第3話「カップルとセパレーター」

   ◆


 山下ゲンスケは〈かんざき商店〉の前で大学生カップルと出くわした。

 女子の方はツインテールが印象的な銀髪の少女――黒咲アイである。銀髪ではあるが、別にキリカと血縁関係にあるわけではない。

 そして、若干尖らせた髪型が特徴的な男子の方が――神崎カイ、つまりはツヨシの息子である。

「あれ、ゲンスケさんじゃないですか。どうしたんです」

 非情にクールな口調で、カイはゲンスケに言った。ちなみにアイがカイの腕に手を絡ませている。ゲンスケとしてはそのあたりが微妙に気に障った。恋愛関係に関して、ゲンスケはわりと心の狭いやつなのである。モテないが故の劣等感と言った方がより正確だ。

「……別に。ちょっとお前の親父さんに呼び出されてな」

「また借金ですか?」

「ちげーよ! ……あ、いや、どうなんだこれ」

 おそらく破砕鬼絡みでゴルドが何か買ったのだろう。ゲンスケはそこまでの情報は既に得ていたので、『実際俺は今ツヨシさんにお金を払いに来たわけだから、状況としてはカイの言うことも間違っていないのでは?』と思いつつもあったのだ。

「生まれ変わってもその辺は変わらなさそうですよねゲンスケさん」

「否定しきれねえのが余計腹立つなクッソ」

 割と有り得る話だったので、ゲンスケは反論しづらかった。それにつられて、ここに来る道中立ち寄った本屋、そこでピックアップされ並んでいた転生モノの小説群が脳裏をよぎった。


「まあ、そこは何でもいいんですけど」

 本当にどうでも良さげにカイが言った。

「どうでもいいなら指摘すんじゃねえよ……」

 イライラを隠し切れないままゲンスケは返答する。

「ああいえ、そうじゃなくて。……もっと重要な事柄をゲンスケさんに言い忘れていまして」

「あん? なんだそりゃ」

 正直ゲンスケは怒りがすっ飛んでしまった。それほどにカイの口調が真剣なムードを纏い始めたのだ。

「〈セパレーター〉……ご存知ですよね」

「オイオイ、まさか破砕鬼だけじゃねーってことかよ」

 ゲンスケの顔を冷や汗が流れた。

「その破砕鬼ってのは知りませんけど、セパレーターに関しては俺たちも他人事ではありませんし、情報が回って来たのでお伝えしようかと」

「その情報、俺の方にはまだ来てねえな。カイお前、どこでそんな情報手に入れたんだ」

「それはこの先飯のタネにしていこうと考えてますので教えられませんね。それに、ゲンスケさんに情報が流れてきていないということは、直ちに影響がないってことでしょう。ある意味安心ですよ実際のところ」

 胸を手でなでおろすジェスチャーをしながらカイが言った。

「ケッ、そりゃいいこった。……だがまあ、その内セパレーターが動き出すかもしれねえってことだけはわかった。そっちに関しては俺の方でも知らべておく。――それよりもだ」

 ゲンスケは視線をカイからずらした。

「……? どうしました」

 ゲンスケの視線は一点を見据えていた。

「……そんなに引っ付かれてよ、よくもまあ冷静さを保てるよなお前」

 黒咲アイを見ながら、ゲンスケは言った。

 アイは幸せとはこういうことを言うのだ……と言わんばかりの表情でカイにくっついている。そしてカイは特に恥ずかしがる様子もなくそれを受け入れている。

 ゲンスケとしては、黒い感情が心の中でふつふつと沸き上がるような気がして冷静さを保てなくなりかけていた。

「別に恥ずかしくないわけじゃありませんよ」

「ホントかそれ」

「当たり前じゃないですか。何言ってるんです」

 あくまでも冷静さを崩さないカイなので、ゲンスケは一向に信じる気になれないでいた。

「父の能力を知らないわけではないでしょう」

 カイがそう付け加えた。ゲンスケとてツヨシの能力は知っている。〈感情の具現化〉、それが神崎ツヨシの能力なのだ。そして、能力の傾向は親から子へと遺伝する。たとえ、能力発現が後天的な要因であろうとも。

「じゃあお前も感情絡みの能力持ちってわけか」

「内容は秘密ですけど、まあそういうことになります」

 この通りカイは、手札を公開しないスタンスだ。そのため基本的にカイの能力を知る者はいない。例外なのは父親のツヨシと母親、恋人であるアイ、そして、カイの弟ケンジぐらいである。

