6. キナミの生業
灯台を出て東側の磯へと向かう細い道――石が敷き詰められていて雑草もさほど生えていないところからすると少なからず人通りはあるのでしょう――その石畳の道を選ぶことにしました。
左手からは海鳴りがごうっと響き渡ってきます。
しばらく歩くと、西の磯と東の磯を結ぶ吊り橋に差し掛かりました。眼下は深い谷間となっています。
「……足がすくむ」
橋のたもとまで来るとアルトゥール様は高所恐怖症がぶり返してきたようで思わず身をすくませました。
「綱はしっかりしてるし、大丈夫ですよ」
チェシャが綱に手をやって橋の造りを確かめると主を安心させようとします。ところが浜の奥に目をやるとチェシャは小首を傾げました。
「はて、あちらの橋は何故あのままなのでしょう?」
吊り橋はもう一本内側にあったのですが、たもとは塞がれ、蔓を編んだ綱も渡し木もボロボロに腐っていました。
「幻術で心悪しきものを向こうへ誘うんじゃないか?」
アルトゥール様の意見にチェシャも同意しました。
と、橋の向こう側に目をやると、一人の娘が吊り橋を渡りはじめたところでした。無事渡りきったそのとき貧血でしょうか、娘はがくりと膝を折りしゃがんでしまいました。
「危ない!」
アルトゥール様が娘の手首をつかむとこちら側に引き寄せました。
「この村に戻ってきたばかりなのですか」
娘は地元の人間でキナミさんと言いました。気分が優れないご様子なので、しばらくそこで休ませることにしたのです。
「ええ、今はこの村の地主の許に身を寄せています」
そうキナミさんが答えると、
「先ほどの幻はあなたですね?」
チェシャが先ほど遭遇した幻を口にしました。
確かに屋敷の主はキナミさんにどこか似ていました。
「そうですか、それは確かに私です」
「あなたは幻術を使えるのですか」
アルトゥール様はいたく感心したご様子でしたが、キナミさんは苦笑しました。
「見ての通りです。無関係なあなたたちを惑わしてしまったし、私は力を使い果たしてしまいました」
それからぽつぽつとキナミさんは自分の身の上を語りはじめました。村を出て遠い街に嫁いだこと、子宝に恵まれず実家に返されてしまったこと。そんな彼女に村の地主の婦人が声を掛け、今はその婦人の許に身を寄せこの森を護る術を学んでいると。
「でも、こうして海を見ていると心が安らぎます」
キナミさんは眼下に広がる海へと、そのどこか物悲しげな眼差しをやりました。
※
「つらいことがあったのですね」
アルトゥール様も中身は年頃の乙女。キナミさんに同情することしきりです。
「私がいけないんです。子を産めない体だから」
「そんなことはありません。妻だけが悪いとどうして言えましょう? そんなのは迷信に過ぎません」
「そうですね、実はもう一度やり直そうと思っています」
この村は漁師町だから魚を捌いて干物にして売れば当座の生活はできるでしょう、キナミさんはそう答えました。
「
すかさずチェシャが応えました。
「え? ええ」
キナミさんが頷くと、
「では、魚醤を作ってみてはいかがでしょう。近頃はあまり見かけなくなりましたが、独特な風味がありますよ」
「それは良い考えですね。私の父は船主ですし相談してみましょう」
「では、作り方を記した書物を私の里から送らせましょう」
チェシャの言葉にほんの少し希望がさしたようです。
「元気が戻ったようですね」
よかった、安心したとアルトゥール様は笑顔を向けました。
「あなたたちの生業は何?」
キナミさんがそう訊くとチェシャは、
「私には種を広める務めがあります」
そう答えました。アルトゥール様は正直に、
「生業はまだありません。今は人を追っています」
と答えました。それでキナミさんは微笑み返ししたのです。
アルトゥール様は懐から写真を出しました。
「この気球に見覚えはないでしょうか? 昨日この辺りを東へ飛んでいったそうなのですが」
「いえ、ないわ」
キナミさんは知らないご様子です。
日が落ちてきました。
「地主の別宅が近くにあります。闇夜の森は危ないから引き返すことになるけど、そこで夜を明かすといいでしょう」
キナミさんの勧めでその日は西側の磯の屋敷で夜を明かすことにしたのです。
「好きに使ってください」
キナミさんは快く一夜の宿を貸してくれました。
「お礼にこれを」
チェシャが腰の巾着から不思議な種を出しました。
「これは?」
「気休めですが、心から子を授かりたいと願ったとき葉を煎じて飲んでください」
キナミさんは微笑んでそっと種を握りしめました。
「私は磯の東側にあるサナメ婦人の屋敷に滞在しています」
「夜道を独りで大丈夫ですか?」
「近くに知り合いがいますから、彼に送ってもらいます。それにカクシの森は私を守ってくれます」
そう言ってキナミさんは向かいの邸宅に入っていきました。
一緒に出てきた男性――ケンゴさんですが、彼がキナミさんに付き添って東へ向かっていきました。
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