2-6
「殺すのはありかなしか。ありの方がそっちは有利でしょうけど」
「俺はお前を殺しはしない。お前は好きにするといい」
場所は屋上。相手は副会長。
今まさに、奇しくも会長の懸念していた殺し合いが繰り広げられようとしていた。副会長には俺を殺すつもりがないようなので、宣言通り一方的に殺すことになりそうだが。
「俺が勝ったら謳歌に攻め込むのは諦めてもらう、代わりにそっちが勝ったら俺も着いていく。それでいいですね」
「ああ、それで構わない」
どちらにしろ、俺抜きでの謳歌との全面対決など論外だ。
そう考えればこの条件は一方的にこちらの要求を押し付けた形と言えなくもないが、俺の思考を全て把握しているわけでもない副会長は提案をそのまま受け入れた。
「じゃあ、始めますか」
俺が開始宣言をすると同時、副会長が軽く後ろに跳ぶ。それだけで、10メートルほど両者の距離が開いた。
「チッ……」
俺の武器は117センチメートルの黒い棒。相手の武器は全長94センチメートルほどの模造刀。単純な武器のリーチでは一応こちらが上だが、副会長は魔法剣士だ。
この場合、魔法とはすなわち遠距離攻撃と同義。こちらの攻撃の届く間合いまで接近しなければ、ただ遠距離から一方的に嬲られる。
「?」
だが、距離を詰める間に疑問が頭の隅を掠める。副会長が一向に動く気配を見せない。
それでも、それならそれで好都合。十分に間合いに入ったところで、握った棒をそのまま副会長の頭部へと突き出す。反応した副会長の左手が翻り防御へ回るのと同時、棒の下を叩き軌道を変える。
しかし首へと矛先を変えた一撃は、呆気無く素手の右に弾かれていた。
反撃から逃れるため、棒に引っ張られるようにして左へ跳ぶ。追撃は無し。
「……舐めてるな」
明らかに副会長は本気を出すつもりがない。
戦闘能力、それも近接戦闘においては、副会長は生徒会陣営の中で群を抜いている。
弓使いに僧侶、魔法使いに遊び人と前衛に向かない連中が比較対象ではそれも当然かもしれないが、残念な事に俺もその比較対象の中に含まれているわけで。
常人を遙かに超えるほどまで運動能力を増強された魔法剣士を相手に、格別運動が得意というわけでもない俺が殴りかかったところで相手にもならない。ならば、あえて攻撃させてそれを捌き切る事で力の差を見せつけてやろう、とでも考えているのかもしれない。
「お前は一対一では無力だ。だが、魔王討伐の際には有用なのだろう」
この期に及んで、わざわざ説得などしようというのだろうか。俺の事を嫌っているのだから、そんな事をせずとも好きなだけ叩きのめせばいいものを。
「その無力な俺にすら勝てないんじゃ、謳歌に勝てるはずもないな」
慢心、油断、あるいは俺への軽視。どれであろうと俺には好都合だ。やる気が無いのであればここで殺す。死人に口無し、という言葉もある。
出来るだけの速度で、目を閉じ、回し、開ける。
まばたきよりは長い隙にも、副会長は手を出しては来ない。とことん舐めてやがる。
「いくらその目が優れていても、それだけではどうしようもない」
戯言を無視して突進、と共に突き。足首を狙った一撃を、副会長は力の誇示のためか避けずにわざわざ刀で受けにいく。
空いた。
すでに棒から外していた左手は、ポケットに仕込んでいた十徳ナイフを抜いてある。
躊躇なく副会長の首の右側面を突くが、またも素手の右手に弾かれる。必然的に下方の左腕と上方の右腕の間に空いた隙、がら空きになった副会長の心臓部へと、これもすでに棒を手放して空いた右手を押し込む。
だが、副会長の左手もまた、それを拒もうと高速で翻っていた。刀を避けるため左へ跳びつつ、右手の矛先を向かってきた副会長の手首へと変える。
「……ッ、グ」
いわゆる、スタンガン。
