第7話「エクストリーム自問自答」
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フードコートにいた謎の老紳士。彼が紙コップに注いだ水は、奇妙なことに赤ワインへと変貌していた。
ゲンスケは、身構えざるを得なかった。
「……何だ、ジイさん、アンタ……?」
異能を持っていることは明白だった。故にゲンスケは、この老紳士が敵なのか味方なのか――その一点が気がかりだった。
「ははは、そう気構えないでくれ。別に私は、君を取って喰らおうなどと考えていないさ」
穏やかに笑いながら、老紳士は言った。
「気構えるな――って言われてもな、実際相当怪しいぜジイさん」
ゲンスケは未だ警戒心を解いていなかった。当然と言えば当然である。何せ見ず知らずの人物が、いきなり超常なる現象を引き起こしてきたのだから。
「……ま、ええじゃろ。驚かせて悪かったの。ちょっと君から強い気配を感じたので、つい、な」
「……ジイさんアンタ、俺が異能持ちだって気づいていたのか」
「まあ、勘みたいなもんですがな。でもまあ、そういうことなんじゃ。勘弁してくれんかの」
手を合わせて「この通り」と言う老紳士。毒気の抜かれたゲンスケは、もう少しだけ話を聞くことにした。
「で、ジイさんは水をワインに変えることができるってのか。まるでハーゲンティだな」
ゲンスケは、かのソロモン王が使役したという72人の悪魔、その一人の名を挙げた。
「ははは、ワシにそこまでの力はないよ。ワシにできるのは精々水に色と匂いを追加することぐらいじゃ」
赤ワインを指さしながら老紳士は言った。
「ってことは、それ、赤ワインぽいだけで実際は水のままってことか」
「そういうことじゃなぁ」
老紳士は笑った。
「それで今みてーに手品でもやってんのか?」
「小遣い稼ぎ程度には、してますなぁ」
手でお金を表しながら、老紳士が答えた。
「老後の趣味ってか。いいじゃないすか」
「そうなんじゃよ。近所の子どもたちにもそこそこ受けがいいのぉ。……ああ、もちろん、その時はお酒ではなくぶどうジュースにしてあるんじゃがな」
「ん? ぶどうジュースにしたって、元々アルコール入るワケじゃないんでしょ? そこまで気にするもんなの?」
「いやーそれが気にしないといかんのじゃよー。やっぱりその、親御さんから文句言われたりとかそういうのがあってのぅ。でな、この前もな……」
「あー、悪いんだけどよ。俺ちょっとばかり忙しいからさ、そろそろお暇しますわ」
ゲンスケが言った。そろそろ頃合いかと思ったからだ。
「えー、そんなこと言わずにもうちょっと話を聞いてくれよぉー」
「いやいや、さっきから大分聞きましたけどねぇ。俺、これでも仕事中でね、忙しいんですよ。せめて――」
「せめて――依頼なら……聞いてくれるのかね?」
ゲンスケの言葉に被せるように老紳士が言った。ゲンスケはまだ、探偵であることを伝えていないはずである。
「……ジイさん、アンタもしや。初めから、俺に依頼する気だったのか?」
「ま、そういうことですな」
そう言って老紳士は立ち上がった。
「試すような真似をして悪かった。私の名はゲツリ、
老紳士――ゲツリから穏やかな好々爺といった雰囲気は消え、その双眸には冷酷さすら見受けられた。
ごくり、と唾を飲み込むゲンスケから視線を逸らさずに、至近距離――それこそ耳元でゲツリは続けた。
「ちなみに、水をワインに変えることができるのはハーゲンティだけではない。ザガンも忘れないでくれたまえ。……そう、能力と言うものは固有だとは限らないという事さ」
当然と言えば当然だが、ペットボトル内部の水にアルコールが混ざっていることなど、この時ゲンスケは気付かなかった。ペットボトルに入っていた液体は、初めは紛れもなく赤ワインだったのだ。
……そして、子どもにはぶどうジュースをふるまうというのも、何一つ間違ってはいなかったのだ。その辺はきっちりしていた。
◆
ゲンスケがゲツリと遭遇している頃、神崎カイは平円寺へと足を運んでいた。ゆかり町の山中にあることもあり、石段はそれなりに多い。
本日の気温は30℃に迫っており、木陰があるとはいえカイは、汗をぬぐいながら階段を上らざるを得なかった。
「これも修行なのか?」
呟きながらカイは石段を上る。別に返事が返ってくることはない。一人で上っているので当然ではある。
