2-5

「宗耶、起きろ」

 肩を掴まれ、そのままがしがしと揺さぶられる。なんというかもう非常に乱暴だった。

「人を揺さぶっていいのは揺さぶられる覚悟がある奴だけだ!」

「うぉ、わわっ、何をする、やめろっ!」

 やめる。由実の体を揺さぶってもあまり面白くはない。

「せめてあと数センチあれば……惜しいな。実に惜しい」

「?」

「いや、なんでもない。それより、何か用か?」

「用というか、生徒会室に行こうというだけの話だ」

「ああ、もうそんな時間か」

 時計を見ると、時間は二時間目の終わったところ。

 会長は後で、と言っていたが、行くとしたらまずこのタイミングだろう。由実まで来るという事は、集まって話し合いでもするのかもしれない。

「ああ、できるだけ早い方がいいだろう」

 俺に背を向け、由実が歩き出す。俺も椿を手招きして後を追う。

「で、何しに行くんだ?」

「……あまりここでは言いたくない。『ゲーム』についての話、とだけは言っておくが」

 由実は振り返らずに答えると、そのまま早足で廊下に出る。

「やっぱり副会長も来ちゃう感じですかね?」

「そうだな、全員集まるはずだ。そもそも今日の話し合いはあの人が提案した事でもある」

 あれも俺を嫌っているはずだが、それでも俺と顔を合わせてまで話そうと思うほどの何かがあるのだろうか。正直、あまり良い予感はしない。

「一応、中覗いてくれない? 全員揃ってなかったら揃うまで待つから」

「そこまであの人が嫌いなのか?」

「嫌いだな。別に理由は無いけど」

「そうか……それが影響しなければいいがな」

「ん?」

 不穏な呟きへの疑問の声は、扉の滑る音に遮られて由実には届かない。

「良かったな。もう全員揃っているみたいだ」

 振り向いた由実の肩越し、言葉通りすでに定位置についた生徒会の面々の姿が見えた。

「やぁ、三人とも。とりあえず、座って座って」

 由実はそそくさと自らの定位置に向かい、白岡は椿を気遣って自らの隣に座るように示す。となると俺としては残った席、長机の端に一人腰掛けるしかない。

「じゃあ、一昨日やったばっかりだけど臨時議会を始めよう」

 会長が俺とは逆の机の端から音頭を取る。俺から見て右の長辺には副会長、由実、と座り、逆の長辺には藍沢、白岡、そして椿という配置。

「宗耶と優奈ちゃんはいなかったけど、一昨日と、それと昨日も少し話してね。二人の意見も聞こうと思って、今日は呼んでみたんだけど」

 いつもと違い、会長がそのまま進行役を務めるようだ。副会長を嫌っている俺としては喜ばしいが、会長の興味が何に向いているのかは気にかかる。

「とりあえず、最初は優奈ちゃんのジョブについて話そうか」

 ジョブ、つまり超常の力。

 生徒会の中で唯一そういった力を持たない会長は、表面上それをコンプレックスと感じてはいない。それどころか、持たざるがゆえに最も興味を持っているようにも見えた。

 そうでなくても単純に興味を引く話題、会長のモチベーションの高さも頷ける。

「わざわざ転校までさせてゲームに優奈ちゃんを加えた以上、特別な力、それもここのメンバーの中でも更に特別なものを持っていると考えるべきではないか。今のところそういう方向で話は進んでたんだけど、どう思う?」

「えっと、その、すいません。私にはあんまりよくわかりません」

 らしくもなく饒舌な会長に対して、椿の反応は芳しくない。記憶喪失の少女に聞くには無理のありすぎる問題だ。仕方無いので俺が答える。

「謳歌は意味の無い事も手の込んだ事も好まないので、その考えは正しいと思います。ただ、椿さん自身は自分の力に気付いていないようですし、俺から見てもこれまで特に変わった力は発見できませんでした」

