第十話「魔女の儀式」

「急に彼氏の人格が変わってしまったと言いましょうか……」

「あーわかるわかる~。よくあるパターンね。暴力とかされてる?」

「よくある? のかはわかりませんが。他の女の人のことしか話さなくなって、なんだか生気が無いって言うか操られてる? みたいな?」

「あ~、よくあるパターン。 あなたその人に片思いしてるんでしょ? でも大丈夫。勇気を出して告白したらいいのよ」

「このコメントは管理人に削除されました」

「あ、いえ、私とその人はその、ちゃんと告白して付き合ってるんです。でもその、急に他の女の人のことしか考えなくなってしまって」

「このコメントは管理人に削除されました」

「あーあんたあれでしょ? ストーカーなんでしょ? うっそ犯罪者とか相手してられないんですけどー」

「あの……違うんです本当に。急に彼が人形みたいになってしまって。それで、私、まだフラれてないんです。別れる? って聞いてもその人のことしか話さなくて、会話ができないんですよ」

「いや気持ち悪いから。あんたなんか生きてるだけで害だから」

「ここの管理人恋愛相談すると見せかけて相手に暴言吐くのが趣味の奴だから他の所で相談するといいですよ。あと私のコメント何度も削除して無駄な時間の浪費お疲れ様です(笑)」

「てめぇマジ死ねや! 何度何度もしつこいんだよ!」

「そうなんですか。忠告ありがとうございます。最低な人ですね」

「は、黙ってろブス! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」

「↑語彙力小学生さんお疲れさまでーす(笑) でもその彼氏本気で変だね? 病院連れてけば、もしくはお化けとかならお寺とか」

「ありがとうございます。そうしてみます」

「消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろけろ消えろ消えろ消えろ消えろ、死ね死ね五s時支援支援死ね死ね!」


――とある恋愛相談ブログ。


 俺は今、世界最強の男の性的趣向を聞かされている。

 場所はこの前健史さんと初めて会った木造校舎の一室だ。いや良かった。何が良かったってここには男二人しかおらず、こんな猥談を誰かに聞かれていないのがせめてもの救いだった。

 更には今健史さんが着ている服は乳首が星マークで隠された女性の体がプリントされている服なのだ。こんなの人前なら俺はとっくに「俺とあの人は無関係です」と叫びながら逃げているだろう。

「いや、おっぱいってさ。なんだかんだで中ぐらいが最強だと思うんだよ。そりゃ巨乳もグッとくるけどさぁー、ほら、やっぱり形って言うの、美しさって大事だよね! で、その形を一番際立たせるのが並乳だと僕は思うんだ……いや、断言するね僕は!」

 ……形とか並乳とかはさて置き、何故健史さんのおっぱい談義を聞かされているかというと、事は昨日に遡る。

 黒沢先輩の御家騒動から、仕事も無く美大の課題やパソコンを使っての情報収集に勤しんでいたのだが、昨日突如健史さんから連絡がきたのだ。なんでも君をパワーアップできるかもしれないとのことだったので、俺は翌日の朝一番に出る電車に夏穂と一緒に国宝学園にやって来たのだが……足を運んでみれば、どうも予定が変わったとのことで、俺は健史さんと暇つぶしに雑談を始めてこんな中学生男子がする様な話を一方的に聞いていた訳だ。

 因みに夏穂はまだ眠かったのか健史さんが仕事場として使っている古い校舎の客室のソファーで今は眠っている。まぁその内腹が減ったと言いながら起きるだろう。

「でもさー、たまにちっぱいも見るとドキッとするんだよねぇー」

「では健史さんは欲情できれば胸はなんでもいいという結論が出たところで真面目な話をしましょうか」

「あれれー? 八手君、さては僕の扱い慣れてきた?」

「はい、前に手から石油を出された辺りから慣れましたよ。この人にはそれほど遠慮しなくていいんだなって思えましてね。ええ」

「あー、前のは、うーん。ごめんね?」

 流石に悪いと思っているのか苦笑いをする健史さん。するとおふざけが終わったのか、真面目な表情に切り替わった。

「で、だ。今回、君を呼び出した理由を今から詳しく説明するよ。昨日の電話では僕も今回の用意があってそれほど詳しくは話せなかったからね。君には僕の教え子については話したかな?」

「はい。確かノアを含めた三人の教え子がいると」

「うん、覚えててくれたんだね。で、その教え子の一人が君の力になれるかも知れなくてね」

「師匠ではなく、弟子がですか?」

「うん。弟子といっても、僕が受け持つクラスは特殊教育クラスといって誰も教えることができない特殊な技や能力をもつ生徒が集められたクラスなんだ。だから一部技術が僕より特出しているんだよ」

 誰も教えることができない技や技術? となるとだ。

「なら、健史さんでも教えることができないのでは?」

「うん。その通り、でも一緒にどうやったら技術を磨き、成長させれるかは考えられる。特に僕なんかはあらゆる分野の術を習得してるからね。だからアドバイスぐらいはできるんだ」

 成程、複合術師である健史さんが適任な仕事ということか。

「で、その一人に今回力になってくれる子がいるんだけど……」

 と、言葉を濁す健史さん。どうしたんだろうか?

「その、その子は、というより僕のクラスの子はかなり強烈な性格をしていてね。覚悟して欲しいんだ」

「まぁ、大丈夫ですよノア(と健史さん)で慣れましたし」

「ははははは。いや、ノアは三人で一番まともだよ」

 ……はい? さっきなんと仰いましたか?

「というかね。まだノアは君の前で本気を出していないよ。八手君」

 本気ってなんですか!?

「うーん。取りあえずその、心の準備だけはしっかりとしててくれ」

「では、その、具体的にどういった人なのかを教えてください」

 流石にそこまで驚かされてはこちらも怖くなる。なのでその人の人物像を聞くことにした。

「そうだねぇー。まず名前から、沢良木 勤(さわらぎ つとむ)と言ってね。陰陽師の家系なんだ」

「沢良木? 沢良木……」

 記憶を探るが心当たりがない。そもそも聞いたことが無い名だ。

「まぁ、あまり有名ではない家でね。彼本人も才能はからっきしなんだ。式神術、呪術、結界術全て駄目。まぁ辛うじて式神術は使えるけど、それでも戦いなんてもっての外だね。できて偵察ぐらいさ」

「才能が無い? なのに特殊な技術や技を扱うクラスに?」

「うん。まぁ才能が無いから特殊な技術を持たざる得なかったと言うべきか、いや、才能は無いけど執念はあった言うべきかな。そうだね。彼を一言で説明すれば、まぁ“苛烈”だね」

 苛烈(かれつ)、ときたか。気性が激しい人物というイメージを持っておいた方が良いのだろう。

「それと、これは重要なことで、て……」

 何かを言いかけて、ポケットからメモ帳とペンを取り出して何かを書きだす健史さん。そして真剣な顔をして「この学園では天才と口にしてはならない」と書かれていた。

「……なんですこれ?」

「別になぞなぞとか遠回しな暗号とかじゃあないよ。そのままの意味さ、この学園ではこの単語を口にしてはならないよ。絶対に、じゃないと、彼の逆鱗に触れることになるからね」

 冗談や嘘ではない。健史さんはふざける時と真面目な時の違いがはっきりしている人物だ。今の言葉がどちら側なのかなんてのは、すぐに理解できる。でもそれでもまだ信じきれない、天才と口にしただけで怒りを覚える人物がいることが。

「僕は言ったからね? もし間違って口にしても……まぁ殺されない程度には助けてあげるけど、後が怖いからそこまでしか助力しない。怪我しても知らないからね?」

「それはまた、なんともまぁ――」

 ――怖い。いや、恐ろしいと言った方が良いのか。健史さん(人類最強)にそこまで言わせるその人物が恐ろしい。

「さーてーと、そろそろ八時かぁー、うん。ご飯食べに行こう。悪いけど夏穂ちゃん起こしてきてくれるかな? ララエルさんが面倒見てるだろうけどさ、あの子寝起きなんだか頼りないから。それでここに集合してくれる? 僕その間に財布探しとくから」

「それは構いませんが、頼りないですか? 別に寝ぼけるってことはないんですが」

「ん? ああ、そうか。あの頃から成長したのか……うん、そうだよね。何時までも子供じゃないんだよね。彼女も、そして僕らも」

 そう言って小さく微笑む健史さん。その独白にどんな気持ちが込められているのか俺には理解できない。だが、その言葉には大きな悲壮に包まれた小さな歓喜があるとだけぼんやりと感じ取れた。

「夏穂はともかく、もう大人でしょ。俺らは」

「二十歳(はたち)超えれば大人って、中学生の頃は当たり前だと思ってたけどね。でも今は、いや、歳を重ねれば歳を重ねるほど、大人ってのは子供頃感じていた余裕でなんでもできるという印象とは真逆になって、その時その時をただ必死に生きてるんだなぁーって思わないかい?」

「俺には……まだそう思う機会は訪れてませんね。色々と忙しすぎて」

「ははは、君はその年齢で立派に稼いでいるからね。そうは思わないのかもね」

「いや、稼ぎは貴方ほどではないでしょう」

「あー、やめよう。この手の話は長くなる。それより夏穂ちゃん呼んできてくれる? 寝起き、もう大丈夫なんでしょ?」

 この手の哲学的な話題は苦手なのか、はたまたお金の話はしたくないのか、頭をガシガシと掻きまわしてそう頼んでくる健史さん。

 俺は割と哲学的な話は好きな方なのだが、相手が乗り気でないならばこれ以上の会話は望めない。しかし、だ。複合術師の収入か……少し興味がある。

 他人の稼ぎなど聞いても自分の収益が上がる訳ではないので、普段はそんなことは気に留めないのだが、最強の術師と言われる複合術師ならば話は別だ。詳しくは知らないが、国を、何度か世界を救っているらしいし下手をすれば国家予算ぐらい稼いでそうだが……。

「はぁ、まぁ稼いでも使い道と暇が無いんだろうけど」

 強大な力を持てば厄介事が起きた時は重宝されるが、平和な時は危険分子として扱われてしまうのが世の常だ。現にあの人がこの国に来た時、国家陰陽師がコンタクトを取りにきていたらしい。人間を多く救ったあの人は、同じ人間に一番警戒されているのだ。

「それを、羨ましいなんて思えないな」

 隣の芝生は青く見えるなんて言うが、どうだろうか。あの人と一緒に戦ってわかったことがある。あの人は自分が人間という弱い生物であるということを自覚している。圧倒的な力で押しつぶすのではなく、難解な術式を幾つも発動させることでもなく、ただ病的にまでに用心深い。それがあの人の強さの神髄だと俺は思う。

