7. 夢の主
首尾は上々、ワンチョペはたらったらったとスキップしながらホテルに戻ってきました。
「物凄い上玉が見つかりやした」
いそいそと画用紙を広げるとワンチョペはその日ふいに遭遇した名も知れぬ娘のスケッチを描きはじめました。いつになく念入りに丁寧なタッチで描き進めていきます。
「こんな具合でさあ」
これならどうでい、文句があるなら直接俺に言いやがれとばかりに勢いよくワンチョペは娘の似顔絵を差し出しました。
従者が自画自賛してやまない渾身の力作を受け取ると、にわかに興味を抱いたのかジネディーヌ様は目を通しました。
と、ジネディーヌ様の眉根がぴくりと動きました。
「この娘、どこかで見た記憶が」
ジネディーヌ様はいつになく真剣に何者とも知れぬ娘のスケッチに見入っています。
「レオノーレに似ているが……いや、違う」
「いかがでやんす?」
ジネディーヌ様のつぶやきに、これなら煩いご主人もご満足だろう、ワンチョペが尋ねると、
「いや……今日は疲れたろう、下がってよろしい」
珍しくジネディーヌ様は従者の労をねぎらいました。
それでスイートを辞すると、ワンチョペは拍子抜けして、
「あのご主人が珍しいこともあるもんだね」
と誰に言うでもなくつぶやいたのでした。
ソファで横になったジネディーヌ様はいつしか眠りに落ちていました。まどろみの中、やがて彼は夢の世界へと誘われていきました。
――それは棺に納められたレオノーレ様でした。もう息を吹き返すことのないその姿はまるで花に埋もれて眠りについているようです。
まだ幼い小さなジョセフィンが棺に取りすがって泣きじゃくります。
「小さなジョセフィン、レオノーレはもう目を覚まさないんだ」
若きジネディーヌ様が優しく諭しても、小さなジョセフィンは聞かずに泣きつづけるのです。
夢は移り変わりました。
故郷アフランシの古びた庭園。その一角で可憐な乙女たちがジネディーヌ様を見て微笑んでいる。それでも目もくれずジネディーヌ様は追い続けます。
――レオノーレ、どこだ? レオノーレ。
こちらにいらっしゃいと娘たちが甘い声音で囁いている。
「いつもだ、いつもレオノーレだけいない……」
呼べども呼べども応えは決して返ってこない、それでもジネディーヌ様は夢の中でさ迷い続けます。
戸惑っていると、栗色の髪をした幼い女の子がまとわりついてきました。
――小さなジョセフィン、お前じゃないんだ――
ジネディーヌ様はそうつぶやきますが、小さなジョセフィンはなおも無邪気な表情でじゃれつきます。
ジネディーヌ様は小さなジョセフィンをあやすようにして声をかけました。
「約束しよう。いつか――」
夢はうつろいました。庭園はいつしか消え暗闇となりました。
闇の中、人影が浮かぶと問い掛けてきました。
――私だけを選ぶと誓うか?
薄ぼんやりとして娘の姿はよく見えません。
なのに重くよどんだ心の澱がきれいに払われていく。この安堵感はどうしたことだ? 我だけを選べと夢で告げた娘の言葉にジネディーヌ様はこれまでにない安らぎを覚えたのです。
ふいに夢から引き戻されたジネディーヌ様は跳ね起きました。
「今の夢は? 夢に現れたのは誰だ?」
夢の
数日後、ジネディーヌ様畢生の作となろう恋文を預かったワンチョペはヨノヲスの街のあちこちをうろうろと人探ししていました。
「はて、いかなることか。あの娘はどこの誰ぞ?」
ワンチョペの邪な眼差しが娘たちを追い回します。
「もしや、既にこの街を離れたか。しかし、どんな上玉も三度で飽きるはずのご主人があの娘にはいたくご執心――」
と、
「いかがなさいました?」
背後から突然声を掛けられ、ワンチョペはぎょっとして振り返りました。
声の主はチェシャでした。にこりと笑顔を見せます。
む、この少女は――ワンチョペはどうもチェシャが苦手です。何か見透かされているような気がして思わず後ずさりしてしまいました。
「ま、まずは、自分から名乗るのが礼儀というものだあね」
「それはそれは、無礼はお詫びいたします。私はオトゴサのチェシャ。あなたは確か――」
そこをあの見慣れぬ娘が通りかかりました。
「あの娘!」
ワンチョペの素っ頓狂な声にチェシャは、
「どうかなさいました?」
と問い掛けますが、当のワンチョペはすっかり気をとられ上の空です。
「こうしてはおれやせん。話はまた後で――」
「あのお方なら知ってますよ」
チェシャの何気ない一言になぬ? とワンチョペは耳を疑いました。
娘に手渡さんと握り締めた恋文にチェシャが目をやりました。
「ジネディーヌ様はいつもワンチョペさんに恋文を届けさせるんですね」
「あんたも大概しつこいわな」
「それはそうとその手紙、私が預かりましょう」
こちらへ寄越せとチェシャが手を差し出しました。
「ちょっと待った。あの娘の名は?」
「レオノラとお伝えください」
「れ、レオノラかね。オトゴサの人脈は
「いえいえ、それほどでも」
「ようがす、手紙はよろしく頼みまさあ。……ときにアルトゥールの旦那は?」
「すっかりやる気が失せてしまったそうで、好きにしろと仰せです」
ワンチョペはチェシャに恋文を手渡すと、そそくさとその場を去っていきました。
その夜、アルトゥール様はチェシャが持ち帰ったジネディーヌ直筆の恋文を手にして読んでいました。
「そうか、ジネディーヌもヨノヲスの街に来てたのか」
たいそう時代がかった文章にアルトゥール様はくすくすと笑みを漏らし、ついには腹を抱えて大笑いしてしまいました。
「あはは、ははは。ジネディーヌの奴、私と全く気づいてない!」
チェシャもジネディーヌ様とワンチョペの滑稽な姿を想像してくすくす笑います。
「返事はどうなさいます?」
「もちろん書くさ。とびきり甘い囁きを」
アルトゥール様は鞄から便箋を取り出しました。
「発想の転換とほんの少々の努力でここまで首尾よく進むとは、我ながら思ってもみなかった」
更にアルトゥール様はどこから取り寄せたのか大きめの茶封筒を取り出しました。
「ついでに婚姻届にサインさせればもうこちらのものさ」
レオノーレ様への思慕の念、それとは裏腹に美しい花をみる度無性に手折りたくなってしまう節操のなさ、相反する二つの想いがジネディーヌ様の中で混沌としたまま共存しています。その矛盾こそがジネディーヌ様を駆り立て突き進ませる原動力です。
どちらか一方が消えてしまえば
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