第10話「カオス・エゴ」


   ◆


 燃え盛る炎全てがアケミのエネルギーとして消費されたホテル〈ネオユカ〉は、その全てのフロアが静寂に包まれていた。ただしそれは、一階のフロントを除いて――での話なのだが。

 フロントにはアケミとアイ、そして黒き影を纏った謎のセパレーター、デフレの三人がいた。アケミとアイは、警戒を緩めることなくデフレと対峙した。デフレはニヒルな笑みを浮かべたまま二人をゆったりと眺めていた。――その視線は、まるで品定めをしているかのようである。……もっとも、別にデフレは二人を商品として見ているわけではない。彼はあくまで二人を強力な異能持ち――或いは強力な取引相手として見ていた。故にデフレに敵意などあるはずもなく、

「まあそう警戒しないでくれたまえ。オレはただ、イグナイターを撃破した君たちの実力に驚嘆しているだけだよ」

 やはりニヒルな笑みを浮かべながらデフレは言った。

「何ですのこの人。突然現れたと思えば」

「ナンパじゃ……ないわよね。まあどっちみちこっちから願い下げだけど」

 アイとアケミは耳打ちしあい、互いに『この男に興味はない』という結論を出した。交際する気があるかどうか、という意味合いでの話だ。

「あのな君たち。というより黒咲アイ。君ならオレのこと分かるんじゃないか?」

 そう言ったデフレをよく見て――アイは色々と察した。

 アイは、〈前の宇宙〉にてデフレを知っていたのだ。

「……ウソ。貴方、その状態で自我を保っているというのですか?」

 アイは口に手を当てた。……そんなこと、当のデフレが重々承知しているからである。要は若干気まずくなったのだ。

「――フン、別に気にすることはない。オレはね、オレがオレでいられる限り〈はぐれもの〉を滅ぼし続けるだけだからな」

 はぐれもの――デフレが言ったそれは、つまりはこの宇宙で融合を果たせず、イビル・オリジンの傀儡にならざるを得なくなった者たちのことであるが、それを滅ぼすと言ったデフレもまた、そのはぐれものなのであった。……そう、この宇宙のデフレは、2017年6月の時点で既に死亡していたのだ。ゆえにセパレーターのデフレははぐれものにならざるを得なかった。

 そして、アイが驚くのも無理もない。はぐれものは、融合を果たせない事実を知った時点でイビル・オリジンの傀儡になることが確定する。それにより、はぐれものは自動的にイビル・オリジンが降臨するまでに環境を整備するためのシステムとなり果てる。世界を――この場合は何故かゆかり町だけを、〈悪〉に包まれる環境へとテラフォーミングするためのシステムに。

 デフレもまた、そのシステムに組み込まれるはずだった。だが彼は未だ独自の行動を続けていた。アイはそれを疑問に思った。

「デフレ。私はすぐに融合したからあまり実感がないのですけど、精神耐久力というものは個人差があるということなのですか?」

 デフレはまずはそれに首肯で応じた。

「まあそういうことだよ。それに、オレは比較的後に来た。融合できないとはいえ、もう少しだけ猶予期間がある。つまり、後しばらくは単独行動をするだけの精神的余裕がある――正確には、イビル・オリジンからのオーダーに抗うだけの精神強度……と言うべきだがね」

 デフレからの返答に、アイは歯を食いしばった。アイとデフレは、かつて初代ユカリングで肩を並べた相手だったのだ。とはいえ、肩を並べることができたのは〈前の宇宙〉での話であり、今回はデフレが幼いころに死亡していたために叶わぬ夢だったのだが。

 ともかく、そういった事情があったために、アイはデフレの境遇を簡単に割り切ることができずにいたのだ。

 アケミは、二人の間に何があったのかは分からなかったが、少なくともここで争う必要もなければ、そんなことをしている余裕もない――と実感していた。

「……えーと、黒咲さん? あとデフレさん? なんとなく目的も見えてきたわけだし、お互いの情報をシェアした方が良いんじゃないかな……私たちは協力者の情報、デフレさんはその、はぐれものってやつらの情報――って感じで」

 それゆえアケミは、なんとか場を取り持つことにした。これ以上状況を混沌とした状態に持っていくよりも、まずは味方になりそうな存在と手を組むべきだと判断したからだ。

「……ああ、それで異存はない」

「……ええ、確かにそれでいいと思います」

 割り切れないとは感じつつも、アイは現状取り得る最善の策に乗ることを是とした。どの道、それ以外に近道はないだろうと、心のどこかで無理やり納得したからである。

「よ、よし! じゃあ、ほら、えーと……こっちから何か情報出すわね!」

 月峰アケミは少々コミュニケーションが苦手である。それを思い出したアイは、落ち込んでいる場合ではない、ここは自分が適当に手助けしなければ――と思い至り、行動に移すことにした。


「――というわけで、私たちの協力者はこういった方々です。デフレ、貴方も覚えがある人だっているんじゃないかしら」

 結局のところ、ほとんどアイが情報のシェアを執り行った。アケミは隣で「そうそう」「あーそれそれ」「うんうん」「マジでそれ」「というわけよ」「ほんとそれ」などと、相槌らしきものを打つしかなかった。

「……アイ。その神崎カイという男だが」

 デフレは率直な疑問を口にした。

「……カイがセパレーターとの融合者であるのがおかしい――そういうことですね」

 アイの返答に、デフレは頷いた。

「それに関しては私もよく知りません。カイに聞いても、物心ついたころには既に融合者だったと言っています。私が感知できるので、融合者であることは間違いではないでしょう」

