3-8

「服を褒めておいて何ですが、俺はそんな洒落た服なんか持ってませんでした。悪いか」

「悪くなんてない。その格好も宗耶らしくていいと思うぞ」

 どうせだから待ち合わせ気分も味わおう、という口実で由実を先にデパートの噴水前に向かわせるも、その間に急いで掘り返した洋服の中にも大したものは見つからなかった。

 そのため、結局お気に入りの、つまり由実からも見慣れた深緑色のコートを着て来る事になった俺に、由実は優しく笑いかけてくれる。出掛ける際に椿からの詮索もなく、あまり寒空の下で待たせずに済んだ事も大きいのだろう。

「だけど宗耶が気になるなら、これから新しい服を買ってもいいだろう。一人暮らしで色々と厳しいのは知っているし、私も少しならお金を出してもいい」

「まぁ、服を見るのもいいかもな。そこら辺は由実のプランに任せるよ」

「そうだな、そういう予定もあると言えばある」

 ともすれば無関心にも取られかねない態度が俺の常だとわかっている由実は、気分を害した様子も無く頷く。

「だが、とりあえずは昼食にしよう。宗耶は朝も食べてないだろう」

「ん、そうだな。どこで食べる?」

 何だかんだ言って買い物がメインだった昨日はそこまで気にしていなかったが、いざデートと強く意識してみると、昼食をどこで食べるべきなのかもわからない。遊園地や水族館にでも行ったのなら、選択肢も限られてやりやすいのだが。

「ああ、それなら決めてはいるんだ。何か食べたいものがあるならそれでもいいが」

「いや、決めてあるならそれでいいかな」

「そうか、それなら行こうか」

 行き先を告げずに歩き始める由実の隣に付き、肩を並べて歩く。進行方向からして、おそらく目の前にあるデパートの飲食店の内どれかに向かっているのだろう。

「……よし、昼はここで食べようと思う」

 そして程無く辿り着いたのは、デパート一階にあるファストフード店、いわゆるチェーンのハンバーガー屋だった。

「別にそこまで俺の財布に配慮してくれなくってもいいんだぞ」

「そういう意図は無かったんだが……他の場所の方が良かったか?」

「いや、由実がいいならいいんだけども」

 どうやら本当に来たかったらしい由実の様子に、ならば拒む理由も無く店内に入る。

「でも、結構懐かしいな。最近はほとんど来てなかったし」

 家からは近いものの、デパート自体が高校とは家を挟んで真逆にある事もあって、友人と昼食をとるにしてもなかなかここまで来る機会は無い。

 一番頻繁にここに来ていたのは、四人でいた幼少期の頃だったか。その時の事が頭をよぎると共に、だからこそ由実はここに来たかったのかという推測も浮かぶ。

「私が注文しておくから、宗耶は席を取っておいてくれ」

「ああ、俺のはいつもので頼む」

 もっとも、由実はそんな素振りは全く見せないのだが。

「……というより、ここまではちょっといつも通り過ぎるな」

 由実と一旦離れ、二人用のテーブル席に荷物を置いて一人呟く。

 服を褒めたりしてはみたものの、全体として俺と由実はいつもの距離感を保ってここまで来ている。せめて手でも繋いでおくべきだったか、などと反省をしながら、これからどのように振舞うべきか自問自答。

「おぉ、結構いい席を取ったな」

 そうしていると、思っていたよりも早く、両手でトレーを抱えた由実が姿を見せた。トレーを運ぶ役も含めて俺が注文した方が良かったかとも思うが、それも今更だ。

「いくらだった? 値段が変わってなきゃ680円だったと思うんだけど」

 財布を開こうとした俺を、由実は手で制する。

「ここは私が払うから気にしなくていい」

「……格好良いな、惚れちまいそうだぜ」

 恩を着せるでもなく軽く言ってのける由実に、そもそも奢るという選択肢が頭に無かった自分を恥じる。男が女に奢られるデートとは一体どうなんだ。

「わかった、それなら代わりに夜は俺が払おう」

「その言葉は嬉しいが、それは今決めてしまわない方がいいな」

 意味深に笑う由実に一抹の不安を感じ、それ以上強気に出れない辺りも情けない。

「……たしかに懐かしいな」

 どちらからともなくハンバーガーの包み紙を解いて食べ始めていると、ふと由実がそんな言葉を漏らす。

「由実も最近は来てなかったのか?」

「そうだな。記憶が正しければ、あの頃、四人で水族館の帰りに来たのが最後だと思う」

 四人、つまり俺、由実、謳歌、そして勇奈。

「宗耶はいつも今と同じものを頼んで、私と勇奈はその時の気分で頼む物を変えて、謳歌は一番大きいのを頼んで、更に私達のポテトまで食べてたな」

 それは、あの頃の思い出。これまで幾度も語り合っていてもおかしくない楽しかった日々の記憶を、しかし由実が口にするのを聞いたのは初めてかもしれない。

「そうそう、そしたら由実が怒って、それに釣られて気付いてなかった勇奈も怒り出すから、その隙にナゲットとか摘み食いしてたなぁ」

「……なんだ、そんな事をしていたのか? 今の今まで知らなかったが」

「あれ、そうだったっけ? 謳歌だか勇奈にはバレたけど、由実は知らなかったっけか」

 懐かしさについ余計な事を言ってしまったようで、由実から怪訝な目を向けられる。

「もしかして、私が知らなかっただけで宗耶は昔からそうだったのか?」

「昔からって、流石に今は摘み食いとかしな……くもないか。まぁ、あの頃は俺もせいぜいそのくらいしか悪戯はしてなかったとは思うけど」

「私の記憶では、昔の宗耶はほとんど完璧な男の子だったはずなんだが」

 同じ時間を共有していても、二人の間では微妙に認識に違いがある。あるいはそうでなければ、謳歌に関して俺達が違う結論を出す事も無かったのだろうが。

「俺が完璧だった? じゃあなんだ、昔の由実は俺の事が好きだったのか?」

「好きか嫌いかで言えば好きだったに決まっているだろう。だが、あの時はまだ私も宗耶も子供だったからな、それが恋愛の好きなのかどうかはわかっていなかった」

 冗談めかして気になった部分を訊ねると、真っ当に真面目に返される。

「でも、今ならわかる。あの頃から今までずっと、宗耶に抱いている感情は恋なのだと」

「……え?」

 そして、そのままごく自然に由実の口にした告白に、俺の思考は一瞬完全に止まった。

「今、なんて言った?」

「私も宗耶も随分食べるのが早くなったな。今ならもう、謳歌にポテトを取られる事も無いのだろうか」

 馬鹿みたいに聞き返す俺を背に、由実はトレーに乗ったゴミを捨てに立ち上がる。

「ここも懐かしいが、他に行きたい所もある。そろそろ出よう」

 口調も動作も普段と全く変わらない由実の、耳だけが真っ赤になっているのが後ろからでもわかる。口が滑ったというわけでもなく、かと言って俺が言葉の意味を履き違えているわけでもなく、ただここではこれ以上その事について言及するつもりはないらしい。

「ああ、そうだな。出来るだけ目一杯楽しめた方がいい」

 由実の後に続いてトレーを返し、空いた右手で由実の冷たい左手を軽く握る。

「……んっ、ぅん」

 驚いたようにこちらを見た由実は、少しの間の後に強く手を握り返してきた。

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