小型のそれでは、一瞬手首に当てた程度で大の男を気絶させるまではいかないが、激痛と痺れは確実に動きを奪う。現に、副会長は刀を取り落としていた。
だが、それまでだ。神経を電流に侵され制御が効かないはずの会長の右手が、すでに俺の頭部へ目掛け振り下ろされている。わずかに鈍ったその動きの隙をついても、後退しつつ転がった棒を拾うのが精一杯。
「刃物にスタンガン、か。次に拳銃でも出されれば少し危ないな」
副会長もまた、左手で床に転がる刀を拾い上げる。超強化された肉体ゆえか、それとも魔法でも使ったのか、いずれにせよあり得ない快復速度だ。
「しかし、これ以上無駄な疲労や負傷も避けたい。悪いがもう終わらせる」
ぞんざいに振るわれた刀の軌道は、すでに後退していた俺を掠めすらしない。届くのは刀身から放たれた、斬撃の形をした魔力。魔法剣士の本領は、まさしくそれだった。
続けて一、二、三、四、五度目の斬撃と同時に副会長が接近。飛ぶ斬撃の回避で体勢を崩していた俺は、倒れるようにして刀を回避。勢いのままに起き上がり、副会長に背を向ける形で全力で駆ける。すぐに横に跳ねながら振り返り、横薙ぎに打ち込まれた刀を棒でなんとか受け流す。
「今ので取ったと思ったが。未来視とは厄介だな」
副会長の言葉に、無言で黒棒を構える。副会長は俺の力が視る事に特化している事までは知っているが、魔眼の性能の全てを把握しているわけではない。会話の中で力の範囲を探っているのだろうが、カマかけに応じてやるつもりは無い。
「だが、たとえ未来が見えるのだとしても、お前には俺に対する有効打は無い。受けるだけにしても、体が追いつかなければいずれ無理が出る」
再度、突進。今度は斬撃のフェイントも無く、最短距離で詰めてくる。
上段からの切り下ろしに、反転して足元を撫でるような横薙ぎ。剣道を齧った事もないだろうその太刀筋は、素人目にも予備動作である程度動きが読める。
だが、俺に未来が視えると仮定すれば、太刀筋がどうであろうと読まれるのに変わりはない。そして、斬撃の速度が恐ろしく速い事にも変わりはなく、予測や予知ができても回避は難しい。
副会長が刀を腰まで引く。当然、次の一撃は突き。殺さないと言ったのを忘れているのだろうか? いかに模造刀であろうと、その速度の突きは肉を貫通する。
「ふッ、ぅ」
短い息と共に、剣先が俺の胴体中央目掛けて放たれる。
待ち受けるように構えておいた棒で軌道を左へ逸らしつつ、擦り足で右へ移動。すぐに引き戻された刀は、続けざまに二撃目となって右足の付け根へと襲い来る。
今度も同じように躱すも、更に三、四と突きが続く。なんとか喰らわずに済んではいるが、反撃に移る隙は無い。
七度目の突きが右の脇腹を抉りに来たのと同時、俺の体よりわずか左の空間に副会長の右手から銀色の光弾が放たれる。光弾の下を潜るように左に転がる以外に、突きと光弾の両方を避ける手段は存在しない。
それで終わりだった。
「これで終わりだ」
誰が見ても明らかな状況を、副会長が丁寧に宣言してくれる。
身を起こしかけた俺の頭部へと、突き付けられていたのは光で形作られた剣。握る副会長の右手がほんの少し動いただけで、俺の頭部はいとも容易く切り裂かれるだろう。
「思ったよりは粘られたが、流石に純粋な戦闘能力が違いすぎたな」
そんな事は、最初からわかっていた事だ。俺には外的な戦闘能力は無く、逆に副会長の肉体強化、斬撃の放出、そして魔力を弾や剣として使う力は戦闘に特化している。
「「そんな事はわかっていただろうに、なぜ戦いなんて挑んだ?」」
二人の声が重なる。いや、俺が重ねた。音は視えないが、この距離なら読唇で十分。
「……やはり未来視か。そんなものがあるならば尚更だ」
