3. 冷たいお茶を一杯

 ――メリーベス?


 十六歳だったある日、親友の姿を探したジョセフィンが客間を覗くと、女友達のメリーベスとジネディーヌ様が楽しそうに談笑していました。


「ジネディーヌ……」


 ジョセフィンの声でメリーベスが振り向きました。そのとき彼女が微笑んでみせたことが未だに忘れられません。後で知ったことですが、そのとき既にメリーベスはジネディーヌになびいていたのです。


 メリーベスの眼差しで気づいたのか、ジネディーヌ様がジョセフィンを鋭い眼光で一瞥しました。


 目と目が合った瞬間、ジョセフィンは震えました。


 ――まるで邪魔するなと言ってるようだ……


 ほんの一瞬でしたが、瞳の奥を、心の底を覗かれ値踏みされたように思えました。


 ――許婚なのにどうして?


 明らかにジネディーヌ様は彼女を避けていました。何年ぶりかで再会したのに許婚の自分と会おうともしないのです。


 ――まさか、許婚だから?


 姉レオノーレの死が発端となり、むしろ許婚という間柄を憎んでいるのでは? そんな想いがよぎりました。


 ジネディーヌ様はすぐにメリーベスとの会話に戻りました。まるでジョセフィンがそこにいないかの様に。


 蔑ろにされたジョセフィンは邪魔者さながらにおずおずとその場を去ったのです――


 照りつける日差しはますます強くなって、健脚を誇るアルトゥール様も疲れの色が出はじめました。


「どうかなさいました? 暗い表情をして」

「いや、何でもない……昔を思い出してた」


 想いを断ち切るようにアルトゥール様はふっと笑みを漏らしました。


「そうですか――」


 チェシャが一軒の茶店を指しました。


「あそこで一休みしましょう」


 白く塗ったトタン製の看板は茶店というより駄菓子屋に近いでしょうか、もうしばらくすると浜茶屋を開くそうですが、今は小さな漁村から東の街に抜ける道の傍ら、行く手に待つ深い森の手前で営業している訳です。


 席につくとアルトゥール様はもう嫌だ、歩けないとぐったりとした顔でテーブルに突っ伏しました。


 店番のお婆さんがお冷を出してくれました。よく冷えていてグラスには水滴がいくつもついています。


 チェシャは壁に貼られた短冊状のメニューに目をやると、


「とりあえず、麦茶と塩を一皿お願いします」


 と注文しました。


「麦茶は冷たいので?」

「はい」


 チェシャが答えると、お婆さんは店の奥に引っ込みました。


「どうしてこんなに暑いんだろう、疲れるんだろう……」


 いつにないアルトゥール様の繰言です。


「アフランシに比べてアが国は湿度が高いですから」

「ああそうか……」


 異国の初夏の日差しにバテてしまったアルトゥール様は半ば目を閉じてそのまま眠ってしまいそうな気配です。


 お婆さんが麦茶と一皿の塩を持ってくると、テーブルに並べました。


「さあさあ、先ずは体をよぉく冷やしんさいな」


 お婆さんの言葉でアルトゥール様はうん? とわずかに面を上げました。


 早速チェシャは皿に盛った塩をつまむと麦茶の入ったグラスにさらさらと落としました。


「ん?」

「冷たい麦茶に塩を一つまみ、さあ、どうぞ」


 お茶に塩を入れるのか、アルトゥール様は興味を抱いたようです。ゆらりと起き上がると、グラスに口をつけました。


「ほお……お、中々だな」


 チェシャの簡単レシピが気にいったのか、アルトゥール様は一息に塩入り麦茶を飲み干して大きな息をつきました。ようやく背筋がしゃんとしてきたようです。


「元気が戻りましたね。真夏を乗り切る塩分補給法、宇宙の常識です」


 チェシャは微笑むと、


「みたらし団子と桜餅を三人前お願いします」


 とお婆さんに注文しました。はい、チェシャが二人前、アルトゥール様が一人前です。


「はいはい。お二人ともお疲れのようで。ごゆっくりどうぞ」


 お勘定を済ませると、


「これからどこへ行きんさるかね?」


 お婆さんが見慣れない二人組の旅人に尋ねました。


「とりあえず東のアサリの街で宿を探す予定です」


 元気を取り戻したアルトゥール様が答えました。


「そうかね。あんたたちは大丈夫じゃろうけど、ここから先、カクシの森はいわく付きでしてな――」


 その深い森はカクシの森といって心悪しきものが訪れると道に迷ってしまうのだそうです。


 そのときのアルトゥール様にとってサナメ婦人はともかく、ジネディーヌ様がカクシの森に滞在しているとは思いも寄りませんでした。

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