第十一話「罵声と称賛」

「あいつマジでやばいだろ……狂犬よね? この前絡んできた奴ガチ泣きさせてたじゃない」

「まぁ、突っ掛かる奴も悪いでしょ? あの人も最初は相手にしてなかったし」

「でもあいつもさ、なんと言うか口悪いとかそういうレベルじゃなくない? 空気読むとか普通するでしょ。いっつも引きこもって機械弄ってるから人間関係の作り方とか知らないんでしょ?」

「ある意味、引きこもりであそこまで自我が強いってすごいけどね。普通他人の顔色を窺う人間にならない?」

「いやぁー、そうだったらどんなに楽か。知ってる? あいつのせいでこの学校で天才って言葉を発したら駄目っていう校則が追加されてたって、馬鹿じゃない?」

「あはは、そこは確かにね。でも私は凄いと思うな。だって頑張ってるでしょ彼」

「てか……あんたあの狂人のこと好きなの?」

「ん? んー、どうだろう。そういった対象ではないんだけど、好きな部類なのかな? あんなに頑張ってる人、なかなかいないでしょ。見てる分には清々しいじゃない? まぁ彼氏にするならもっと格好良くないとね。惜しいなー、彼、お金は稼いでるって噂だから後は顔さえ良ければなぁ」

「お……おう。てか、あんたも意外に神経図太いよね」

「え、そう。普通じゃない? これくらい」



――ある日の国宝学園、女子生徒によるメールでのやり取りより。



 俺は今、魔窟(まくつ)の前で立ち呆けている。

 霊的能力者育成を目的に創れた国宝学園。無論その霊的能力者育成機関という特殊な組織ゆえ、学生は全国から集まってくる訳で、学生寮と言うものがどうしても必要になる。

 しかし、だ。俺の個人的会見だが、霊能力者と言うのはどうも常識とかそこら辺が欠落している人間が多いと言うか、ぶっちゃけ変人奇人が多いので、そんな人間が一か所に集まって生活している住まいなんかもう、下手な心霊スポットよりヤバい場所となるのは予測できる事態だったが……正直想像以上だった。

「健史さん、俺ぇ……この寮に入りたくないんですけど」

 忙しい身の上、俺の為に時間を作ってくれた方に失礼を承知でそんな弱音が口から吐いてしまう。さっきから何か泣き声やら笑い声やら怒った声やらが絶え間なく響いている建物に入りたくないというのは至って一般的意見ではないだろうか。というかそうあってほしい。

「……まるで猛獣を閉じ込める檻だな。なんだあの傷跡」

 目の前にある寮、少し古いのか、壁や柱はむき出しのコンクリートにはやたらと傷が多く、それを少し怯えて観察する我が相棒(夏穂)。

 先ほどから響いてくる叫び声も相まって、この寮がお化け屋敷に見えなくもない。

「いや、お化け屋敷の方がマシか」

 よくよく考えればここに本物がいて当然だ。ここには陰陽師や魔術師が住んでいるのだ。当然その式神や使い魔もいるだろうし、中には好戦的な奴もいるだろう。

 まぁ健史さんがいるから自分の身の心配をしなくていいのだが……この人面白がって命が危険にさらされる状況にでもならなければ助けてくれない懸念もある。

 となると頼りになるのはそんな健史さんを叱ってくれるララエルさんなのだが……ここに来る前、用事があるとかで俺たちとは今同行していない。つまり健史さんと俺、そしてさきほどから落ち着きなく周りを観察している我が相棒の夏穂だけ、正直この先不安だ。あの物騒な占いの結果もあるしな……。

「ああー、別に死にゃあしないよ。今はほら、晩御飯だから変なのに絡まれないから、まぁちょっと~、騒がしいかな?」

「いや、それどういうことですか、まるで意味が分からないんですが」

 夕飯時だからなんだと言うのか。こんな遊園地並みの騒音が鳴り響いている説明にはなり得ない。

「ん? 分からないかい? これご飯の取り合いの騒音だよ」

「いや! え、なんで飯の取り合いが起きてる理由を教えて下さい! 満足に生徒の食事が出ないほど予算とか少ないんですかこの学校は!」

「ああいや、予算はあるけどまぁなんと言うかね。ここにはいろんな子がいるんだよ。それこそ陰陽師は勿論、魔術師やら錬金術師やら多様にさ。で、陰陽師である君にはなじみが無いだろうけど、魔術師とかは自分の部屋に引きこもって研究とかしてる訳だよ」

「まぁ、確かに研究とか好きなイメージありますね……魔術師は」

「うん、で、普通に生活してたらバイトとかしてお金稼いで、学校敷地内にあるスーパーとかで買い物とかできるんだけど、そんな時間があるのなら研究をするのが彼らでね。で、学生寮の購買はそんなずぼらな貧乏人たちの為に安く食糧を供給してるんだけど……」

「ああ……それはつまり、数が需要にあってないと」

「そうそう。で、毎日こんなお祭り騒ぎが起きてるって訳」

 懇切丁寧な説明をして下さる健史さん。理解はできた。しかし、だ。そうならそうで気になることもできる。

「蓬は、その、大丈夫なんですか? まさかあいつも毎日奇声を上げて食糧を確保してるとか、ないですよね?」

 あいつ、妙に逞しくなっていたしな……まさかこの寮で鍛えられたとかないよな? それで卒業する頃にはサバイバル技術を身に着けて山の中でも三か月は余裕で生活でいてたりとか……。

「いやいや、詳しくは分からないけど、彼女は実家から仕送り貰ってるでしょ。まぁ大体の子は仕送り貰っても研究費用に投資する子がほとんどなんだけど、彼女は由緒正しい陰陽師の家系だからね。他とは違うよ、きっと」

 そうなのか、それは安心した。

 しかし、だ。自分の食い扶持(くいぶち)を研究費用に投資するとか……俺の知る限り陰陽師はそこまで研究熱心ではない。

 陰陽師を例えるならば伝統芸能の存続とかそんな感じだ。昔からある技術を伝授され、次に伝える為に修行する陰陽師がほとんどだ。それに自分の技を付け加えるなど、家によっては親から怒られる所もある。

 だが健史さんの話を聞く限り、魔術師と言うのはその逆のようだ。代々家に伝わる秘技を受け継ぐのは勿論のこと、それに自分なりの技術を付け加えたり、一から作ったりと技術の進化に積極的らしい。

 正直陰陽師の家系の者として、それは羨ましく……と言うほどでもないか。なんせ俺の家は異端だ。強化結界は伝承するが、それだけじゃ食っていくのに困るから各自、自分の代で何か役に立つ術を身に着けるように、と言う奔放(ほんぽう)なスタンスだ。魔術師の家程ではないが、世の中に合わせて変動できる気楽なお家柄なのが京極家だ。

「あの爺さんの馬鹿みたいな式神の数も、一代限りの才能だしな」

「ああ、君のお爺さんか、確か異名は百鬼夜行……だったっけ?」

 思考に意識を飛ばしていた俺の独り言を聞いていたのか、健史さんがそう言葉を零す。百鬼夜行(ひゃっきやこう)、大量の式神を引きつれ、その先頭を歩く姿から着いた京極 泰士(きょうごく やすし)のこの業界での呼び名だ。

「君のお爺さん。若い頃は凄かったと聞いているよ。今は丸くなったらしいけど、その力は健在で今でも大量の式を縛ってるらしいじゃあいか」

「おかげで、その馬鹿みたいな妖怪の食費の為に、俺の稼ぎがあの爺さんに徴収されますけどね」

「うむ、成程そうか。大量の式神を所有するのはそう言った問題もあるのか。いや、確かに食費は大変そうだね。君のご実家は」

 と、何が可笑しかったのかくつくつと小さく笑う健史さん。いつものお道化(おどけ)た笑いではなく。なんと言うか年相応、と言って良いのか、素の雰囲気の笑い方に見えた。

「何か、変なことでも?」

「いやぁ、先輩と後輩、揃って食費に悩まされているんだなって」

「ああ、優一先輩ですか」

 夏穂が俺の所に来るまで、優一先輩はずっとこいつの世話をしていたんだ。そしてこいつはよく食う。それこそ一般家庭で牛を飼っている様なものだ。あの人もさぞこいつの食費で頭を痛めたに違いない。

「まぁ、夏穂はよく食べますからね……」

「それもあるけど……うん、いや、ごめん」

「ん?」

 何か悲しそうな顔をして言葉を濁す健史さん。どうしたのだろうか? この人がこんな儚げな表情をするのは珍しい。

「と、話し込んでしまったね」

 そう言って先ほどから騒音が鳴り響く寮、ではなく、何故かスタスタと寮の壁に沿ってどこかに向かう健史さん。

「玄関ではなく来客用の別の入り口でもあるんですか?」

「ああいや、実は“彼”はここには居ないんだよ」

 彼、と言うのは俺の武器を見てくれることになっている沢良木(さわらぎ)氏のことだろう。しかし彼はここの生徒のはずだ。ならなぜ寮にいないのか? 自宅から通っているなら寮にはわざわざ来ないはずだが。

「うん。これは勤(つとむ)が初めてこの寮に来た時の話なんだが、彼はあてがわれた部屋を見て一秒で狭いと言って、壁をぶち抜いて二部屋のスペースを自分にくれと言ったそうなんだ」

「それは……また豪胆な」

「でも、そんな特別扱い彼一人だけできる訳なくてね。ならばと彼は一時的にその部屋を借りるが、資金が調達でき次第、いずれこの学校の敷地の一部を自分が卒業するまで借りて、自分のラボを作るとその日の内に学長に相談したんだ。まだ入学して間もない学生がだよ」

「……成程、で、俺たちは今そのラボに向かっていると」

「そう言うこと。で、さっきの話だけど、彼は一月でそれを実現させたんだ。僕と仕事の契約してお金を手に入れてね」

 契約? 勤と言う生徒は現在、健史さんの実の教え子のはずだ。生徒とビジネスの関係になると言うのには驚いた。

「それはまた変わった関係ですね……」

「まぁそうだね。ノアとセイラムは子弟関係と言い切れるけど、勤との関係は複雑でね。まず僕は彼と会って初めに感じたのは執念だよ。彼は少々特殊な研究をしていてね。最初はその奇抜な研究に誰も相手にしてなかったんだけど、僕はその研究に可能性を感じてね。いくらか投資金を渡したら、その研究を最近形にし始めて、今ではここの学生でありながらその研究の成果で結構な収入を得ているんだ。と言っても、本人はまだ満足していないらしいけど」

 研究と言う言葉から、俺の中でその人物は魔術師ではなく科学者の様なイメージを抱き始める。一体彼はどんな研究をしているのだろうか。話からしてすぐに資金源とできる辺り、実用的な物を開発しているのだろうか?

「なんだか、どんな人物なのか分からなくなってきました……“苛烈”と言うのが健史さんの評価なんですよね?」

「そう、ここに住む学生、特に魔術師は向上心が強いけど、彼はもうそんなレベルじゃあない。断言しよう。彼に霊的才能は無い。まったく無い。だが、心身を削ってその肉を喰らいながら自信を成長させる努力の怪物だ。いや、本当に凄まじい人間だよ彼は」

 努力の怪物。今目の前にいる人はそれこそ俺では考え及ばないような修練と経験を積んで、複合術師と呼ばれる唯一無二の高みへと上り詰めた人だ。そんな人が、自らの教え子は、努力の怪物だとなんの迷い無く、そう評価した。それ以外言い表しようが無いと言いたげに。

「と、あそこだよ」

 太陽が山に沈みかけ、薄暗なった世界にポツリとそれは現れた。

 ラボ、と聞いていたので近未来的な建物を勝手に想像したが、そこにあったのは工事現場などで建てられる小さなプレハブ小屋。寮の近くに、ひっそりと海に浮かぶ孤島の様にそこに建てられていた。

「その、思ってたよりすごく質素なのですが」

「彼は節約家でね。いや、違うか、守銭奴と言った方がイメージ通りかな。研究費用ってのは馬鹿にならないからね。少しでも節約して研究費にあてがう為お金にがめついんだよ。で、建物はまぁ必要最低限の費用鹿掛けていないんだ」

 そんな夢の無い話を聞きながら、三人分、砂利道を踏む音を出しながらその小さなラボへと近づいていく。と、先ほどから耳に届く心音から、自分が緊張しているのが理解できた。

 健史さん曰く、その人物を一言で言い荒らすならば苛烈で、超が付くほどの努力家と言うことだ。もうこれだけでキツイ性格をしているのが予測できる。それはもう、なんと言うか“我”が強そうだ。

 ああ、手汗が酷くなってきた。難癖を付けられないと良いのだが。

「八手八手、シュセンドってなんだ?」

 と、これから会う人物がどのような変人なのかと頭を悩ましていると、後ろできょろきょろと物珍しそうに寮の方を眺めていた夏穂が唐突にそんなことを聞いてきた。

 すでに例のラボは目の前だが、緊張を紛らわす為、この少しこの困ったお馬鹿のお勉強に付き合うことにしよう。

「守銭奴ってのはそうだな。お前に分かるように言えば、ケチだな」

「ケチなのか。八手みたいに」

「ちょっと待て、俺はケチじゃないぞ!」

 そりゃあお前の食費の為に色々と節約したりするがケチではないぞ……ないよな? もしや俺自身に自覚が無くて本当に……蓬にケチだと思われたらちょっと立ち直れそうにない。

「あはは、君たち、仲が良くて結構だけどお話はそこまで。さぁ、僕の頑張り屋な弟子を紹介するよ」

 と、不安に頭を悩ましている俺を他所に、健史さんはやたら演技がかった台詞を吐いてラボのドアを開ける。さて、健史さん最後の教え子は、一体全体どんな人物なのだろうか。

 俺は不安な気持ちを押し込んで、少し埃っぽいその彼の聖域に足を踏み入れたのだった。



 私は今、健史に連れられてとあるラボに連れられて来た。

 うん、ラボ。なんだか格好良くないけどラボらしい。

 健史と八手がラボに行くって言ってから内心期待してたんだけど、連れて来られた場所はなんと言うか思ったよりもショボかった。

 まず小さい。夕方、ポツンと建てられたその建物を見た瞬間、私は少し大きめの物置か何かと勘違いしたほどだ。

「むぅ」

 こうセキュリティーが万全で、カードキーとか使って入れて地下室で広大な実験場があってとか……そう言うのを期待してたんだけどなぁ。現実は非常である。

「おい、何してる夏穂。早く入れ」

「あ、うん」

 がっくしと、落胆から肩を落としていると八手に急かされた。まぁ見た目はあれだけど、中に何か面白そうな物があるかも知れない。私はそんな小さな期待と共に、先にショボいラボに入って行った健史と八手に続いてその建物の中へと足を踏み入れた。

「え」

 瞬間、何かが割れた音が聞こえた。何かガラスで作られた物を落っことしたのだろうか?