「ああ、尚更だ。俺に未来が視えるなんて思っていたなら尚更、なんで俺に何の策も無いなんて思い込む事ができたんだか」
副会長の目に迷いが浮かぶ。だが、それも一瞬で掻き消えた。
「それがお前の策か。カードを伏せておく事で相手を怯ませ、交渉に持ち込む。だが、それならばもう少し早くやるべきだったな」
屋上に惨めに転がる俺と、その俺に剣を突き付け見下ろす副会長。すでに勝敗の決した状況でのハッタリに意味は無い。
「違う」
だが、違うのだ。そもそも、副会長が俺に勝つとはどういう事か。ただの口約束を取り付けるだけで、本当に勝ったと言えるのか。
「何を……っ」
倒れた体勢で隠れていた左半身、副会長は俺の左手がポケットから引き抜かれていたのに気付くのがわずかに遅れる。その目には動揺、更に微量の恐怖が生まれ、再び迷いがちらつき、そして何も握られていない俺の手を見て最後には安堵へと収束していった。
「最後まで虚仮脅しか。だが、どうしようもなく無駄ではあったが、今のは少し――」
俺の左手から両の目へと副会長の視線が戻り、そして止まる。
「刀を捨てろ」
命令。
ただ一言俺の告げたそれに、副会長はあたかも当然であるかのように刀を捨てる。
「屋上の端まで歩いて行って、そこから飛び降りろ」
今度も俺の言葉の通り、副会長は踵を返すと屋上の端へとまっすぐ歩き始めた。
曰く、催眠術。
『ゲーム』において俺が与えられた力の中で、唯一外に影響を及ぼす事のできる能力。
基本的に俺の、遊び人のジョブは『視る』事に特化している。
考え得るありとあらゆる形で、ありとあらゆるモノを視る能力の内、戦闘において最も有用なのは副会長の言ったように未来視であり、先程まで紛いなりにも戦闘が成立していたのも、俺に未来が視えるという強大なアドバンテージがあったからだろう。
だが、あくまで俺の切り札は未来視ではなく、この催眠の魔眼だ。
催眠の魔眼は、唯一自分が『目で』視る事では無く、他者が俺の『目を』見る事によって効果を発揮する。
動揺から安堵までの過程で乱された心に、近距離で魔眼を見続けた事による催眠を刷り込まれた副会長は、一時的に『俺の命令を聞く』事を絶対と認識する状態になった。
目を閉じ、眼球を換える。と、今まで感じていなかった疲労に膝をつく。魔眼の中でも特に消耗の激しい未来視と催眠を続けて使えば、こうなる事はわかっていたのだが。
「……なる、ほど、これがお前の奥の手、か」
だから、その声にも俺はすぐに目を開く事ができなかった。
「寄るな!」
ただ、遠ざかっていたはずの足音が止まった事は耳で把握できたから。接近を防ぐための単純で強い命令を上書きする。
「……催眠が甘かったか」
相手となる人間がいないと試す事もできない上、奥の手として隠してきた催眠の力は加減も仕組みもはっきりとはわからない。動揺、油断が心の隙を作り催眠を強めるという推測が間違っていたのか、もしくは作り上げた状況が十分ではなかったのか、あるいは副会長の掛けている眼鏡のレンズに邪魔でもされたか。
「なら、もう一度だ」
しかし、この目を、魔眼を直視する事で催眠に掛かるというプロセスだけははっきりしている。そうであるならば、長い時間この目を見続けただけ効果は強まるはず。
体を震わせながら、屋上の端まで歩き出さないようにその場で堪えるのが限界の今の副会長相手であればそれも容易い。
「舐め、るな」
ゆっくりと歩み寄った俺へ向けて、副会長の左手が放ったのは光弾。
「無駄ですよ。そんな状態じゃ、子供の頃の謳歌や俺の相手にもなりません」
体だけでなく力のコントロールもままならないのだろう。大きく俺の左へ逸れていった光弾に、内心では胸を撫で下ろす。
今はもう未来視を展開していない。こちらに飛んできていたら避けられたかどうか。
