第5話

 どうしよもないという彼女の言葉が、真夜中の天井に反響するようだった。



 きっと、僕に出来ることなど何もないのだと思う。それは彼女も分かっていて、それでも今日、彼女は僕をあの年老いた女性に会わせたかったのだと思う。

 どうしようもないことは確かにある。死は避けられようのない出来事として常に僕達の手の上にあって、明日なんて来なければいいと願おうが、知らねぇよと言わんばかりに朝日は昇る。



 そんな仕組みの中で果たして何をするにも意味などあるのだろうかと時々そんなことを思うことがあると、いつかの放課後に彼女は話していた。

 その時、確か彼女は哲学に関する本を読んでいたと思う。ニヒリズムがどうだとか、幸福論がどうだとか、とても小難しいことを皮肉交じりに話していた。



 僕からしてみれば、そんな風に生き方を分類することに、それこそ意味なんてあるのかなどと思ってしまうもので、その時、彼女に対して素直にそう話をしたら、「その通りね」なんて珍しく声を出して笑っていた。

 その時も彼女は「きっとどうしようもないのよ」とそう言っていた。果たして何が「どうしようもないこと」なのか僕にはすぐに分からなかったけれど、改めて考えてみたら、そんなものはそこら中に溢れていたことに気が付いたのだ。



 今なら、彼女があの時話していたことが分かる。「きっと、私たちはニヒリズムと書かれた旗を掲げて、途方もない旅をするしかないのよ」という言葉の意味を少しは理解できるような気がする。

 意味なんてどこにもなかった。生まれて死ぬだけの繰り返しに、そもそも意味などあるはずがなかった。それを自覚したうえで僕達は旅をするしかない。旅の途中で死ぬかもしれないし、何かを得て、どこかへたどり着くことが出来るのかもしれない。

 どちらにせよ、自分で決めて、自分で歩くしかなかった。旅は険しいだろう。とても一人では歩いて行けない人もいるのだろう。途中で止まることは時間が許さず、僕達は決して止まることは出来ない。



「おばあちゃんは、もうじき旅を終えるのよ」



 バスを降りた別れ際、彼女はそう言葉を溢した。

 僕は、彼女のその言葉に対し、何も言葉を返すことが出来ず、彼女の背中を見守ることしか出来なかった。



 不意に、真っ暗な部屋の中で、青白い光が走った。

 頭上に置いてある携帯電話を手に取ると、『今日はありがとう。迷惑をかけてしまったのなら謝ります』と短い文章が届いていた。

 少しだけ考える。本当、今この胸の内に抱いている気持ちをそのまま彼女に伝えることが出来たのなら、どれほど良いことだろうかと思ってしまう。

 暗い天井を見つめて、出て来た言葉ありきたりな言葉だ。



『迷惑じゃあないよ。何かあったらいつでも言ってくれて構わないから。おやすみなさい』



 きっと、こういう言葉ではないということは分かるけれど、結局こういう言葉しか出てこないのだから、本当に不器用なものだと思う。

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