6. ホクトとアガタ

 そこは東の街のカフェでした。


 人待ち顔で頬杖をついていたアルトゥール様の脳裏にチェシャとの出会いが甦りました――


 私を従者にしてください、あの日、朝日が輝く浜辺でオトゴサのチェシャと名乗る少女が申し出ました。


「私について来るつもり?」

「はい、きっとお役に立ちます」


 チェシャは自信たっぷりです。


「まだ先ほどのお礼をしてないし、それに、お給金が払えない」


 危ないところを救われ、能力は認めざるを得ないものの、ジョセフィン――チェシャの勧めでアルトゥールと名乗る以前の彼女は困り顔でした。


「甘いものをお腹一杯食べられれば文句はいいません」

「甘いもの?」


 それでジョセフィンはくすくす笑いはじめたのでした。


「はい、それにオトゴサの里の伝手があります。そこで働きながら旅を続ければ宿も食事も欠けることはありません」


 振り返ってみれば、主と従者なぞ上っ面だけ。よくしてもらっているのはいつも自分の方。でも、どうしてチェシャはそこまでしてくれるのだろう? そんな思いがアルトゥール様の胸中に去来しました――


 約束の時間。ホクトさんがやって来ました。それでアルトゥール様は我に返るとホクトさんとテーブルを囲みながら話しはじめました。


「そうか、アガタもこの街に帰ってたのか」


 ホクトさんは黙想するように目をつぶり、腕を組んでじっと考え込みました。


 周囲のテーブルでは人々が新聞を囲んで世の中のあれやこれやについて、ああでもないこうでもないと談義するのを楽しんでいます。はい、一種のサロンで、顔なじみの客の好みはしっかり憶えてくれたりもするのですよ。


「二人に何があったのです?」

「恥ずかしい話さ」


 そのとき、チェシャがカラネさんを伴って入ってきました。


「ハイスクールで一緒になって一目惚れだったね。まぶしかったよ。でも、気が弱くてロクに話かけることもできなかった。いつも遠くから見てるだけだった」


 当時を懐かしむようにホクトさんは述懐しました。


「それは<邪視>です」


 チェシャの言葉に図星を突かれたのか、ホクトさんは思わず苦笑しました。


「女の子はそういう視線に敏感ですから」


 アルトゥール様も肩をすくめました。


「やっと会話を交わすようになったら、もう卒業で。それで自然と疎遠になってしまった」


 アガタさん曰く、当時の彼女はホクトさんが想いを打ち明けてくれないのが不満だったそうです。卒業して離れ離れになっても、心のどこかに引っかかりがあって、でも電話一つ寄越さない。それはやがて心の澱となったのです。


 ようやくのことで一大決心したホクトさんがアガタさん宛てに電話したとき、アガタさんは彼を冷たくあしらってしまったのです。


 思い違いがありました。アガタさんはホクトさんがまた電話してくるだろう、そのとき許そうと考えていました。でも、それきり電話はなかったのです。


「アガタさん、自分のことを憶えていてくれてたんだっておっしゃってました」


 彼女のつぶやきをアルトゥール様ははっきり憶えていました。


「忘れるもんか。うん。でも、郷里に帰ってたのは知らなかった。とうの昔に結婚してるものと思ってた。いや、カラネちゃん、ひょっとして彼女の娘かと思ったんだけど、歳が合わないと思ってたんだ」

「アガタさんもそうですよ。どうされます? 一度会ってみればわだかまりが解けるかもしれません」


 ホクトさんはどこか遠い目となりました。


「いや、それはよそう」

「会ってはあげられないのですか?」


 アルトゥール様はホクトさんもきっと再会を望んでいるに違いない、そう確信していましたから、ホクトさんの消極的な姿に張り合いがなく思えて落胆しました。


「河を隔ててるだけよ」


 東の街に住むホクトさん、西の街に住むアガタさん、ほんのちょっと足を踏み出すだけなのに、カラネさんも煮え切らない二人にもどかしさを隠し切れません。


「あのとき、一度だけ彼女に電話したとき、もういいと思ったんだ。あれ以上は望まないって」

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