4
十分ほどでアメリカンハンバーガーショップへ着いた。
気疎い電灯が並ぶ店の付近の路上にクラウンを停めたのち、ガラスの引き戸を開いてなかへ入った。
狭い店内は主に大学生風の若者に埋め尽くされ、大変賑わしい。
扉を開けてすぐ正面にはレジスター、厨房を挟んで横並びのカウンター席があった。南の窓際にボックス席が二組あった。東の壁際に二人掛けのテーブル席が三組、そして北の奥にもボックス席が二組あった。満遍なく装飾されたアメリカンフットボールのステッカーや、自由の女神を摸した電飾や洋楽のBGM、巨大な赤いコーラの瓶の冷蔵庫がそこはかとなくアメリカンの雰囲気を醸し出していた。
ウェイターの案内に従い、壁際の二人掛けのテーブル席へつくと、奎吾はビールとクラシックバーガーを、翔はアボカドベーコンチーズバーガーとコーラを頼んだ。翔は下戸である。
「つつがなく終わったようで、何よりだ」
翔が言うと、奎吾はゆっくりと首を振った。
「とりわけ今回は楽だったよ。失敗しようがない」
「言うじゃねえか、若いの」
「もうそんな若くない。おっさんだ」
「俺は老いなんぞには負けねえ。だからハンバーガーを食うんだ」
奎吾とは八つ歳が離れている翔は、十年前より明らかに老けた。皺も増えた。
それでも彼は若さを保つための肉体の鍛錬を怠らない。彼は元軍人らしい。
依然として黄金に染め上げられた髪の毛先は、彼の屈強な頸へと流すように撫でつけられている。運ばれてきたハンバーガーに豪快にかぶりつき、コーラをひと息に飲み干す様は、一種大虎の狩りに通底しているとも見られよう。
白いシャツの袖をぐいと捲り直し、口許についたソースを紙ナプキンで拭うと、翔は奎吾の肩越しに見える窓を頻りに気にしはじめた。
大きな店のロゴがプリントされた窓はボックス席に面しており、そこでは若いアベックが何やら談笑している。翔はチラチラとその方を見ている。
「落ちつかないやつだな、どうした」
奎吾が眉宇を顰めて言った。
「知り合いでも見つけたか?」
「......山羊だ」
「なんだって?」
「山羊が見えたんだ」
「ヤギって、あの山羊か?」
「他にどの山羊がいるんだよ」
「それで、山羊がどうした」
翔は目を丸くした。そして、しばらくして言った。
「......三匹目だ」
「は?」
「また来た、これで五匹目だ」
「翔。いったい何を言って——」
奎吾が肩越しに振り返ろうとした刹那、来店を知らせる軽快なベルの音が、山羊の集団の入るのを告げた。
それらはてんでに雌山羊の被り物で顔を隠していた。精巧な造りをしているため、甚だ不気味だ。黒のスーツに全身を固めている。客は未だ彼らの存在に気がついていないのか、傍若無人に騒いでいる。
すぐに若い女性店員が接客に向かう。しかし、その異形を目にした途端、案の定彼女は悲鳴をあげた。悲鳴に呼応して、幾人かの客が奇異の視線を向けた。
「なんだ、仮装パーティか」「サプライズかな?」「どっかのバンドにいなかったか?」「こわーい」
場は頓にざわつき始める。一種のシュールレアリズムと畏怖と希求と忿懣の錯綜する空気に、隠然と漂う死の匂いを嗅ぎ取ったのは、ここには奎吾と翔のみであった。
「翔、あれは何だ」
「わからねえ。ただ、奴らが何かとんでもねえことを考えていることは確かだ」
声を潜めつつ、翔は額を寄せた。
「準備はしておけ。桐一葉だ」
「わかった」
奎吾と翔は横目で山羊たちの動静を見守った。
山羊たちは目顔で知らせるように頷き合うと、めいめいジャケットの懐に手を入れた。その手は、銃把を握りしめていた。
「伏せろ!」
翔の呼号が飛んだ。
瞬間、白銀色に光るコルト・キングコブラが放つ無数の凶弾が、張りのある瑞々しい肉壁に夥しい穴を開けた。紅い飛沫と叫声とが飛び交う渾沌とした空間はさながら地獄である。
つと奎吾は卓子を支える一本の支柱を蹴り飛ばすと、テーブルを山羊たちに向ける形にして倒した。翔と奎吾は便宜的に卓子の裏に身を潜め、脅威から逃れた。
「どうする! 翔!」
奎吾は問うた。弾丸が木にめり込む音が耳許で聞こえる。