 そしてその弱者ゆえの強さで多くの人間を救ってきた彼に与えられた報酬は多額の報酬金のみ。小さな感謝もあるにはあっただろうが、幾度と世界を救っても、世界規模の賛辞もなく、ただ力を持つ者として、都合のいいように使われているのだろう。

「うーん……前開いたエロサイトどんな名前だったっけ……ブクマしとけば良かった。履歴から探る、か……えーと、何日前だっけ?」

「……」

 まぁ、なんだ。その、今パソコンを弄りながらそんなことを言っているあの人は、そんな不合理など、気にもしていないのかもしれないが……。

 と、一々呆れている場合ではない。取りあえず夏穂を呼んできて朝食としよう。いい加減俺も空腹だ。教室の少しスムーズに動かないスライド式の扉を開けて、薄暗い廊下へと出る。しかし、前から思っていたが、雨合羽を着た小さな女の子が立っていそうなほど不気味な空間だ。何かの薬品の臭いと木造の廃校舎、いや、少人数とはいえ生徒がいるのだから厳密には廃校舎ではないのだろうが、とにかく古い学び舎の廊下はあらぬ妄想を書き立てられる。なので……今前にいる人物が人間か幽霊か判断に困っていた。

「……あの、その部屋に何か御用でしょうか?」

 謎の女性が立っていたのは夏穂とララエルさんがいる部屋の前だったが、何か用事があるようには見えない。ただ、中の様子が気になっていたから扉の前で聞き耳を立てていた様子だ。

「……ふふ」

 話しかけても謎の女性が微笑むのみ。日本人ではないのはすぐにわかった。髪は銀色の短髪、その肌は少し火照っている様に薄い赤身を帯びていた。堀が深く美人、そして日本人離れしたプロポーション。モデルで十分食っていけるだろう。だがそんな特徴を差し置いて、俺の印象に一番残ったのはその眼(まなこ)だ。

 まるで極少の地球だ。光る絵の具で繊細に描いたその瞳は、人類が今まで持ち得なかった宝石だろう。

「ふふ、ハジメまして……」

 僅かに、しかしくっきりと動く唇。微笑と共に眼前の女はゆっくりと近づいてくる。顔と顔が触れそうなくらい近づくと、脳に沁みる様な声が耳から入り込んできた。

「楽しいこと、シマショウ?」

 成程、俺は誘われているらしい。なのではっきりとこう口にする。

「いや、そういうのいいんで」

「……」

 うむ。どうやら相手は面食らっていると見える。よほど自分の容姿に自信があるのだろう。だが俺はいくら見てくれが良くても初対面の人間にそんな風に誘われて警戒一つしない人間ではない。

「ちょっと、あんた何? 耐魔術でも習得してるの?」

 と、雰囲気が一変する。怪しく誘う妖華の様な表情から一片、不機嫌そうな女性の顔へと変化し、さらには日本語に変な訛りが無くなった。うむ、先ほどのは演技だったらしく、こっちが素の喋り方らしい。……なんだこの人。

 いや、それよりも、耐魔術とは一体なんのことなのだろうか?

「はて、なんのことやら。耐魔術なんぞ俺は習得していませんよ」

「嘘おっしゃい! 私のチャームが通じないなんて事前に対策していないと不可能よ」

 そんなことを言われても本当に身に覚えが無い。俺ができる術なんぞ京極一族お得意の強化結界ぐらいだ。

「八手、何を騒いでるんだ? 学校では静かにだぞ」

 と、部屋の前の騒ぎを聞きつけ夏穂がむっすりとした表情で扉から顔を覗かせた。その後方にはどうにかしてこちらの様子を探ろうとするララエルさんの姿があり、背伸びをして夏穂の後ろからこちらの様子を覗いている。なんというか、あの人時々、見た目の割に動作が時々言動が幼いんだよな。その点夏穂とよく似ている。

 と、背伸びをしてドアの隙間からこちらを覗いていたララエルさんが俺の目の前の女性を見て顔をはっとさせた。

「セイラム様……また男性を誑(たぶら)かしているのですか?」

「あー、ララエル。あんた、居たの? そう……あちゃぁー」

「まったく、またそのようなことをして、八手様にチャームを掛けたのですか? 成功はしていませんが……魔力の残滓(ざんし)がありますよ」

「ああ、いや、その……違、違うわよ」

 なにやらセイラムと呼ばれた女性はララエルさんを見るや否や冷や汗を流してその場から一刻も早く去ろうと逃げ腰になっているが、取りあえず言い訳を捨て台詞に去ろうとしているのか、挙動不審になっていた。というかこの人ララエルさんを怖がっていないか?

 うむ、なんだか複雑な人間関係があるようだがいい加減腹が減った……取りあえずここに来た目的を果たすとしよう。

「あの、話の途中で申し訳ないんですが、健史さんが朝食を取るとのことで呼びに来たんですが」

「まぁ、それはわざわざ申し訳ありません。私の気が回らなかったばかりに、すぐに参ります」

「いえ、お気になさらず、こちらこそ夏穂の相手をしていただいて助かりました。何かご迷惑をお掛けしませんでした?」

 取りあえず社交辞令、まぁ相手の方は本気で申し訳なく思って謝罪しているのだろうが。すると夏穂が背中を小突いてきた。

「私ララエルに迷惑掛けてない。むしろ肩もんであげてたんだぞ!」

「ええ、夏穂様には気遣って貰い肩を揉んで頂いておりました」

 ほほう。普段お菓子やらジュースやらを恵んでもらっていることに感謝でもしたのか、こいつなりにララエルさんを労(ねぎら)ったらしい。いや、珍しいこともあるものだ。笑いあってドアを開けた状態でじゃれついている二人を見ると、そこら辺にいる友達同士の女学生に見える。ララエルさんとこいつは数少ない気のおける友人の関係なのだと、今更俺は理解できた気がした。

 と、その空気に充てられてかセイラムと呼ばれた女性が優しく笑う。いや、仲良きことは素晴らしいかな。だがすぐに厳格な修道院長の様な無表情になりセイラムと呼ばれた女性の腕を素早く掴んだ。

「え?」

 間の抜けた声が三つ。腕を掴まれた女性と俺、そして夏穂、ララエルさん意外全員が呆気にとられた見事な不意打ちだった。

「ちょ、ちょっと! あんたもあんな風に笑うんだなぁーって感傷に浸ってたら何よ! 不意打ちとか卑怯よ!」

「先日説教をしようとしたおり、セイラム様には逃亡されましたので、僭越(せんえつ)ながらこのララエル、一計を案じさせて頂きました」

「な、天使が人を騙すなっての! それ悪魔の仕事でしょ!」

「さぁさぁセイラム様、今朝は私と健史様のお叱りを受けましょう。八手様、夏穂様、大変心苦しいのですが、食事の席で身内の恥を晒す無礼をお許しくださいますか?」

 にっこりとした微笑みでそんなことを言われた。本人的には圧力をかけているつもりはないのだろうが、正直怖い。この天使超怖い。

「え、ええ、まぁ、俺は構いませんよ……」

「ご寛大な対応とご理解、痛み入ります」

 ずるずると古びた廊下を引きずられていくセイラム。うむ、今更だがあのララエルさんが案外気安く対応しているところ見ると、あの女性、健史さんの弟子の一人だったのではないだろうか?



 私は今、ララエルが誰かに説教しているところを初めて見ている。

 場所は学校内にあるそこらにあるファミレスで、まだ朝なので他の客がおらず、貸し切り状態だ。そこで私たち注文したご飯がくるのを待っているのだが、その間、ララエルがさっき知り合ったセイ……セイラム? だったっけ? 変わった名前の女の人にネチネチと小言を言っていた。健史も黙ってドリンクバーから持ってきたコーラを飲んでいるが、眉間にしわを寄せた表情からして、あれはちょっと怒っているっぽい。とにかくそれが私には珍しかった。

 昔、セクハラ癖があり時折暴走する健史にも、むしろその暴走に乗っかるようなことを言っていたララエルが今、真面目に誰かに説教しているがとにかく新鮮でたまらない。基本ララエルは私の中ではギャグキャラと位置づけなのだ。

「良いですか、貴方には大任があるのですから男性を誑かすなどという不埒な行為は慎んでください」

「大任って、あれは私が勝手にしていることじゃない。そんな他人に責任とか勝手に言い出されても困るんだけど……」

「貴方のみの力で事を成しているのであれば私も強く意見などできません。ですが、儀式に健史様が力をお貸ししているのをお忘れですか? この私も微力ながら助力をしているのです。それに、そんなこと関係無しに仲間の愚行を諫(いさ)めるのは当然でしょう」

「ぐぬぅ。で、でも私も人間だし、息抜きは大切だから」

「……ほほう」

「わかったわよ! 暫くは大人しくしていますー!」

「はぁ、では、今日はお客様の前ですし、これで良しとしましょう」

 と、長い説教から解放されてセイラムと呼ばれる銀髪の女性は机に前のめりに倒れ込む。昔健史が自分の父親に説教されてこんなスライムみたいになっていたのを思い出す。歴史は繰り返すんだなぁ。

「というか健史だったら、私にこのなんか揉み上げ長い変な奴と接触することなんて簡単に予測できたでしょうに」

 あ、変な揉み上げとか言われて八手が反応した。顔はいかにもなにも気にしてませんという表情だが、こっそりと左手で揉み上げを弄っている。むぅ、馬鹿にされるなら切ればいいのに、あれ。

「まぁ、確かにそれも視野に入れていたけどね。チャームに掛かってもすぐに対応できるし。もしチャームに掛かったら掛かったらで面白いことになるなぁっなんて」

「あ、え? つまり、こうなることになると知ってて面白がってたんですか健史さん?」

「ははは、いやそれは人聞きが悪いよ八手君。僕は予測はしたけど、実際は事件は起きてはいない。何せ犠牲者になる予定だった君がこうして無事なんだから、いや、運がいいね。セイラムがチャームを掛ける前にララエルさんに見つけて貰ったんだろ?」

「健史さん。知ってて忠告しない時点でダウトですよ」

「え、駄目?」

「駄目です」

 うーむ。八手にじっとりと睨まれながらもニヤニヤしている健史。こういう悪戯好きなところは中学生の頃から変わっていないらしい。と、セイラムと呼ばれる銀髪の女性は机におでこを当てていた状態から、むくり顔を上げる。