だがそれは、何も能力を持たない者に限った話である。実際のところ、カイは何かと会話していた。
それは人型で、黒い髪に黒い羽根が特徴的な――まるでカラスが擬人化したかのような外見をしていた。
『さてな。そもそもここに住んでいる人間は、この石段も日常の一つってワケだ。となると……』
「……そもそも修行だと認識していない可能性もあるということか」
『有り得るよなァ、ヒヒヒ』
「そんなに可笑しいか? 今の話は」
カイは表情を変えずに話をつづけた。
『可笑しいさ。一人問答、ここに極まれり――って感じでよ!』
対照的に、カラスのような人物は表情をころころ変えながら会話を楽しんでいた。
「あんまりそういうことは言わないでくれ。こちらにも気持ちの整理をしたい時だってあるんだからな」
『そりゃそうだ。もっとデレデレしたいんだもんなホントは』
「おい、それ以上言うな。カードを切り替えるぞ」
カイがそう言うと、カラスのような人物は顔を青くさせた。
『オイオイ、カードに切るなんてワード使うんじゃねーよー! マジで切るワケじゃないにしろ、ビビっちまうじゃねーか!』
「ならもう少しおとなしくしていろ。見れば見るほどウンザリしてくる」
『わかったわかった! しばらく待機しますよっと。……ったく、呼んだのはどっちだっつーの』
カイは無言でカラスめいた青年を睨んだ。
『ひーっ、我ながらこの主従関係っぽいのはおかしいと思いまーっす!』
そう言ってカラスマンは姿を消した。いつの間にか、カイの右手にはカードが握られていた。
「おや、何か独り言が聞こえると思ったら」
ふと、声が聞こえた。カイは頭上を見上げる――石段を登り切った先、山門の前に左目に眼帯をしたお坊さんが立っていた。……彼こそがソウエイさんである。
「……」
カイは黙ったまま山門まで上った。
「ふむ、今度は沈黙ですか。極端ですね神崎君」
笑顔でソウエイさんは言った。
「……俺が声に出して〈ソリッドエゴ〉と会話していたということがどういうことか、お前ならわかるだろう」
「ええ。周囲に誰もいなかった……ということですね」
やはり笑顔で、ソウエイさんは言った。
「ならそこまでしてキャラを作らなくてもいいだろ――
「今は
微妙な沈黙が周囲を覆うが、最早恒例行事であるため、ある意味日常風景でもあった。
だがカイとしても、これ以上言ったところでムネナガの意思は変わらないだろう――とは思っていた。
「……まあいいが。ソウエイ、今日は17時からエイリの警護があるが、忘れてないな?」
「ええ、忘れてませんよ。今日は何の話をしましょうか」
ソウエイさんが穏やかでいられたのは、ここまでだった。
「ユカリングとかどうだ」
「……っ!!」
ソウエイさんの目が突然大きく見開き、口は強く閉じられ始めたのだ。別に怒っているわけではないのだが、しかめっ面に近い表情である。
「どうしたムネナガ」
「ソウエイだ、ソウエイ。……悪かった。俺が悪かった。別にお前さんに対してはニコニコする必要なんてなかったな。ちょっと頑張ってみようとかそういうノリが通じねえ相手だったな。だからこれ以上ユカリングの話はするな。それはまだ微妙にトラウマだから」
これがソウエイさんの素である。かつてユカリングのリーダーだった、かなりのワル。そんな高杉ムネナガは今、町の人々から親しまれる素敵なお坊さん、ソウエイさんへと変化していたのだ。
「な、この通りだ。勘弁してくれよカイ」
頭を下げてカイに頼み込むソウエイ。その姿は実にもの悲しい。だがカイとて鬼ではない。そもそも別に、他人の過去を暴き立てるようなことが趣味ではない。故に、この話はこの辺で済ませておこうと思っていた。
しかし、そうはいかなかった。
「ああ、俺としてはこれ以上ユカリングの話を引っ張るつもりはない」
「すまねえ、助かるぜカイ……」
「だがな」
「……だが?」
「ゲンスケさんが昼過ぎに病院に行っているはずなので、ユカリングの話が出ている可能性はある」
瞬間、ソウエイさんの顔が笑顔で固まった。もっとも、その笑顔は引きつっていたのだが。
「そっか」
「そうだ」
「ま、がんばるわ……」
基本的に動じないソウエイさんだが、こればかりは堪えるのだった。
カイはカイで、久しぶりに素のソウエイさんを見ることができたので、少し嬉しかった。
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