5. チェシャの身の上

 アルトゥール様の中ではチェシャのこと、アガタさんとホクトさんのこと、様々な想いがないまぜとなっていました。それが思わず口を突いて出てしまったのですが、当のチェシャ本人はきょとんとすると、しばらくしてくすくす笑いだしました。それでアルトゥール様はすっかり戸惑ってしまったのです。


 小さな広小路に向かう細い路地で話したことは今でもはっきりと憶えていますよ。


「そうですね……アルトゥール様と一緒に旅を続けるのは長くて数年ほどでしょう。だから知らなくても何の問題もないし、歳をとって私と再会することがあったら、そのとき知れば済むことです」

「気に入らない」


 アルトゥール様は一応自分が主なんだぞといいたげに横目でちらとチェシャを睨みました。あのとき従者にしてくれと言ったのはチェシャの方じゃないか。


「癇に障りましたか?」

「ああそうだ、少なくとも私は隠し事なんかしてない。だからお互い腹を割って話しあうべきじゃないか。私はそう思う」


 はい、アルトゥール様は一点の曇りもない澄み切った空のような心をお持ちでしたから、たとえ相手が誰であろうと隠し事をされるような真似は気にいらないのです。


 チェシャはうつむくとしばし考え込みました。


「私たちが出会ったのだってきっと意味があるんだ。チェシャがどう思ってるか知らないけど、喜びも苦しみも少しでも分かち合いたい。友人ってそういうものじゃないか」

「お若いですね。青さそのものでございます」


 澄まし声でわざとらしくチェシャが笑うと、アルトゥール様は虚を突かれてたじろいでしまいました。


「私が青い? まるでお婆さんみたいな――」


 お婆さんというその言葉にチェシャは寂しそうに頷きました。年を経て古き智恵を得た賢者の姿と幼さが抜けきらない若々しい瑞々しいままの少女の姿がチェシャの中で共存しているのがはっきりと感じとれました。


「オトゴサの種の里に生まれた私は神童の名を欲しいままにしていました。でも、心のどこかに驕りがあって慢心していたのでしょう、私は禁じられた秘術を試そうとして、そして失敗したのです」


 アルトゥール様は無言でじっと耳を傾けました。


 禁じられた秘術が何か、チェシャははっきりとは語りませんでした。でも、それより大切な何かがあったのでしょう、チェシャは語り続けました。


「しばらくの間、何事もなかったように思えました。でも、気がつくと、私より年下の子が少女になり、娘になっていく。だのに、私は子供の姿のままでした」


 何年も経ってようやくチェシャは自分の身に何が起きたのか悟ったのです。


「まるで伝説の吸血鬼一族だな」


 途方もない話にアルトゥール様は嘆息しました。


「歳をとらないといっても不死ではありません。傷を負えば血だって流れます」


 チェシャの言葉にアルトゥール様は頷きました。


「実のところ今何歳なんだ?」

「数えるのが面倒になりました。世界がアルカイック様式に落ち着く前、といえばお分かりでしょう?」

「じゃあ、どうりで古語ベーシックも詳しいわけだ」


 はい、栄華を極めた文明ですが、やがてゆっくりと衰退をはじめました。永いときを経て人々がようやく見つけた落としどころが、古きよき時代を思わせる復古調の生活様式――古い文化とモダンな文化が調和して皆がそれなりに心豊かに暮らすことのできるライフスタイルだったのです。


 時とともに言葉も変わっていくものです。言い回しも随分と変わりました。今では古語と呼ばれるようになった言語群がベーシックです。


「里の長が亡くなる前言い残しました。種を育て、その種で青民草を救いませ。それで私はオトゴサの種の里を出て旅をすることにしたのです」

「アルカイック様式に落ち着く以前は混乱が続いたと聞く。チェシャはその最中を旅していたんだ。私がチェシャの大きさを知らなかっただけなのか」


 何百年か何千年か、およそ実感することのできない時の流れをアルトゥール様は計りかねているようでした。


 チェシャは首を振りました。


「私は気ままに旅を続けているだけです」

「ううん、でも分かったよ。ときどき寂しそうな顔をしてたのが」


 それでチェシャがぽつりと心の内――誰にもみせることのなかった胸の内を漏らしました。


「はい。ふいに死んでしまうかもしれないし、先のことが全く分からないのです」


 手探りで闇を進むような不安にさいなまれながら今まで生きてきたのか、いつもは甘いものに目がない普通の女の子として振舞い、ときには超然とした態度を崩さないチェシャも他の娘たちと同じように繊細な心の持ち主なのだとアルトゥール様は得心がいった想いでした。

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