 嘘ではない。椿の力が如何なるものか、俺には本当に見当も付かなかった。

「まぁ、記憶喪失だもんね。それは追い追い、か」

 頷いた会長は、だがまだ興味を失ってはいないらしい。

「そういう事らしいけど、どうする、銀?」

 会長が左前に座る副会長へと意見を問う。言葉にすると何もおかしくはないが、その絵はどこか俺に違和感を抱かせた。

「俺は意見を変えるつもりも、その余地も無い」

「……だよねぇ」

 副会長の言葉に会長は似合わない苦笑を浮かべ、正面の俺へと向き直る。

「それじゃあ、本題に移るよ。今日の二つ目の議題は――」

 その瞬間、俺には会長が何を言おうとしているのかがわかってしまった。

「――魔王討伐について、ですか」

 現実感の無い単語。だが、魔王による侵攻、との間にどれだけの差があるだろう。

「あれ、よくわかったね」

「わかりますよ。言い出したのが、受験を目前にした副会長だって事も」

 いずれ、このような時が来る事は想像できない事ではなかった。だからこそ、会長が口にするよりも早く、俺にもその内容がわかったのかもしれない。

「会長はともかく、本来三年生にはもう遊んでいる時間は無い。だからといって完全に放置するにはこの『ゲーム』は気にかかる。だから勝利条件を満たして終わらせればいい」

「ともかくって……」

 会長が苦笑するが、今はそれに構っている余裕はない。議題が緊迫しすぎている。

「無理ですよ」

 この場で考えるべきは、いかに簡潔に、それでいて絶対的にこの提案を退けるか。そのために言葉を畳みかけていく。

「前にも言ったでしょう、謳歌には勝てない」

「そうとも限らない」

 俺の言葉を遮ったのは、右手に見える副会長。

「こちらは戦力になる人員が五人、椿も合わせれば六人だ。六対一ならば、力の差があっても結果はわからない。いや、むしろこちらが有利だろう」

 あまりに馬鹿げた発言。数がどうこうといった問題ではない事くらいはとっくにわかっていると思っていたのだが。

「五人が六人になったからって劇的に状況が変わるわけがない。そもそも、椿はまだ戦力になるかもわからない」

 敬語を使いたくない一心から語尾が不自然に切れるが、今は気にしない。

「いや、間違いなく戦力にはなる。一昨日の戦闘を見れば、それはわかる」

「それは……これが謳歌の罠だとは思わないんですか?」

 一瞬空けてしまった沈黙が、俺自身そうは思っていない事を示している。しかし、俺でなく副会長にそれを断言できるかどうかは別の話だ。

「そんな事をする理由がどこにある? これまでもあちらの戦力の方が上だったのは双方共に十分理解していた。その気になればあれは俺達など簡単に倒せたはずだ」

 案の定、らしくもなくその理屈は筋が通っているとは言い難かった。

「『ゲーム』の中でやる事に大した理由なんて要らないでしょう。そもそもこの『ゲーム』自体、なんで始めたのか理由も良くわからないんですから」

「……そうなのかもしれないな」

 口籠る副会長を見ていると、吹き飛んでいた余裕が少しずつ戻ってくる。

「だが、仮に罠だったとしても、遊馬も言ったように俺にはあまり時間が無い。俺がいない間にあれが直接攻め込んで来るリスクを考えれば、どちらにしろ今攻め込んでおくしかないだろう」

「別にそこまで真剣にならなくても。元々謳歌が勝手に始めた『ゲーム』ですし、受験の方を優先するならそれで構いませんよ」

 あるいは、この会議自体が俺のこの言葉を引き出す為の副会長の壮大な仕掛けだったのではないか。そんな考えも一瞬頭の片隅をよぎる。

 なんだかんだ言っても、三年生の副会長には自分の受験が大事なはず。妙な責任感を振り払うため、この遊びから手を切る許可が欲しかったと考えられなくもない。

「いや、そうもいかない」

 だが、そんな楽観は一言で否定された。

「あれは、放置しておくにはあまりに危険すぎる。なるほど、たしかに魔王と呼ぶにふさわしい。そして、おそらくあれを始末できるのは俺達だけだ」

 それは副会長の本音であり、このゲームに参加していた理由でもあるのだろう。そしてその言葉は、結論から言えばおそらく何も間違っていない。

 だが、その何も間違っていない言葉が。正義のため、大袈裟に言えば世界のために口にしたのであろう言葉が――

「知るかよ、そんなエゴ」

 ――なぜだか、やたらと癪に障った。

「……今、何と言った?」

 腰を浮かしかけ、しかしすんでのところでそれを抑えた副会長の声もまた、怒りにわずかに震えている。あちらとて俺を嫌っているのは同じ、横槍も無く二人で話していればいずれこうなるのは時間の問題だった。

「謳歌が危険で放っておけないってのはわからないでもない。だけど、この時期に片付けるってのはあんたの都合だ。俺はあんたの予定に合わせるつもりはない」

「なるほど、それもたしかにそうなのかもしれないな。だが、だとしたらあれと戦いたくないというのはお前のエゴではないのか?」

 俺の言葉を否定するでもなく、ただ切り返された返答に言葉が詰まる。

「別にそれを咎めるつもりはない。嫌だと言うのなら、お前を置いて行くだけだ」

 置いて行く? 俺を? なるほど、それは一切考えていなかった。

「……ああ、そうですか」

 皮肉にも、意外すぎた言葉を理解するため冷静になった頭は、すぐにこの状況に対する単純な打開策を思いついていた。

「なら、あんたが行けなくなったらどうなりますかね」

「……どういう意味だ?」

 そう、これは至極簡単な話。

「今、これから、謳歌と戦うなんて事の馬鹿らしさを教えてやろうって言ってんですよ」

 謳歌を殺したい副会長のエゴと、謳歌を殺したくない俺のエゴ、そのどちらが強いかというだけの話なのだから。

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