「私チャーム掛けたわよ。不発だったけど」

「……不発? 君のチャームがかい?」

「そう、そいつ何か上等な守護霊でも付けてるの?」

「うーむ、それは興味深い。八手君は関知不能な耐魔術の術を付けていたのかい? 僕にも感知されない代物を?」

「そんな健史さんが気づけない防御術式なんて存在するんですか?」

「ははは、いや、それは買いかぶり過ぎだよ八手君。この世には人間だけじゃないし、人間でも一つの技に特化している術師ってのは恐ろしいものだよ。僕はただ少し、人より多くの技を持っているだけなんだからね」

「少しってレベルじゃないでしょうに……」

「ははは、それはさて置き、何故君に彼女のチャームが効かないのか調べたいんだけど」

 と、私がボンヤリと難しい話を聞き流していると、店員が料理を運んできた。その手にはチャーハンとハンバーグセット。健史と私が頼んだ料理だ。では一足先に食べて食後のパフェをいち早く頼んでおこう。頼んでしまえば健史は私らしいと笑ってお金を払ってくれるのはわかっている。つまり電撃作戦だ。

「夏穂、デザートは頼むなよ」

 ぐ、話に集中していると思われた八手に釘を刺された。くそぅ、こいつ私の行動を把握してやがる。

「ははは、いいよデザートぐらい。八手君も頼むかい?」

「いえ、俺の分はいいです。お気遣いなく」

「うーん。君はあれだね。気が強いくせにやたら礼儀正しいというか。まぁ、親しい中にも礼儀ありとは言うけど、もう少し砕いて人に接した方が人生面白くなると思うんだけど」

「そう、ですか?」

「うん。君、友達少ないでしょ」

「いえ、まぁ、そうですね。多くはないですが」

「ちょっとした匙加減(さじかげん)だよ。それで結構人間関係は変わってくるものだからさ、出会いと絆は大切にしなさい」

 図星を突かれて言葉を濁してから、健史の意見に耳を傾ける八手。

「ご忠告感謝します」

「はは、いや、そんな畏まられるほど大したことは言っていないんだけどね。人生楽しいことはあるけど、最終的に一番楽しくなるのは他人との会話だと僕は思うからね。他人の考えを聞いて、自分の意見を伝えて、教えたり、相手に納得したりするのは実に楽しいよ」

「どうもネットサーフィンばかりしているので、そういう和気藹々とした会話には慣れていなくて……基本ネットには自分の意見の押し付けが多いですから。そんな一方通行のやりとりに、慣れてしまったんです」

「あーうん。確かに多いね。僕はあれ勿体ないと思うけどなぁ。人と仲良くするって楽しいのに、優一君を見てるとあの子ほど人生楽しんでいる人間はいないと思うよ、本当に。ねぇセイラム、君もチャームなんて使わないで人付き合いした方がいいよ本当に」

 と、いきなり話を振られてセイラムさんが嫌そうな顔をする。と、八手が何やら思い出したようだ。

「そういえばそこの方と健史さんの関係を聞いていないのですが」

「あ、うん弟子だよ弟子、僕が受け持ってる三人いる生徒の一人」

 なんとも軽い返答だ。と、それを聞いて八手が自己紹介を始める。説教が終わってからタイミングを計っていたらしい。

「自己紹介が遅れました。京極家の陰陽師、京極 八手と申します」

「ふーん。陰陽師ねぇ。私はセイラム ヴァイヤー。まぁそうね。魔女とでも思っててちょうだい」

「魔女……失礼ですがウィッカの方ですか?」

 ウィッカ? ウォッカってロシアの強いお酒のお仲間かな?

「私がウィッカ? 違うわよ。私は独学。それに魔女教(ウィッカ)はほら、あれ規制とか多いじゃない。私は力を私利私欲に使う悪い魔女よ」

 魔女。なら箒に跨(またが)って空を飛んだりするのだろうか? しかも悪いとだなんて自分で言う辺り、何か怪しげな薬でも作ったりしているのだろうか。私は生まれて初めて見る魔女のセイラムさんに好奇心を刺激され、つい軽い気持ちで口走った。

「魔法、使えるの?」

「え? そうね。魔術と言った方がイメージに合ってると思うけど、まぁ薬学なら一般の魔女のイメージに近いかもしれないわ。で、そこのあなたなんだけど、どなたなのかしら? 教えて下さる?」

 む? なんか八手と会話していた時と大分印象が違う。なんというか言葉使いが上品になったというか、目が光ってないあれ? とても綺麗だけど、なんで光ってるんだろ? まさかこの人はロボットで目にライトを埋め込んでるとか?

「セイラム様。御戯れはよしてください。私も説教疲れしていますので、これ以上は勘弁してくださると助かるのですが」

「はいはい、ちょっと試運転したのよ」

 なんだろう? 何かあったのだろうか。

「駄目ね。私のチャーム、女性でも掛かるのに、反応無しなんて。今日は調子悪いのかしら?」

「ああ、彼女は少々特殊でね。人間がどうこうしようとか無理だから、別段驚くことではないよ」

「え? 何? どういうこと?」

「えーとね。そこにいる夏穂ちゃんは保有する霊力が莫大でね。まぁ人間が一としたら億とかで言い表せるほど差があるから」

「いやいや、妖怪がそんなの……え? でもその子の体は人間? いやまぁさっきから式神なのかなぁーっとか思ってたけど……」

 何やら混乱している目がセイラムさん。うーむ。私の出生ってなんかややこしいんだよなぁー。だから説明はしない。今は目の前にあるご飯を美味しくいただくことが先決なのだ。

「まぁいいわ。それよりそこの、八手だっけ? なんでこいつには効き目が無いのよ。ただの陰陽師でしょ」

「いや、それは僕にもわからないな。チャームはきちんと発動してるし、何か霊力的な阻害も無い……うーん。あ、もしかして? え、いや……でももしかすると」

 と、お店の机に書いてある小さなアンケート用紙に何か魔法陣を書き始めた健史。まるでコンパスで書いた様な綺麗な円を、ボールペンを走らせ書き上げていく。上手いな!

「よーしこんなものだねぇ」

「なんですか。それ?」

「嘘発見器! といっても簡単なものだけど、一つ優れている能力があってね。無意識での嘘も見抜けるんだ」

 なんと、そんな便利な物を紙とペンだけで作れるのか、健史!

「はーい、じゃあここに指置いて―」

「ええ、はい」

 言われて八手は小さく複雑な魔法陣の上に指を置く。別に何も起きてないけど、作動しているのだろうか?

「じゃあ、しつもーん。セイラムのことを魅力的な女性として意識している?」

 と、健史の質問と同時に魔法陣が光った。どうやらきちんと作動している様子だ。しかし何故こんな質問をするのだろうか?

「まぁ、女性でしょ。見た目もモデルみたいで――いってェ!」

 いきなり八手が大声を上げ痛がる。え、何これ怖い。

「はい、ブブー。八手君、アウト―」

「いや、あの、いや、無茶苦茶痛かったんですけど」

「ああそれ、仕様だから。嘘つくと痛みが走るんだよ。で、相手に傷は作らないけど魔法陣が嘘ついた人の血で赤くなるんだ」

 確かに健史が描いた魔法陣が赤く変色している。八手の指に傷口は無いが、血で変色したようだ。

「ちょっと待って、私が女として認識されてないって何!?」

「いやその、一応ニューハーフとかおかまとか思ってませんからね? 本当に」

 セイラムさんが見るからに不機嫌にこちらを見ている。まぁそれはそうだろう。八手は一応弁明はしているが、収拾がつかない。と、健史さんが咳払いをしてから説明を始めた。

「こほん。ああいや、僕の質問は異性として性的対象として見てるかどうかだからね? で、八手君は、無意識下でもセイラムちゃんのことを、恋愛対象外として認識してないということですよ。決して女として認識していない訳じゃあないからね、セイラム」

 ドリンクバーで入れてきたコーヒーを啜りながらそう説明する健史。いや? そうなのか。八手のことだからわからないけど……いや、何か有り得そうだぞ。だってこいつ――。

「ちょっと、屈辱なんだけど! 私ってほら、見た目はいいはずよ! 待ち歩いてたら普通にナンパされるし!」

 おおう、なんという自分に対しての絶対的自信だろう。いやまぁ確かに私も凄い美人だなぁーって思ってたけど。

「まぁそこに文句は無いよ、事実だし。でもちょっと八手君は特殊なタイプだと思うからねぇー」

「特殊って何よ! ホモなの!」

 いや、セイラムさん。こいつはホモじゃないですよ……八手、ホモじゃないよね? なんだかちょっと自信を無くしてきたんだけど、もし無意識下でそうならどうしようか。これから私は八手とどう付き合っていけばいいのだろうか?

「はい、じゃあもう一枚。君の潔白を証明しようか八手君」

 と、いつの間にかもう一枚例の嘘発見器を作っていた健史。いつの間に書いたんだ?

 まぁそれはさて置き、このままホモと思われるのも癪(しゃく)なのか、八手は言われるまままだ血で汚れてない魔法陣に指を乗せる。どうせ質問はホモかそうでないかだろう。

「はーいじゃあ質問。八手君は蓬ちゃんのことしか眼中にない」

 それ聞いちゃうか健史! 大抵の人にバレバレだけど一応本人は隠したいことだからなそれ!

「そ、そんな、そな! そんな訳ないでしょうが、俺はですね! て、いってぇええええええ!」

 さっきよりオーバーリアクションで痛がる八手。さっきの指の痛みよりきついのがきたらしい。いやまぁー、そうかー。こいつ貧乏神の事件の時、即早苗さんの告白を断ってたし、まぁ一途な奴だとは思ってたけど、そうなのかー。蓬意外は恋愛対象じゃないのかぁー。まじかぁ。そこまでとはなぁ。凄いなぁ。やばいなぁー。八手って変人だったんだなぁー。私こいつとどう向け合えばいい?

「うーん。凄いなぁ君は……一途過ぎて無意識下でも他の女性に目移りしないなんて」

「いや、あの……そうなんですか俺?」

「うん。断言しよう。君、病的なまでに一途だよ。生物学的にどうかと思うぐらい」

 八手が何やら反応に困った顔をしている。まぁ一途なのはいいことだが、何事も度が過ぎれば気持ち悪いのだ。

「で、そのぉ。俺が一途なのとチャームが効かないのは何か関係があるんでしょうか?」

「大有りだよ。そもそもセイラムのチャームが発動する条件は、二つ条件がある。まず一つは、無意識下でもいいから相手に異性として魅力的な存在であると認識させること。それともう一つ、この魔眼を相手に見せることなんだ」

 うーん。つまり八手はセイラムさんを全く持って異性として魅力的だと感じてないのか……あ、セイラムさんが無茶苦茶八手を睨んでる。まぁ気持ちはわからなくもない。私も一応女だし。

 というよりあの綺麗な目、生まれ持ったものじゃなくて魔眼なのか。魔眼かぁ。なんか格好いいな! ビーム出せるのかな?