「おい……健史。前も言ったが、デカい術式を発動させた後ここに来るなと何度俺は口にした? また霊力測定器が割れただろ!」

 知らない声、乱暴で攻撃的、苛々していて、正直私の苦手な声だ。

「あー……僕じゃないけど、ごめん。僕のせいだ」

 健史が銃を向けられた人みたいに両手を上げて声の主に謝り始めて、何故か私の方を見ていた。

「え……私?」

「あー、うん。ごめん、夏穂ちゃん力が強いからさ、ちょっとここにある物が壊れたんちゃったんだよ」

 ……それは、つまり、弁償! 弁償なのか! え、私のせいで……わざとじゃないけど、そう言われるとなんと言うか、申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。お金の問題は私ではどうにもできない……八手に迷惑がかかってしまう。

「はぁ、そこの女、そんなスーパーで間違って商品を傷つけてしまった様な子供の顔をするな。うっとおしい。請求はそこの馬鹿教師する。だから安心しろ」

「あ、ありがとう」

「礼はいらん! この馬鹿教師が悪い、それだけだ」

 それを聞いて少しだけ安心した。健史には悪いけど、今回はそう言うことにしてくれると助かる。

 しかし、健史を馬鹿教師と呼ぶとは。ここの主は八手以上に口が悪いのかもしれない。ちらりと部屋の奥にいるこのラボに住まう健史の弟子の姿を観察する。

 背は、男にしては低い。それにぼさぼさの短髪、そして大きな丸眼鏡を掛けており、その奥には人を責め立てるような特徴的な鋭い目がナイフみたいに鋭く輝いている。そして研究者らしく白衣を着ているが、所々焦げていてなんかボロボロでなんか汚い。

 ずばり、清潔感皆無の異性にもてないタイプだな。うん、そうだなぁー、あだ名は博士にしよう。

「それより仕事だ……俺は時間を無駄にするなど許さん。さっさと要件を話せ、で、お前が依頼人か?」

「ええ、俺がその依頼者です。それでこれから――」

 八手と博士が難しい話をしている間、ラボの中を見渡す。うん、物が多くて狭い。小さな冷蔵庫があって、床には難しい本が散乱していた。ただ一か所整理された場所があって、ガラスの棚になにやら、武器らしき物やら何に使うか分からない物が飾られる様に置かれていた。

 足の踏み場がある場所は入ってすぐの小さな玄関と、そして今、博士がいる部屋の一番奥にある作業台辺りだ。あそこが博士の生活スペースなのだろう。

「つきまして、この度力をお借りしようと……あ、遅れてすみません。初めまして、俺は――」

「自己紹介はいらん。お前の出生と能力はすでに健史から聞いている。時間が勿体ないからすぐに武器を出せ。解析してやる」

「え、ええ。しかし、ここで出していいんですかね?」

「そうか、得物は長物だったか。ここにある物を壊さず出せるか?」

「ええ、出せます」

「ならば良し、とっとと出せ」

「あ、はい。分かりました」

 初対面なので敬語で対応する八手と、無遠慮な態度の博士。思わず八手は家宝の笹の葉を博士に渡してから、健史の方を見て困惑した表情を見せた。まぁそんな顔にもなるだろう。

「はは、まぁそんな顔しないで、勤はまぁ誰にでもこんな感じだよ。と言うよりいつもより刺々しさは減ってる感じかな?」

 嘘、これでいつもより大人しめなのか!

「健史、余計なことを言うな」

「勤、君は人と仲良くなろうという努力をしなさい。君の研究成果を売り込む時の為に社交性を身に付けなさいと前にも言ったろ?」

「ああ、身に着ける。だが今は特に忙しいんだ。お前も分かっているだろう。今はあの盗品を回収しなければならない」

 ん、トウヒン? 確か盗まれた物をそう言うんだよね? ならここに泥棒が入ったのか。

「この学校泥棒が出るの?」

「ん? ああ、いや、違うよ夏穂ちゃん。ここの学校の警備は優秀だから泥棒は入れないけど、彼の言う盗品ってのはまぁ、借りパクってやつでね。それを返してほしいけど、相手が中々はぐらかして返してくれないんだ」

「借りた物を返さないのは犯罪なんだから、訴えればいいのに」

「まぁ、相手が一般人ならね……でも、今回彼の発明を借りていったのは陰陽省、国なんだよ」

 陰陽省、その言葉に露骨に嫌そうな顔をする八手。まぁ国家陰陽師に親を殺されたんだ。この反応は当然だろう。

「おい、健史。ペラペラとそんなことを喋るな」

「ごめんごめん。でも八手君このことは伝えておくべきだと思ってね」

「……なぜだ?」

 机の上に大雑把に置いた八手の武器を、様々な見慣れない機械でテキパキと調べながらも、健史と口論する博士。凄い、一分一秒時間を無駄にしないという気迫を感じる。

「彼、ちょっと今の僕と同じ立場でね。下手をしたら陰陽省を敵に回すかもしれないんだ。でね、敵の敵は?」

「味方……と言うことか。ふん」

「そういうこと、彼の使う強化結界と言う技には解析能力がある。その解析能力で君の銃を見つけたら教えて貰うといい」

「俺の作った霊基銃がこいつの前に現れる確率は低い! 今頃、分解されて構造を調べられ、量産できないか検討されるところだろうさ」

「まぁまぁそう言わずに、たとえ可能性が低くてもやってみるものだよ。案外そう言う保険が人生で役に立つことが多いんだ」

「ふん……俺と大して歳の変わらん男に人生がどうかと言われてもな」

「えー、これでも人生経験豊富なんだけどなぁ、僕」

「……健史、お前何を企んでいる? 裏があるだろ」

 健史とやいのやいのと話をしていた博士が明らかに機嫌を悪くする。最初っから苛々していたが、明らかな敵意を健史に向けた。つまり本気で怒ったらしい。なるほど、今までのが一応手加減してる態度だってのがよく分かった。

 ――滅茶苦茶怖い。

「け、喧嘩……駄目、なん、だぞ」

「え、ああ、ごめんごめん。怖がらせたね夏穂ちゃん」

 私は思わず声を震わしてそんなことを口走っていた。八手の奴はそんな私を見てキョトンとしている。そして博士はと言うと大げさにため息を吐いてみせる。それでも八手の武器の解析を続けている辺り、本当に時間を無駄にするのが嫌なのだろう。

「やり辛い……なんだそいつは、まるで子供だな」

 そして急に私を睨んできた……怖い。

「まぁ、彼女のことは後で教えるとして君がさっき言った僕の企みだけど、まぁ八手君と仲良くして欲しいと思うんだ」

「な……なんだそれ……」

「え、だって君友達とか一生作れる気がしないし、君が勉強熱心なのは分かってるけど人間それだけじゃ駄目だ。お節介とは思うけど、友達づくりのお手伝いをしようとね」

「健史、お前は俺の親か何かか。本気でお節介なんだが……と、少しだが解析ができたぞ」

 そう言って八手に人差し指をくいくい動かし、自分の方に来ることを促す博士。八手は本が散乱して足の踏み場の少ない部屋を慎重に歩きながら、博士のいる部屋の奥へと進んでいく。

「勤~、ちょっとは部屋片づけなよぉ。女の子呼べないぞ☆」

「気色悪い声を出すな! それにどうせ、お前の部屋も似たようなものだろうが? 生活力が無いのはお互い様だ」

「え、いや。僕はほら、ララエルさんが片づけてくれるし?」

「自分で片づけろ馬鹿教師! はぁ、まったくお前がいると仕事が進ま……少し待て、お前と馬鹿話をしている場合じゃない」

 そう言ってカタカタとパソコンのキーボードや、武器を調べる為の色々な機会を散らかった部屋から瞬時に取り出して、八手の武器を調べ出した。一体なんだと言うのだろうか? と言うかこの空き巣に入られた後みたいな部屋にある物を、全部把握してるのかあの博士は。

「おい、京極の跡取り、これを見ろ」

 暫くパソコン画面を食い入るように見ていた博士は、頭を掻き毟りながら八手にパソコンを見るように指示する。遠くからで画面は見えないが、きっと私が見てもなんだか分からないものが映ってるのだろう。

 取りあえず私は、大人しく八手と博士の話が終わるまで待っていることにする。

「このグラフを見ろ。これは物体に宿る霊力の密度を測定したものなのだが、数値が異常だ」

「――それは、薄い方に異常なのですか? それとも濃い方に異常なのですか?」

「濃い方だ。通常物質にここまで霊力が宿ることはない。それこそ陰陽師の作り出した式神の様な、霊力で作られた存在、つまり霊力のみで構成された物体の密度だが……だがこれはどう見ても式神ではない」

「と、言うと?」

「鉄で作られた武器、と言うのは確かだが、しかしこれは普通に作られたものではない。妖刀と言った人の執念やその存在の完成度の高さから後天的に霊力が宿ったものではは無く、予め霊的能力を付与為に作られた物体だ。正直こんなものは初めて見た」

 興奮気味にそう早口で説明する博士。一方健史もその話を聞いて心底驚いてる様子だった。

 そして、私だけが状況に付いていけてない。なんだろう。ちょっとここに居辛い。

「えーと、僕それ三日間色々と調べたんだけど、そんな特殊な物なのそれ? 確かに珍しい物だとは思ったけど、長く続く陰陽師の家宝だし、それぐらい普通かなってスルーしてたんだけどさ」

「健史、今まで色々と馬鹿みたいな魔剣やら神器を見てきたからお前感覚狂ってるぞ。おい、京極の跡継ぎ、これはどこでいつ作られた物なんだ?」

「製造場所は知りませんが、初代京極が作った物なので戦国時代にできた物かと」

「……おい、今なんと言った」

「戦国時代にできた物で間違いないかと……」

 え、なんか博士の顔が明らかに真っ青になっている。驚いているなんてものじゃあない。あれはショックを受けた人の顔だ。今まで自分が信じて生きた物がまったく別の何かだったといった感じの。

「明治以降じゃないのか?」

「いえ、間違いなく戦国時代です」

「……はぁ!」

 よほどそのことがショックだったのかぐらりと体を揺らし、今にも倒れそうになる博士。何がそんなにショックだったのだろうか?

「……いいか、よく聞け京極の、この武器、お前が家宝と言う武器には、明治以降に開発された陰陽術式が加えられている。この意味が分かるか?」

 えーと、つまり……どいうこと?

「初代京極はその技術を先に作り出していたと?」

「ああ、刀や戦艦等の技術には現在では再現できないロストテクノロジーがあるのは有名な話で、陰陽術もその例に漏れない。現にこの武器にだってそういう技術が使われている、オーパーツと呼んで良いものだ。だが、これには近代陰陽術の技術さえ取り入れられている。なぁ京極の、お前の家の初代はかの安倍清明と同じく優れた先読みでもできたのか?」

 先読み……って何? 占い?

「安倍清明と同じレベルで未来を見通せたらもっと子孫が楽できてると思います……いや本当に」

 え、あ、うん? あってた? 占いであってたっぽい? 私いつのまにかできる子になってた!

「となると……半神であった可能性は? もしくは血の半分が神と同等クラスの力を持つ妖怪であったと」

「家の文献によると、ただの加治屋の生まれだったらしいですが」

 あ、博士がこの世の終わりみたいな顔をして、次は……なんか笑い出した。

「……あはははははははははは、これは、これは実に傑作だ!」

 手を叩き天井に向かって精一杯の笑い声をぶつける。部屋中の埃がそれだけで舞いそうだった。

「戦国時代にただの人間が、こんな物を作ってたと! ああ、馬鹿げている。才能、ああいやこれは鬼才と言った方が良いか! 陰陽師京極家初代は俺が一番嫌う人間だろうさ!」

 そして、博士は言葉尻に、机を思いっきり叩いてみせた。

 いきなり大きな音が鳴ったので、八手と私はビクッと体を震わせてしまう。なんだこの人めっちゃ怖い! 怒ってるの楽しいのどっち?

