる力を強める。15cmの鼓動が伝わり合う。
彼女は顔を俯かせて僕の手を握る。声を我慢する辺り、どこまでも彼女らしいと思う。
僕等を支える15cmの命は、失われることで人との距離をゼロにまで埋めてくれる。それはとても悲しいことで、ほんの少しだけ救われることが虚しい。
そんな世の中で、彼女はたった一人で立ち続け、歩き続けようとしそうで僕は不安だ。いつか、一人でとても遠くへ行ってしまうそうで不安だ。
だから、せめて距離がゼロになるまではずっと傍にいたいのだと、そう思うのだ。
15cmの命 青空奏佑 @kanau_aozora
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