第6話 帝の願いと東宮の意地

「宮、主上がお呼びです」

 成仁が執務をこなしていると、2つ年下の傅子から、心地よい重低音が響きました。外を見ると、真ん丸の月が、頭上に来ているのに気づきます。

「こんな時間にか。……分かった、今行く」

 成仁は、すぐに帝のおわす夜御殿へと足を運びました。

「父上、お呼びでしょうか」

「おお成仁、来たか。入れ」

 声に導かれるままに進むと、蔀を上げ、簀の子に寝そべりながら月を愛でている父の姿が目に入りました。辺りには空になった瓶子がいくつも転がっており、月明かりに照らされた面は少し赤らんでいました。

「父上、せめて烏帽子を被ってください。他の者に示しがつきません」

「まあ良いではないか。それより空を見よ。今宵は特に月が綺麗だぞ」

「確かに美しいとは思いますが、月見でしたら私などではなく、女御さまや更衣さまを誘われてはいかがでしょう。むさ苦しい息子といても、楽しくはございますまい」

「たまには父子水入らずで酒を交わすのも一興というものだ」

 帝は成仁を隣に座るよう促し、息子の持つ杯に並々と酒を注ぎました。成仁は、杯を軽く持ち上げると、そのまま勢いよく傾けます。

「おうおう。良い飲みっぷりだな」

 国で一番身分の高い父子は、それぞれの杯に酒を注ぎ合いながら、黙って月を眺めました。夜風がそっと頬を撫でてゆき、どこか遠くで筧の雫の音が聞こえます。先に沈黙を破ったのは父でした。

「......成仁、そなた、東宮としての公務を放りだして、桃桜そっくりの女人と逢っているそうだな」

 さっと横を見ると、穏やかな目をした父が、遠く輝く月をじっと見つめていました。文官の傀儡のように見えて、遊び歩く息子をしっかり見ているようです。

「父上......」

「桃桜は、あの下人と仲良く暮らしているようだな」

 夜御殿の奥に目をやると、昼間成仁が剣の指南をした少女よりも少し大人びた、女人の姿絵が掛けられています。

「娘の名も『桃桜』というようですよ、父上。容貌に似合わず、勝ち気な性格をしていまして......」

「母親もなかなかの跳ねっ返りだったぞ。いつもあのじゃじゃ馬に振り回されたものだ。だが、不思議と心を穏やかにしてくれた......」

幼き頃より父から幾度となく聞かされた、寵姫。あの山奥で桃桜を見つけたときは、仙女がいるかと目を疑ったものでした。

「成仁。そなた、娘に惚れているな。気に入っているのなら、入内させてはどうだ」

「まさか、何故私があのじゃじゃ馬を......」

 鼻で笑い飛ばしたものの、こうしている今も頭の中の大部分を占めているのは、木刀を弾かれては何度も食らいついてくる、桃色の頬をした少女でした。

 成仁は、浮かんでくる少女の顔を、無理やり追い出すかのように頭を左右に振ると、すくっと立ち上がりました。

「少し酔ってしまったようです。私はこれで。父上もあまり夜風に当たって、風邪を召されることがございませんように......」

 形ばかりの挨拶をして、夜御殿を出ました。

「女の好みも朕に似るとはな。しかし、あいつも素直じゃない。せっかくの幸せを逃さないでほしいものだ」

 遠のいていく足音を聞いていた帝は、己の若い頃にそっくりな息子の忠告を聞き入れ、眠りにつきました。

 遠い空では月が、ひとつ、またひとつと消えてゆく灯りをただ静かに見ているのでした。

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