「くそ! ああ、ちくしょう。京極の! お前の先祖は化け物だ間違いない! 独学だろこれ? いや、それ以外は認めんぞ。独学で無ければこんな馬鹿げた理屈の物体できる訳がない!」

「あ……はい、文献では、その、他の家の陰陽師に嫌われてたようで、独学で覚えたと……」

「あーそうだろうさ! まったく、ああ、できればお前の祖先に会いたかったよ。それでこう言うんだ。この才能の塊め。貴様のような人間が俺は一番嫌いだとなぁ!」

 何が楽しいのか、とにかくハイテンションで八手に説明する博士。

 一方説明されている八手はなんというか……私が何か取り返しのつかないことをやらかした時と似た顔をしていた。詳しく言うと大仏様みたいな顔だ。

 半目でたどたどしく博士に返答する我がご主人。完全に博士の気迫に圧倒されて、状況に頭が追い付かず変な悟りを開きかけてしまっている。

「は! 死ね! 死んでしまえ京極家の初代!」

 最後の最後でそんな暴言を吐いて作業に戻る博士。

「あ、いえ、初代はその、もう死んでます」

「ああ、あー、そうかそうか。言われてみればそうだなぁああ!」

 うっすらと笑い、机にこん、こん、と言っていのペースで指を打ち付ける博士。ああ、あの笑顔を私は知っているぞ。毎週朝の日曜日に放送する変身前のヒーローがよくしてる顔だ。逆境に対する挑戦の意思が籠った不屈の笑顔。

 まぁ、博士の場合、ヒーローと言うより悪役の顔と言った方が納得できるほどその笑顔が怖いのだが。

「で、仕事は話だが、この超物体について一つ有益な情報がある」

「それは本当ですか!」

 思いがけない言葉だったのだろう。有益な情報と聞いた瞬間、さっきまで顔の皮膚が木になったかの様に固まっていた八手の顔が緩んだ。

 うむ、なんだろう。優一からの頼みを解決する為必死なのは分かるが、八手がこんな風に初対面の人間に表情を崩すのは珍しい。基本こいつは捻くれているので信用した相手にしか感情を出さないのだ。

「ああ、俺は霊機工学と言う特殊な分野の研究をしているんだが、その研究成果と京極家のこの家宝にはある程度、接点がある」

 れい……何? なんだか難しいことを言う博士。まぁ博士なのだから難しい言葉を口にするのは当たり前なのだが。

「その、霊機工学と言うのは?」

「ああいや気にするな、俺が勝手に付けた名前だ。例えばだ。付喪神が宿るほど年月が経った刀が霊的な力が宿る事例があるが、これは所詮(しょせん)、自然発生の産物だ。だが、今さっき作られた銃に人工的に霊的力を付与るのが、俺の作り出した霊機工学だ。分かるか?」

「それは、魔術師や錬金術師、陰陽師の技術とはどう違うのですか?」

「ああ、陰陽師の式神とは違うし、魔術師の作るマジックアイテムとも違う。霊機工学とは、銃、ミサイルと言った現代兵器に霊力を付与し、悪霊払いをより安全に効率よくする為の研究だ。俺の知人に協力してもらいようやく実用化手前までこぎつけた」

「現代兵器……もしかして、その知人と言うのはノアのことですか? 一度健史さんを交えて仕事をしたので彼のことはよく知っています」

「ああなんだ、あの忍者オタクと会ったのか。ならば話が早い」

 同じ健史の教え子なので、交流があるのか、ノアは博士の研究に協力したという。確かノアは式神の術で銃を作ることだけは上手らしいから、色々と参考になったのだろう。

「しかし、その霊機工学で作られた物と魔術師とマジックアイテムとの差はあるんですか? 聞いた話ですがある魔術師は百均で買ったカッターナイフを追尾弾にしたとか、それは近代に作られた物を魔術品に変えたことになります」

「うむ。確かにそうだ……どう説明したものか、まぁマジックアイテムと霊気工学は確かに微差異とも言えるが、一番の違いは本人の霊的才能にまったく左右されない。マジックアイテムと言うのは力の弱い物であれば本人の力量に左右されないが、強力な物はどうしても使用者の魔力量や技術で差が出てしまう」

 うーん。難しい……私は話に付いていけない。と言うか博士喋りすぎ、もう少しかみ砕いて説明して欲しい。

「だがあれは違う。機械に霊力を付与するから術者の力量差に左右されないんだ」

 そう言って博士は散らかった部屋の中で、唯一整理された一角を指差す。ガラスの棚には様々な物がありその一つにSF的なデザインの銃があった。あれが博士の言っていた研究成果なのだろう。

「だが霊機工学にも弱点があってだな。応用がしにくいんだ」

「応用ですか?」

「例えばだ。陰陽師の式神は一から作る分、作り変えがしやすい。例としてノアのあの銃だがまぁ極端な話だ。一度作り出した拳銃をスナイパーライフルに変え、最後には大砲にまで変換できるだろう。何しろ霊力の塊だからな。粘土の様に作り変えることが可能だ。だが霊機工学は機械に霊的能力を人工的に付与した物。先ほど壊れた測定器なら測定器、拳銃ならば拳銃の役目しかできない」

 ふむふむ……取りあえず分からないけど頷いてみる。と、なんだか八手が真っ青な顔をして何か口走った。

「と言うことは……その、銃砲刀剣類所持等取締法に触れるんじゃ」

 あ、それは知ってる。銃刀法違反って奴だろ? ……あれ?

「ああ、そうだ」

 と、博士は臆することなく、二回適当に頷いた。

「ちょっと待って下さい! それって問題じゃないんですか!」

「ちっ話の腰を折るな。お前の武器について分かった有益な情報を今、これからすぐに俺は話そうとしてるんだぞ!」

 それを言われて口をへの字にして黙る八手。と言うかこの長々とした話、八手の武器についての会話だったっけ? 話が長すぎてすっかり忘れていた。

 博士、実は自分の研究を自慢したかったのだろうか?

「で、だ。つまり何が言いたいのかと言うと、お前の家の家宝と俺の霊機工学とある意味似ている。これも、使用方法が限られていると言うことだ。まぁ性能を引き上げる為、まず変な制約が付けられていると俺は予測する。京極家の初代はまず間違になく変人だ。これを調べて分かった。頭のネジが三つほどどこかに飛んだ発明家と同じだ。能力向上の為に実用性を捨てるような奴なのだろう」

「そうなんですか? 京極家に伝わる強化結界は実用性を重視した合戦陰陽術なのですが……」

「話は聞いている。大雑把に言ってしまえばあらゆる物を武器として使いこなせるらしいな、大方、お前の家の初代は自分が発明したとんでも武器を使いこなしたいが為にその術を開発したんだろうさ」

 そう言って見せる博士。うーむ。実に長い長いお話だった。私の頭に内容はほとんど入らなかったが。

「つまり、何か使用条件があるから探せということですか?」

「そうだ。それと、一つ不確定要素だが、俺の予想ではその武器、一本一本が独立した武器ではなく三本揃って一つの武器と考えた方が良いかもしれん」

「それは、どういう?」

「その武器の霊力パターンを測定したら、なんと言っていいものか……そう、パズルのピースの様な形をしている」

「はぁ、パズル、ですか?」

 ああ、私あれ嫌いなんだよなぁー。パズルってちまちまと、何が面白いの分からない。

「まぁ、それとだ。これはこっちからの頼みなのだが、また今度その武器をじっくりと調べさせてくれ」

「良いんですか? その、お金とか」

「いや、無償でいい。お前は武器が解析できて、俺は研究のヒントが得られる。公平な取引だ」

 うむ。ビジネスの関係という奴か! と、それを聞いて健史が手をすりすりしながら博士に近づく。

「じゃあ、今回の相談料は無料と言うことで――」

「馬鹿を言え。それはきっちり貰う。一円も負けん。耳を揃えてきっちり払え馬鹿教師」

「ちえー、ケチー」

 わざとらしく子供みたいに拗ねて見せる健史。私はこういう健史の面白くて場を和ませるところが大好きだ。

「まぁ、二人が仲――」

 と、いきなり揺れた、一回大きく揺れた。健史が笑顔で何か言い掛けたが、大きな地震がそれを遮った。

「なんだ!」

 私と八手が血相を変える。これは普通の地震じゃない。爆発の振動だ。それもとても大きな――。

 だが、なぜか健史と博士は呆れた顔でお互いを見ているのみで危機感が感じられない。

「はぁ、またか」

「まただね」

 何が“また”なのだろうか? 私と八手は目の前の師匠と弟子と同じように顔を見合して、キョトンとしていた。



 俺は今、薄暗い夜に立ち昇る黒煙をまじまじと見ている。

 先ほどあった爆発の余波を調べる為、長い話ですっかり疲弊し、間抜け面になっていた夏穂と顔を見合わせた後、俺はすぐさま現状を知る為、沢良木さんのラボを飛び出した。

 爆発は近くでは起きなかったらしく、よく見れば、日が落ち分かり難いが寮の外れからモクモクと煙が立ち昇っていた。

「火事、か?」

「ああ~違う違う。きっと大規模召喚術によって起きる瞬間的熱エネルギーによる煙だよ、あれ」

 と、一番に外に飛び出した俺に続いて、健史さんがゆっくりと靴の踵(かかと)を弄りながらラボから出てきた。そして俺の靴をつまんで持ってきて、健史さんはそれを俺に渡してくださる。

「はい、裸足で外に出とか、よほど慌てたんだね。八手君」

「いや、爆発ですよ! 普通慌てるでしょ!」

「それがねぇ~、日常茶飯事だからこれ」

「……はい?」

「いやだから、これ、頻繁に起きてるんだよ。まぁ召喚科ってのがこの学校にはあって、それはもう並々ならぬ熱意を持つそれは素晴らしい生徒(馬鹿)達がいてね。毎度毎度、制御ができないほど強いモンスターをポンポンと召喚陣(おもちゃ箱)から量産してるんだ」

 なんだその迷惑な学科! 潰せよ! と言うか自滅しろ!

「まぁ、この寮の不定期な恒例行事と思っていいからさ」

「で、その強いモンスターってのは毎回どうやって処理してるんですか?」

「ああ、世の中なんだかんだ上手いこと循環していてね。それは彼のお小遣い稼ぎになるんだよ」

 そう言って、健史さんは何やら色々な機材を携えた沢良木さんを指差した。なんだあの完全武装は、特殊部隊、と言うよりロボットと表現した方がいいだろうか?

 頭にはヘルメットの様な物。腕には何かのデバイスか? それとゲームでありそうな銃と、そして鎧代わりのメタリックな色をしたスーツを着用している。

 俺はその時理解した。霊機工学、ああ、陰陽術や魔術では無い。あれは間違いなく最新の霊媒技術だ。

「凄い……格好ですね」

「む? ああ、どうだ」

「えっと、格好良い、で、すね」

 懸命に、社交辞令と言う言葉を頭に浮かべながら、俺は嘘を付く。

「分かるか! これぞ、霊機工学基本武装、黒明(こくみょう)だ」

 どうだ、声を弾ませる沢良木さん。いや、なんと言うか……実は中二病なのですかという感想しか出てこない……が、それを喉の奥辺りに飲み込む。何が原因でこの人の逆鱗に触れるのか分からないからな。

 この人とはこの先関わりがあるんだ。何しろ無償、そう! 無償でこの先も京極三長柄を解析して下さるのだ。下手なことなど言えん!

「カッコイイ! 八手! カッコイイなあれ!」

 と、なぜだかそんな沢良木さんを見て大はしゃぎの我が相棒。ああ、アニメとか戦隊ものとか大好きだもんなぁ、こいつ。

「さて、では仕事を始めるか?」

「仕事って、もしかしていつも沢良木さんが召喚されたモンスターを駆除してるんですか?」

「ああ、研究費用というのはとにかく馬鹿にならんからな。いつも自分で召喚した竜やら獣やらにズタボロにされた召喚科の連中から、金を毟り取っていると言う寸法だ。それに開発した武器の運用試験にもなる。一石二鳥だろう?」

 成程……実に効率が良いバイトですね。うん、そしてこの人はやはり守銭奴らしい。

 しかし、さっきとんでもない単語が出たぞ。竜か。獣はともかく召喚科の連中、竜なんて化け物すら召喚するのか。はっきり言って災害だろ。竜殺しなんぞ世界各地の伝承の中でしか聞いたことがない。

「まぁ、本気でヤバいと健史が出しゃばるんだがな」

「えー、だって君、運動不足で体力無いから長期戦とか無理じゃん」

「研究員というのは大体運動不足だ! 改善する気は無い! それに俺は、自分の開発した武器で戦いたい訳ではなく、自分で作った武器を売りさばきたいんだ。そして、俺を笑い飛ばして馬鹿にした連中をだな――!」