「そこから推測すると、お前は自分の能力で感情を制御してるってところかね」

「さて、そこまでは言えませんね。ですがこのままだといずれ、ゲンスケさんに対しては誤魔化せなくなってしまう。ですからこれ以上の追求はよしてくれませんか」

 今のカイの発言はかなり本心からのものであるとゲンスケは感じた。別にカイと事を構えるつもりもなかったので、ゲンスケはこれ以上追及しないことにした。

「まあいいや。これ以上お前の親父さんを待たせるとヤバげだし、そろそろ店に入るわ」

「ええ。その方が良いですね」

 やはりクールにカイは言った。


   ◆


 ――夜天の下、ゴルドは空きビルの屋上を歩いていた。進む先はビル内部に通じる扉。そこの鍵は、ゴルドの予想通り破壊されドア付近の地面に転がっていた。

 それを見降ろしつつ、ゴルドはドアノブに手をかけた。


 ――破砕鬼ならば、この程度の高さは容易く跳躍できる。ゴルドがそう断言できたのは他でもない、ゴルド自身が破砕鬼だからだ。人間社会を気に入っているため、本人はそのことを基本的には隠している。また、人の血が混じっていることで、外見上は人と大差ない状態であることも理由の一つである。だがそれ以上に、彼は、友人たちとの平穏をこそ愛しているのだ。破砕鬼という言葉は知らずとも、人ならざる種族との混血である自分を、その事実を知った上でなお受け入れてくれた友人たち――彼らとの日常こそが、彼の生きる意味となっていたのだ。

 その日常を守るためならば、ゴルドは同族を滅ぼしてもいいとさえ考えていた。


 だからこそ――


 潜伏していた巨漢――同族が、いずれ自身の名を轟かせ破砕鬼の健在を示そうと考えていると知った瞬間、ゴルドの目には同族ではなく敵として映るようになった。


「なぜ、なぜオレを攻撃するんだ? 失われた威厳を取り戻そうとする行為、そのどこが間違いだというのだ!」

 同族だった男が叫んだ。その目は理解を願う嘆願の涙が滲んでいた。だがしかし、それを見据えるゴルドの目は冷めきっていた。

「分からないのか。ならお前は、一歩も進んでいない、成長していない。――かつて一族が滅ぼされた時と何一つ変わっていない」

 世界の価値観は常に移り変わっていく。破砕鬼が滅ぼされたのは、世界の価値観が、破壊による秩序から治世による秩序へと移り変わる中、それについてこれなかったからなのだ。

 言ってしまえば、破砕鬼は滅ぼされたのではなく、滅ぶべくして滅んだのだ。

 ゴルドは歴史からそれを学び、今まさにゴルドが対峙/退治している、眼前の同族だった敵対者は、それを受け入れられずにいた。

 たったそれだけ、されどその違いが明暗を分けた。

 会話の中で既に同族を切り捨てる覚悟を決めたゴルド、その攻撃には一切の迷いがなかった。逡巡も憂いも躊躇もなく、ゴルドの拳は一方的に敵対者の骨格を砕いた。破砕鬼の名が示す通りの破壊力である。純血の破砕鬼と比べれば破壊力の純度は落ちるのだろう。だが、それは相手も同じこと。生き延びるため、人と交わってでも種を残した――生き残りの破砕鬼、その末裔である点においては、この二人は対等であった。ただ一つ、覚悟の違いが勝敗を分けただけなのだ。

「がっ、ぁぁ、やめろ、なぜ、どうし、て――」

「かつて破砕鬼が敗れた理由、それを知ろうとしなかったことが、お前の敗因だ」

 

 ――ごしゃり、と。鈍い音と共に、重い一撃が炸裂した。

 なおも叩き込まれるゴルドの鉄拳が、ついに頭蓋にまで及んだのだ。そしてそれ以上の攻撃は、たとえ破砕鬼であろうとも耐えきれない。戦いはゴルドによる一方的なものとなった。


 だが、実のところゴルドは熱くなっていた。努めて冷静でいようとしながらも、彼は冷静ではいられなくなっていたのだ。

 だからこそ、普段なら気づけていた背後からの足音にも、彼は気が回らなかった。


 ゴルドがその存在に気が付いた時、その人物は既に背後に立っていた。


   ◆


 ゲンスケがツヨシに呼びつけられた理由、それは金銭的なことだけではなかった。

「破砕鬼のバックに何かがいる……?」

 ゲンスケは驚き――その数秒後、そのあまりの当然さから、己の迂闊さに憤った。

「ちくしょう、どうして気づかなかった……!」

 遠目でも目立つ巨漢、それが潜伏している。それはゴルドだけではなくゲンスケも予想していた。だが、潜伏しているだけではどうしようもない課題点が生じる。

 ――そう、食糧面の問題だ。当然の如く件の破砕鬼は、市内では夜の〈ゆかり商店街〉以外での目撃情報はなかった。無論、破砕鬼による飲食店等への立ち入りは確認されていない。

 ならば、件の破砕鬼には協力者がいるのが当然であるはずなのだ。

「クソッ、だがそれなら俺の方に情報が萃まってくるはずだろ! なのにどうして、どうしてだ……!」

「己の能力を過信しすぎだ、たわけ」

 狼狽するゲンスケをたしなめるようにツヨシは言った。

「探偵を名乗るのなら、能力だけではなく実際に動けというのだ。その力だけに頼った結果がこれだ。代償として、お前は友人であるゴルドを失おうとしている。故に、お前が今為すべきことは一つ、選択だ。進むか、留まるか――のな」

「――選択」

「そう、選択だ」

 その直後には、ゲンスケは既に店を出ていた。

 それを眺めながらツヨシはため息を吐いた。ゲンスケに対してではなく、それは自分に対してのため息だった。

「全く、俺もつくづく甘いな」

 そう言ったツヨシは、ほんの少しだけ笑っていた。

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