第4話「期待をしたいわけでもない」


   ◆


 まだセミは鳴いていないものの、ゆかり町の気温は最早真夏そのものといった暑さであり、都市部の道を歩くアケミとアイはそろそろ喫茶店か何かで休憩をしたい気分であった。

「暑すぎるわこれ。誰かの能力じゃないでしょーね。空間を弄って太陽光をなんかこういい感じに集中させるとかそういう」

「人聞きの悪いことを言わないでくださいます? それに流石にそこまでのことはできません。手の内を晒すのは癪ですけど、必要以上に警戒されるのもそれはそれで気分がよくありませんから」

 微妙に険悪なムードを漂わせながら、アケミとアイは仲良く喫茶店〈サファンシー〉へと入っていった。

 やや薄暗い店内にて、二人は空いている席へと促される。そして席に着いた時、隣の席に二人は見知った顔を見つけた。

「お、自称探偵。仕事?」

「あら月峰さん。貴女、山下さんをご存じで?」

 二人の視線の先には、私立探偵の山下ゲンスケと僧侶のソウエイさんがいた。

「あのなミネちゃん。その自称ってのはやめてくんない?」

 やや不服そうにゲンスケは言った。なおミネちゃんとはアケミのことである。由来は月峰の『峰』からだ。

「そっちこそその『ミネちゃん』って呼び方やめてくんないかな。ご近所さんだからってそれはないから」

 アケミはアケミで不機嫌そうな表情を浮かべている。単純にアケミが怒りっぽいだけなのかも知れないが。

「あらあら、月峰さんたら山下さんと仲がよろしいようで」

「はー!? 何言ってんのアンタ!?」

「ごめんなアイちゃん。ミネちゃんそんな感じだからよ」

 アケミはさらに反論しようとしたが、店の中なのでなんとかこらえた。

「やめないか二人とも。すまないね月峰さん。二人ともこんな感じだから」

 ソウエイさんが穏やかに仲裁した。言い回しに若干意趣返しめいたものが見られる。

「悪い悪い、ミネちゃん――月峰さんと話すの久しぶりでよ。ちっと距離感がよくわからんことになってたんだ」

 かしこまるゲンスケ。それはそれでアケミとしてはなんとも反応しづらい。

「あ、いやその。そこまで言う程じゃなかったっていうか――ていうかそもそも前に話してからそこまで時間たってないっていうか」

 アケミはこう言ったが、ゲンスケとしてはいささか状況が異なっていた。

「ああ。こっちの俺はそうなんだがよ、今の俺はもう違うっていうかよ。混ざってんだ、記憶とか感情が」

 ゲンスケは先日〈融合者〉となったため、人格や記憶が〈前の宇宙〉の自分、すなわちセパレーターとなったもう一人の自分と統合されているのだ。

 セパレーターについて既に知っていたアケミはそこで全てを悟った。

「……そう、あんたも〈イビル・オリジン〉に殺されたってワケ」

 そして、アケミは愁いを帯びた表情を見せ――すぐに切り替えた。

「この辺の情報は、〈萃理〉が使えたころだと逆に萃まってこなくてな……ヤバすぎる案件としてシャットアウトされてたんだろうが――」

「でもこれで、山下さんも知ってしまったわけですね。……セパレーターは、〈前の宇宙〉でイビル・オリジンに殺され取り込まれてしまった、この宇宙に生きる私たちの同一存在であることに」

