第15話 平和な世あるいは兄弟ゲンカ

 桃桜は山の上にいました。何度も成仁と剣を合わせたあの山に。

 山には桜が咲き誇り、すっかり平和になった都を温かく見守っていました。

「桃桜」

 呼ばれ振り返ると、かつての師の姿が、そこにありました。

「雉……東宮さま、いえ、主上、お久しゅうございます」

「そう固い呼び方はやめてくれ」

 3か月ぶりの再会でした。綺恭丸改め綾仁の皇子としてのお披露目、成仁の天皇即位が重なり、なかなか逢えずじまいだったのです。

「そういうわけにはまいりませぬ」

「何をそんなに怒っているのだ」

「だって、なんだかんだでずっと忘れていましたけど、東宮だったことを黙っていたんですよね」

「すまぬ。俺はただ、色眼鏡で見られたくなくて……」

 困り切った成仁を見るのが楽しくて、桃桜は膨らませていた頬を緩めました。

「冗談ですよ。私はとっくに許しています」

「そうか……」

 成仁は、ほっとしたように息をつきました。

「それで、何か御用ですか」

「ああ、お前に話があってな」

 成仁は、自分の心臓がバクバクと鳴り出し、緊張で指先が冷たくなっていくのが分かりました。

「俺の……「おお桃桜、ここにおったのか!」」

 成仁は、突然闖入してきた邪魔者をギロリと睨み付けます。

「綾仁、漢詩をやっているはずではなかったか」

「我には易しすぎる。退屈じゃ」

 田舎皇子と呼ばれた綾仁親王には優秀な教育係が付いていたのですが、乳母の教育の賜物か才能に恵まれ、もう教えることはない、新帝の有能な片腕になるだろうと云われるほどでした。

「我は暇じゃ。桃桜、遊ぼうぞ!」

 綾仁は、童のように桃桜の袖を引っ張ると、ぶんぶん振り回しました。

 先帝と毎晩のように語り合い、人生のやり直しを始めた綾仁は、母の面影を桃桜に見、こうして子ども返りをして甘えているのでした。それが理解できるため、桃桜は拒めず、成仁は、綾仁に桃桜を取られたようで面白くありません。元々短気な成仁の額に青筋が立ちました。ぐっと桃桜の腕を引っ張ると、胸に引き寄せます。

「今日、桃桜には先約がある!……だよな?」

 桃桜は真っ赤になって、こくこくと首を縦に振りました。

「というわけで、また今度な」

 そのまま彼女を抱き上げると、呆気にとられている綾仁を残して駆け出します。

「ちょっ成仁、待てっ!」

 慌てて追いかけますが、地の利がある成仁に、あっという間に撒かれたのでした。


「ふう。あの兄にも困ったものだ」

 肩で息をする成仁は、結っていた髪が少しほつれ、汗に濡れた前髪が数房額に落ちていました。頬も紅く上気し、まだ抱き上げられている桃桜は、至近距離で見る新帝にドキリとします。

「色々とシチュエーションを考えていたのだが、台無しだな」

 そうぼやきながらも成仁は、射抜くように桃桜の双眸を真っ直ぐに見つめました。

「桃桜」

「は、はいっ!」

「入内して、俺の妃になってくれぬか?」

 桃桜は目を見開き、両手の平を口元に当てます。

「お前の祖母が昔、宮中にいたがために苦労したことは知っている。お前も入内したら苦労するだろうし、自由奔放なお前には、宮中は窮屈に思えるかもしれん。だが、俺はそんな生活を強いてでも、お前に傍にいてほしい」

 そこで一度、言葉を切りました。

「お前が欲しいんだ」

 いつになくストレートな成仁の言葉に、桃桜は顔を耳まで真っ赤に染めました。

「あのっ、おじいさんとおばあさんにも相談してみないと……」

「お前の家族からはすでに了承は得ている」

「そうなんだ……って、ええー!?」

 成仁は存外、外堀から埋めていくタイプのようです。

「返事を聞かせてくれるか?」

「えっと……」

「ダメじゃダメじゃ!」

 そこでまた、外野から声があがります。

「兄上、なぜここに……」

「フッ。元反乱軍の鼻と勘をなめるでない」

 バカにしたように笑うと寄ってきて、桃桜を上目遣いに見つめます。

「桃桜は我のモノじゃ。我には都にほとんど味方がおらぬ。そなたまで我から離れてしまわぬであろう?」

 兄は正攻法というよりは、泣き落としのタイプのようです。

「桃桜、どちらを選ぶ?」

「そなたも我の方がよかろう?」

 右に左に迫られ、桃桜の小さな心臓は悲鳴を上げそうでした。

「かっ、考えさせてくださいっ!」

「待て、まだ話は終わって……」「桃桜―!」

 世の平和は戻ってきても、桃桜の心に平和が訪れるのはまだまだ先のことになりそうです。


 桃桜が選ぶのは、成仁か、綾仁か、それとも別の殿方か。みなさまのご想像にお任せいたしましょう。

 これにて、『女桃太郎』、終わりとさせていただきます―

                     ―完―

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女桃太郎 遠山李衣 @Toyamarii

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