「……父親のツヨシならば知っているのではないか?」

「恐らく知っているでしょうね。けれどそれは、そう簡単に話せる内容ではないでしょう」

 アイとデフレがハッキリとしない会話を続ける。流石によく分からなかったので、アケミは話に割って入った。

「あのさ、神崎君がなんなの? 融合者だったら何かマズいわけ?」

 アケミはアケミで率直な疑問を二人に投げかけた。

 二人は顔を見合わせ、一瞬だけ無言の相談めいたこと――要はアイコンタクトだ――をしてからアケミの方を向いた。

 そしてアイが告げた。


「神崎君はね、ツヨシさんが〈前の宇宙〉でイビル・オリジンに殺された時点でまだ――まだ、生まれていないのよ」



   ◆


 複数の事象が次第に絡み始めたその頃、ドルディオはゆかり中央病院に辿り着いていた。応急処置をしただけのため体中が痛むものの、その痛みを堪えながら彼はハルカの病室へと急いでいた。もしカヨとタケルに何かあれば、神崎カイはハルカの病室に訪れるかもしれない。その時誰も守る者がいないとなると、意識不明のハルカがどうなるかなど想像に易かった。理由は不明だが、神崎カイは融合者の一部を抹殺対象に指定している。彼の発言から察するに、恐らくは異能を無軌道に使用する者たちへの憎悪といったところだろうか――ドルディオは道中そのように分析をしながら走っていた。

 ともかく、ドルディオはどうにかハルカの病室の前に到着した。そして扉を開け――


「――――!」

 窓からの一撃をどうにか躱した。

 窓は派手な音と共に粉砕され、黒いカードの集合体が巨大な蛇のような姿から、次第に人型へと変貌していった。それは2メートルと少しの体躯であり、〈憤怒のバーサークゴーレム〉を彷彿とさせるシルエットであったが、その感情は〈怒り〉だけではなかった。それは、神崎カイのあらゆる感情が混ざり合った、まさに〈混沌〉と形容せざるを得ない存在だった。混ざり合った感情はそれぞれの色を混ぜ合い――その結果としてどす黒い巨躯を生み出している。感情が混ざり合った結果なのか、そのエゴは思考が混濁しており……恐らくは『敵』と『味方』の判別すらままならない状況であると推測できる。その上で今ドルディオを狙ったのは、これもまた推測であるが、神崎カイが『佐久間ハルカとドルディオを始末しろ』というオーダーを与えて送り出した自動人形のようなエゴであるからであろう。これらの推測は全てドルディオのものであるが、概ねそれで正しかった。間違いの点があるとすればそれは、実際のオーダーは『佐久間ハルカを捕獲し、ドルディオを始末しろ』であり、先ほどドルディオを攻撃したのは、単純にハルカがカーテンで隠れており攻撃目標のドルディオしか視認できなかったからである。幸い病室は個室であり、そして同時に、カイが比較的にではあるものの、人目を気にせず攻撃を仕掛けることのできる絶好のロケーションでもあった。もっとも、ソリッドエゴは異能持ちにしか視認できないので元々隠密性自体はあるのだが。

 ドルディオは現在の状況に戦慄しつつも、カイ本人が襲撃してこなかったことをプラスに受け取った。――少なくとも足止めは成功している、ということであるからだ。


「とにかく、ハルカさんをなんとか守らないと。お嬢に顔向けできない……!」

 ドルディオは覚悟を決めて混沌の大型エゴと対峙した。――その覚悟は死の覚悟ではない。必ず生きて帰るという、確固たる意志による覚悟だった。


 佐久間ハルカは、異能持ちであるゆえに周囲と馴染めずにいた同世代の少年少女を仲間に入れ、伝説のチームであるユカリングの後継者としてこの町に君臨し――そして新生ユカリングを異能持ちたちの楽園にしようとしていた。彼女自身は異能持ちではないのに、である。妹のカヨが融合者となった――つまり異能持ちとなったことから、彼女は異能持ちの存在を知り、そして爪弾きにされている若者が笑顔になってほしい、そう願った。それだけの、善良な少女だった。だが、彼女はセパレーターの自分自身と出会い融合した時、エラーめいた事態に陥ったのだ。

 それは、二人の佐久間ハルカ――その二人の性格があまりにも乖離していたからである。その二人が融合した時、根は同じでも方向性があまりに違ったために二律背反を引き起こし――結果佐久間ハルカは精神崩壊を起こしたのだ。……とはいえ、時間を要することだが、いつの日か二人の佐久間ハルカはお互いに歩み寄り、融合を果たすことができる。融合ができた時点で、いつかはその時が来るのである。だが、すぐにではない。故にカイは一旦放置した。病院にいることは把握していても、すぐに始末するより利用価値ができた時に上手く活用すべきであると考えたからである。そしてそれが今なのだ。

 いずれにせよ、カイは混沌のエゴを送り込み、ドルディオはそれとの戦いに挑んだ。だが、手負いのドルディオにこのエゴを止め切る力が残っているかは正直なところ微妙なところだった。だがそれでも向かうしかなかった。故にドルディオは覚悟を持ってこれに挑むのだ。

「だから俺は――負けられない!」

 ドルディオは己のエゴであるゼロ・ウェイブを具現化し、混沌のエゴへと立ち向かう。

 様々なところで戦闘が起き、それぞれが状況を把握しきっていない中で――静かにイビル・オリジン事件は佳境へと差し掛かっていく。

「……ったく、なんか妙な感覚がすると思ったがよ。俺、もしかしてこういう輩のこと知ってんのかしら」

 はて、と首をかしげながら、イビル・オリジン事件、その最後の役者であるその男――桐谷エイリは、今まさに緊迫の中にある佐久間ハルカの病室に入ってきたのだった。

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