4. ケンゴの恋文
話しこんでいるうちに、どうやらケンゴには惚れている女性がいるらしい、そう気づいたワンチョペは一計を案じました。ジネディーヌ様が如何に女性の心を掴むのが巧みかとうとうと語って聴かせたのです。
「どうやって想いを伝えればいいのでしょう?」
「大事なのは真心でさあ」
ええ、もちろん真心なんてどこにもありはしませんが、ただ一点何としても意中の女性を勝ち取る、その執念と気迫はケンゴさんの興味を惹いたようです。密かに想う人がいなければどんな恋の自慢話も馬の耳に念仏、犬に論語、兎に祭文、牛に経文です。
「美しいものに心惹かれるのは人の性でさあ。何も悪いことじゃありゃしやせん。思うがままに己の心の内を綴るのでさあ」
「なるほど、恋文ですか」
ケンゴさんはちょっと考え込みました。
「では、ジネディーヌ様はどのような恋文をお書きなさるので?」
どのような美辞麗句を綴るのだろう、どうやって切ない胸の内を語るのだろう、ケンゴさんは訊きたくてたまらないようです。
「うちのご主人はちょいと特別ですから、参考にはなりゃしません。しかし、いざ書くならば畢生の作と心得ねばなりません」
「確かに」
うんうんとケンゴさんは頷きます。
詩歌を口ずさむこともない無粋な自分が果たして相手の興味を惹くことができるのだろうか、ケンゴさんがおずおずと尋ねるのでワンチョペは益々図に乗るのでした。
「恋文を貰って気分を害するご婦人がどこにいましょうか。当たって砕けろでがんす」
そ、そうかとケンゴさんはほのかな希望を抱きはじめたようです。
「し、しかし私は一介の小作人に過ぎません。相手はこの近くの漁村に住まう船主の娘なのです」
ケンゴさんが想う人物像がぼんやり見えてきました。なるほど、家格の違いは確かに難しいことがままあるものです。
「我が主ジネディーヌ様が相手の出自を気にしたことなど一度でもありやしたでしょうか? 否。美しいものは美しい、一切の虚飾を取り払いありのままを受けとめるのでさあ。虚飾に怯えてどうして相手の心を動かすことができやしょう?」
ワンチョペの口上が熱を帯びてきました。
「身なりも整えねば。鳥ですら美しく着飾るものでさあ。ケンゴ殿、あんたのその格好はちと気を遣いなさ過ぎでさあ」
「そ、そうかね」
ワンチョペはにやりとしました。ここからが本題です。
「ところであんたがそれだけ想いを寄せる相手とはどのような娘でやんしょ?」
「実は同じ村の出で――」
「その娘に恋敵は?」
「いや、実は嫁いだ先を離縁されて戻ってきたところで」
ワンチョペはにんまりとしました。キナミ嬢は確かにケンゴと同じ年頃だし、サナメ婦人の屋敷に滞在しているのは嫁ぎ先から返されてしまったから、そう考えれば合点がいく。
「もしや、キナミというお方で?」
カマをかけるとケンゴさんはあっさり白状しました。
「ご存知ですか。いや、子宝に恵まれなかったらしく
ああ、言わなくてよいことまでケンゴさんは漏らしてしまいました。お人好し過ぎるのもこうなると考え物です。
「それはそれは、キナミ様もさぞやご心痛の極みでありやしょう」
他人の心の痛みなどどこ吹く風というのがワンチョペの信条ですが、よくもまあぬけぬけと口にしたものです。
「正直、身分違いの恋と諦めておりました。しかし、今は勇気を奮うべきときと考え直しました。ぜひ、ジネディーヌ様とワンチョペ殿のお力を拝借いたしたく――」
知らぬ間に恋の鞘当てに巻き込まれているとは露知らず、ケンゴさんは心の内なる変化を喜び勇んで受け入れたのでした。
ワンチョペはケンゴさんと入れ違いに外出先から戻ってきたジネディーヌ様にことの一部始終を話しました。
「――という具合でさあ」
キナミさんはケンゴさんの幼馴染ですが、村一番の船主の娘で今はサナメ婦人の許で何やら学んでいるとか。対するケンゴさんは一介の小作人で、仕事の合間に猪の牙を材料に根付を彫ったり、サナメ婦人の用事を言付かったりする毎日。要するに高値の花だったのです。
根付ですか? はい。巾着の紐の先に結んでいるのがそうです。精密な細工が施してあって留め具として使います。
「ますます楽しくなってきやした」
「しかし、あの幻術をどう払ったものか」
さしものジネディーヌ様も考えあぐねているようです。
「いかな幻術といえど、ジネディーヌ様の<邪視>の前では一回こっきりでさあ」
ワンチョペの作戦はこうです。ケンゴさんを先ず囮としてキナミさんの許に差し向けます。幻術が発動した瞬間、ジネディーヌ様の<邪視>で破ってしまうというものでした。
「そうか」
ジネディーヌ様はまたどこへやら行くおつもりか、踵を返しました。
「夜がふけるまで休んでおけ」
決行は今夜! です。
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