「はいストップ、悠長に話をしてる時間は無いよ。さっき召喚されたモンスターを探索の術で探したけど、モグラみたいに狭い寮の廊下を移動してるみたい」

「なんだと! 急ぐぞ健史!」

 そりゃ大事だ。被害が出る前に片づけないといけない。はっきり言って緊急事態だ。今回の事件、俺も手伝うことにしよう。

「どこぞの戦闘狂にでも獲物が横取りされる! 急ぐぞ健史」

 あ……いや、横取りの心配ですか。俺は手を出さない方がいいのだろうか? まぁ、なんだ。残るのもなんだし見物がてらついて行くとしよう。

「健史、そういえばさっき聞きそびれたことだが」

 と、俺の目の前で歩きながら沢良木さんが健史さんに質問をした。

「ん? なんだい?」

「そこの女だ。あれは一体なんだ? あれの正体をお前は知っているんだろ?」

 そう言えばさっき夏穂を子供みたいだと見抜いていたなこの人、人を見る目は鋭いのかもしれん。

「ああ、夏穂ちゃんのことね。まぁ彼女は色々と特殊でね。この世に生を受けて十年ちょっとなんだ」

「……俺と歳が変わらないように見えるが、やはり近づくだけで霊力測定器を壊したところを見るに、人間じゃないのか?」

「そういうことだよ」

「ほほう。お前と同じ埒外か、少し研究心が疼くな」

 と、その沢良木さんの発言と同時に夏穂が怯えた顔をして俺の近くに避難してくる。解剖でもされるのかと思ったようだ。

「君その発言、人によってはセクハラと思われるからね」

「ぬかせ、俺は純粋に研究者として純然たる好奇心を示しただけだ。聞きとる方が明らかな異常(自意識過剰)だと思うが?」

「はは、いやはや、ああ言えばこう言うね君は」

 俺たちを蚊帳の外に、早足ながら土足で寮の職員専用の入り口から入り込み、そんな会話をし続ける健史さんと沢良木さん。急いでいるが心は焦っておらず余裕と見える。

 と、また爆発が聞こえてきた。しかし悲鳴の一つも上がらないとは、日常茶飯事と言うのは本当らしい。

「爆発音の方向からしてまた中庭か。あいつら(召喚科)、手に余る怪物を誘導する技術だけ毎回上がっていないか?」

「まぁ、そのノウハウは先輩から後輩へ代々受け継がれていってるからねー」

 徐々に大きくなる爆発音の中、辛うじて聞き取れた二人の会話は、そんな内容だった。この学校の召喚科は昔から制御不能の怪物を召喚しているらしい。いや、なぜ廃部にされないか取り締まられないのか不思議でならない。と言うか顧問仕事(指導)しろよ。

 と、寮の廊下に人だかり(野次馬)が見えてきた。事件現場はすぐそこらしい。四方を寮に通路に囲まれた中庭らしいが……何か一瞬、信じられない物が目に飛び込んだんだが。

「八手、何かでっかい……細長いの見えた」

「ああ、俺も確認した。あれは、爬虫類の尾だな。怪獣みたいにでかかったが」

 一瞬、野次馬が前に集まっている窓に、巨大な鱗が生えた尾が振り回されるのを目視できた。そして叫び声とともに巻き上がる人影。

「おーおー、やってるねぇー」

「あの、健史さん。あれって尾で薙ぎ払われてボールみたいに人が飛ばされてるんですよね……人、死んでませんか?」

「ああ、それは大丈夫だよ。召喚科の子は生き延びることに関してはどこ学科の子より訓練されてるからね。こんな自主練で」

「はぁ……そうですか」

 人間があんなトラックにに跳ね飛ばされたの如く宙に気前よく飛ばされてるが、当事者はともかく、周囲の野次馬からは悲鳴の一つも上がらない。

 いや、ここは魔界だな本当に。

「おーい処理班が来たぞー。道開けろー」

 と、野次馬の一人が沢良木さんを見て、召喚科が面白いように飛ばされてる事件現場への道を作ってくれた。

 すると、周囲から少しどよめきが起こった。それは自分たち(珍客)に対して、特に夏穂に反応なのだろう。

「なんだあれ?」

「あれ、人間じゃないだろ。霊力が桁違いだろ」

 夏穂が不安そうな顔で俺を見てくる。おおよそ、目立つことで健史たちに迷惑が掛かるのではないかとでも考えているのだろう。

「安心しろ。物珍しいだけだ」

「うん」

 慣れろ。とは言わない。それは少し悲しい。確かにこいつは人間じゃないが、優一先輩に人間として育てられてきたんだ。自然に自身が俺たちと違う存在と自覚するまでは、人間として扱われていいはずだ。

「おい! 悪魔が来たぞ!」

 と、なぜか助けに来たはずの沢良木さんに、召喚科からそんな罵声が飛ばされる。なんだ?

「お、お前また俺たちから金を毟り取る気か! 毎度毎度勝手に助けて請求書を送りつけやがって!」

「ふん、お前たちだけで処理できるならば別に手を貸さんでも構わんが、時間が流れるにつれ寮の修理代も加算されていくぞ?」

 えーと、沢良木さん……合意の下でこの召喚科の後始末をしてる訳ではないんですか? 勝手に助けて、後で金を請求すると言う詐欺同然の行為をしていると。

「「「くそぉー! いつもありがとう、お願いしまーす!」」」

 だが、そんな蛮行でも怒りを飲み下して手を借りないと寮が全壊して取り返しのつかないことになるのが分かっているのか、部員全員が元気よく悔しながらも、礼儀正しくそう頼んでくる。

 なんだろうか、この漫才は……。

「ふん、では例の試作品を試すか。しかし今日はなかなか大物だな。ワイバーンとは」

「まぁドラゴンだったら僕が出しゃばるしかないけど、まぁワイバーンなら倒せなくとも実験はできるかな? その間僕はその変に転がってる召喚科の子を回収するから。上手いこと引きつけといてね」

「毎度毎度、金も出ないのに助けるとは、あいつらはほっといても死なないだろ?」

「いやいや、僕ここの教師だから。死なないからって助けない訳にはいかないの。怪我の治療もしなくちゃいけないし」

 沢良木さんと軽い打合せをしてから、教師としての職務を全うしに行く健史さん。教師業も色々と大変らしい。

 そんな苦労人の背中を見ていると、隣からやたら棘が感じられる沢良木さんの声が聞こえてきた。

「おい」

 うむ、普通の人物ならば不機嫌なのかと身構えてしまうほど威圧的な声だが、ここまでの付き合いでこれがこの人の平常運転なのは理解している……のだが、やはりこのドスの効いた声はやはり慣れないので、どうしても恐怖心が生まれてしまう。

「なんでしょうか? 沢良木さん」

「お前、あれを倒せるか?」

「さて……刺し違える覚悟で行って首を落とせれば勝てるでしょうが……相手の知能によりますかね」

「不可能、とは言わんのか」

「俺は火力のある技を持ち合わせていません。対人や対悪霊であれば戦いになりますが、馬鹿みたいに生命力がある妖怪やら怪物やらは隣のこいつの領分なんで」

 謙遜では無く、自分は人間離れしてないと伝える。人間の種である以上、戦闘で勝てない生物はいくらでも存在する。

 なのでそういう怪物退治は今、俺の隣でワイバーンを見て明らかにワクワクしているとこの大きな餓鬼の仕事だとこいつに指を差す。

「八手! ゲームの敵がいる! でっかいトカゲ!」

「ああそうだなぁー。俺もこれが現実かどうか分からなくなるよ」

 刺した指の先ではしゃぐ夏穂の言葉に適当に答えてから、俺は再び沢良木さんの会話に意識を戻す。

「自らの力を理解し、他者の助けを借りるか……うむ、ついに俺の目も曇ったか、いや、人間を嫌う分、人を見る目はそこそこ養っていたと思っていたが……」

「それは、どういう意味で?」

「初見時、お前は凡夫では無くどこか狂っている怪人だと予見していただけだ。だが思考が平凡だ。一般的最適解しかひねり出さん……なぜ俺はそう思ったのだろうかと疑問に感じただけだ」

「それは、褒めているんですか?」

「気にするな。けなしてはいないし褒めたたえてもいない。お前はどこにでもいる平凡な人間だなんて言葉はそのどちらにもならないだろう? さて、いい加減仕事を始めようか」

 遠くから聞こえてくる召喚科の悲鳴に急かされてか、話を切り上げワイバーン退治の準備を始める沢良木さん。何やら野球ボールほどの黒い六角形の物体を取り出した。

「それは?」

「陰陽師が使う式札のようなものだ」

 まぁ見ておけと沢良木さんは不敵に笑い。その六角形の物体が放り投げれた。

 瞬間、強烈な光が目を焼かれかけ、反射的に目蓋を閉じた。光源の元はおそらくは先ほどワイバーンに放り投げられた物体だろう。

「さて! この試作品の実戦での実験は初めてだが、どうなるか」

 見るからにテンションが上がっていく沢良木さん。この人実験大好き人間なのだろうか……。

 しかし、だ。まぁそれはさておきあれは……なんだ? ロボットか? 先ほど投げられ閃光弾の如く弾け、強烈な光線を発した六角形の塊は、武器を取り付けた機械の巨人へと変貌していた。

「八手、ロボット! キャタピラ付いてるロボット!」

 夏穂の言う通り下半身はキャタピラ、上半身は人型のロボットが巨大な蝙蝠の羽をもつトカゲの怪物と対峙していた。

 あれが沢良木さんの言っていた試作品か。

「なんだあれ?」

「おい、いつもの銃じゃないぞ」

「SF映画みたい」

「あんなの作ったのかよあいつ」

 周囲からも驚きの声が上がる。きっとあのロボットは初のお披露目なのだろう。

「それは一体……」

「おお、気になるか、あの黒號参式(こくごうさんしき)が!」

 また……中二成分全開な名前が出てきたな……。

「あれは対妖兵器でな。ノアの技術を参考に造った重機を作った霊機工学技術を詰め込んだ機械式神とも呼べる存在だ」

 そして聞いてもいないのに嬉しそうに説明を始める沢良木さん。自慢したいんだろうなぁー。と、そんな会話をしている間に、黒いロボットから銃弾のようなものがワイバーンへと発射される。

「指示も出さずに」

「事故防止の為、完全オートという訳ではないが、単純なAIも搭載してある。まだ実験段階だがな」

 嘘だろ、あれを個人で作ったのかよ……どれほどの金が掛かったのだろうか? 

 いや、今は金とかどうでもいい。それよりも目の前の怪物だ。銃弾を受け手も傷らしい傷を付けられていない。それを見て、沢良木さんも表情を曇らしている。

「おい、健史、結界を頼む。用心深いお前のことだからすでに張っているとは思うが、それより強力な奴だ」

「えー、共助活動で今忙しいんだけど」

「その救助活動を更に怪我人を増やして忙しくしたくなければ言う通りにしろ。黒號は銃弾が効かないと判断したら次はミサイルを飛ばすぞ」

「うげ! そんなのも作ったの君!」

 ミサイルと聞いて、先ほどから行っていた召喚科の救助活動を一旦取り止め慌てて呪文を唱える健史さん。

 やばい、俺も慌てて爆風や衝撃波を警戒して、夏穂の手を握り後ろの野次馬の方へと非難する。

 すると、ワイバーンの方から勢いよく何かがジェット噴射された音が耳に届く、ミサイルが発射された確認などそれだけでいい。俺は後方を確認することなく安全地帯へ滑り込んだ。

「ギャオォオオオオオオオオオオオオオ!」

「八手凄いぞ!」

 爆発音と轟くワイバーンの断末魔、それとヒーローショーに興奮する純粋な子供みたいにはしゃぐ夏穂。どうやら夏穂は後ろで起きてる大爆発を見ているらしいが、俺はそれを見ること叶わず地面へと倒れた。

「えっと、八手。大丈夫?」

「いや……耳がヤバい」

「うん、私もきーんってしてる」

 俺たちだけではない。周囲で物珍しさに集まっていた野次馬も顔をしかめ耳を押さえていた。

 すると、爆発後に起きた煙の中から、目の前を手で仰ぎながら沢良木さんが現れた。

「AIの動作確認、それに対巨大対象用ミサイルの威力が見れたのが大きな功績か……少し調子に乗って威力を上げ過ぎたか」

「ほんとだよ! あんたなぁ少し加減しろ!」

「なんだ、京極の跡継ぎ、それが素か。構わん、その砕けた態度の方が好みだ。俺に敬語を使う奴なんぞ珍しくて蕁麻疹(じんましん)ができてたところだ」

「あっ……いやその、はぁ」

 思わず場の勢いに流されて沢良木さんに文句を言ってしまったが、本人はくつくつと笑っている。

 と、夏穂がそんな沢良木さんをジーと見つめている。どうしただお前? その人、食い物くれるタイプじゃないぞ?

「んじゃぁー……博士!」

「ておい夏穂! 博士ってなんだ!」

「私の中でこの人はもう博士ってあだ名で定着してるんだ」

「いやいや、いきなり失礼だろうがこの馬鹿!」

 なぜか沢良木さんにいきなりあだ名を付けるという蛮行に及んだ相棒を叱る。お前沢良木さんのこと明らかに怖がってたろうに。急に気安くするなよ!

「構わん。そいつがなんなのかは分からんが邪念が一切感じられん。人を馬鹿にすることを知らん餓鬼みたいな奴なんだろ? 悪意が無いならそのあだ名も不快では無い」

「はぁ……沢良木さんが良いのなら」

 いやまぁ、本人から許しが出たなら構わないが。

「それより貴様だ京極の、先ほどから鬱陶しい。名前は勤でいい。どうも名字呼びは歯がゆい」

「で、では勤さん」

「勤と呼べむずがゆい。言う通りにしなければ、これからのお前の武器の解析、無償で引き受けんぞ?」

「勤!」

「……俺も人のことは言えんが、お前、現金な奴だな」

 いや、そんな脅され方をすればもう呼び捨てで呼ぶしかなくなる。

 と、何やら野次馬から刀みたいな巨大な刃物を携えた集団が、ワイバーンの死体へと走り寄っていく。

「肉だぁあああああ!」

 ……は?

「久々の肉だ!」

「食糧が手に入ったぞぉおお!」

 何この世紀末! え、食うのあれ! 嘘ぉ。

「あの、ワイバーンって食えるんですか?」

「さぁな、俺は恐ろしくて口にしたことは無い」

 と、夏穂が俺の袖を掴んでくる。なんだよ?

