第12話① 最も遠いようで最も近しい関係
「き、雉男さん!?」
「桃桜、ここまでよくやった。あとは俺に任せろ」
肩ごしに振り返ったのは、今度こそ雉男でした。素っ気ない物言いの中に優しさを見つけ、桃桜は目蓋が熱くなるのを感じました。
雉男はいつになく優しい目差しで桃桜を見つめていましたが、すぐに鬼に向き直ってピリッとした空気を身にまといました。
「ここから先は、俺が相手だ」
鬼は、突然の闖入者に警戒しているようでした。が、すぐににんまりと笑みます。
「そうか、そなたが“成仁”か」
「俺を知っているのか」
雉男、いいえ、成仁は、驚いたようにわずかばかり目を見開きました。
「“成仁”。忘れたくとも忘れられぬ名だ」
“弟よ”
と。形の良い唇からは、思いがけない言葉が飛び出ました。
「どういう意味だ」
平静を装っているものの、成仁は声が震えるのを止めることができませんでした。
動揺している成仁を楽しそうに見つめる鬼は、ゆっくりと自らの半生を紐解き始めたのです―。
今から24年前、花橘の香る初夏のことでございます。里下がりをしていた中宮の御実家では、2つの産声が上がりました。
「なんということだ」
皇子の誕生を今か今かと待っていた中宮の父、時の大納言は、顔から血の気が引いていくのが分かりました。
双子
この国では双子は、呪われた存在として忌み嫌われていました。存在が知られた時、子らは、殺されるのが
「なんということだ」
大納言は悩みました。双子を殺さねば、大納言家は未来永劫呪われる。でも、そうすれば……。
「他の女御や更衣の思う壺だ」
大納言には大いなる野望がありました。娘の中宮を国母とし、自らは摂政・関白となって政権を握る、という野望です。
「誰にもわしの邪魔はさせん」
大納言は、双子の片方だけを殺すことを命じました。そして、その秘密を知っている女房や下男をことごとく始末していきます。
数年後に我が孫が東宮に立てられることを頭に描いてはほくそ笑む、大納言でした。
中宮には大納言のしたことを知らせることはありませんでしたが、聡い彼女には父の考えることなどお見通しでした。
中宮は、お産後の身体のだるさを押して、子らの
「大納言殿は、我が子を殺そうとしています」
あえて役職名で父の名を云いました。
「だが、私にとってこの子らは宝玉にも等しい。どちらかが殺されるのを見過ごすことなどできぬ。すまぬが、……」
すまぬが、どちらかを連れてどこか遠くまで逃げてほしい。
頭を下げる中宮は、国母ではなく、我が子を愛する母の顔をしていました。
かくして、子のうちの一人゛
高貴な身の上にして、村人と同じ生活を余儀なくされた綺恭丸は、何も知らされぬまま健やかに育ちました。しかし、10歳になった頃、綺恭丸の中に疑問が湧いてきました。
「何ゆえ我は、和歌や蹴鞠、世の情勢、宮中での作法について学ばねばならぬのか?」
他の家の子どもは、このようなことはしておらぬぞ。
昼間は島の子どもたちと畑仕事に勤しんでいた綺恭丸は、夜になると乳母のスパルタ教育を受けていたのです。それはそれは厳しく、綺恭丸の言葉にほんのわずかでも島の訛りが入れば夕食を抜かれ、徹底的に矯正されたのでした。
乳母はしばらく黙っていましたが、若もそろそろ知っても良い頃でしょう、と居住まいを正して、事の次第を話し出しました。貴方様は帝の御子で、本来ならば宮中で暮らしているはずの身なのです。いつ都に戻られても貴方様が恥ずかしい思いをしないように、お教えしているのですよ、と。
綺恭丸に真実を話したことで気が緩んだのか、乳母は病気がちになり、床に着いている時間の方が長くなっていきました。昔語りをするたびに、長らく秘めていた都への想いが溢れ、綺恭丸には乳母が島にいながら、どこか遠くにいるような気がしてなりませんでした。
「ああ、もう一度後宮に咲く梅の花を見たい。美しい衣をまといたい……」
乳母の最期の言葉はこうでした。彼女は、華やかな宮中に出仕し、双子の乳母になったがために、若くして遠い場所で子を育てることになったかわいそうな人でした。いつか都に戻ることを夢見て、道半ばで逝った人でした。
「宮中……。朝廷……」
綺恭丸にとって朝廷は、島の者が汗水流して働いて得たものを搾取する盗人であり、彼の唯一の味方であり母であった乳母の心を奪っていった大悪人でした。その中でよく乳母が話していだ成仁゙は、綺恭丸に無いものをすべて持つ、最も憎むべき相手だと認識していたのです。遠い都で゙成仁゙が東宮の座に就いたと聞き、綺恭丸は心に決めました。今度は自分が゙成仁゙からすべてを奪い、取り戻す、と。
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