6. ジョセフィン
それから数日後、甘味処トバツに栗色の髪をした見慣れない一人の娘が入ってきました。
ブラウスにカーディガンを羽織り、ゆったりしたロングスカートにサンダル履きのその姿は学校か何かの帰りにちょっと立ち寄った風に見えます。
「誰かしら」
「綺麗な人ね」
常連客の町娘たちは密かに様子を伺います。
横髪をバレッタでまとめたその娘は凛としたとても上品な面立ちで、すらりとした体の線も綺麗です。
でも、ドアをガラリと開け入って来たその立ち居振る舞いはどこかがさつにも思えます。
「いらっしゃいませ――」
娘がにこりと微笑みかけると、ノビルさんはきょとんとした表情で娘の顔色をしげしげと伺いました。
「……?」
と、隠れていたチェシャが身体を傾げると娘の背後から顔を出しました。
「こんにちは」
「え? チェシャちゃんと一緒って――」
「私だよ。アルトゥール」
娘は胸に手をやりました。
「ええっ?」
ノビルさんは素っ頓狂な声をあげてしまいました。ですが、声は確かにアルトゥール様のものです。
「嘘!」
「女の人って全然気づかなかった」
半ばアルトゥール様目当ての町娘たちも彼女の変身ぶりにびっくり仰天、奥から覗いていたナシロさんも目を丸くしています。
「今はジョセフィンかな」
でもやっぱり美形よね、アルトゥール様の言葉に町娘たちも色めきます。
旅に出て一年半ほど、長らく男装に身をやつしていたアルトゥール様ですが今や十八歳。つぼみが一気に花開いたように美しさ娘らしさを増し、今や燦然と輝かんばかりでした。オトゴサの種の里だったらきっとクシロヒメ――
「急にどうしたんです?」
「思うところあって香水を変えてみた」
「でも、アルトゥールさんに見えなかった気が」
ノビルさんはどうすればそうなるのか不思議そうな面持ちです。
「真の姿を隠す香水を作ってみました」
チェシャが説明します。男装を解いたアルトゥール様つまり、ジョセフィン様とは気取られぬよう術をかけたのです。
「で、娘言葉を思い出さないといけないから。求む、助っ人」
長旅ですっかりがさつな振る舞いが身についてしまったアルトゥール様です。顔なじみの女の子たちに甘いものを驕りがてら、娘らしい立ち居振舞いを特訓しようという腹づもりです。
浮かれた町娘たちは両腕を伸ばしてハイタッチ、掌を互いに合わせてパンと叩き合いました。
※
その頃街の中心部にあるホテル・ヨノヲスでは、再び街を訪れたジネディーヌ様がすっかりくつろいだ姿でワンチョペの描いた町娘たちの似顔絵に目を通していました。
「いかがでやんす?」
自慢のスケッチの出来はどうでしょうとワンチョペが問い掛けると、
「今ひとつ心が浮き立たぬ」
とジネディーヌ様は手にしたスケッチを無造作に放り投げました。
「もう一度行ってこい」
「ご自分ではちいとも努力しないんだから」
ひらひらと散る似顔絵が床に落ちるとワンチョペはぶつくさ言いながらもせっせとそれを拾い上げました。
「何を言う。私はワンチョペの眼力を誰よりも高く買っておるぞ」
それで仕方なしにワンチョペは痛む脚を引きずるようにしてスイートルームから出ていったのでした。
ワンチョペが向かった先は甘味処トバツでした。
「何たってこの街じゃやはりノビル嬢が一番だあね」
一度は捕り逃がしましたが、再度挑戦する価値十分と踏んだようです。
トバツの看板が見えてくると、ついでに甘味処に集まる近所の女学生も観察しようとワンチョペは足を速めましたが、つとその足が止まりました。
「おや、見慣れない娘」
ワンチョペが路上の立て看板に身を隠すと、トバツから見慣れない娘が出てきて、見送りに出たノビルさんと挨拶を交わしました。
栗色の髪のその娘の美しさはまさに輝くようで、ワンチョペもしばし見惚れてしまいました。
娘はワンチョペには気づかず踵を返すと向こう側に行ってしまいました。
「何たる上玉。いや、凄玉。後を追うべし」
ワンチョペは慌てて目標変更、何者か探りを入れることにしました。
娘は大通りをしばらく進むと、道の向こう側に渡って細い路地に入りました。
こっそりワンチョペが娘の後をつけて行きます。古い街並には一切目もくれず、気配を悟られぬようつかず離れず忍び歩き、ときには何食わぬ顔をして大胆に振る舞いながら周囲の光景に紛れ込みます。
何度か曲がり角で横道にそれると、すぐに次の曲がり角に至り、手前右手に古びたお寺の門が見えてきました。
お寺の前でT字路となっていて門前の通りが道幅を広げています。急に開放感のある空間が出現し、ワンチョペは一瞬方向感覚を失いました。
「おや、見失った?」
我に返ると、空気に溶け込んでしまったのか先ほどまでそこにいたはずの娘が忽然と姿を消していました。
ワンチョペは訝しげに首を傾げると、左に曲がって小さな広小路へと足を踏み出しました。
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