「八手、八手! 私たちも行くぞ!」

「お前もあの集団に混ざろうとするな! 腹下したくなかったらあんなの食うな腹ペコ娘!」

「えぇー、美味しいかもしれないじゃん」

 いやはや、健史さんの話だとこの寮では食費を研究費に回してる生徒が多いらしい。そしてその切羽詰まった生徒が召喚科が定期的に出すモンスターが倒されるのを待って、こうして無料で食糧を手に入れているのか。

 ああ、なぜ召喚科のこの馬鹿騒ぎが止められないのか分かった気がする。要するにだ――。

「餓死者を出さない為に召喚かは存在してるんですね……」

「ああ、上手いこと、この寮は循環しているだろう? 俺が来る前は腹を空かせた魔術師が命がけで召喚科の怪物を倒していたらしい」

 きっと、その当時のここの卒業生の魔術師たちは、目をぎらつかせて召喚科の馬鹿騒ぎを今か今かと待ちわびてたのだろう。

「はーい! 危険物が処理されたし、僕を手伝ってくれる心優しい生徒はいなーい? ねぇ! お願い、僕このままだと無償残業だから! たーすーけーてー!」

 と、健史さんが一人でせっせと気絶した召喚科の生徒を何かの魔術で浮かして移動させながら、そんなSOSを出す。

 仕方がない。ここの生徒ではないが助けることにしよう。

「夏穂、健史さんを手伝うぞ」

「……ワイバーン」

「頼むから得体の知れない肉は諦めてくれ、な」

 指をくわえながらこんがりとミサイルの熱で焼かれたワイバーンを見ている相棒を引っ張って、半泣きで救助活動をする健史さんの元へと歩いく。

 だが、それを聞き慣れない一声に止められた。

「そこの、お前まさか京極家の奴か? おいおいマジかよ」

 少し離れた場所、野次馬から知らない顔の男が気安く話しかけてきた。はて、あんな人物は知らないのだが。

 周囲には男女含めた六人ほどの取り巻きを連れている。さて、何やらああいう手合いには嫌な経験しかないのだが。

「何か御用で?」

「あ、何? 俺のこと知らないの? 古道の名も知らないのか?」

「……」

 一瞬、自分の頬の肉がピクリと動いたのが分かった。いや、そうか。古道か。

「で、何か、御用で?」

「まずは挨拶だろ基本だろ? マナーも知らないのかよ」

「そうですか、それは失礼。京極家の陰陽師、京極 八手です」

「あっそ」

「ではこれにて」

「おいおい、ちょっと付き合えよ。京極の負け犬」

 一々挑発的な態度で接してくる古道家の男。どうする。ここは学園、ここの学長の好意で健史さんに戦闘技術を学んでいる。問題は起こしたくないが……俺もそう、物分かりが良い方ではない。

「八手……」

 と、俺の機嫌が悪くなっているのを感じとったのか、夏穂が不安そうな声を出す……仕方ない、こいつの手前だ。我慢するか。

「勘弁して下さいよ。古道家の方と問題を起こす気はな――」

 へこへこと遜(へりくだ)っていると、顔に鈍痛が走った。

「八手!」

 夏穂の高く驚いた声が俺の一瞬止まった意識を動かす。どうやら、喧嘩を売られたらしい。

「……そっちの自己紹介はえらく不作法なんだな。初めて会った人間に殴りかかるのが礼節だと古道の奴は教えられるのか?」

「だっせ、何強がってんだよ」

 殴りかかったのは取り巻きの一人……だが指示したのはおおよそ俺を虫みたいに見下している古道の人間だろう。

「おい、俺の協力者に何をしている古道 道臣(こどう みちおみ)」

 これからどうしてやろうかと考えていると、勤が話に割ってはいってきた。言葉は無かったが、狼狽している夏穂に指を指し、俺に落ち着けと伝えてきた。

「はっ! 躾だよ躾。お前と同じ自分の立場を理解してない下等な負け犬を躾けてんだよ」

「負け犬はお前だろ」

「は?」

「実に情けない。取り巻きに殴らせて、自分では何もできないと言っているようなものだろ?」

「てめぇ調子に乗るなよ! 学校に入学していたときには負け組だっただろうが!」

「ああ、俺は確かに成果を何も持ち合わせずこの国宝学園に入ったが、そのお前はどうだ? こちらから聞くが、さっきのワイバーン、お前は倒せたのか? できないだろう? 人を見下しているだけの貴様は、相手よりも劣っているのも気づかん馬鹿者が」

「てめぇ、ちょっと幸運に恵まれて、いいか、少し天才だからって調子に乗るなっつてんだよ! 殺すぞ!」

 と、空気が一変した。いや待て、さっき……天才って確か。この人物に対してNGワードではなかったか?


「……ほう、俺を、天才だと、よく言った。殺されるのは貴様だ」


 ――瞬間、本当に声で空気が激震した。

「よく聞け愚の骨頂! 俺には才能など無い! 取り柄など存在しない。ただ陰陽師の家系と言うだけの何も恵まれたものなど授からなかった人間だ! 貴様のような俺よりましで人を見下しか脳のない低俗な輩が自身が優れている人間だと誤認する為の道具だぁ! だが! だからこそ俺は知識を頭に詰め込んだ。それしか無かった。ありとあらゆる時間を使い詰め込んだ! 朝昼晩、食事を、睡眠の時間さえ最短に縮めただその凡夫の身で成果を出そうと抗い事を成さんとした。全ては、貴様らのような馬鹿共を見返すが為に! 全ては、俺を嘲(あざけ)り笑った愚か共を笑い返すが為に! 全ては! 才能に恵まれた奴らに凡夫であろうともその高みに昇り詰めることが可能であると証明する為にだ! いいか、もう一度言う! 俺に、才は、無い! 俺は天才などでは無い。凡人だ。平凡だ、凡骨だ! それだけは誤認するな! その言葉は俺に対しての最大の侮辱だ! では死んで後悔しろ。その眉間、即刻ぶち抜いてやる!」

 ああ、言葉の、雪崩だった。

 先ほどからニタニタ笑っていた紫前と名乗る男の取り巻きも、その本人も、俺と夏穂もそれに圧せられ、激昂した勤が今まさにその眉間に銃を突き付けてもなんの反応もできなかった。

 だが、それに反応できた人物が居た。健史さんだ。

「はい! はいはいはい! ストップ! 勤ストープ! 人殺しはまずいから! 君のそれは妖怪退治の為の武器でしょ!」

「お前は何を言っている。別に怪物を殺す為に作られたミサイルでも人は殺せるだろうに、なんの問題も存在しない!」

「いやいや違う! 性能の話じゃないの! 人間として当然の道徳(モラル)のことを言ってるの! 人を殺したら駄目なのぉ!」

「ええい離せ健史、俺はこいつを殺す!」

 だが慣れているのか、唯一反応できた健史さんが怪我をして浮かせていた召喚科の生徒を草むらに放り投げ駆け寄って来て、勤を後ろから抱きすくめ抑える。そこでようやく俺たちは我に戻った。

「はっ、健史さん、俺はどうすれば!」

「八手君は取りあえず勤から銃取り上げて! お願い、殺人事件はまずい!」

「分かりました!」

 おのれ裏切るか京極のぉ! っと肘で顔を殴られながら勤さんから銃をなんとか取り上げる。いや、この人怒るとこんなに喋るのか。

 それにしても、さっきのミサイルの爆音が可愛いほどの大声だったぞ。

「……ざけんな。おい、ざけんなよ」

「? 八手、なんかあの人なんか嫌な――」

「無視するな殺してやる!」

「! 八手!」

 焦りに急かされた夏穂の金切り声を聞いて、俺は異常を察した。

「ふざけんなよ、俺を無視しやがって! 侮辱しやがって! 下等陰陽師が、力の優劣を教えてやるぁ」

 俺はこの一瞬で、こんな話を思い出した。科学的には証明されていないが、自動誘拐犯の写真を一般の人間と混ぜて、幼い子供に誰が悪い人かと言う実験をした時、揃って子供たちは自動誘拐犯の写真を選んだという実験があったらしい。

 精神年齢が低い夏穂もそんな人の邪念を感じ取れるのか、こいつはそんな悪人や憎悪といった感情に過敏に反応する。そんなこいつが金切り声を上げて俺の名を呼んだ。つまりは――。

(――正気か!)

 夏穂の声を聞き、まずは我を失い怒りに震える古道の人間に目をやると、その手にはすでに三枚の式札があった。

 あれは、やばい。古道家の人間は呪術を得意とするのは俺の爺から聞いていた。なので、今我を失ったあいつが持っている札から放たれる邪気に、俺は戦慄を覚えた。あれは、猛毒だ。人を汚染する呪念が霊力探知が苦手な俺でもはっきりと感じ取れた。

 そして、その式札が、『犬の頭』へと変貌した瞬間俺は、気づいたら叫んでいた

「夏穂お! 目の前の奴を燃やせぇえ!」

「――!」

 勤に言い負かされた怒りか? 正直俺には理解できない。その仕返しにあんな物騒な物を解き放つ精神が理解できない!

 アドレナリンが大量に頭でせっせと作られているのか、まるで世界がスローモーションになっている。そのせいだろう、あれがどんな動きをしているのか事細やかに理解できた。

 宙に浮く犬の頭、その一つ、俺に襲い掛かろうとした一体を夏穂が焼く。そして残り二匹は、あったく関係の無い人間の方向へと蛇の様に頭のみの身を高速で揺らしながら襲い掛かろうとしていた

「はっ?」

 一瞬、何か間抜けな声が聞こえた。召喚した殺戮兵器を操れない術者の声か? それを健史さんの切羽詰まった声が上書きする。

「――右に飛んだ奴を頼む!」

「はい!」

 健史さんもあれが一体なんなのかを理解しているのか、あれを処理する為の行動は速かった。

 すぐさま手に笹の葉(薙刀)を召喚し、そのリーチを生かし狂犬を仕留めようと突きを放つ、それが俺にできる最善手、遠距離攻撃など持たない俺にこれを止めるチャンスは薙刀の届く範囲にいるこの時のみ!

 肉に刃が刺さる感触を覚える。しかも深い……が、それでも、目を充血させた犬の頭が静止することは無かった。

「刺しても死なない!」

 犬の頭のみだから判断を誤った。あれは生きていない。あれは死体だ。俺は何をしている! そんなこと知っているだろ!

「――逃げろぉ!」

 それが俺に唯一できる対策だった。脳を横から裂かれても止まることの無い犬の頭が見知らぬ顔の女性へと標的を定め飛んで行く。

 駄目だ! 遠目だが表情からわかった。あの女性は虚を突かれている。恐怖も襲い掛かる災厄を祓う意思も感じられない。

「な――」

 駄目だ。夏穂ではあの距離に離れた標的を瞬時に焼くなど無理だ。それに俺に襲い掛かった一体を処理したばかりですぐには動けん!

 万事休すか。俺はただ無意味にその脚を逃げたあの憑き物へと動かすだけだった。

「破っ!」

 だが、事態を察して動いたのは俺だけでは無かったらしい。ここは国宝学園、多くの霊能力者が集う学園。この緊急時動ける人間がいたらしい。

 何が起きたのか理解できていなかった女性は、誰かが作った結界に守られ無事だった。だが、状況は変わってない。結界に遮られてもあいつの獲物はまだ周りに沢山いる。

 すると予想通りあの憑き物は標的を変える。生きていないにしても知恵はあるのか、最悪の相手を選んだ。あの結界を張った人間だ。

 夏穂と同じだ。術を発動させた後はすぐには動けない。俺はその脚に力を入れて、その術者――。


 ――おい、待てよ。なんでだよ。


 思考が遅れていた。いや、思考より体が動いたのか。気づいたら俺はその憑き物のすぐ後ろに迫っていた。

 右足の感覚が無い。折れる可能性も考えず、強化結界を足に張り、人体が動かしてはいけない動きをして俺は高速移動を得たのだろう。

 まぁ、いい。どうでもいい。そんなことは本当にいい。だってこいつが今襲い掛かろうとしているのは、俺が何がなんでも守らないといけない人なのだから。

「――蓬!」

 あいつの名を呼びながら手に持っていた笹の葉を憑き物の脳天に突き刺し、そのまま貫通させ中庭の地面に刃先を埋めた。

 ああ、最初からこうすれば良かったんだ。なんだ。簡単じゃないか。地面に薙刀ごと縫い付ければこいつだって動けない。

「……怪我、無いか?」

「え、八手君! さっきどうやって動いたの!」

「そんなのどうだっていい、怪我は無いか?」

「え、うん。その……八手君?」

「ああ、良かった。良かった、本当に」

 蓬の無事を確認して安堵する。良かった。俺は守れたのか。じゃあ、次だ。

 そうだ。あいつだ。あそこで間の抜けた顔をしているあいつだ。あいつだ。元凶はあいつだ。あれだ。あれなんだ。だからあれを処理しなくちゃ俺はいけない。

「八手君! 足」

 蓬の声が聞こえた。大切なことなのに、何を言っているのか沸騰した頭では理解できなかった。まさか、怪我をしたのか!

「蓬! まさかどこかやったのか!」

「怪我してるのは八手君の方! 足! 凄い色になってる!」

 ああ、なんだ俺か。ならいいんだ蓬。そんなことはどうでもいいんだ。それよりあいつだ。

「え、ちょっと八手君!」

 あいつが馬鹿げたことをしたのがいけないんだ。あいつは危険だ。だって蓬に危害を加えたんだ。

 あと十歩ぐらいか、なんか歩き辛いが歩けてるなら別にいい。目的の奴が俺を見て何か言っている。駄目だ聞き取れない、聞き取れない……まぁいいか、そんなのはどうでもいい。

「八手君、よくやった……えっと、八手君?」

 健史さんが話しかけてきた。すみません健史さん。俺今はやらないといけないことがあるので後にして下さいませんか。


 こいつを、今から“殺さない”といけないんです。


「馬鹿八手! 蓬を泣かすな!」

 あれ、後一歩のところで、顔に何か衝撃が当たって、聞き慣れた声が聞こえた。蓬を……泣かせた?