「いやぁー、まさか一途すぎてチャームが効かない相手がいるとはねぇー……生まれて初めて見たよ。論文を作って学会で発表できるかもしれないレベルだよ本当に」

「それ、褒めてるんですか?」

「うーん。褒めてないよ」

「そうですか……」

 うーむ。驚愕の真実だ。こいつとはそこそこ長い付き合いだがあさか異常なまでに一途だったとは。

 と、まぁそんなことよりだ。私は空になった皿を見てこういうのであった。

「健史、イチゴパフェ食べたい。頼んでいい?」

「おい夏穂、ずっと黙ってたと思ってたら頼んだハンバーグセットもくもくと食ってたのかよ!」

「確かに食べてたけど一応話は聞いてたぞ。八手がやばいぐらい一途というのはしっかりと聞いていたぞ」

「なんでそこだけちゃっかり理解してんるんだよお前は……絶対にあいつに言うなよ」

「そこまで私意地悪な性格してないから……多分」

 うっかり口を滑らしたらどうしよう。わりと私、八手と蓬は見ててお前ら両想いなんだぞって言いたくなる衝動に駆られてしまうのだ。だからそこまで保証できないので多分と語尾に付け足しておく。

「……口止め料だ。一番でっかいパフェ俺が奢るから黙ってろよ」

「太っ腹だな八手」

「いいから黙ってろよ本当に!」

 なんと、棚から牡丹餅だ! 私はいっぱいイチゴが乗ったジャンボパフェを平らげて、心にこのことは蓬に言わないと誓うのであった。約束は守るものだと優一に教わったしな!

 しかし、なんだろう。セイラムさん。蓬の名前を聞いた時怖い顔したような……まぁ、気のせいだろう……多分。



 俺は今、無駄に腕に胸を押し当てられている。

 正直歩き辛いし止めて欲しいし周りの男の目が殺気立っているので離れて欲しいのだが、まるで靴下に着いたくっつき虫の様にセイラムは離れくれない。

 ファミレスを出た辺りからやたら俺にベタベタしてくるのだが、何故だろうか? 猫かぶりを止めたところを俺は見ているので、これが素でないことぐらいわかるし、相手もそれを承知している筈だ。

 チャームが効かなかったことがよほど悔しかったのだろうか?

「その、離れてくれませんか? 怒りますよ」

「ええー、いいじゃなーい」

「……離れろっつってんだろうが」

「はいはい、あー怖い。そんなに睨むことないじゃない。わかったわよぉー。あ、でーもー、またしてほしかったら言ってね?」

 言葉を荒げてようやく離れてくれた。しかし本人はまったく懲りていない様子だ。いや、参ったなこれは、こんなところ、蓬に見られるのは絶対に避けないと、後で確実に色々と面倒臭いことになる。

「ははは、八手君災難だねぇー。悪い魔女に魅入られて」

「笑ってないで助けてくださいよ健史さん……貴方の弟子でしょ?」

「いやまぁーこれに関しては僕でも無理かなー、なんて」

 何が無理なのだろうか? この人なら手荒な真似をしなくてもなんらかの魔術でセイラムを俺から簡単に離せると思うのだが。

「セイラム様。怒りますよ?」

「止めて! 健史はともかくララエルは駄目! あんたマジで怖いんだもの! 本当に天使かってのあんた!」

 成程、三人の関係性がわかってきた。どうやらセイラムはララエルさんに苦手意識を抱いているらしい。そしてどうしてここまで恐れているのか気になるが、聞かぬが仏なのだろう。

 よし、セイラム絡みでトラブルが起きたら、ララエルさんに相談するとしよう。

「善なる者ですが、人を正す為ならば厳しく接する。それが天使です。それに私などまだまだ可愛い物ですよ。天界に居た頃、一度ウリエル様のお姿を拝見しましたが、それはもう厳しいお方でしたよ」

「あー、ウリエルって炎の天使だっけ? 罪人を裁くっていう」

「はい。罪人の舌をロープで吊るして炎で焼くお方です」

 やべぇなウリエル! ああいや、まぁ、それはともかくとしてだ。一つ気になることがある。

「それで、俺たちはどこに向けて歩いてるんですか? なんとなく俺、さっきから健史さんについて行ってますけど」

「ああ説明してなかったっけ?」

「ええ、何も、これっぽっちも」

「いやぁー、八手君がおっぱい押し当てられて本気で不愉快そうにしてるの見て驚いてたら説明するのを忘れてたよ。いや本当に男としてどうかと思うよ? 君、ちんちん付いてる?」

「サラッと女性がいる前でそんな猥言を言われましても反応に困るんですが……」

「ははは、まぁこの話題は置いておいて、ちょっと野暮用でね。別に八手君をもう一人の弟子の所に連れて行ってもいいんだけどね。さっきこっそり君を占ったら運勢が最悪でね。簡単に言ったら死相が出てるんだ。だからできるだけ僕から離れない方がいいかなって」

「あの、怖くなってきたので、日を改めて尋ねてもいいでしょうか」

「いいけどー、明日から忙しいしねぇ……君の武器を見てくれる彼に頼み込んで、今日時間を作ってくれたし、これを断ったら君恨まれるよ。いや本当に、もしかしたら殺されるかも」

 嫌だなぁ。死相が出てる日にまだ会ってもいないのに約束すっぽかしたら殺してくる相手と会うの、本気で嫌だなぁ。

「で、話を戻すけど、どこに向かっているのかと説明すれば、我らが特殊育成クラスの廃校近くに古い教会があるんだよ。まぁ神父とかシスターとかはいないけど、一応教会としては機能してるんだ」

「機能している、というのは?」

「まぁ、有体(ありてい)に言って加護があるんだよ。神様のね。まぁ、ララエルさんのおかげなんだけどね。毎日あそこで祈ってたからね。意図せず霊験あらたかな場所になっちゃんだよねー」

「私は我が主のお手を煩わす気などなかったのですが、セイラムと出会い、これは神の思し召しと思いあの教会を利用させて貰っているのです」

 なるほど、ララエルさんが毎日通って祈りを捧げていたら聖域みたいになったと、流石は天使、というところか。しかしそれとセイラムとなんの関係があるのだろうか?

「それとセイラムさんになんの関係が?」

「まぁ私、そこでちょっとした人助けをしてるのよ」

「珍しく謙遜をしますねセイラム。あなたのあの行いは実に尊いものですよ。それこそ天から祝福されるほどの偉業です」

「だーかーらー、別に誰かに褒めて貰いたくてしてる訳じゃないの」

「ですが、その行いが世間に公表できるのならば聖人として貴方様は世界に知れ渡るでしょうに」

「いや、そういうの興味ないから私」

 うむ、何をしているのかはわからないがララエルさんの言葉からしてセイラムは善良な行いをしているらしい。しかし、だ。この自由奔放で初対面の男にチャームを掛ける人物が、どうしても俺は善人とは思えない。むしろ悪魔にしか見えないのだ。

「その、セイラムさんは普段何をしてるんですか?」

「えー、何? 私のこと、知、り、た、い、の?」

「ララエルさん。セイラムさんは普段何してるんですか?」

「なんで本人が目の前にいるのに私に聞かないのよ!」

「いえ、正確な情報が欲しいので、第三者に聞くのがいいかと」

 うむ、ララエルさんはセイラムの保護者みたいな関係だし、この方に聞くのが一番いいだろう。

「普段はチャームを使い男性を誑かし、高級レストランで相手の財布を空にしてます」

「そうですか。男の敵ですね」

 少なくとも一度でも俺がそんなことをされたら生活ができない。というか、高級店に入れるほど財布が潤っていない。

「趣味なのよ。私って基本男嫌いだから、上に立って支配してると気持ちがいいのよ」

「……迷惑極まりないな」

 そんな動機で財布を空にされてしまったらたまったものではない。八つ当たりもいいとこだ。

「別に貴方には迷惑かけてないでしょうに」

「迷惑かけようとしただろうに、今も色気使って、何が目的なんだよあんた」

「……蓬っているじゃない。私、あいつ嫌いなのよ。だからあいつからあんたを取り上げたかったのよ」

「は?」

 セイラムが、蓬のことが嫌いだと? だから俺に色仕掛けを?

「おい、あいつに手出ししたら容赦しねぇからな」

「そこ。普通私がなんであいつのこと嫌っているのか聞かない?」

「まぁ、理由ぐらいは聞いてやる」

「……あいつさ、学校で結構モテるのよ」

 ――いや、え、なんだと!?

「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、ないないない!」

「なんでそんなに否定するのよ! まぁ、とにかくあいつってモテるのよ。八方美人だから女子からも人気あるし」

「そりゃあ、いや、まぁな! あいつは優しい奴だ……少なくとも俺よりは確実に性格いいが……いやぁ! でもぉ!」

「は……なに、ベタ惚れじゃない」

「いやいやいやいやいやいやいやいやいや! 惚れてねぇよ!」

「さっきファミレスであんたがあいつに惚れてるって嘘発見器でばれてるのよ。なんで否定するのよ……馬鹿なの?」

 だって! 恥ずかしくて反射的に否定してしまうんだよ!