「両手を後ろで組め。床に膝をついて顔を上げろ」
再び未来視や他の目に力を割いて、更にその後で催眠の魔眼が十全に働くかどうかは微妙なほどに俺も消耗している。魔眼を使うよりも、声を出すだけの労力しか必要としない命令という形で副会長の抵抗を抑え込む。
「……っ、しつこいな」
流石にまだ何かしてくると読んではいたため、副会長の肩から放たれた弾の形も成さない魔力の光からは体を逸らせた。もっとも、イメージの問題だろうか、肩からの魔弾は躱さずともよかっただろうかと思うほどの威力しかなかったが。
「そんなに怖がらなくても、屋上から飛び降りたくらいで今の副会長は死ねませんよ。骨の何本かは折れるかもしれませんけど、どうせ白岡が治しちゃうでしょうし。痛みの方はまぁ、痛くなければ覚えないでしょうから諦めてもらうとして」
無駄口を叩いている間に、大して離れてもいなかった副会長の元まで辿り着く。少しでも気を散らせればと思ったのだが、それも必要無かったかもしれない。
「という事で、しばらく寝てて下さい。俺ももう眠いんで」
瞼を一度閉じると、それをきっかけに自覚された目の疲れが次に瞼を開く事を拒む。
しかし、それも一瞬の事。少し気合を入れればそれだけで視界は開けた。
「……っ、んなっ!」
だが、その一瞬が余計だった。
動かない、動けないはずの副会長、しかしそう思い込んでいたからこそ俺は無防備に過ぎた。結果として、開いた目は頭のすぐ横まで迫っていた手刀を捉えてしまう。回避は不可能、防御すら間に合うかどうか。
「お前を見誤っていたのは確からしい。だが、それでも退くわけにはいかない」
どうにか割り込んだ黒棒が呆気無く弾き飛ばされ、そのまま左手で頭を鷲掴みにされる。
催眠が抑止力になっているのか、その握力は頭を潰されるほどではないが、それでも人並み以下まで消耗した俺が振り払えるほどに緩い締め付けでもない。
しかし、副会長もまだ催眠を完全に振り払えているわけではない。
「離れろ!」
俺の声がたしかに届いた事は、副会長の握力が一瞬緩んだ事からも明らかだ。
だが、それでも離れない。
「く、そっ……なん、で」
圧倒的に優位な状況から一転、武器を捨てて背を向けた副会長の行動は、演技にしてはあまりに無意味に過ぎる。あの時から今まで、副会長はたしかに催眠に掛かっていた。完全に意識を失うまではいかなかったにせよ、その動きのほとんどは縛られ、高速での接近などできるはずは無かったのに。
「なんで、か。それはおそらく、お前の命令に従うのに耐えられなかったから、だな」
頭を掴む指の間、見える副会長の顔は歪んでいた。
催眠に抗う副会長の行動には、深層心理からの拒絶反応が出ているはずだ。高所恐怖症の人間がビルの間を綱渡りをするのにも似た苦痛に、今も副会長は苛まれている。
「そこまで俺の事を嫌っているとは、流石に驚きましたね」
「それと、もう一つ。やはり魔王を放っておくわけにはいかないからだ」
俺の皮肉に重なるようにして放たれた言葉が、きっと副会長の本音。そう思わせる強さが、その声には秘められていたように感じた。
「どうして、そこまで? 元々、あんたと謳歌は何も関係無かったはずなのに」
「……ああ、お前から見ればたしかに俺とあれの関係など無いに等しいだろうな」
明確な怒り。それは何よりも、一際増した頭にかかる力の強さが物語っている。
「だが、あえて言わせてもらおう。俺はあの事件、魔王事件の……そうだな、遺族のようなものだからだ」
その言葉を聞いた瞬間、俺には自分が何故副会長を嫌い、そして嫌われていたのか、その理由がはっきりとわかった。
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