第4話 殺すということ


「グギャギャギャッ、グギャァー」


 森の木々の隙間から現れたのは、そんな鳴き声を発している、緑色の肌をした十歳くらいの子供。いや、サイズ的には人族の子供と大差ない120センチほどなのだが、その外見は大きく異なっている。


 鉤鼻が目立つ醜悪な顔、耳は先がとがっていて、頭髪は生えていない。身に着けているものは薄汚れた腰布だけ。腰布だけでなく体も汚れており、ひどい悪臭を放っている。鋭い爪の生えた手には木を削っただけの棍棒が握られており、時折、棍棒を木に叩き付けては大きな音を立てている。


(おお……。あれが、魔物なのかな?)


 そんな緑色の小人を、茂みに身をひそめながら観察していたキュウ。ステータスの機能の一つ、マップによって町の位置を確認し、向かう途中で見たこともない生物と遭遇したため、こうしてとっさに身を隠したのだ。


 マップ機能は、半径百キロのマップ、半径十キロのマップ、半径一キロのマップの三種のマップが使用可能で、有効範囲が狭まるほど情報の精度は上がっていく。半径百キロのマップでは大まかな地形や都市の位置がわかるだけだが、半径一キロのマップでは、マップ内に存在している魔物や人の位置を確認できる。魔物は赤、人は青のカーソルで表示される。


 キュウはマップを展開すると、緑色の小人のカーソルを確認する。その色は赤。魔物だ。


(こういう時は、もう一つのスキルの出番だね。【鑑定眼】、発動)


 キュウは死神から授かったスキルのもう片方、【鑑定眼】を緑色の小人を対象に発動させた。【鑑定眼】は、鑑定対象の情報を映し出すスキル。種族の情報はもちろんのこと、保有スキルの詳細も知ることができる。また、対象が自分にとってどれだけ脅威になるのかが、大まかにだが確認可能である。



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種族名:ゴブリン ランク:F

 スライムと並んで最弱の魔物と呼ばれる。主な攻撃手段は噛み付き、ひっかき。武器を持っている個体も存在する。その場合はその武器を使用する。

 中途半端に知能が高いため、複数の個体が集まって集団を組むことも。一匹だと油断していると怪我をする。

 繁殖力が高く、すぐに増える。またコミュニティを形成することがあり、その場合は上位種に進化する個体が出てくる。繁殖の際は他種族の女をさらって苗床にしてしまう。


個体名:なし 性別:♂ 種族:ゴブリン

魔力保有量:20

スキル:【繁殖力強化】


脅威度:F

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(ゴブリンっていうのかぁ……。雑魚だな、うん)


 戦闘系のスキルもなし、ランク、脅威度は最下位。マップで確認する限り、目の前の個体以外にゴブリンはいない。相手はこちらに気づいていない。控えめにいって楽勝だった。戦っても、戦闘能力に関する経験は何も得られないだろう。気づかれていない今なら、ゴブリンを無視して町に向かってもいいだろう。

 しかし、キュウはゴブリンを殺すことにした。倒すでも退かせるでもなく、殺す。それは、自分にとって重要な一要因になると考えていた。


(一撃で、殺す)


 思うが早く、キュウはストレージからチェルノボグを取り出すと、茂みから飛び出し、ゴブリンに肉薄した。完全に不意を突いた奇襲攻撃。茂みから飛び出るときに立てた音で、ゴブリンにこちらの存在が気づかれてしまったが、そんなものは関係ないといわんばかりに神剣が振るわれる。


 結局、ゴブリンは一切反応することができずに、肩から腰までを、背骨ごと両断された。断末魔の叫びすら許さずに命を奪った神剣には、ゴブリンの血の一滴すら付着していない。二つに別れたゴブリンからはとめどなく血が流れ出し、地面にシミを作っていく。


 それを眺めているキュウの目に宿るのは、無。


(一応、初めての殺しだったんだけど……。特に何も感じないな。ま、この先、魔物だけじゃなくて人間だってこうして殺すんだろうし、このくらいで取り乱さなくてよかったよかった)


 ストレージにチェルノボグをしまった後、淡々とゴブリンを、命を奪った感覚を確かめるように手のひらを握ったり開いたり。後悔も罪悪感もない、『これは必要なことだ』と心の底から理解できている。


――――『邪魔なんてさせない。僕の邪魔をする奴らは……どんな手段を使ってでも、排除してやる!』。


 守ることができる。あの誓約を。これで、キュウが自分にとっての障害を排除するのに、ためらうということは無くなった。








 


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇










「死ねェエエエエエエエ!!」


 そう、殺意のこもった叫びをあげながらバトルアックスを振り下ろすのは、凶悪な顔つきをした全身鎧の大男。

 大男の放った斬撃は、その対象となった冒険者の革鎧を紙のように斬り裂き、深い斬り傷を刻みつけた。痛みに崩れ落ちる冒険者は、大男が振るった横薙ぎの一撃によって首と胴体が別れた。