何か思索に耽ているごとく口を緘する翔は、おもむろに腰あたりに手を伸ばすと、サバイバルナイフの刀身を照明に光らせた。奎吾に顔を向ける。
「殺るぞ、奎吾。俺がアクションを起こす。そうしたら、お前は遠慮なく力を使え」
奎吾は頷く。そして翔は銃声の鳴り止むのを待った。
しばらくして銃声が途絶えるや否や、翔は素早く身を起こし、右手のサバイバルナイフを山羊たちの頭上にぶら下がる電球目がけて投擲した。すると、山羊たちは闇に煌々と光る眼を際立たせた。
「殺れ! 奎吾!」
ほんのたまゆらに卓子の影から飛び出した奎吾が、茫然と佇む五匹の山羊のすべてを圧搾したのを翔は見届けた。
かくして粒子となった人か獣か判然としない肉塊は、死が沈殿した重い空気に溶解した。
奎吾は立ち上がり、あたりを見回した。
場は酸鼻を極める有り様だった。砕けた窓ガラスが床一面に散乱し、夥しい量の血液の停滞があたかも水溜りのようにそこここに見られた。クリーム色だった壁は、乱暴に赤く塗り替えられていた。卓子に乱れたハンバーガーはケチャップのかけ過ぎかと思ったが、どうやら違うらしい。
生存者はいない。寂として物言わぬ空間が、如実にそれを示していた。
「ひどいな......」
奎吾は言った。
「あいつら、皆殺しにしやがった」
「......」
翔はアベックが座っていたボックス席へ足を運んだ。
二人とも卓子の上に上半身を力なく横たわらせ、それぞれ当惑と恐怖の入り混じった顔でこと切れていた。
虚空を見つめる剥き出しの両眼に手のひらをかざして瞼を閉じてやると、彼らは安らかな眠りについた。
「コルト・キングコブラ......」
「なんだと?」
「間違いない」
翔は振り返り、奎吾と眼を合わせた。
「あいつらが持っていた銃。確かに、あれはコルト・キングコブラだった」
「じゃあ、あの山羊が......」
奎吾は言った。翔は言下に頭を振った。
「いや、わからねえ。五人全員が同じ銃だった」
「例の殺人鬼が複数人のグループってのは聞いたことがないぞ」
「ああ。しかも、彼奴はこんな派手な殺しはしねえ。それに狙うのは女だけだ」
奎吾は考える。強盗だろうか。模倣犯だろうか。いや、それよりもテロリストに近しい。凶器が偶然同じであることも考えられるが、ことさらコルト・キングコブラを好んで使う道理がない。リボルバーではなく、より殺傷能力の高く連射性に優れた銃などいくらでもあるだろう。
報復か。
殺しを渡世としている以上、それは避けられない問題ではある。
しかし、クライアントとは電子メールを介してやりとりするに留め、接触はいかなる場合も禁であることを不文律としている。また証拠を残さない上に、殺害の手口を特定しようがないこの能力が、どうして尻尾を掴まれようか。あるとすれば、殺害対象者の近辺調査中の翔を尾行するくらいだが、翔が第三者に気取られるようなミスを果たして犯すだろうか。
——ありえない。
それは彼が最も忌むべきことだ。彼は仲間を危険な状況に晒すをよしとしない、確固たる信念に準拠して案件を全うするからだ。現に十年の間、奎吾が身の危険を覚えるような事態に遭遇することはなかった。
ともすると、我々を標的とした凶行ではなく、ここを襲撃することが彼らにとって何か重要な意味があったのではなかろうか。例えば、かのクリスタル・ナハトよろしく都市のあちこちで襲撃や放火を起こし、I都を混乱の渦中に陥れる......。
——何のために?
少し考えすぎかもしれない。芬々と臭う死臭にあてられ、ありもしない最悪のシナリオの可能性を無意識裡に勘案しているのだろう。
奎吾は翔の元へ歩み寄った。
背後からガシャリと崩れる音がした。死体が酒瓶とともに落ちる音だった。
「ここを出るぞ、奎吾」
翔は入り口へと向かった。
奎吾は名状し難い一種不安のようなものを、心の裡に蠢動しているのを感じた。
翔の逞しい背中より立ち上る気魄が目に見えるようで恐ろしかった。
その背中を追うのが、彼の歩みをひどく手間取らせた。
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