「俺が……蓬を、泣かせた?」

「さっきから蓬がお前の腕を泣きながら引っ張ってるだろ! 落ち着けよ八手、お前なんか変だぞ!」

 夏穂に言われて振り返る。そこには目から涙を流し名がら俺を必死に止めようとしている蓬がいた……ああ、これは、駄目だな。

「……ああ、すまん。夏穂、暫く、一人にしてくれ……悪い。蓬も健史さんと一緒にいてくれ。少し、頭を冷やしたいんだ」

 どうしていいか分からず、その場から逃げる。ああ、逃げた。俺は今――完全に人では無くなっていた。



 私は今、見たことも無いほど不気味な顔をした八手を怒った。

 だって後ろから必死に蓬が呼んでいるのにあいつはただまっすぐに古道家の人間に向かって歩いてるだけだったから。なんか変で、だからまぁ、取りあえず殴ってみた。

 どうやら効果はあったようで、あいつは正気を取り戻したようだが、そのままどっかに行ってしまった。

「……八手」

「成程、あれがあいつの異常か。俺の初見での感は当たっていたか。いや、はずれか、あれは異常では無く破損だな。ふん、俺より壊れているか、京極の」

 と、隣で博士が何か理解できない独り言を呟いていた。いやいや、それより蓬だ。

「蓬、大丈夫か?」

「うん、ありがとう夏穂ちゃん。でも八手君は大丈夫じゃないかも」

「分かってる」

 そうだよ。大丈夫じゃない。だってあいつ、本気で人を殺そうとしていた。私、それと蓬には分かっていた。

「おいおい、俺は悪くないからな! そこの低能が喧嘩を吹っ掛けたのが悪いんだ」

 と、後ろからそんな言い訳が聞こえてきた。私は無表情でそれを眺める。こいつ、自分が何をしでかしたのか分かってないのか?

「君、さっき放ったものがどんなのか理解しているのかい?」

 すると、健史が私の心を代弁してくれた。

「分かっている! 犬神だろ! ちょっとそこにいる生意気な眼鏡を呪ってやろうと――」

「そうじゃない! 聞きたいのは名前じゃないんだ。どんな効果があるかだ! あれは付き物だ! しかも君はあんな危険なものを制御できなかったろ!」

 珍しい。健史が本気で怒っている。

「いいかい、あれに憑かれたら子孫代々が呪われる呪術の最強格と言ってもいい兵器だ。いわば個人用の核兵器であり伝染病なんだ。呪われた本人は当たり前だが、その周囲の人間と子供を半永久的に呪う猛毒だよ。君は、それを理解できているのかと聞いたんだ!」

「いや……それは、後で解術すればいいだけで」

「言っておくがあれぐらい強力な呪いは僕でもそうお目にかかるものじゃあない。呪術において掛けるより解く方が困難なのは呪術の名門出身である君なら知っていて当然の知識だろ! あれは僕でも解くことが不可能なものだ。君は、それを解けるほどの技量があるのかい? なら自分をさっきの犬神に襲わせて試せばいい!」

「……いや、悪気は、無かったから」

「悪気があるどうこうの問題じゃない! 後で、あれをどこで手に入れたのか詳しく聞くからね」

 それで話は終わった。健史に怒られた古道の人間はただ意味が分からないといった顔でその場に立っているだけだった。

「……」

 ふと、八手が突き刺した犬神に目をやる。すでに消滅していた。あの犬神も、八手の武器も……。

「健史……」

「ああ、ごめん夏穂ちゃん。怒鳴ってるところ見せちゃったね」

「いや、いい。健史は先生の仕事しただけだから。それより蓬を見てやって?」

「ああそうだね。万が一の為にも診断したほうがいいか。すぐに医療術科の先生に連絡するよ。他の生徒も診てもらわないと。明日は忙しくなるな。ああそうだ。夏穂ちゃんも一応見てもらいなさい」

「分かった」

 すると、蓬が恐る恐る口を開く。

「わ、私は大丈夫なので八手君の所に行ってもいいですか?」

「駄目だ。もし君が呪われていたらその呪いは周囲に伝染する。そうなったら被害が大きくなるから悪いけどここにいてくれ。彼が心配なのは分かるけど……ああそうか、八手君は一番に診てもらわないといけないのか、しまったな。彼は犬神に一番近づいたからね。携帯で呼ぶか」

「うん、頼む健史」

 私は馬鹿だから、もう健史の意見に従う以外思いつかない。

「……夏穂ちゃん。今は私と一緒にいてね」

「分かった。蓬、どうすればいいと思う?」

「取りあえず、八手君と話そうと思うの」

「うん。分かった」

 周囲が慌ただしく、健史と駆け付けた他の教員によって生徒に簡単な検査が行われ始めた。私たちも指示があるまで大人しくしていようと、中庭の地面へ腰を下ろし、ただ八手の姿が見えない時間を耐えていた。

 ……五分過ぎる。

 ……十分過ぎる。

 ……十五分、過ぎた。

 すると、そんな私たちに声が掛けられる。

「夏穂様」

「ララエル! どうしてここに!」

 見慣れた金髪と場に似つかわしくないメイド姿を見て、私は驚いてしまい大声を出してしまった。周りの視線が刺さる……。一方ララエルは周囲の目線など馴れているのか、淡々と事情を説明してくれた。

「魔術にて急ぎ来るよう健史様に呼ばれまして、話は伺っております。忙しい健史様の代行として、このララエルが夏穂様たちを案内しますよう仰せつかりました。なので蓬様も私と同行願いますか?」

 健史に呼ばれ、ララエルが大慌てで駆けつけて来てくれたらしい。

 この緊張した空気の中、知った顔に出会えて私は少しほっとした。

「八手君は?」

「今はノア様と一緒におられます」

「ノア、なんで?」

「コンビニ帰りに偶然会い、少し様子が変と感じた為、八手様と共にから揚げを食べていたようです」

 なんだと、人が心配しているのにから揚げ食べてただと! じゃなくて、いやそうじゃない。

「ララエルは八手に会ったの? あいつ、大丈夫だった?」

「いえ、私が見ても少し気が動転しておられる様子で、今は保健室の方へとノア様に連れられているはずです。お二人もそちらへ」

 そう言われ、私と蓬はララエルに連れられて寮にある保健室へと向かって歩き出した。

「ノア君が八手君を見つけてくれたんだ。後でお礼言わないと……」

「うん」

 そうか。ノアもここに住んでるからそういう可能性があるよな。

 と、歩いている途中、博士にも声を掛けられた。

「天使、俺も健史から優先的に診察してもらうよう言われたんだが」

「受けたわまりました。では私に同行願いますか?」

「ああ、しっかし古道のボンボンめ、また問題を起こしてくれたな。研究の時間が削られる……で、京極の次期当主は無事なのか?」

「分かりません」

「そうか、まぁいい。俺には何もできん」

 なんとも迷惑そうに博士が愚痴を言った後に、ちょっぴり八手の心配をしてくれた。

「博士も八手を心配してくれるんだ」

「心配ではない。今日会ったばかりの人間に情が生まれるほど俺は優しくないが、まぁあいつの持つ武器は解析すれば俺の研究が生まれる。自分の利益の為に確認しただけだ」

「えーと、博士ってツンデレ?」

「……どうやらお前も先の戦闘で頭が興奮して冷静ではないらしいな。その暴言は聞き流してやる。しかし、意外だな。お前俺を見るからに怖がっていたのに普通に話しかけてくるとは」

「うん。確かに博士は口悪くて怖いけど、人をいじめるような奴じゃないのは分かったから」

「今日一日会っただけでそれが分かると言うのか? それはそれは、さぞ観察眼があるんだな貴様は」

「うん。だってあの研究室を見ただけで分かるもん。あんなに何かを頑張ってる人が悪い人じゃないって」

「……」

 む、博士がぷいっと顔を逸らす。

「ララエル……どうしよう。博士怒っちゃった」

「おや、これは珍しい。勤様が照れておられます」

 そうなのか!

「ぬかせぇ! 誰が照れるか!」

 あ、本当だ。顔真っ赤だ。

「えーい、それより主人の命令を全うしろ天使!」

「そうですね。少々悪乗りが過ぎました。謝罪を」

 照れながら反論する博士を見て、いつも表情に変化が無いララエルがうっすらと笑った。驚いた。珍しいものが二つも見れた。

 うむうむ、少し空気が和んで私はいつもの調子が出てきたが、隣にいる蓬は黙ったままだ。このメンバーに慣れていない、のではなくやはり八手のことが心配で気が気じゃないのだろう。

「見えました。あそこが保健室になります」

 歩きながら、ララエルは私に保健室の場所を教えてくれる。さて、取りあえずはあいつが今どんな状態なのか見ないと。

「八手はいるか?」

「夏穂様?」

 いの一番に保健室のドアを開け、あいつの名前を口にする。

「オウ、夏穂! 勤も!」

「ノア、こいつを見てくれてありがと……おい、八手」

 保健室で八手の隣で何か話していたノアにお礼を言って、後ろから私のご主人様の後頭部を小突く。

「……」

 だが、反応が無い。正面から八手の顔を覗き込む。

 目に力が無い。最初から私の声など聞こえてないらしい。ここまで弱気になってるこいつは見たことが無い。

「……馬鹿八手、しっかりしろ!」

 もう一度、今度は頭を力強くどつく。これでやっと八手は私を認識したようだ。

「ああ……えーと、夏穂か」

「さっきは殴って悪かったな。でもお前ちょっとしっかりしろ」

「……俺、お前に殴られたのか?」

「いや、八手……さっきあいつを本気で殺そうとした時にお前を」

「ああ、分かってたのか……」

「分かってたのたのかじゃない! ああもう、しっかりしろ!」

「……ああ、いや、そうなんだが、すまん。まさか、ここまで自分のコントロールができなくなるとは思わなくてな……」

「それは、だって蓬が危なくなったから仕方ないだろ」

「仕方ないことじゃないんだ。今回はたまたま上手くいったが、普通戦闘中に冷静さを欠くのは自殺行為だ。現実はキレて主人公が覚醒する漫画やアニメじゃないんだよ。下手すりゃ蓬が死んでたんだ」

「……馬鹿! お前そんなの当たり前のことだ! いちいちくよくよするなよ」

 そりゃ、私たちの仕事はいつも綱渡りで、ちょっとしたミスで人が死ぬ可能性があった。でも、それでもお前と私でできる限り納得できる結果を頑張って作ってきたじゃないか。

「八手君。こっちを向きなさい」

 と、私が八手を怒っていると蓬がちょっと怒ってる顔をして八手の顔を覗き込んだ。

「お前……いたのか」

「いますよ! はい! 八手君、私の手を握ってください」

「……いや」

「いいですから!」

「あ、ああ」

 蓬に言われ、八手はぎゅっと突き出された手を握る。

「私はここにいます。今は八手君が触ってるのは生きてる人間です。貴方がさっき守ってくれた人間です。さっきのは反省する点はあるかもしれませんし、次に活かす為、落ち込む時間も必要かもしれません」

 さっきまで不安で言葉数が少なかった蓬が、今は八手の目を覗き込みはきはきと自分の言葉をしっかりと八手に伝えて始めた。

 ああ……蓬って強い奴なんだな。

「でも、ちょっとは喜んでください。八手君は昔から自分を褒めることが苦手なんですから、ちょっとでも落ち度があったらそうやって自分の出した成果を無かったことにして自分を責めて、そんなんじゃいつか潰れてしまいますよ!」

「……よも、ぎ」

「はい、私は蓬です。季羽 蓬です。八手君のことなら大体知ってる幼馴染です……だから、私が褒めたら、嬉しいって思ってください。八手君はよくやりましたから、ね?」

 そう言って八手の頭を撫でる蓬。一方八手はそれをただぼうっとした顔で人形みたいに固まっていて……ものの数秒で顔を真っ赤にさせた。

「ば、ば、馬鹿! お、おま、お前なぁ!」

 おお! 完全にいつもの調子を取り戻し、慌てて蓬の手を振りほどく八手。

「……えーと、駄目でしたでしょうか?」

「だ、だぁ、だ、だ、だ、だぁ!」

 うーむ、駄目とは言えない八手。頭を撫でられて嬉しいくせに素直になれないらしい。まったく我がご主人様は相変わらず蓬の前だとポンコツになってしまうんだから。

「恥ずかしいだろうが! いや、周りにどれだけ見知った顔がいるんだよ」

「……」

 あ、蓬がなんとも言えない顔をしている。

「いや、黙るなって、あの、そのな、お前が俺を励まそうとした気持ちは、その、嬉しいけどな。いや、その、でも……なぁ、夏穂」

 え、なんでこっちに話を振るの?

「うーん……八手のヘタレ」

「は!?」

「取りあえずお礼を言え。言わないと後々引きずるから」

 素直な意見を口にすると八手は口をへの字に曲げて、目の前にいる蓬を見据える。

「……あんがと」

「八手君。お礼を言う時はその、もう少し笑顔と言うか――」

「分かってる。自分でも情けないがこれが精一杯なんだ」

「もう……」

 うーむ。まぁ、何はともあれ蓬のおかげで八手は元気になったみたいだし、めでたしめでたしかな?

