4. 攻略のヒント

 逗留先の手伝いもどうも身が入らず、手伝いはいいからどこかで頭を休めなさいと押し出されるように店を出ると、自然と足は公園に向かいました。


 アルトゥール様は木製のベンチに腰掛け、ぼうっとどこかうつろな表情で時が経つのをやり過ごしていました。


 そんなアルトゥール様を励ますでもなく突き放すでもなく、傍らでチェシャが黙々とヨモギを摘んでいます。


「ツクヨのほうき星はご存知ですか?」


 チェシャは草を摘みながら背中越しに声を掛けました。


「次は三年後だっけ?」


 興味が湧かないのかアルトゥール様は投げやりに応えます。


「何かの予兆ともいいます」


 ツクヨのほうき星は神が空に向け放つ鏑矢だという言い伝えが古くからありました。


「迷信さ」


 と、チェシャは何か思い出したのか手を止めハンカチで草の汁をぬぐうと、オーバーオールの胸ポケットから一通の手紙を取り出しました。


「そうそう、お手紙が」


 受け取ったアルトゥール様は差出人をちらと確認すると封を切りました。


「まただ。見合いはあれ程断ってるのに」


 それはアフランシの実家からの手紙で、仕送りついでに近況を尋ねたものです。


 アルトゥール様のご母堂は若い娘が旅を続けるのがいたくご心配なご様子で、いい加減帰郷して普通の生活に戻り、よい縁談をまとめて幸せな家庭を築くよう切々と訴えていました。


 アルトゥール様は無理に笑ってみせました。


「……小切手が送られてきた。チェシャ、何か欲しいものはないか?」

「いえ、特には」

「遠慮するな。そうだな、フリルやレースが沢山ついた可愛らしいエプロンドレスなんかどうだ? きっとよく似合うぞ」


 チェシャは首を振りました。


「それより、どうなさいます?」


 ご母堂が心配されているとなると従者としてはどちらを尊重すべきか、アルトゥール様の意向を確認しなければなりません。


「放っとけ――」


 投げやりに応えたアルトゥール様は空を見上げため息をつきました。


「でも、もうアフランシに帰ろうかな……」


 許婚の自分を余所に放蕩の限りを尽くし省みることが全くない、それでも何とか改心させようと説得を続けてきたけれど暖簾に腕押し柳に風とばかり受け流され、挙句の果てに千人もの女性を毒牙にかけた。もうかばいきれない、これまでのことはすっぱり忘れてしまって新しい人生に踏み出すべきではないか。これ以上時間を徒に費やしたところでどうなるものでもない、アルトゥール様も里心がついたのでしょう、珍しく弱気な胸中を吐露しました。


「ジネディーヌの心は私を向いてない。むしろ私がそれを受け入れるべきなんだろうか」


 そもそも何故自分はここまでしたのだろう? 幼い頃の約束? 兄と慕っていたから? 幸せだったあの頃に戻りたいから? いや、違う。知らぬ間にジネディーヌの<邪視>に惹かれてしまっていたのではないか。そうだ、十六のとき八年ぶりに再会したあの日あのとき既に虜にされていたのだ。なら、そろそろ潮時かもしれない、彼の<邪視>で私は般若と化しつつある。ここで捨て去るべきだ。魔法が解けたんだ――


「あら、アルトゥールさん」


 振り向くと、それはノビルさんでした。アルバイトを早めに切り上げたのか、書生のシュンスケさんと一緒にいます。


 気の抜けた炭酸水のようなアルトゥール様をみてシュンスケさんも様子が変だと思ったのでしょう。


「ぼんやりしてどうしただよ?」

「何もかも空しくなったのさ。だから故郷に帰ろうかなって」

「ええ?」


 ノビルさんが思わず大きな声をあげました。


「アフランシに帰るかね」

「まだ決めたわけじゃないけど」


 アルトゥール様は後頭で掌を組むと体重を預けるように背をそらしました。


「アルトゥールさん、あんた達は俺らの恩人だ。もしよければ微力ながら手伝うよ」


 鼻息荒くシュンスケさんはアルトゥール様の胸元近くまで身を乗り出しました。


 アルトゥール様は顎を引き、かすかに身体をそらしました。


 痛てて、ノビルさんに耳を引っ張られて思わずシュンスケさんが悲鳴をあげたのは、彼の好みをノビルさんがよぉく知っていたからでしょう。


「いやあ、もう精魂尽き果てたというか」


 相変わらず張り合いのない受け答えで、


「ジネディーヌさんの病気は死ぬまで治らないでしょ」


 ノビルさんの一言で一同、深く何度も頷いたのでした。


「私が子供の頃兄のように慕っていたジネディーヌ、八年ぶりに再会した彼はまるで別人と化していた――」


 アルトゥール様は寂しげな顔で続けました。


「このまま旅を続ければ、私も般若の面がとれなくなってしまう」


 とカクシの森の出来事を語って聴かせたのでした。


 病膏肓やまいこうこうに入るというより生まれついての本能みたいなもので、どんな頑丈な矯正具だって、いかに優れた鍛冶職人、板金職人だろうとジネディーヌ様の捻じ曲がった性根を叩き直すなんて到底不可能。コップに入った二つの水を一つに混ぜて、さあ、それを元の二つに戻せと言われるより無理難題です。


 これでは仕方ない、せめて快くアフランシへ送り出してあげようという空気が四人の間に流れ出しました。


 と、


「そういえば不思議に思ってたけど、アルトゥールさんってどうして普段は女に見えないだよ?」


 シュンスケさんがふとした疑問を口にしました。


「あたしも気づかなかった。許婚だって判ってびっくりしたもの」


 ノビルさんは作りかけの媚薬を知らずに飲んで、アルトゥール様、シュンスケさん、ジネディーヌ様三者の間で心が揺れ動いたくらいですから、当時はアルトゥール様が男装の麗人だとは夢にも思わなかったのです。


「それは香水が特別な――」


 と言いかけて、アルトゥール様はすっくと立ち上がりました。何やらピンときたようです。


 さっきまでの意気消沈ぶりはどこへやら、いつもの強気でへこたれないアルトゥール様が戻ってきました。


「ありがとう、いいヒントをくれた!」


 そう言ってアルトゥール様はチェシャを促すと去っていきました。


 見送ったノビルさんとシュンスケさんは、アルトゥールさんが元気を取り戻したのは素直にうれしいけどこれでいいのかなぁ、いや、ここは友人として忠告すべきでは、二人して思案顔でした。


 空を見上げると、白い気球が漂いながらゆっくりと高度を下げていたのですが、雲に紛れて誰も気づきませんでした。

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