 〈融合者〉黒咲アイは、融合時に知った情報を改めて告げた。

「そういうわけでゲンスケさんが〈融合者〉になってしまってね。改めて今後の方針を相談しよう――ということになっていたんだ」

 ソウエイさんが話を本題にシフトした。

「カイのことも気になりますけど、こちらはこちらで他人事とはいきませんね」

 イビル・オリジン絡みの話であることを知ったアイは、優先事項を切り替えた。

 そのことを、アケミは少し意外に思った。

「あら。何よりも神崎君を優先するものとばかり思っていたけど、そういうわけでもないのね」

「ええ、当然です。イビル・オリジンは放っておいていいものじゃありませんし――それに何より」

 アイはここで少しだけもったいぶった。

「何より?」

「カイは必ず無事に帰ってくると信じていますから」

 カイへの信頼。それも勿論あるのだろう。だがそれ以上に、カイへの依存がアケミは見えた気がした。

「さ、コーヒーでも飲みながら相談しましょう。――すみません、アイスコーヒー一つ」

「あ、じゃあ私はアイスカフェラテ一つ」

 アイのペースに乗せられてしまったアケミだった。


   ◆


 件のマンション、その、鮮血に塗れた一室にて。一人の女が蠢いていた。ブロンドヘアーは血に濡れ、頭部に大きなダメージを受けたことが確認できる。

 女は震える足で何とか立ち上がり、部屋を確認する。

 部屋は相変わらずの鮮血あかいろ。ここに住んでいた〈インフレ社〉の男性のものと、――たった今立ち上がった彼女のものが入り混じっているのだ。

「……」

 少しの沈黙――そののち。

「……ハッ。あのデフレおとこ、私が襲撃者だと気付いていたってことかしら。ということはオートマタをどこかで確認していたってことか」

 一瞬試行してから、女は続けた。

「〈ツルギモリタワー〉に行ったってことか……あるいは、セパレーターとしてゲートから来たか」

 未だ流れる血液を止めることもせず、女はふらつきながらも歩き始めた。

「ま、どっちにしろ私は生きている。殺せたのは、人間の部分だけ。人形の部分は健在よ」

 傷口からワイヤーアームを射出し、女はオートマタの残骸を取り込んだ。

「使える部分は……チッ、動力部はダメか」

 残骸を投げ捨て、女は部屋を出た。

「そういうことなら仕方ないわね。まずはここで肉体パーツを補修しましょうか」

 残忍な笑みを浮かべながら、女――サリア・マゼリマは呟いた。



 サリアが死んでいないことに、デフレは気付いていない。元より行く当てのないデフレは、サリアを始末したと誤認し次なる標的の元へと向かっていたのだ。

「まだ間に合う。オレがオレでいられる内に、尖兵を始末せねば……この町はよりおぞましい事になってしまう」

 顔に苦悶を刻み付けながらも、デフレは町の雑踏へと消えていった。


  ◆


〈サファンシー〉にて行われていた話し合いは、一旦まとまったため解散となった。

解散とはいうものの、実際には解散してすぐに行動開始というものなのであるが。

「それで、探偵とソウエイさんがユカリング絡みの調査。そして、私と黒咲さんは町のパトロール的なやつ。ま、それはいいんだけどさ」

「あら。私とでは不服ですか月峰さん」

「そういうことじゃないけど、このままだとだらだら歩き回るだけよね……って」

 日が山に近づき始めた18時過ぎ、アケミはそれでもまだ明るい空を眺めながら呟いた。

「ふん、貴女は違いますけど私は〈融合者〉なんですよ。だから同類が近くにいれば微弱ながら感知ができます」

「便利ねー」

「貴女みたいな先天的な異能持ちは無理ですけどね。〈融合者〉になってしまえば話は別ですけど」

 多くの人が行き交う商店街を歩きながら、二人は知り合い以上友人未満……といった距離感で会話を(一応)楽しんでいた。

「自分からなるつもりはないわよ。そもそもあっちの私ってイビル・オリジンに殺されたの? ていうかそれ以前に何歳だったの」

「――殺されてないですよ、貴女は。年齢は私より年上でしたね」

 どこか遠くを見ながら、アイは言った。

 アケミはここで、セパレーターの法則の一つを思い出した。

「じゃあ、あなた」

「ええ。今から10年ほど前、〈前の宇宙〉で私が死んだ年齢に近かったからか、セパレーターとしての私がやって来ました。だから、かつてイビル・オリジンに殺された時というのは、私がまだ幼い時ということになりますね」

 そう。セパレーターはおよそ10年周期で出現する。そして、その時代に生きている、年齢が近い同一存在に接触するのだ。当然、タイミング合わなかったセパレーターも存在する場合がある。そういったセパレーターは、成すすべなく――いずれイビル・オリジンの手駒になるという運命を背負ったままこの世にとどまり続けることになるのだ。

 〈融合者〉である父親からそのことを聞かされていたアケミは、これらの情報を知っていた。

 アケミは少し、アイへ同情的な視線を送ってしまった。

「同情とか、そういうのいりませんよ」

「あ、うん。ごめん」

「別に謝らなくていいですけど」

 沈黙が訪れる。正直なところ、アケミは話し上手というわけではない。そして沈黙が好きというわけでもない。故にアケミは困っていた。

 ――とりあえず何か話そう。数十秒の思考の後、アケミはそう決断した。

「ね、黒咲さ――」

「――! いました、セパレーター!」

 その時、アイがセパレーターの気配を感知した。話しかけられなかったアケミだが、むしろ明確な話題ができたこと自体は助かったとも言えた。

「とりあえず話し合いができるかどうか――ってところからよね?」

 アケミは確認をとる。

「ええ。味方に出来るのならそれはそれで助かりますから。……では、行きますよ」

 アイの言葉にアケミは頷き、視線を細い路地の向こう側――その通りにそびえるホテルへと移した。

「荒事にならないといいんだけどね」

 アケミは、自分でもあまり期待していないことに気が付いていながらも、それでも声に出した。


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