「おーい、ねぇねぇ、なんだかラブコメの波動を感じるんだけどぉー」

 と、人口密度の多い保健室に、健史までやってきた。

「馬鹿教師、仕事はもういいのか?」

「オーウ、健史。サボりは良くないよ?」

「なんで二人してサボってるって決めつけるのかな! 僕泣いちゃうよ。仕事はきちんと別の先生に引き継いだから、それでそれでー、八手君と蓬ちゃんはなーにをしてたのかなぁー?」

 意地悪な顔をして保健室に入って来る健史。そして明らかに動揺する八手。健史に先ほどの蓬とのやり取りを知られたくないのだろう。

「それより、検査をする教員がいないみたいだが? こっちにはいつ人が来るんだ?」

「あーうん。ちょっと色々とあってね。保険の先生が大勢診る方になって、僕がこっち(問題児)担当になったんだ。これがあれば僕でもぱぱっと診察できるからねぇー」

 そう言って、何か古そうなカメラを私たちに見せる健史。何かの魔術道具なのだろうか?

「これで写真撮るとその人が呪われてるかどうか分かるんだぁー。ということで、野郎共はここで全裸ね」

「サー、イエッサー!」

 ちょっと待ってちょっと待って! ノア! ノア! 普通にズボンから脱がないで! パンツ見ちゃった!

「ノア! ちょっと待てお前、ズボン脱ぐな! というかなんで下から脱ぐんだお前!」

「あ、女子たちは隣の部屋でララエルさんに診てもらってね」

 慌てて無言で八手がノアのパンツのパージを阻止している間に、私は蓬の手を繋ぎ非難行動にでる。緊急時の八手とのコンビネーションには自信があるのだ。

「健史それ早く言え! 行くぞ蓬!」

「う、うん……あ、あと八手君足を診て貰うようにね! 分かった?」

 これ以上変なものを見ないように、慌ててドアに走って避難する私たち。そして怒りを示す為にドアを強めに閉めた。

「今度セクハラしたら焼くからなぁ!」

「あ、あの夏穂ちゃん。ララエルさんは?」

「あ……」

 しまった! ララエル置いてきちゃった!

「ララエルぅう! ごめーん!」

 開けてすぐララエルを助けるべきだけど、しかし今ドアを開けたら、何が視界に入ってくるから分からない。私は外からドアを必死にノックして残された友達の巨乳メイドが無事か確かめる。

「いやぁああ!」

 すると、部屋からやけに甲高い悲鳴が聞こえた。でもこれ……。

「ララエル……じゃない!」

「きゃあー、ララエルさん僕のズボンから手を離してぇえ!」

「えっ? 健史?」

 その、中から悲鳴から聞こえてきたのだが……なんで、健史?

「大人しくして下さい健史様、貴方様も検査を受けるべきです。万が一ということもありますので、皆様ご協力をお願いします」

「はぁ……そういうことなら」

「おい、馬鹿教師、早く脱げ。時間の無駄だ」

「ハハハ、健史。覚悟するのでーす。ジャパニーズ文化、良いではないか良いではないか、あーれぇーってのをするデース」

 え、何、健史が襲われてるの、脱がされてるの、ララエル主犯で?

「いぃぃぃぃやぁああああああ! 皆で僕を汚さないでぇええ!」

 ええー……。

「蓬、これどうしよう」

「えーと、はい。無理です。適切な行動が思いつきません」

「だな。ここは大人しくしておこう」

 ということで中で起こっている馬鹿騒ぎは放置だ。人間できることとできないことがあって当然なのだ。

「そうだ……うん。私にはできなかった。蓬は凄いよ」

「えっと、何が?」

「八手の馬鹿を立つ直させてくれたろ? 私は優しくする前にきつく当たっちゃうんだ」

「ああ、うん。八手君って本当に辛くならないと弱音なんて吐かないから、ああいう時は優しくしてあげないといけないんだ。夏穂ちゃんも覚えててくれると嬉しいな。私もずっと八手君といられる訳じゃないから、またこんなことになったら夏穂ちゃんが慰めてあげて」

「私じゃ無理だ。普段あいつに尻蹴っ飛ばされてるから、こういう時は尻を蹴っ飛ばすしかあいつに何かを返せる方法以外、知らないんだ」

「うーん。それは困ったなぁ」

「――だから、今すぐじゃなくてもいい。あの馬鹿の隣は蓬の席だ」

「……うん。ありがとう夏穂ちゃん」

 そうだ。それが一番いい未来だ。私もそれを望むし、八手もそれを目指しているはずだ。

「失礼、お待たせしました。主人を優先して申し訳ありません」

「あ、ララエル。もういいの?」

 と、一仕事終えたララエルがドアを開けながら謝ってきた。別に気にしないのに、こういうところが律儀なのは相変わらずだ。

「はい。皆様にご協力頂き健史様の診察は完了しました……その副産物に健史様の裸体写真を手に入れたのですが、私はこれをどうしたらよろしいのでしょうか?」

「うーん……うん。記念に持っとけば?」

「はい。ではそうします。では隣の教室へ参りましょうか」

 少し楽し気なララエルは、主人の裸写真を片手に仕事を全うする。

「あ、はい……よろしくお願いします」

 蓬はぎこちない返事をして、その裸写真を視界に入れないようにちょっと顔を赤くして窓を見ていた。まぁ、気持ちは分かるぞ。うん。

 さて、ではララエルに私の体に異常が無いか診てもらおうか。明日からまた、八手の相棒として仕事をしなくちゃならないからな。健康管理は大切だ、元気が一番なのである。

「ふんふんふーん」

 私はララエルの片翼を眺めながら、鼻歌混じりに我が友人の後に続くのであった。



 俺は今裸でむせび泣いている世界最強を眺めている。

 そう、股間を押さえ、まるで犬にでも噛まれた女性の様にしくしく泣いているこの御仁を、俺はただ眺めていたのだ。

「オーウ健史、いい加減立ち直るデース」

「だって、だって、注射嫌いの子供じゃあるまいし、言ってくれれば僕だって治療の為なら大人しく脱ぐのに、なんで皆して無理やり身ぐるみ剥がすのさ、ねぇ!」

 弟子であるノアに半笑いで足で体を小突かれながら、健史さんは思いの丈を吐露する。確かに無理やり脱がす必要性は皆無だったような……なぜララエルさんは俺たちにこんな不毛な気持ちにさせることをさせたのだろうか?

「すみません。なんというかその場のノリで行動してしまいまして……機嫌を直してくださいませんか?」

「……ううぅうう」

 どこからそんな声が出たのかと思うほど、悲しみに満ちたうめき声と共に健史さんは立ち上がり、目を腕でごしごしと引きながら先ほど持ってきたカメラを持つ。

「ぐす、じゃあ、まず八手君から」

「いや、その、まずは服を着て頂けませんか?」

「……全裸って、解放感あっていいよね」

「すみません、変な性癖に目覚めないでくれませんかね!」

「えぇー、目覚めさせたのは君たちなのに」

 いやまぁ確かにそうなのだが、そんな希望もくそも無い絶望しか入ってないパンドラの箱なんぞ開ける気は無かったので封印して貰いたい。

「はいはい、じゃあ服着るから待ってて」

 そしていそいそと上着から着る健史さん……男しかいないの大した問題ではないのだが、健史ジュニアが見えているのでまずパンツから履いてもらいたいと思うのは俺だけだろうか?

「京極の、このままタイミングを逃しそうだからこの場で言葉にしておく、今回の件、悪かったな」

「はい? なんのことで」

「犬神を放った馬鹿を煽った件だ。俺はお前に謝罪をするべきだからした。それだけだ」

 律儀に謝罪を貰った。少し意外だ。この人から謝罪の言葉がでるイメージは無かったのだが。

「なんだ。そう呆けるな」

「いえ、その件に関して私は貴方に対し怒りは覚えていませんので」

「ふん、謝罪ぐらい素直に受け取れ馬鹿者」

 なんだろう。謝られているのに怒られてしまった。

「しかし京極の、貴様、俺以上に壊れているな」

「……壊れている?」

「ああ、俺の初診どおりやはりお前は壊れていた。先ほど錯乱していた時、冷静さを欠いた自分を責めていたが、さきほどお前の式神が言った人を殺そうとした行為ではなくあのお前の幼馴染か知らんが、まぁあの女を守れないことを嘆いていたな」

 そう言われ、思考が少し止まる。ああ、確かにそうなのかもしれない。普通は、人を殺そうとした道徳の欠損を嘆かなければならないのか……。

「まぁ、指摘したところで変わるまい。だがな京極の、これだけは肝に銘じておけよ。壊れていることは悪いことではない。確かに生きづらいし世間から理解も得られないが、悪ではない。否定もされよう、笑われもしよう。だがその信条と信念、是が非でも貫けよ」

「はぁ……」

「ふん。お節介が過ぎたか、まぁ忘れてもいい戯言だ。お前ならば俺に言われずともそうするだろうしな。努力し、事を成した人間というのには必ず罵声と称賛、その両方が送られる……だから、他人の意見など流されるな、などと、貴様には不要か」

 褒められたのか? 勤は無意識か、薄ら笑いを浮かべていた。

 罵声と称賛。それはこの霊機工学という独自の技術を叩き練り上げ作り上げたこの人物は嫌という程聞いただろう。

 馬鹿にする言葉、はたまた成功してからは嫉妬から罵声を浴びせられ、純粋な称賛やその技術で金もうけをしようという下心のある中身の無い褒め言葉もあったことだろう。

 いや、勤は強いな……。俺ならば自分のことで精一杯だろうに、この人物は他人に目をやる余裕があるのか。いや、余裕など無いがそれでも他人を見れる人物なのかもしれない。

「オーウ。勤は八手のこと気に入った?」

「まぁ、そこそこにな」

 これは、喜んでいいのだろうか? 人に好かれることは悪いことではないはずだ。これから協力してくれるこの気難しい人物と友好的な関係が気付けたのだが儲けものと思わないとな。

 そこで、一つ気になってしまった。

「なぜ、勤は才能があると言われると怒るんですか?」

「なんだ。あの古道の馬鹿に言った台詞を聞いてなかったのか」

「いえ、その、取りあえず大声とその長さのインパクトで中身が頭に入ってこなかったんです」

「はぁ……そうだな。俺には才能というものがまったく無かった。だから、よく他人を蔑み優越感を得るのに必死な奴らのいい餌になっていたんだが、そいつらを見返したくて霊機工学を作り上げた。それで成果を出し、天才などと言われた」

「それは見返したことが成功したのでは?」

「いや、違う。まったく違う。いいか、あいつらは今まで脳無しと馬鹿にしていた奴が大きな成果を出した瞬間、あれは初めから天才だったと言い、自分たちが今まで馬鹿にしてきた人間に追い抜かされたと現実から目を背けただけだ。だから褒め称えた。自分達の小さなプライドを守るために……そんなもの認められるか。だから俺は天才という言葉を嫌う。当然だろう?」

 そうか、この人はそう考えるのか。自分のプライドを守るために人を褒める、か。この人は人の醜い部分がよく見えるんだな……。

 そして今、その慧眼で自分の師匠をまるで汚らしい物を見る様な目つきで見ている。ああ、というかあの半笑いは俺でも嫌な予感を覚える。

「はーい、じゃあ皆脱いで―、全部さらけ出してぅぇえええい!」

「なんだお前は、最後の声をどこから出した気持ち悪い!」

 健史さんが変なさっきの仕返しのつもりなのか、変なテンションで何か良からぬことを考えている顔をしつつ近づいてきた。

 そしてノアが真顔で、この前見せた式神の拳銃を作り警戒している。ノアの真顔か……今俺たちに襲い掛かろうとしている事態の重大さを訴えている。うむ、俺も笹の葉を出した方がいいだろうか?

「ちょっと! おふざけに全力で臨戦態勢作るの止めて!」

「お前のおふざけは俺たち(弟子)にとって災害なんだよ馬鹿教師! 貴様は加減ができんからな」

「え? いやいや、きちんと死ぬ死なないの加減はしてるよ僕」

「怪我するしないの加減をしろ! お前の授業で死にかけるのはもうごめんだからな!」

 いや、痛い痛くないの加減をして欲しいのだが。

「はいはい、じゃあ真面目に呪いの検査始めるよ。まずは八手君からね」

 このままでは埒が明かないと判断したのか、手を二回叩いて俺たちに早く脱ぐよう急かす健史さん。

 そして時間のかかった前振りがなんだったのかと言うぐらい検査は簡単に終わった。全裸であの古いカメラに撮影されるだけなのだから、当然と言えば当然なのだが。

 そしてそのまま、健史さんに足に治癒魔術をかけてもらう。幸い軽くひねっただけなのですぐに直った。暫くは無茶しないようにと診断を貰ったが、すでに痛みは無い。流石だ。

「うん、全員異常無しだね。じゃあ僕は他の生徒を診てくるから、各自解散で。八手君は今日この学校で借りている部屋に泊まりなさい。後でララエルさんに食事を運ばせるから」

「なんだ京極の、国宝学園の生徒でもないのに自室がここにあるのか?」

「俺の家の爺さんとここの学長が旧知の知り合いなので、好意にさせて頂いてもらってるんです」

「そうか、家が古いとそういう伝手があるのか、少し羨ましいな」

 そう言う勤だが、まぁ、俺としてはあの爺さんの力を借りるのは少し癪なんだが……。

 すると部屋を三回ノックする音が聞こえ、返事も待たずドアが開けられた。

「ちょっと! あんたら大丈夫なの?」

 ドアを開けて顔を出したのはセイラムだった。

「オーウ、セイラム! 検査は大丈夫?」

「今日は儀式の日、ずっと部屋で寝てたから検査は免除。まったく、いつもここ(寮)は騒がしいけど、起きたらこんなテロが起きたみたいな空気だもの、驚いたわよ」

 いや、テロか。事情を知らないのに、言い得て妙な例えをする。

「まぁ、実際テロみたいなことが起きたからね。セイラム、心配してくれてありがとう。でも皆は無事だから安心しなさい」

「健史がそういうならまぁ、詳しい事情は知らないけど無事ならいいわ。ああノア、私が頼んでたから揚げどこ?」

 と、セイラムがそう言ってノアに問い詰める。もしかして俺たちの心配はついででそれが本来の用事だったのだろうか?