「……あーもう。結構真面目に話してるのに、で、老若男女に受けがいいあいつが私は嫌いなのよ。要するに嫉妬、というかあれ絶対猫被ってるわよ! あんたも騙されてるんじゃないの?」

「いやぁー、無い。それは無い! 絶対にねぇよ」

「いや、なんでそう言い切れるのよ」

「確かにまぁ、多少社会で生きる為の術は身に着けたようだが、あいつはぁー、そんな器用な奴じゃないから。そんな嫉妬とかされるような人間じゃねぇよ。あいつとは幼馴染なんだ。全部知ってるなんて言わないが、まぁ、あれがどういう人間かぐらいはわかっているつもりだ。小学生の頃からだぞ! 断言できる」

「幼馴染……幼馴染がなんだっての、人間って変わるわよ……」

 そこで会話が途切れる。あいつのことを理解してくれた訳ではなさそうだが……しかしあいつに嫉妬か。あの妄想癖が誰かに嫉妬される日がこようとは思わなかった。

「八手、これ修羅場? ねぇ修羅場? 修羅場ってる?」

「お前、どこでそんな言葉覚えるんだよ。まったく」

 話し合いが落ち着いたのを見計らって夏穂が近づいて来て耳打ちをしてきた。やたら修羅場修羅場言ってくる。

「前、昼ドラ見てて覚えた。最後、男が女に刺されるんだよな?」

 ああ、テレビか……こいつはしっかしテレビっ子だしなぁ。意外にも昼ドラとかも見てるのか。いつもはアニメばかり見てるのに。

「別に修羅場とかじゃない。まぁ、お前は気にせず悠々自適に過ごしとけ。俺個人の問題だ。助けられたら助けてほしいがお前にはまず無理だ。むしろ悪化させる未来しか予測できない」

「うーん、わかった。私、セイラムさんそんなに嫌いじゃいしな」

「そうか。まぁ、できれば仲良くしたらいい」

「うん。わかった」

 人間関係とは複雑なものだ。三人居れば、二人は不仲だがもう一人は両方と仲がいいというのも有りだろう。たとえそれが将来変わるとしても、それが悪いこととは俺は思わない。

「中々に君たち複雑な関係になってきたねぇ。いやぁー面白いねぇ」

 と、傍観を決め込み俺たちのやり取りを聞いていた健史さんが、そんな感想を漏らす。しかもなんだか楽しそうだ。

「面白がってませんか、健史さん?」

「少々不謹慎ですよ。健史様」

 俺とララエルさんの目線が健史さんに刺さる。流石に気まずそうに苦笑いする健史さん。そして話を変えようと辺りを見渡し始めた。

「お、見えた見えた」

 森、ではなく林に囲まれた古い教会を視界に捕らえた。周りの木々と同じ高さの為、注意深く見ないと見逃してしまう質素な建物だが、一度目に入ってしまえばその存在を強く認識できる。

「あれが聖域か」

「そんな訳ないじゃない。本物はあんな物じゃないわよ」

「セイラムさんは聖域を見たことが?」

「一度ね。旗を……いえ、行きましょう」

 何かを言いかけて林へと消えていくセイラム。そういえば、人助けをするらしいが具体的に何をするかは聞いていない。

 今日の運勢は最悪らしいので、危険があるか確認する為にもこれからすることをよく聞いておく必要がある。俺は早足で教会へと向かって行ったセイラムの後を追った。

「セイラムさんは、これから何を?」

「救済です。ゲヘナに落ちた無実の魂を救い上げるのです」

 俺の質問にはララエルさんが答えてくれた。ゲヘナ、といえば、地獄の名前だったか? 具大抵な方法はわからないが、これから地獄から何者かを救うらしい。本当にそんなことが可能なのだろうか?

「ゲヘナへの干渉、ですか? それ、本気で危ないのでは?」

「ええ、とても危険です。一度、魔王サタンに襲われました」

 いや、冗談でしょララエルさん。何か今物騒な名前が出てきたんだが、マジで。サタンだと、そんな奴に人間が敵う訳ない。

「私知ってる! 悪魔の、なんか無茶苦茶強い奴だろそれ! 昔ゲームで見た! ビーム出せるんだろ!」

「そうだよー夏穂ちゃん。サタンはゲームでもリアルでも出せるんだ、ビーム。しかも現実の方が威力馬鹿げてるってね」

 夏穂が自分の知識を自慢げに語るが、そんなこと皆わかっている。サタン、ゲヘナの王であり、大よそ最強と認識される悪魔だ。

 って待て。健史さんその口ぶりだと――。

「もしかして健史さん。サタンと戦ったことがあるんですか?」

「いやいや、まさか。初めてセイラムのこの儀式に付き合った時に攻撃はされたけど、あれはまず戦いじゃなかったよ。相手的にはゲヘナにちょっかいかけてきた羽虫に、気まぐれでデコピンしようとして失敗したぐらいかな?」

 なんて、笑いながら言ってるんだけど相当肝を冷やしたに違いない。何せ相手は地獄の深淵に存在する悪魔の大王だ。目が合っただけで死を覚悟しなければならないだろう。

「よく無事でしたね……一体その時何があったんですか?」

「まぁ、要約して話すとね。僕がどうこうしたっていうよりその時にララエルさんも居てね。仲間である天使の危機だ―! って力を持った天使の方が武力介入してくれて、で、何かごちゃごちゃした挙句、サタンと神様と話し合いが行われて、今後僕たちのこの行動にサタンは介入しないって僕たちを置いてきぼりにして取り決められたんだよ」

 あー……いや、すみません。話に付いていけません。神様と魔王が話し合ったとか、もう別次元の話だ。いやまぁ、この話が嘘だなんて思ってはいないが、余りにもスケールがデカすぎる。

「その時セイラムの行いはミカエル様を初め、天使の方々から称賛を受けました。故に彼女は天界に認められ恩恵を受けているのです」

「天界って……ララエルさん。こんな、チャーム使って男から金を毟っている人が天国から助力を受けているんですか?」

「まぁ、そこは私も思うところはありますが……」

 ララエルさんが俺の言葉に渋い表情をする。うむ、そこのところ、彼女もどうかとは思っているのだろう。

「ちょっと、あんたら何時まで話してるの。日が暮れるわよ。さっさと始めるわよ」

 と、思いがけず長話をしてしまっていた。会話に集中して気が付かなかったが、すでに林を通り抜け古めかしい教会へと到着していたらしい。セイラムは待ちきれないのか、さっさと教会の中へと入って行く。

 俺もこの後、京極三長柄の鑑定してもらう予定がある。さっさと事を済ませる方針には賛成だ。無駄口を叩かず俺は、セイラムに続き教会へと入って行った。

 静かさに満ちた古教会へと足を踏み入れた瞬間、息を飲み俺は素直にその美しさに感動した。教会の造りは質素なもので、礼拝用の五列ほど並んだ長椅子、そして奥には傷が目立つ台が置かれていた。だが、一番目を引くのは、やはりあの聖母が描かれたステンドグラスだろう。

「わぁ。綺麗だなララエル!」

「はい。少し劣化が見受けられますが、趣のある教会です」

 俺に続いて教会に入ってきた夏穂が騒ぐ。まるで、遊園地に来た子供の様だ。一方ララエルさんは優しく微笑み教会を少しだけ自慢していた。

 よくよく教会を注意深く見れば、壁に小さな穴が開きそこから日の光が入り込み、空気中の埃を浮かび上がらせているほどこの教会は古い。だが、礼拝用の長椅子には埃が積もっておらず、掃除がされているのがわかる。そう思い壁際を見ると、鉄製のバケツと黒い雑巾が目に入った。どうやらララエルさんがここを、ギリギリのところで自然に侵食されることを防いでいるらしい。

「成程、良い場所ですね。ここの絵を描きたいぐらいです」

 ふと、勝手に口から零れたそんな言葉に、ララエルさんは本当に嬉しそうに笑ってくれた。

 一方セイラムはポケットからチョークを取り出して、何やら複雑な陣を書き始めた。まったく躊躇が無い。一目見て、手馴れているのがわかる。

「健史、始めるわよ。私午後から忙しいんだから」

「あーセイラム、緊張感は持つように、危険なことをしてるんだからね本当に」

「何言ってんのよ。神と魔王がこの行為には不可侵と契約したんだからそんな危険なんて無いわよ。あんたはあれよ、臆病すぎなのよ」

「……はぁ」

 健史さんが眉間を押さえて小さくため息をつく。どうもセイラムは健史さんを少し舐めているようだ。

「まぁ、僕が守るけどね……」

「必要ないって言ってるじゃない。大体儀式の発動は私だけで十分なんだから私だけここに来ればいいのよ。毎回付き合う必要ないわよ。そりゃあ魔王がちょっかいかけてきた時に助けてくれたのは感謝してるけどさぁ、あんたも忙しんだから」

 並ぶ長椅子と祭壇の間、トントン、ス―、とチョーク木製の床に当り擦れる音と共に、グチグチと健史さんに不満を言い続けるセイラム。それを健史さんは目を細め、実に心底面倒くさそうに聞いている。呆れているのだろうか?

 どうもあの二人は子弟、というより兄弟に見える。方や注文の多い妹、方や心配性でおちゃらけた兄といった感じだ。

「はい、できた。さっさと始めるわよ」

 俺がボンヤリと二人の関係性について考察している間に、儀式に必用な魔法陣を書き終えたらしい。それにしても複雑な魔法陣だ。あれを何も見ないで書いたセイラムは記憶力がいいのだろうか、はたまたこの行為は日常的なものだからあれだけは覚えているのだろうか?

 と、健史さんが近くにあった長椅子に腰を掛け、何やらぶつぶつと唱え始めた。何かの術だろうか?

「健史、必要ないって」

 セイラムもそれに気づき、そんなことを言うが健史さんは無視して、というより集中して、そんな言葉耳に入ってないといった感じだ。セイラムは大げさにため息を吐いてみせて、健史さんに抗議して見せたが、それも効果なし。諦めたのか、儀式を始めた。

 と、ぼへーっと教会を興味津々に眺めていた夏穂が空気の変化を感じ取ったのか慌てて周囲を見渡し、あたふたして最終的に壁際に立っていたララエルさんの隣に落ち着いた。俺も邪魔にならないよう適当な場所を陣取るとしよう。

「第一工程完了、第二工程切除、第三工程無視、第四工程不発、第五工程瓦解、第六工程半解、第七工程削除、第八工程暴走」

 青い電流が回る。そう、回転だ。青い電気がセイラムの周りをゴウゴウと音を立てて回っているのだ。本来電気のバチバチとした破裂音でないところを見るに、電気に類似した魔力なのだろう。

 あまり魔術に詳しくないが、あれは正式な術式ではない。考えてみれば当然だ。地獄と接続し、霊魂を引き上げる。そんなこと全うな術ではなく、複雑に、どこかに無意味に術を、どこかに使用目的ではない術式を組み込み起こさせる不安定な術なのだろう。

 簡単に行ってしまえばゲームのバグ技だ。本来有り得ないことを実現する為に、本来無意味な手順を踏んでいるのだ。

「これは、危ないな」

 正規の方法ではない魔術、不安定な術式、そして何より術者の周囲で回転して暴れている高密度の魔力、あれが一番危険だ。何故あれが回転しているのか、理由は簡単だ。周囲に向けて放てばそれだけで被害が出てしまうのだ。

 故に回転させその力を何かにぶつかることなく、自分の近くに置いていく必要がある。きっと停止させて自分の傍に置くことができないから、ああするしかないという結論に至ったのだろう。少しでも集中力を乱せば、周囲は勿論術者も危ない。

 というか俺、危ないのではないだろうか。今日は死相が出ているらしいし、そんな日に何万ボルトの電撃に等しいエネルギーが目前で快音を立てて不安定に回転しているのだ。これ、俺目がけて飛んでくるのでは?

