第10話 桃は鬼と対峙《たいじ》する

 桃桜一行は、なかなか鬼ヶ島に辿り着くことができませんでした。

 というのも、鬼が占領している村全てに足を運び、しらみつぶしに退治していたからなのでした。

「鬼って、角があったり、口が耳まで裂けていたりしないのね。一見、普通の殿方よりは身体の大きいヒトみたいだわ。絵巻物に出てくるようなモノを想像していたのに……」

 道中、桃桜はぽつりと、そんなことを呟きました。

「生物学上はヒトですからね」

 思いがけず返された犬上の言葉に桃桜は目を見開きます。

「そうなんですか!?」

「ええ、彼らはかつて朝廷に逆らったため、“ヒト”として扱われなくなったんですよ。“ヒト”として扱う代わりに、別の名で蔑んできたんです。“蝦夷えみし”とか“土蜘蛛”、“隼人はやと”など、桃桜さんも聞いたことがあるはずですよ」

 たまにおじいさんが所有している山を通る際、山伏たちの口からそれらの単語が確かに飛び出ていたことを思い出しました。

「“土蜘蛛”とかなら分かりますけど、“隼人”って蔑称にしては響きがカッコイイですよね」

「それだけ彼らは強かったんですよ。都人は“隼人”の名を聞くだけで畏怖したものです」

 そこで桃桜は、ふと疑問に思いました。

「“鬼”もヒトなんですよね。“ヒト”が“ヒト”を食べるんですか?」

「あれは、本当に食べたわけではなく、太刀傷や、彼らが飼っている獣による噛み傷だと思いますよ」

「へえ……」

「今回も、朝廷に対する反乱だとみても良いでしょうね」

 そんな話をしているうちに、一行は鬼ヶ島へと到着しました。

「てめーら、どこから来ただ?」

 目の前には6尺ほどの大きな男が立っていました。顔は厳つく、日に焼けたのか真っ赤で、粗末な布を身体に巻き付けただけの姿でした。

 影が3人をすっぽり覆ってしまいそうなほどの巨体に、初めて見た桃桜は思わず後退りました。しかし、さすがは滝口の武士と朝廷陰陽師。堂々としたもので、さり気なく少女の前に移動しながら朗々と云ってのけました。

「我らは朝廷より、今上帝御自らの命を受け、“鬼”討伐に来た。これまでの所業、許されることではない。だが、神妙に縄に付き、申し開きすれば、命だけは助けてくれるよう図ってやろう」

 犬上の口上を聞き、桃桜の脳裏をケガで傷ついた人々や、不安げに過ごすおじいさんたちの姿がぎります。桃桜は自らに喝を入れると、しゃんと顔を上げました。

 男は、一瞬何を云われたのか分からない、というような顔をしていましたが、理解の色が面に広がると、高らかに指笛を吹きます。存外に澄んだ音色は、島を囲む岩に反射しながら、遠くまで広がっていきました。

「何のつもりだ?」

 犬上は冷静に問いかけますが、男は答えずににんまりと笑うだけです。と、サッと一陣の風が吹き、木の葉が一面に舞います。風が止んだときには、目の前に沢山の大男が集まっていたのでした。その中で唯一、煌びやかな衣をまとった細身の男が、一歩前に進み出ました。

「おれたちを捕まえに来たか。だが、そうはいかねぇ。朝廷から政権を奪ってやるまでは、そう簡単にお縄に付いてたまるかよ!」

 そう云った男の面を見、桃桜は息をのみました。

雉男きじおさん……?」

 その面は、己の剣の師である雉男そのものだったのです。目に見えて動揺し、落ち着きのなくなった桃桜の両肩に、まめだらけでゴツゴツした温かい手と、細くてしなやかな冷たい手がそれぞれ置かれました。

「落ち着きな、お嬢ちゃん。アイツはあり得ないぐらい東……いや、雉男に似ているが違うぜ。雉男だったら絶対感情を面に出したりなんかしない」

「ええ、猿島さんの云う通りですよ。目を閉じてかの人を想い描いてください。それから目を開ければ、真実は見えてくるはずですよ」

 桃桜は云われた通りに目蓋を閉じ、出逢った頃の、賊をあっという間に倒してしまった雉男の姿を思い浮かべました。

 ほんの少し動いただけで強く匂い立つ雅な香を嗅いだ気がして、記憶が次々と鮮やかに蘇りました。自らの白刃を合わせる度に立つ澄んだ音が、雉男の涼やかさをより引き立て……。走馬灯のように師の様々な面が思い浮かび、最後に桃桜たちが都を出る前の姿が現れた時。桃桜の頭の中は、霧が晴れたようにすっきりしました。

 すっと目を開くと、そこにはただ、雉男とは似て非なる男の姿があるだけでした。もう彼女の心が揺らぐことはありません。

「はい、分かりました。あの人は雉男さんではありません。人々を苦しめる“鬼”です」

 猿島と犬上は、桃桜を見て微笑みました。“よくやった”と云うように……。そして、チームリーダーである彼女に場を譲ります。桃桜は先程まで仲間がいた場所に立つと、“鬼の大将”を正面から見据えました。 

「素直に降服しないのなら戦うまで。いざ、尋常に勝負!」

 こうして、戦いの火蓋は切って落とされたのでした。

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