5. 広小路

 雨上がり。黒雲は去り、雲間から光がうっすらと柔らかいベールのように差し込んでいます。


 トバツを出たアルトゥール様とチェシャは商店街を離れて大通りをしばらく歩くと細い路地に入りました。


「こちらです」


 チェシャが路地の先を指しました。勝手知ったる道か、チェシャが先導してどんどん進んでいきます。


 路地の両脇に立ち並ぶ古い造りの家並は漆喰の塗り壁に黒塗りの木でこしらえた格子窓が印象的です。古刹でしょう、寺院も多くヨノヲスでも比較的古い街並です。蔵や屋敷は左官の腕の見せ所と見事な鏝絵で飾られ豊かさを伺わせます。


 どれくらい歩いたでしょうか、曲がり角でチェシャは立ち止まると左へ曲がりました。アルトゥール様も続きます。すぐに次の曲がり角となって今度は右へ曲がります。手前右手に古びたお寺の門が見えてきました。


「あ……」


 お寺の前でT字路になっていると言えば分かり易いでしょうか、曲がり角にさしかかると左手に開放感溢れる空間が急に目の前に姿を現しました。アルトゥール様はそこで門前の通りが道幅を広げたことに気づきました。


「……」


 今いったいどちらに向いているのか、一瞬方向感覚が失われました。


「広小路です」


 チェシャが言いました。でも、とても小さな広小路で、すぐ先で道が三叉路となっています。


 誘われるように広小路の方へ足を踏み出そうとしたアルトゥール様をチェシャが制しました。


「広小路で曲がらず、真っ直ぐ進めです」

「いつもここで間違えそうになるんだ」


 アルトゥール様は苦笑しました。


 寺院の前を横切る細い路地はまだ先に続いています。未だ不思議そうな面持ちですが、アルトゥール様はチェシャに続き、進みはじめました。


 路地はすぐに行き止まりとなって左右に分かれています。チェシャは左に曲がりました。すると路地裏に一軒の店がありました。


 アルトゥール様は立ち止まってどんな店なのか確かめようとしましたが、チェシャは構わずに扉を開けました。


「いらっしゃいませ」


 出迎えたのは中年の女性です。


「オトゴサのチェシャです」


 その一言ですぐ了解したようでエプロン姿の女主人は笑みを浮かべました。


「まあ、それはそれは。はるばるご苦労さまです。さ、どうぞ奥でお休みになってください」


 知り合いなのだろうか? アルトゥール様は二人のやり取りをきょとんとした表情で眺めています。


 脇に目をやると、棚には何やら小ビンやエッセンス瓶が並んでいて……はい、チェシャが訪れる店は決まってそうなのです。


 ともかく、たったそれだけのやり取りでアルトゥール様とチェシャの二人は奥へと案内されました。


 どうしていつも顔パスなんだろう、よく観察しようとアルトゥール様は立ち止まりましたが、チェシャが部屋の奥へと押し込んでしまいました。


「ずいぶん顔がきくんだな」

「私たちの人脈、いざというとき助かりますね」


 アルトゥール様はですね、初めのうちはてっきり木賃宿のようなものを想像していたそうです。


 オトゴサの種の里は世界中に伝手がありますから、チェシャはそうやって世界のあちこちを旅して回っているのです。


 店の片隅に写真立てが飾ってありました。それは古びた写真で老婆と少女、それにチェシャが並んで写っていたのですが、アルトゥール様は気づかなかった次第です。


 数日後。逗留先でアルトゥール様とチェシャは何やら薬の調合をはじめていました。


 チェシャは百科事典を思わせる古びた分厚い本――ええ、チェシャが逗留先から逗留先へと送っているものです――それを脇に置いて参照しながら薬草を包丁で刻むと、ぱぱっと鍋に放り込みました。葉からも自然と水分が出るのですが、水気がなくなるまで弱火でコトコト煎じています。


 アルトゥール様はといえば、チェシャの隣に陣取ってこれまた不思議な実を石臼で挽いています。


「ジネディーヌ様は探さなくてよろしいので?」


 煎じ詰めた鍋の中身をかき混ぜながらチェシャが尋ねました。


「しばらく泳がせておこう。どうせまた女漁りをはじめるに決まってる」

「確かに女の人を追いかけた方が早いですね」

「だろ?」


 アルトゥール様とチェシャ、二人の呼吸はぴったりです。


 チェシャは何やら思案顔でしたが、ふと我に返ると古びて端が黄ばんだページを何枚かめくりました。


「……どうも材料が欠けているようです」

「どれどれ――」


 チェシャの肩越しにアルトゥール様が本を覗きこみました。古びた書体の文字を、眼を細くしてじっとにらみます。


古語ベーシックは読みづらくてかなわん」


 アルトゥール様がそうぼやくのも当然で、ええ、ベーシックはこの時代では古語に当りますから、現在とは言い回しが違ったり何かと面倒だったりするのです。


 ジネディーヌ様をどうするか、調合中の薬はどうやって材料を調達するか、やるべきことは多々ありましたがよい考えが自然と浮かぶでもなく二人はうーんと考え込んでしまいました。


 同じ頃、ホテルのスイートではジネディーヌ様が恋文に溶かしたロウで封をしました。

「ワンチョペ――」


 傍で控えていたワンチョペが寄ってきました。


「ようやく書き終えた。我が渾身の一枚、間違いなくあの娘に届けよ」

「おやすいご用で」


 下卑た笑みをワンチョペは浮かべました。

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