「――?」

 と、何か、セイラムの目の前に現れる。青い電流、の他に、なにやら黒い影が空間に浮かび上がる。人型だ。あれはシャドーピープルか? 二〇〇六年からアメリカで確認された影人間ともいえる未確認生物だが、何故ここに?

 いや、それは見当違いらしい。影はあくまでも初期状態だったらしく、無数の点が影へと向かい白く丸みのある棒が構築されていく。あれは、骨だ。人骨が影にはめられる様に形作られていく。あれが魂を地獄から救い上げるという行為か。

 と、感心しているとセイラムの周りを回転していた電流が暴発し、彼女の腕を斬った。それに驚いた顔をしたのはララエルさんと一緒に儀式を見ていた夏穂のみ、こんなアクシデント日常茶飯事ということらしい。セイラムも気にすることなく儀式を続ける。

「ん?」

 一瞬、異物を捕らえた。セイラムが床に描いた魔法陣の外、黒く池に小石を落とした様な黒い波紋が現れた。今のところありとあらゆる現象はあの複雑な魔法陣の中でしか起きてはいない、ではあれはなんだ? 目を凝らしてそれを注意深く観察する。

「――手か?」

 魔法陣から現れたのは手だった。子供の手、にしては大きさしか合っていない。毛深くはないが、黒ずんだ紫の体色からして、人間のそれではない。ならばあれは――“悪魔の手ではなかろうか?”サタンが妨害してきた。そう事前に聞いていた俺はそう判断する。同時にそれを警戒した。

 だが、神と悪魔の間で不可侵協定は結ばれたはず、いや、そんなことは今はいい。あれが悪魔の腕で有るかどうかが重要だ。あれがセイラムの使い魔である可能性もある。なので、あの黒い波紋から出てきた瞬間、攻撃する準備だけしておく。

「え? やつ――」

 夏穂の声がしたが何を言ったかまでは聞き取れない。小さな声出し、大したことではないようなのでこれは無視しておく。波紋から肩まで手が出までに、俺はすぐに走れるように腰を下げ、つま先に力を入れる。それと同時に軽薙ぎ笹の葉を召喚、右手に装備。

「っ!」

 何か、声でも出せばこの異常を健史さんにでも伝えられるのに、声など出なかった。その機能がただ一突き、いつも使っているこの肉体を使用して薙刀での突きを出す為に使えなかった。

 波紋から頭が出る。髪の毛の無い頭には変わりに角、人間のそれより二倍ほど大きい瞳は俺ではなくこの場で一番力の大きい健史さんを見据えた。その判断は最適だろう。獅子と猫が居れば獅子を警戒するのが普通だ。だが、今回こいつは運が悪かったようだ。

「か!」

 最短の突きを放つ瞬間、変な声が出た。だがそんな情けない声を引き換えに、放った月は相手の後頭部をしっかりと捕らえていた。

「ギャッ!」

 短い悲鳴。頭を貫かれたそれにはそれしか声を出せなかったのだろう。だが、脊髄、又は脳を貫かれたはずのそれはぶらんぶらんと体を揺らし抵抗する。その拍子に体が黒い波紋から抜け、全体像が露わになった。なんの特徴も無いただの小さな悪魔かと思いきや、その、なんだ。股間の棒が異様に長い。そして暫くして、力尽きピクリとも動かなくなった。

「……雑魚で助かった」

 俺はそう言って槍を一振りし、刃から悪魔の死体を剥がす。ふと、夏穂を見てみる。予想通り蒼青い顔をしていた。

「八手……キモイ」

「仕方ないだろう。殺すという行為はこういうことだ。肉体の中身が零れるなんて当たり前だ」

「……八手がキモイ。揉み上げが長いの超キモイ」

 おい待てこいつ!

「おーいちょっと待て、俺がキモイってなんだ、ただの悪口かてめぇ! どさくさに紛れて普段思っていることを言うんじゃねぇよ」

 と、儀式中のセイラムが咳払いをしてこっちを睨んでくる。どうやら集中力を乱すなということらしい。

「あー……すまない」

 命に関わることなので素直に謝っておく。これ以上危険な儀式をしているセイラムの前でコントをするのは止めておこう。

「うーん。さっきの悪魔、インキュバスだね」

「インキュバス……なんでしたっけ?」

「え、夢魔だよ知らない? ほら、たまにエロゲとかで出てくるでしょ? まぁサキュバスの方がいっぱい出てきて有名だけどさ」

「いや、知りませんよ」

 先ほどいきなり悪魔に奇襲されたというのに、なんとも緊張感のない健史さんの説明が始まった。まずエロゲという単語が出てくるのがどうかと思うが、まぁ教えて貰えるならば黙って聞いておこう。

「インキュバスってのはまぁ人間の性欲を糧とする男の悪魔でね。ラテン語ののしかかるって意味のインクブスっていう別名もあるね。下級悪魔だけど、最近は漫画とかアニメとかエロゲでのお色気要員としてサキュバスの方がいっぱい出てきているからその男型であるこいつを知っている人もまぁいるんじゃないかな?」

「はぁ……まぁエロゲ云々(うんぬん)はさて置き何故こいつはセイラムさんを襲おうとしたんでしょうか?」

「まぁ、今説明してあげてもいいけど、それは彼女本人も気になってるだろうから、集中力乱したくないし後でいい?」

「あ……そうですね。邪魔をするのはまずい」

 そう言われ。セイラムの方を向く。凄い睨まれた。一応、命を助けたのだからそんなに睨まなくてもいいと思うのだが。

「はーい、集中集中! あまり気を散らしてると死ぬよ。セイラム」

 健史さんがそう言いつつパンパンと手を叩いて空気を切り変える。ふざけているようで色々と考えているのがこの人物だ。セイラムもその一言で儀式に集中する為に目を瞑る。

「まるで人を蘇らせているようですね」

「いや、それは禁忌だよ八手君。死人の蘇生なんて昔から碌なことにならないというのが常だよ。そういうのは漫画やアニメの特権さ」

「しかしあれは……」

 魂を地獄から救い上げる。その行為を説明されて、まず想像したのは地獄に通じる穴から人を手で引き上げる姿だった。だが実際はそんな簡単な話ではないようで、目の前で起きている光景は人間の蘇生と言っていい。

 まず、人型の影が形作られる。そして次に骸骨がその影の形通りに浮かび上がり、そこに筋肉がゆっくりと構築されていく。そして今の段階はその筋肉の繊維が丸出しの肉体に皮膚が丁寧に一枚一枚、張り付けられていた。

「あんな術、聞いたことありません。あの術は健史さんが作ったんですか?」

「いや、セイラムが作り上げたんだ。というより、発見したと言い換えたた方がいいのかな? 本当に偶然だったんだよ。僕に弟子入りして、ひたすらに“あれ”の完成の為に寝る間も惜しんでありとあらゆる魔術書と睨めっこしてね。本人は一生を掛けてその術完成させるつもりで、自分の後継者にその術を使って欲しいと口癖みたいに毎日言ってたよ」

 つまり、自分の代でぎりぎり完成させるのがやっとと考えていたのか。しかし今彼女は地獄から魂を救いあげる術を目の前でやってのけている。しかも日課になっている、ということは何度も成功しているのだろう。

「偶然発見した。というのは?」

「ある日、進展が無いことに焦ったのか、彼女僕の目を盗んで術を発動させようとさせたんだ。無論セイラム本人失敗するのは当然だし、それで死ぬ覚悟もしてね」

「つまり、失敗を前提とした情報を得る為の実験ですか?」

「そう。まぁそんな危ないことさせないのが当たり前なんだけど、まぁ実験は失敗上等なんだけどとにかく危ないし、でも彼女はそれも承知してるから僕に隠れてこそこそと、ね。一応机上の空論だけはできてたから、その術の第一工程はなんとか成功させたけど、その後の工程は失敗だらけだったらしい、もう滅茶苦茶だ」

 確かに術の演唱の時彼女は最初の工程以外はわざと失敗させている様子だった。しかし、だがそれが功を奏したということか。

「でも、奇跡といっていい確率で術が成功したんだ。いや驚いたよ。なんて例えればいいのかな? 夏休みの工作で作ったペットボトルロケットで宇宙まで行ったとかそんなレベル? いや本当に驚いたし理解できなかったよ。実は僕でもあの術がどういう原理で成功しているのはわかってないんだよ。あれは彼女しか扱えない術なんだ」

「え、そうなんですか?」

「うん。彼女だけしかできない儀式だよ。それでもリスクはあってね。少しでも魔力の制御に失敗すれば死ぬことと、魔力の消費量が馬鹿げていること。だからこの儀式は週に一回が限度でね。まぁ、これ以上の改良は理論がわかってないから無理だし、それに本当に危ないから禁止してるけどさ」

 幸運で見つけた原理さえ不確かな魔術。だが地獄に堕ちた善良な魂を救うにはこの方法しかなく、聞いたところ、世界でそれを扱えるのは彼女だけ。

 成程、ララエルさんが彼女を褒めていた理由がわかった。彼女は唯一地獄に堕ちた無実の魂の希望の光であり、その自分の役割を献身的にこなしている。人格に多少問題はあるようだが、それでもその行いだけを見れば、聖女と呼び称えられてもおかしくはない。

 だからこそ気になる。何故彼女は人生を掛けようとして術を完成させようとして、更には今、危険を冒してまで魂を救済しているのか。俺にはその理由がまったく予想できなかった。

「うん……さて、今日の儀式も終わりか」

「え?」

 ふいに健史さんにそう言われ、セイラムの方を向く。肌だ。骨から肉、しわが無く、生物感も無い皮、その工程を経て人間が彼女の前に作り出されていた。これが、地獄から人の魂を救い上げる儀式。セイラムと名乗る魔女が起こす奇跡だ。

「髪が……服も」

 最後に何もない頭から髪が急激に伸び、それと同時に作業着の様な服が蘇生された人に纏わされ、セイラムの周りを回転していた濃い魔力の回転が徐々に弱められていった。

「……ふぅ……ふぅー」

 二回、ため息を吐くセイラム。それは儀式が終了した合図なのだろう。額にはいくつもの汗、前髪がおでこに張り付いている。集中力だけであれだけ発汗(はっかん)するとは驚きだ。

 と、セイラムは一度汗をぬぐってから何が起きたのかわからないといった様子で周囲を見渡している目の前の人……いや、霊体に話しかけ始めた。

 初めは英語、次に聞き取れず判別が取れない言葉、その次はフランス語だろうか? 手当たり次第に自ら地獄から救い上げたその女性の霊に話しかける。

「うん。セイラム、彼女はフランス人らしいね」

 と、唐突に健史さんがセイラムさんにそう告げる。よく見れば片手で何か術を発動させていた。相手を調べる類の魔術だろうか?

