我は何処に在り

カント

本編

「本当に宜しいのですか?」

 おずおずとそう尋ねてきた医者の顔つきを、その鼻の上に乗っかった眼鏡を、その眼鏡のレンズの片隅についた微かな指紋の跡も、私は何もかも覚えている。何もかもだ。私はその日、上機嫌にYesと返した。全身の機械化――老いぼれて、地位も名誉も十分に得た私が最後に追い求めることを決めたのは、その大いなる計画の遂行だった。

 死が怖かったわけではない。永遠の命が欲しかったわけでも無い。私はただ、科学の代行者として、生命の永遠の議題に挑もうとしただけだ。『自我は何処に宿るのか』――それが私の、そして人類の定めた究極の謎の一つであることに疑いは無く、それに挑める自分自身を私は誇りに思ったものだ。

 機械化は順番に行われた。まずは両足。次に両手。数十年前ならともかく、今はナノテクノロジーと医療用義手・義足が十二分に発達し、成熟した、人類の黄金期とも言える時代だ。それらの手術は滞りなく遂行され、私は未だ自分が自我を持ち続けていることに自信を抱きつつ、毎日、手帳へ「我はここに在り」と記した。

 そう、両手や両足は只のツールだ。そこに自我が宿るとは考えにくい。本命は恐らく――いや、やめておこう。まだその時ではない。

 次に胴体の機械化が遂行された。これは大変な事業だった。何せ内臓も含めたすべての器官を機械化し、生命を維持するのだ。死の危険は医者から何度も指摘されたが、私は躊躇わなかった。所詮は老いぼれの身だ。死ぬ時は死ぬ。その時は皆で私を笑えばいい。愚かな妄執に取り憑かれた孤独な老人! その老人から大量の札束で頬を叩かれ、持てる限りの叡智を投入する、人類の知恵者たち。その滑稽な所業は絶えることなく続けられた。そして私は毎日、記入するのだ。「我はここに在り」。内臓が全て有機機械に置き換わっても、腹部が鋼鉄に覆われても、私はまだ私だった。心臓が取り換えられた時も、私は私だった。自我は消えない。私は私で在り続けた。この時点で、古代エジプトの人々が提唱した『魂は心臓に宿る』という説は否定できる。何せ私が生きた証人なのだ。私の心臓は鋼鉄の部品の組み合わせであり、全身に血を、もしくはエネルギーを送り出すポンプに過ぎない。だが私はこうして存在している。我はここに在り! 私は古代の人々に勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 機械化は顔に至り、やがては大本命の脳へ至る。脳の機能の大半は解明されているとはいえ、一度に機械化してしまうのは避けたかった。手術後、仮に『私』が居なくなったとして、『自我は脳に宿る』という答えは確かに導かれるだろう。だが、『脳の何処に』までは分からない。本番はここからなのだ。

 私の脳は毎日スライスされ、機械に置き換えられた。それは一日に一度は実行され、少しずつ私の脳は有機機械に挿げ替えられていく。私は日記に書き続ける。我はここに在り――両手両足は愚か、機械仕掛けの心臓も、半分以上が機械化した脳も、日記へのその言葉の記帳は止めることは無かった。成る程、私が挿げ替えた部分には『自我』は宿っていないらしい。それは確かな発見だった。だが、その頃から私は、一つの焦りを抱き始めていた。


 ――もし脳を全て機械化しても『我はここに在り』と書けていたら、『自我』はどこにあることになる?


 脳の四分の三が機械になる。八分の七が機械になる。私は日記に毎日記す。我はここに在り。我はここに在り。本当に? 本当に、『我』は『ここ』にあるのか? いや。

 『ここ』とは『どこ』だ。




 ついに全ての脳が機械に置き換わった。手術後、私が行ったことは、当然の如く記帳だった。我はここに在り――嗚呼! 恐れていたことが現実になってしまった。今や私の体は隅から隅まで肉も骨も無くなっている。在るのは無数のケーブルと鋼鉄の板、歯車、ナノサイズの有機機械だけ。私は機械となった。だが、嗚呼! 私はここに居る。間違いなくここに居るのだ。そんな馬鹿なことがあるだろうか? 記帳した私は大声を上げ、日記をベッドの端へと放り投げた。ばさり、と、日記帳は弱々しく病室の壁に当たり、床に落ちた。

 それをそっと、拾い上げた人物が居た。

 私は驚愕した。

 レンズを通して見たその男は、間違いなく、私そのものだったのだから。

「毎日の機械化作業、御苦労様」

 老人はそう言って穏やかに笑った。私は何かに突き動かされるようにベッドの上で男から離れようと縮こまった。そんな私の様子に、未だ肉体を持っていた頃の姿をした相手はまた笑った。

「そう怯えなくてもいい。君は自我の在り処を探る、誇り高き科学の探究者だっただろう?

 そんな私の姿に感銘を受けた者が数名居てね、どうせなら、ということで、この計画は実行に移されたのだ」

「計画?」

「ああ。機械化のために取り出した私の体を縫合し、繋ぎ合わせたら、その肉体に『私』は宿るのか」

 相手はそう言うと右肩を私に見せてみせた。縫合の跡が残っている――嗚呼、何て悪趣味なことだ。人の体を、まるで玩具や縫いぐるみのように扱って! それは生命への冒涜と言えるのでは?

「生命への冒涜――などと考えているかい? 冗談は止せ。それならそもそも、肉体を全て機械化するなんて思いつき自体が大いなる冒涜だ」

 相手は小さく笑った。そして、手にした杖にもたれるようにしながら、私を値定めするように見つめ、やがてまたニヤリと笑った。

「さて、本題に入ろう。我々の探究は徒労に終わった。自我がどこにあるのか? その答えには、肉体を機械化するという手段では到達できなかった訳だ。いや、そもそも、初めから無理があったと思わないか?」

「無理があった?」

「そうだ。仮に、全てを機械に委ねたその体に『私』があったとしよう。だが」

 老人はそこで、高く高く杖を掲げた。

「その体に『私』があると、どうして他者に証明できる?」

 言うなり、老人は思い切り、私の脳天に杖を振り下ろした。眼前の光景がぐにゃりと歪み、体はベッドから転げ落ちて、私の口元からは無数の火花が散る。私は思い返していた。あの日、意志の最終確認をしてきた時の医者の顔つきを、その鼻の上に乗っかった眼鏡を、その眼鏡のレンズの片隅についた微かな指紋の跡を。私は何もかも覚えている。何もかもだ。だから。

 私に『私』があることは、間違いない筈なのだ。

 では。

 眼前の『私』に『私』があることは、誰が証明できる?




   ●


 私はショートし、動かなくなった機械を冷たく見下ろしていた。それから、やがてベッドの端に置いていた日記帳を開き、延々と続く言葉の最後に一言、付け加える。

「我はここにも在り、と」

 自分があの老人であることは間違いない。だが、自分には手術開始以前の記憶が無い。つまり、恐らく、私は純粋な意味での『私』ではないのだろう。継ぎ接ぎだらけの劣化品、コピー――まぁ、そんなものか。だが、大事なのはそこでは無い。

「次は証明方法も含めて考えねばな」

 日記帳をベッドの上に放り、私は機械仕掛けとなったかつての私に背を向けた。私は続けなければならない。命がある限り、永遠に、自我の在り処を求める科学の旅を。でなければ。

 私は、私で無くなるのだ。

 自分が自分独りになれたという安堵感と、これからの旅に立ち込めた暗雲に溜め息をつきながら、私は病室を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

我は何処に在り カント @drawingwriting

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