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氷熊奎吾と岬翔は殺し屋である。
翔が依頼を請け負う。そして殺害対象者の過去の経歴や住所から、家族構成などの個人情報を洗い出し、万遺漏なきを期してはじめて奎吾の凶手が振うのである。
奎吾には特殊な力があった。力に目覚めたのは十歳の時分、当時浮気性でヒステリックな母に、かてて加えて酒精と賭博に心身を蝕まれた父を、
突如霧散した夫婦と、音もなく半壊した家。その奇怪な事件は誌面に取り上げられ、奎吾は夜逃げをした両親に置き去りにされた、哀れなる子として名を馳せた。
身寄りのない奎吾を引き取ったのは、縁もゆかりも血の繋がりもない夫婦であった。人格者である彼らの薫陶を受けた奎吾は順調に育つ。しかし奎吾が十八歳の時分に義父がくも膜下出血に倒れる。医師の懸命の処置虚しく、彼は帰らぬ人となる。その三ヶ月後、今度は義母が後を追うように心臓発作で亡くなった。
寄る辺を失った奎吾は日本を発ち、異郷の地を三年ほど彷徨った。そこで己の力の使い方を独自に学んだ。幾度となく繰り返した殺害の帰結として、圧搾する対象を限定してやることで、体にかかる負荷を軽減することができると知ったのだ。そして、その間に岬翔との出会いを果たす。
力の扱いに慣れた頃、奎吾は夜の街に跋扈する奸賊を裁く、いわゆる義侠的な所業に憂き身をやつしていた。
隘路に追い詰められたフリをして手ぐすね引いて待つ奎吾を、そうとも知らず追いかけてきた数人の若者が闇に散ったのを偶さか目撃した翔は、悠然と去ろうとする奎吾を呼び止めた。
「よう、アンタ。俺と手を組まないか? その力、もうちょい上手く使おうぜ」
訝しがる奎吾は、白のワイシャツに黒のパンツ、オールバックに金髪という胡乱ないでたちの翔を冷ややかに一瞥すると、「他を当たってくれ」とけんもほろろに言い去った。
しかし翔はあきらめなかった。
「......いい度胸だ。俺から逃げられると思うなよ」
それから毎日、翔は神出鬼没奎吾の前に現れては、しつこく口説いた。
やがて根負けした奎吾は翔とともに裏方の掃除屋『DIRTY・DOG』を立ち上げ、拠点を日本へ移したのである。奎吾・二十一歳、翔・二十九歳の出来事である。
奎吾は喫茶店を出ると、左の道を折れてしばし歩いた。
六月特有の湿り気を多分に含んだ緩い空気は、奎吾を鬱屈とした気分にさせると同時に、既往の惨劇を脳裡にまざまざと想起させた。
降りしきる雨、二つの棺桶、線香の匂い、遺影、供花、そして悲憤慷慨に満ちた翔の言葉。
——必ずや殺してやる。
I都全域に厳戒態勢を敷いているなか、犯人は未だ発見されていない。若い男、凶器は線条痕からコルト・キングコブラであると推定、動機は不明。おそらく、連続殺人鬼の仕業であると警察は言う。
およそ五年前、突如として現れたその殺人鬼は、世間を恐怖の底へ叩き込んだ。被害者は往々にして女性であり、生前性的な暴行を受けているケースがほとんどのため、翔は妻の美結と娘の宇海のことを気にかけ、能う限り危険の及ばぬ地への移住を考えていた矢先のことだった。
翔は翹望している。犯人を探し出し、彼女たちの墓前に首を供えることを......。
彼は口にはしないけれど、五年の歳月を経てなお、目下秘密裏の犯人厳探に拘泥している。逮捕されてしまえば、この手で殺すことは難しくなる。ならば警察よりも早く彼奴を掌中に収めなければならない。犯人は若い男だ。しかし十年が過ぎた今、なし崩しの頽廃を湛えるかんばせに至るの諦念は、未だ彼の瞋恚が許諾しない。
——絶対に捕まえてやる。絶対だ。
奎吾は右手の路側帯に停車している、ハザードランプを灯している黒のクラウンに近づいた。
車窓を三回ノックすると、ドアロックの解除される音がした。
奎吾が助手席に乗り込むや、翔は「腹減ったな」と言った。
「ハンバーガーでも食いに行くか」
「いいね。行こう」
「よし、決まりだ」
翔は灰皿に煙草を押し込むと、シフトレバーに手をかけた。
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