「あんたに言われる前に気づいたわよ、健史。ちょっとは魔術に頼らず生きなさいよあんた。魔力の無駄遣いよ!」

 べーっと舌を出して余計なお世話と言わんばかりに嫌味を口にするセイラム。ただその動作は幼子の様な可愛さが見え隠れして、健史さんも思わずそれを見て微笑んでいた。

 そして必死に助けた女性に優しく話しかける。茶色くウェーブした長い髪と、作業服の様な地味なドレスを着たフランス人の女性の霊は、セイラムの説明を理解したのか、顔を押さえながらその場に崩れ落ちただ泣きながら自分を助けた魔女に感謝をしていた。

 何世紀、彼女は地獄で過ごしたのだろうか? まず、そこまで地獄に居て、人の言葉が認識できたのが不思議だった。いや、涙を流せたのも不思議だった。俺なら精神がとっくに壊れてしまうだろう。

「何故、彼女は心を壊してないんですか? 人間では耐えられない時間地獄で苦しんだはずです。ただ過ごすだけでも壊れそうなのに」

「ああ、それは地獄ってのはそんなことで楽になれる場所ではないんだよ。八手君。脳や肉体に依存した生者とは違い、霊魂のみの死者はそこら辺の仕組みが違ってくるのさ」

 そんな小さな疑問に、健史さんは簡潔に答えてくれた。そうか、心を壊して逃避することすらできないのか。成程、ならば先ほどからあのフランス人の彼女が涙を流し続けて全身を震わせながらセイラムに感謝するのも理解できる。永遠の苦しみからセイラムはあの女性の霊魂を救ったのだ。

 十分か二十分、感謝されっぱなしのセイラムだったが、ようやく女性の霊が落ち着きを見せたのでこちらにずかずかと歩いてきた。

「ちょっと、さっきの何? なんであんなのが邪魔しにきた訳? 悪魔はこの儀式に手は出さないって話になったでしょうに」

 その顔には先ほど女性を慰めていた優しさなど欠片も無く、変わりに不機嫌そうに顔をしかめて健史さんを睨んでいた。

「おっと、さっきの悪魔に対しては謝罪の言葉は用意してないよ。なぜ儀式の度に僕が付き添いに来たのか、そしてなぜ今回襲われたのかよく考えるように」

「は? いや私はなんで襲われたか聞いてんだけど?」

「えー、毎度毎度答えを教えてあげるのってほら、学習にならないし、たまには自分で考えないと人間脳が錆びついてしまうしね。はい、お助けキャラに八手君も一緒に考えてくれるから、二人は教会の外に行った行った。いつもの仕上げは僕達でしとくから」

 そう言って強引に俺たちの背中を押して教会の外へと追い出す健史さん。というか、俺が勝手にセイラムに出された課題を一緒に考える役にされてるのに抗議したいのだが、その隣の女性がギャーギャーと背中を押されながら文句を言っているのでどうも言葉を発せない。

「ちょっと! 押さないでよ! セクハラ! これセクハラ」

「え、いや、俺もですか?」

「はいはーい。二人共じゃあ謎解き頑張って! じゃあ」

 俺たちを追い出した後、ニコニコとした笑顔で教会の扉を勢いよく閉める健史さん。直後セイラムが教会の扉を蹴飛ばすが、閉ざされた古い木製の扉はまるで鉄の様にびくともしなかった。

「痛っ! あいつ籠城の魔術使いやがった!」

「……」

 なんだろう。セイラムが俺と一緒に健史さんに追い出されてから、一秒も経たずに蹴りを入れたのに、そんなすぐに魔術を展開している真実に驚かなくなっている自分に驚いた。そうか、俺、あのとんでもチート人間に慣れてきたのか。嫌だなぁー常識削れていくの。

「そういえば、さっき仕上げとか言ってましたが……何を?」

「は! 何、え? ああごめんちょっと落ち着くから待って」

「わかりました」

 取りあえず気を静める時間が欲しいらしいので、教会前の二段だけある階段に腰を下ろす。するとセイラムはごく自然な動作で俺の隣に座った。少し近いのだが、これが彼女の人との距離感なのだろうか? あの健史さんの弟子だし、チャームの術を発動しやすくする為にも、コミュニケ―ション能力が高いのかもしれない。

「はぁーぁあああ……ああ、あー、うん。落ち着いたわ。で、仕上げの話だどね。この後私が助けたあの女の人を天国に送るのよ」

「可能なんですか?」

「可能も何も天使がいるのよ。ちょちょいのちょいよ」

「そういうものなのか……というか中に夏穂が取り残されているんだが、邪魔にならないだろうか?」

「なんで、別に暴れたりしないでしょ、あの子? というかあんたにもう一度聞きたいことあるんだけどさ、あの式神って何? 一見人間だけど人間じゃないような、見たことない存在なんだけどさ」

「まぁなんというか、人間ではないのは確かだ。ある人、健史さんの友人が面倒を見ていたんだが、色々あって俺が面倒みることになったんだ」

「何よ。煮え切らない回答ね」

 不満げな表情で、セイラムが俺の顔を覗き込んでくる。近い、彼女の顔で視界が埋まるほど近く、微かな香水の匂いが鼻に届く。正直香水は苦手なんだが……あまり近づかないでくれると助かる。

「あいつの正体を教えてもいいが、それであんたに先入観を持たれると、その、あいつと仲良くなり辛いだろ……それで教えたくないんだよ。そういうのはあいつ本人から聞き出してくれ」

「……ぶっ! 何あんた! 保護者! ねぇ保護者なの! いやいや、お兄ちゃんしてるわね~」

 何が面白かったのか、俺の隣で大いに笑ってくれるセイラム。

「悪いかよ。あいつあれで中身が子供なんだよ! 少しぐらいフォローしてやらないと社会であいつはやっていけないしな」

「いーやぁー、あんたさー、あの子とはいったいどういう関係なのよ。いや、式神とその主ってのはわかるけど、女と男じゃない? それで一体どういう風に距離を取ってる訳?」

「女って言われてもそんな風に意識したこと無いしな……」

「いやまぁ、ファミレスでの一件があるから嘘ではないんでしょうけどさ」

「まぁ……家族だな。あんたこそ健史さんとは兄弟みたいだぞ」

「えー、いや、ララエルとだったら姉妹でいいけど、あいつはなぁー、なんか違うわ。ああ、後、それいいわね」

「それ? 何が」

「そのいかにも距離置いてますって感じの敬語は止めてよ、気持ち悪い。もっとフランクで良いから」

 む、そういえばいつの間にか敬語ではなくなっていた。うーむ。まぁいいか。この人物とは蓬に誤解されたくないし、距離を取りたかったが、夏穂が悪人とは言わなかったし、ある程度態度を柔らかくしてもいいだろう。

「そういえば、俺もアンタに聞きたかっただが、なんで命を危険に晒してまであんな儀式をしてるんだ?」

「……なんでだと思う?」

 一瞬、何か考えたような間を作って、そう質問をし返すセイラム。

「そうだな。まず、あんたは人の為とかそう言うタイプじゃないしなぁ。チャームとか使う時点で人間的に信用できないし、ただあれに利益がある訳ではない……」

「ねぇ、なんかさっき失礼な評価された気がしたんだけど」

「と、すれば負い目か?」

 その回答に目を丸くするセイラム。当たったのか?

「あー……そうなのかもしれなわね。いや、実際私もさ、なんでこんなことしてるかっていう明確な理由は持ってないんだけどさ」

「理由が無いのにあんなことしてるのか!」

「無いって訳じゃないわよ。私、子供の頃私孤児院にいたのよ。でさ、そこでいじめっ子がいてね。えっと、この国では餓鬼大将って呼べばいいのかな。男の子で体が大きくて大棒な奴、あ、それで私男嫌いなんだけどさぁ」

「まぁ、それであってる」

 そうか、その経験から腹いせにセイラムはチャームを使って男から金を毟り取りストレスを発散しているのか。いや、本気で恨むぞ餓鬼大将、お前は男の天敵を一時の優越感の為に作り出してしまったんだぞ。どうにかなんらかの形で責任を取ってほしい。

「で、私も孤児院に入ったばかりの時、洗礼を受けた訳なんだけど、取りあえず負けず嫌いな性格だったから、でも殴る蹴るで対決しても喧嘩両成敗……よね? どっちも怒られるから色々調べて脅かしてやろうかなって、その時知ったのがセイラム魔女裁判」

「セイラム魔女裁判……もしかして、あんたの名前って」

「それから取ったのよ」

 頬杖を突きながら説明してくれるセイラム。退屈そうに見えて、その口元は少し笑っており嫌な印象は受けない。

「セイラム ヴァイヤー。因みにヴァイヤーってのはヨーハン ヴァイヤーって名前のね、魔女裁判で最初期に反対したおじさんから拝借したのよ」

「そうか。で、セイラム魔女裁判ってのはアメリカで最後にして最悪の魔女裁判なのか」

「て、ちょっと! スマホで調べてるんじゃないわよ。日本の現代っ子ってこれが普通なの?」

「さぁな。どうだろうか、他は知らん」

 友達なんて一善しかおらんからな……。

「はぁー、これだからジャパニーズ男子は……オタク気質っての? パソコンとか得意よね。スマホばっかり弄って、あいつも日本に染まり切ってるし」

「あいつ?」

「健史と一緒にいるならあんた、ノアって奴にあったことある?」

「ああ、ノアか。知ってる。と、いうより一緒に戦ったぞ」

「え、そんなことしてたの。あいつ、そういうこと全然言わないわね本当。で、あいつとは仲良くなったの?」

「まぁ、あまり壁を作らないタイプだからなぁ。ノアは」

「まぁ今はね。昔は壁作りまくりだったのに……」

「そうなのか?」

「そうよ。あいつ私より後に孤児院に入ってきたんだけど、私と同じように洗礼を受けた訳よ。で、殴られて蹴られてボコボコにされたんだけど、あいつ一切抵抗しなかったのよ」

「暴力が嫌いだったのか?」

「そんなんじゃないわ。無気力に、自分が殴られていることなんて本当にどうでもいいって感じだった。まぁ、相手も気味悪がってね。虐めにはならなかったけど……これ以上聞く?」