 大男の名はディーラル。アステリティア王国の中でも『冒険者の町』と名高い都市ベルンの近辺を縄張りとする盗賊団『毒蠍』のリーダーだ。ベルンには数多くの冒険者が集まり、それと同時に冒険者たちが集めてくる魔物の素材や迷宮産の魔法道具を目当て商人が集まってくる。

 『毒蠍』はそんな商人を襲うことを主な活動としている。冒険者が集まる都市の近くに縄張りがあるのにも関わらず、盗賊活動を続けていられるのは、ここの戦闘能力の高さ。そして、綿密に練られた連携によって、討伐に来た冒険者をことごとく返り討ちにしているからである。

 中でも、リーダーのディーラルは、素の状態で魔物のランクに当てはめた場合のBランクの上位と変わらない戦闘力を持つ。彼が装備する全身鎧とバトルアックスは魔法武具であり、ディーラルの戦闘能力をさらに引き上げている。


 『毒蠍』が襲っているのは、奴隷を乗せた奴隷商人の商隊だ。護衛の冒険者も見るからにランクが低く、ほとんどがDランク。一番高くてもCランクといったところだろう。商隊がケチったのか、人数も普段の半分ほどだ。ディーラル一人でも殲滅可能な戦力である。


「てめぇで最後だ。死に晒せ!!」


 ディーラルが最後の一人の冒険者を斬り捨てる。つぶれるように肉塊になり果てた冒険者を尻目に、ディーラルと『毒蠍』の団員十名は、商隊の代表者と思われる男に近づいた。ディーラルたちが放つ圧力に、仕立ての良い服を失禁で汚しながら、代表者の男は恐怖に顔を歪め、命乞いを始めた。


「ひ、ひぃいいいいいいい!! た、頼む! い、命だけは助けてくれ! 商品も金もすべてやる! だ、だから、命だけは……!!」

「ハッ、なんでてめぇのお願いなんざ聞かなきゃならねんだよ。大体、お前が護衛代をケチったせいで、クソ弱ぇ冒険者ばっかりでよぉ。数もすくねぇし、全く楽しめなかったじゃねぇか。どう責任とってくれんだ? アァ!?」

「そ、そんな……理不尽な……。こ、殺さないでくれ、頼む! 私以外は全員殺してくれ構わない! だから、私だけは……。死にたくない、死にたくないぃいいいい!!」


 代表者の男はガタガタと震え地面に這いつくばり、今にも意識を失いそうになりながらも、自分が、自分だけが助かりたいと希う。それを見て、商隊に所属する商人たちは失意と憤怒に駆られ、『毒蠍』の団員たちは嘲笑を漏らした。

 ただ一人、ディーラルだけが、怒ることも、笑うこともせず、つまらないものを見るような目で代表者の男を見下ろした。


「……つまんねぇ野郎だ。仮にも頭なら、下のモンの面倒くらい最後まで見やがれ」


 ディーラルは吐き捨てるようにそう言葉を漏らすと、もう用はないとばかりにバトルアックスを振り上げた。代表者の男の顔が絶望で染まる。

 バトルアックスの刃がうなりをあげて代表者の男の頭蓋をたたき割ろうとした、その瞬間だった。



「ねぇねぇ、おじさん。お取込み中申し訳ないけど、ちょっといいかな?」



 緊迫した空気に似つかわしくない、幼い声がその場に響いた。


「ッ! だ、誰だ!!」


 ディーラルはあと数センチで代表者の男の頭を勝ち割っていたはずのバトルアックスを引き戻し、油断なく構えた。死の重圧から解放された代表者の男は、口から泡を噴き出して失神した。


 『毒蠍』の団員達も、視線を鋭く張り巡らせ、突然の乱入者の姿を探す。右、左、前、後ろ。しかし、四方八方どちらを見ても声の主は見つけられない。


「おーい、どこ見てんのー? こっちだよこっち。上だって」

「う、上……?」


 もう一度響いた幼い声に、その場にいた全員がそろって上を見上げ、そして、驚愕に目を見開いた。


 彼らの頭上三メートルほどに、黒衣に身を包んだ子供が。まるでそこに目に見えない椅子があるかのように、足を組んで空中に坐するのは、幼い声にふさわしい、まだ齢十かそこらと思われる、少女……だろうか。肩まである黒髪に同色の瞳。その華奢な体を包む衣服もまた、黒一色に染まっている。可愛らしい顔立ちに笑みを浮かべているが、どこか作り物めいているその表情は、見る者にうすら寒さを感じさせた。


「やっと気づいた? ところで、この辺に町があると思うんだけど、道って向こう側であってる?」

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