「アー……ソーリー、もう無いんだ」

「はぁ! ちょっとどういうことよ!」

 しかしこんな時間にから揚げか。む、から揚げ……そう言えばノアが錯乱している俺に食べさせてくれたのがそれだったか? 駄目だ。よくは思い出せないが多分そうなのだろう。

「すまない。俺が食べたんだ。弁償するから許してくれ」

「あー、いいよいいよ。セイラム、後で僕が何か奢るから」

「いえ、しかし……」

「いいんだ。八手君はもう寝なさい。セイラム、君も今日は疲れてるだろ? 部屋に戻ってなさい」

 そう言われ、俺はぺこりと健史さん頭を下げて、部屋を出ようと立ち上がる。

「……なんか訳があるみたいね。分かった、許してあげる」

 セイラムも健史さんの真面目な声色を聞いて、怒りを鎮めてくれたらしく、そのまま大人しく自室へと戻っていった。まぁなんだ。また機会があれば何か奢るとしよう。

「さて、ノアと勤も自分の部屋に戻りなさい。ああ、夏穂ちゃんには僕から言っておくから気にしないでいいよ」

「何から何まですみません」

「はは、気にしない気にしない。後は教員に任せて、君は何も考えず眠りなさい」

 確かに俺に何か手伝えることは思いつかないし、何より先ほどから目蓋が重い……錯乱状態から戻ったとはいえ、心労は蓄積しているらしい。

「では、お言葉に甘えさせて頂きます」

「夏穂ちゃんのことも心配しないで、騒ぎが落ち着いたら君の部屋に送り届けるから」

「はい、お願いします。では、これで失礼しました」

「まったく、少しは崩した態度でいいのに」

「いえ、礼節は大切ですから」

 俺は健史さんに深く頭を下げ、部屋から退室した。

 それからのことは、よく覚えていない。寮の廊下を歩く時、慌ただしい生徒と教員とすれ違って、寮から出て……夜の暗い道をフラフラと歩いていて、気が付いたら国宝学院の大学内で借りている部屋へと戻っていた。

「……あれ、俺いつの間に?」

 駄目だ。さっきのことが頭から出てこない。そうか、どうやら俺は酷く疲れているらしい。

 そのまま布団が折りたたんでいるベットへと頭から飛び込むように倒れて……意識は深い闇へと沈んだのであった。



 ――ひどく、優しい夢を見た気がした。



 目蓋で遮(さえぎ)れ切れない光りと、音と肌の刺激で意識が覚醒する。

 先ほどまで夢を見ていたんだが、よく思い出せない。ああ、そうだ。子供の蓬と何かしていたまでは思い出せるのだが……まぁ、あいつの声が聞けたのか、ならそれは、いい夢だな。

「――蓬」

「えーと、ごめんなさい八手君」

 ……声が少し変わっている? 子供の頃聞いた蓬の声じゃないし、いや、そもそも俺は今起きている筈だ。

「……二人して何してるんだ?」

 ぼんやりした意識を酷使して、そんな質問を投げかけた。

 蓬が足を、夏穂肩を持って何やらベットから下ろしている最中だった……俺は空気に宙ぶらりんになりながら考えるが……いや、考えても無駄だ。なんでこんな状況になっているんだ?

「……うーん、えい」

「ごはぁ!」

 後頭部が! おい待て夏穂! なんでいきなり手を離した。お前でも重力は知ってるだろ!

「な、夏穂ちゃん! なんで手を離したの!」

「うん、重たかったから」

「もうちょっと頑張ろ!? 頭は大切にしないと駄目だからね! ああ、八手君大丈夫、痛くない?」

 痛い。すごく痛い……。

「あ、ああ、痛いが、痛みのおかげで意識は覚醒した……」

 後頭部を押さえ、痛みに耐え床に寝転びながら蓬に返事を返す。

「私のおかげだな。感謝しろ」

「なんでお前はえらそうなんだよ! 反省しろ」

 ああくそ……しかしなんでここに蓬がいるんだ。というか、取りあえず立ち上がるか。

 あれ、体が、ふらついて――。

「とと、八手君本当に大丈夫?」

「あー……どうだろうか。取りあえずベットに座らせてくれ」

 よろめいた俺を咄嗟に支えてくれる蓬。取りあえず俺はベッドに腰かけてから会話を始めた。

「で、蓬、お前はなんでここに? 今、何時だ?」

「八手君が心配で来たんですよ。ちなみに八時ぐらいで、夏穂ちゃんと一緒にララエルさんのご飯を届けに来たんです」

「ああ、飯か……そう言えば健史さんがそんなことを言ってたな。すまん、手間を掛けさせた」

「それは別にいいんですけど……八手君、大丈夫?」

「……頭か、それとも、心の方のことか?」

「心の方……」

「大丈夫だ。寝たおかげで大分落ち着いた」

「うん、良かった」

 う……おい、そんな心底嬉しそうな顔するなっての。不意打ちだろ。

「八手、顔赤い」

「赤くねぇ!」

「いや、赤いって、風邪か?」

「あ、いや、すまん、心配するな。風邪じゃねぇから」

「ん?」

 はぁ、からかわれたと思ったが、夏穂の奴心配してくれたのかよ。

「そう言えば蓬、お前飯は食ったのか?」

「え……ああ、言われてみれば食べてません」

「なら、俺の分少し食え」

「え、でも」

「今八時なんだろ。どうせ健康体なお前のことだ。十時ぐらい寝るんだろうが。これから買い出しするにも飯を作るのにも微妙な時間だ。いいから食え」

「それはそうですけど……いいんですか」

「くどい、いいって言ってんだろ? そういえばまだ荷物に割りばしと紙皿あったな」

「なんでそんな物、鞄に入れてるんですか?」

「たまに仕事で近場に村もねぇ山奥やらに行くからな。カップ麺やら缶詰やらの非常食と一緒に入れてるんだ。忘れても不便だし、入れてそのままにしてんだよ」

「……えっと、汚くない?」

「ちゃんとビニール袋にくるんで入れてあるから不衛生じゃねえよ」

 そう言って蓬は割りばしと紙皿を受け取るが、眉をひそめて受け取ったそれが汚れていないか確認し始め、終いには犬みたいに鼻を近づけて臭いを嗅ぎ始めやがった。

「あー……不安なら洗ってくるが?」

「いえ、大丈夫みたいです。変に疑ってごめんなさい!」

 衛生面に問題無しと判断したのか、にこやかにグッドサインを出す蓬。心なしか、俺の脳裏にこいつの周囲に花が咲く幻覚が見える。

「ふまい」

 と、そうこうしているうちに夏穂がすでに、自分の分の紙皿を用意してララエルさんが作って下さった和食の出汁巻き卵を口に放り込んでいた。まったく、油断も隙も無い。

「で、なんでお前は先に食ってんだよ? 飯まだなのか?」

「自分の分食べたけど足りないし、ララエル忙しそうだから遠慮して八手の分の料理分けて貰おうと思って……」

「……」

 いや、ララエルさんに気を遣うところは褒めてやってもいいのだが、俺に対してもその優しさを発揮してほしいのだが。

「えーと、今日はもう無理ですけど、明日の朝私が何か作りましょうか?」

 ――焼き魚を掴もうとした箸が止まる。蓬の手作り……だと!

 いや、落ち着け俺! 明日は色々と予定がある。それに、こいつだって疲弊している筈だ。

「……あー、いやぁ、その……気持ちだけでいい」

「む、八手君、もしかして私が料理できない子だと思ってます? 私、普通に自炊とかしますよ」

「いや、そうじゃなくて……ほら、お前も今日は疲れているし、明日はゆっくりしとけってことだよ……」

「むー、まぁ今回はそう言うことにしておきます」

 残念さから歯切れが悪くなった為、蓬に変な誤解を与えてしまった。何してんだ俺……。

「それに、明日は朝早くから用事があるしな」

「ああ、廃墟を調べに行くんだよな」

「そうだ。夏穂も今日は早く寝ておけよ」

「分かった」

 取りあえず掴みかけた焼き魚をゲットして、夏穂と明日の打合せを始める。

「仕事なんですか?」

「ああ、といっても仕事になるかどうかの調査になるが……ネットで仕入れた情報の確認だ」

「八手君はインターネット得意ですからね」

「お前が機械音痴すぎるんだよ」

「わ、私だって日々精進してますよ! メールだって打てるようになりました」

「あ、それで思い出したんだが、その、前話してたことなんだが……」

「え、なんですか?」

「いや、だから、今度どこかに遊びに行かないかって前にメールしたろ? 忙しくてそのまま話が進まなかったが……」

「……あれ、私たち海に行ってませんでした?」

 は? いや、え? 約束を忘れた。では無くすでに行っただと?

「いやいや、行ってねぇよ。誰かと間違えてんじゃないのか」

「そんな訳ないじゃないですか! 八手君とのお出掛けを誰かと……ちょっと時間下さい」

「あ、はいどうぞ」

 何やら後ろを向き頭を抱えてうんうんと唸り始めた蓬。

「おい、大丈夫か? その歳で認知症を発症してたら泣くぞ俺」

「してません! してませんけど……その」

「その?」

「……八手君とのお出掛けが楽しみすぎて脳内シミレーションを重ねるうちに自分の中で、すでに行ってることになってました」

「……」

 ――俺は、京極 八手という男は、今までの人生においてこれほどショックを受けたことはなかっただろう。

「待て待て待て! お前! お前なぁ! 妄想癖がついにそのレベルまで酷くなったのか!」

「だだ、だって楽しみで!」

「いやいや、一回病院行けマジで!」

「ちょっとしたうっかりですよ!」

「ちょっとじゃない! マジでやばい奴だそれ……ぬぅうう、たく、なんだそれ、こっちはやきもきしながら待ってたってのに」

「……やきもきしてたんですか?」

「……だぁもう、この話は終わりだ。その、なんだ。また時間があったら行くってことでいいな?」

「……はい。ごめんなさい」

「はぁ、なんだ。今日は色々なことがあったがこれが一番衝撃的だったな」

「健史さんと一緒でしたよね? 色々あったとは」

 と、蓬が俺の独り言に食いついてきた。俺は夏穂におかずを全部取られないうちに、必要最低限を確保してから話を始める。

「まず、健史さんの弟子のセイラムって女を知ってるか?」

「ああ! セイラムさんですね! 仲良くさせて貰ってますよ!」

 ……はて、あっちは蓬のことを嫌ってたはずだが、こいつ素で嫌われるのに気づいてないのか?

「まぁその、セイラムの特殊な魔術の見学と、勤は知ってるよな。あそこまでキャラが濃いんだ。確実に校内の有名人だろ?」

「はい。ノアさんと沢良木さんを知らない人はいませんよ。セイラムさんは、探せば知らない人いますかね?」

「まぁその、有名人の勤に俺の家の家宝の分析を頼んでな」

「あの方は色々できそうですからね。それで何が分かったんですか?」

「まぁ俺の初代京極家当主はオーパーツを生み出していたことが分かったぐらいか」

「えーと……オーパーツ?」

「知らねぇか? 失われた技術とか過去、その文明では作ることが不可能な有り得ない物のことだ」

「そうなんですか、八手君のご先祖様は凄いんですね」

「ああ、まあな。それで、そんな人たちに君は賢いだの壊れてるだのと言われて……なぁ、お前から見て俺はどんな人間だ」

 少し、話を脱線させてそんなことを聞いてみる。すると蓬はすっと真顔になった。

「うーん。そうですね……八手君は、確かに賢いですし少し世間ずれもしてますけど……なんと言えばいいんでしょ。優しくないのに優しい人なんですよね」

「は? いや、それどういう意味だ」

「まぁ有体に言えば、ツンデレですかね」

 だ、誰がツンデレだ!

「うん、八手はツンデレだ」

 と、今まで黙々と俺の飯を食べていた夏穂までもが蓬の意見に賛同する。え、俺ってそんな性格なのか?

「だから、八手君は文句を言いつつ世話を焼いて、それで自分のできる範囲で最善の結果を出そうとする……そんな当たり前で、素敵な人ですよ」

「それは……褒めてるのか?」

「それはもう大絶賛です。ですが、頑張りすぎるところが玉に瑕ですかね。あまり、心配させないでくださいね?」

「……すまん。多分無理はする」

「もう、そこで嘘は言わないんですね。貴方は」

「お前に嘘は嫌だからな」

「……辛くなったら頼ってください」

「善処する」

「はい。きっとですよ」

 そこで、会話が止まる。三人、小さな部屋で、少し冷めた飯を食べる一時は、緩やかに、されど雪がアスファルトに溶けていく様に過ぎていった。

 ――ああ、多分これが、小さな幸せと言うものなのだろうか。


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