「いや、話したくないならいい」

「え、いや……聞きたい?」

「いやぁ、別に?」

「あー、もう、言わせて、愚痴らせて、お願い」

「おい、愚痴なのかよ!」

 先ほどまで小さな笑みを作りながら話していたセイラムの口元がへの字に曲がり、半目となり、なんとも不機嫌そうな表情に変わる。

「あいつさー、ある日、孤児院で日本のアニメを食い入るように見てたのよ。なんか忍者が銃を刀で弾いてるの。それで翌日もう別人みたいにテンションが変わってさ……初恋が幻想として砕けたわ」

「……はっ! あんたノアのこと好きだったのか!」

「そーうよー、悪い? なんか、いやさぁー、他の男子と違うな―みたいな。小さい女の子がよく持つ浅はかな憧れっていうの。あ、今は別になんとも思ってないわよ。あのオタクめ! いや本当に、なんでああなっちゃったのかしら」

「それはー、俺も知らないけど」

 人間周りの期待通りに成長しないのはよく知っている。夏穂とか夏穂とか夏穂とかのおかげでな。いやまぁ、それはさておきだ。

「そろそろ健史さんから出された課題、片づけないか?」

「え、ああ、そうね。素で忘れてたわ」

 うーむ。一応この人健史さんを師匠としているらしいが、こうなんというか、圧倒的に尊敬の念が足りないのではないだろうか。まぁ健史さん本人のあのゆるい性格のせいでもあるのだろうが。

「しっかしなんで悪魔が襲ってきたのかしら? きちんと神との契約で魔王は私に手を出さないって話になってるのに、悪魔は契約に煩いのは魔王でも同じでしょ?」

「……」

 セイラムの今の独白、それで俺は今回のカラクリに気づいてしまった。

「あー……セイラム、俺わかったんだけどさ」

「え! 何よ! ちょっと教えなさいよ」

「魔王はセイラムに手出ししないんだろ」

「ええそうよ。魔王は確かにそう神と契約を取り交わしたわ」

「魔王はな」

「ええそうよ。魔王は……あ」

 どうやら気は付いたようだ。その瞬間セイラムがヒステリックに叫び声を響かせる。

「なんなのそれ! ふざけんじゃないわよ子供の引っ掻けじゃないんだから! え、これ本当なの。“魔王個人”は手を出さないって契約だったの!」

 そう、悪魔は契約を絶対に守る。それ故にセイラムは言葉の落とし穴に気が付かなかったのだ。魔王と神は手を出さないという約束、その言葉通りならば魔王と神はこの儀式に手を出さないが、その部下である悪魔と天使は個人の意思で手を出していいということだ。

 というか、普通にララエルさんがわずかながらに手伝っている時点で契約違反ということで責められていないのだから、そこで気づいてもいいのではと思うが……。

「あー、馬鹿らし! 何それ! あー、もう疲れたわ」

「まぁ、なんだ。悪魔は信用するなということか」

「……ねぇ、健史はそれ知っててずっと黙ってたのよね?」

「ああ、多分な。セイラム本人が気が付くまで待ってたんじゃないのか? 魔術師、ましてや魔女いえば悪魔との契約とかするんだろ」

「私はそんなのしないわ。基本、契約なんてしても精霊とよ。悪魔と契約なんて何を対価に要求されるかわかったもんじゃないしね」

「そうなのか?」

「そうよ。それに悪魔云々なんて魔女狩りの時に誰からが作った勝手なイメージなんだから、何がサバトよまったく」

 セイラムは魔女狩りにえらく嫌悪感を示している様子だ。まぁ、あんな自らを危険に晒してまで魔女狩りの被害者を助けているのだから、そういう嫌悪感を抱いても不思議ではないが。

「生涯を費やして全員を救うのか? いや、難しいだろうな」

「ええ、無理ね」

「過去、数えきれないほどの人間が魔女狩りで死んだからな」

「それもあるけど、これは知ってる? 魔女狩りって今でもあるのよ」

 そのセイラムのなんでもない一言に、思わず俺は凍り付いてしまった。魔女狩りが今でもあるだと?

「アフリカとかタンザニアとか、黒魔術が信じられている所でね。年間まぁ、五百人ぐらいかしらね。そりゃあ、全員が全員地獄に堕ちる訳ではないのだけれど、それでも、ね」

 最後、頬杖を突きながらも、どこか遠くを見据えた目と真顔でそういうセイラム。そうか、年間五百人か。彼女が週一で一人を救っているが、一年の日数を簡単に超える人数が二十世紀になった今でも魔女狩りで殺されているのか。それは、知らなかったな。

「でも、それでも救うことは無駄ではないじゃない? 不当に殺された人間の魂を、命は甦らせれないけど、それでも私は子供の頃読んだ魔女狩りの本を見ながら、彼ら彼女らを助けたいと思ったのよ」

「彼ら? 魔女狩りは女性だけじゃないのか?」

「男性も処刑はされたわよ。そうね。例えば村の中で引きこもりがちの青年とか、あいつのせいで村に病が蔓延した―。あいつはきっと黒魔術に手を染めているに違いないって感じで殺されたケースもあるらしいわよ」

 それはまぁなんとも、現在日本で魔女狩りが起きたらニートは問答無用で殺されそうだな。脛(すね)を齧(かじ)られまくった親に告発されて……なんてブラックな思考は今は口に出さないでおこう。

「ん?」

 と、すぐ後ろ。なんらかの術で閉ざされた古教会の扉がギギィッと嫌な音を立てながらゆっくりと開かれた。

「あ、八手っちが浮気してる」

「してませんよ。というより唐突にあだ名を付けないでください。どう反応すればいいのかわからなくなるので」

「えー、そんな女の子と近いなんて浮気だよぉー」

 扉からふっふっふっと不敵な笑みを浮かべてこちらを覗いている健史さん。て、おい。なんであの人スマホをこっちにかざしてるんだよ。そして何写真の連写機能使ってこっちを撮ってんだ!

「健史さん! それ消してくださいねマジで! 蓬にそれ見せないでくださいね! マジで!」

「え? 見せるよ」

「いや見せないでください! なんで見せるのが当たり前みたいな反応してるんですか!」

「まぁそんなことよりー」

「そんなことってなんですか! やめて、それ消して! 健史さん!」

「いや、あ、あの、消すから、ごめん。いや、その本気でそんな反応しないで、ね? 後で消してるところ見せるから、ね。ごめんねなんか。でも、ううん、こっちが悪いんだけど一旦落ち着こうか八手君」

「あ、いえ、こちらこそ、ちょっと、落ち着きます、はい」

 駄目だ。今絶対顔真っ赤だ。ああ、いや、だって!

「あんた本当にあの子が好きなのね」

 隣でセイラムが呆れている。あ、今俺情けない顔してんだろうな。

「でー、八手君。ちょっと聞きたいことがあるんだけどぉ。さっきなんで悪魔が出てくるってわかったの?」

「あ、それ私も気になった」

 健史さんの質問にセイラムも食いつく。そういえばあの時セイラムはこっちを気にして集中力を少し欠いていたな。

「あー、いえ、出てくるのがわかったというよりあれがセイラムや健史さんの仕込んだ術式ではないだろうなって判断して、まぁ、対応をしたんです」

「あの一瞬でかい? それはどういう段階を踏んで?」

 思わずどう段階を踏んで、とおう質問に面食らったが、取りあえずあの時のことを思い出して話していく。

 まず異常を認識してそれがなんらかの召喚術と判断、二人が行った魔術や式術ではないと結論を出し、そうではないと仮定してあそこから出現する何者かを奇襲をかけることを決めて俺が打てる最速の一撃で対応した……それだけなのだが、それを聞いた健史さんはやけに神妙な顔をする。それほど変なことだろうか?

「うーむ。成程、思考回路は普通だけど思考速度が異様に速いのか」

「思考回路は普通で思考速度が速い?」

「うん。八手君。君は頭がいいんだね」

「はい?」

 頭がいい? いきなりそんなことを言われても上手く反応できないのだが。

「いや、君にその自覚が無くてもその思考速度は本気で有用だよ。そういえば、優一君に君の話を聞いた時頭のいい子だから宜しくねなんて言われたっけか。まったく、もう少しそこのところを詳しく伝えてくれると助かるんだけどなあの人は」

「優一先輩がそんなことを……」

 と、何やら思案している健史さんの後ろから夏穂がひょこっと顔を覗かせる。

「八手は賢いんだぞぉ」

 そんなことを鼻にかけて説明する夏穂、なぜお前が得意げなんだ。

「優一様の見識眼は目を見張るものがありますゆえ、八手様の状況判断力はこれから役に立つものではないでしょうか?」

 と、夏穂に続き何か健史さんの背中からぬっと顔を出すララエルさん。そのあまり見ない行動への衝撃に言葉が頭に入ってこなかったのだが。

「そうだね。僕は重大な見落としをしていたのかもしれない。八手君の京極家に伝わる強化結界、それが彼の持ち味だと思ってたけど、そうか。優一君はこっちの方を重要視していたのか」

 うーむ。なんだろう。褒められているのだろうかこれは?

「その、思考回路は普通なんですよね?」

「ああ、うん。世間一般的にいって、天さ……いや、これは禁句だったね。失礼、才能がある人間はね。思考回路が普通の人と違うことが多いんだ。まぁ問題に対して省略した式を作れるからすぐに答えを出せるといえばいいのかな? 結果すぐさま問題に対応できるんだけど、君の場合は頭の回転が速いんだ。それも物凄くね。これは結構重要だよ。なんせ普通の人と同じ考えで問題にすぐさま対応できるからね」

「思考回路が別物の方が優れていると思うんですけど……」

 考え方事態が普通の人間とは違うのだ。通常思いつかないようなことを、つまりより優れた答えを出せるのではないだろうか?

「確かに、単体で見ればそちらの方が優れているが、こう考えればどうだろうか? 普通の人間と共同して行動するならばどちらが優れているのかとね」

「それは、同じ考えができる思考速度が速い方ですね」

「その通りだよ。人間にとって他者と協力できるかどうか。それは現代社会においても、そして戦闘においても重要だよ。思考回路そのものが違う人間は理解されず、誰も着いてこれないものなのだよ。八手君。でも君は違う。他の者と同じ目線んで、尚且つ素早く物事に対応できる。君はね、“多人数での戦闘”において真価を発揮するタイプだと思うよ」

「そう、なんですか?」

 そう言われてもどもうしっくりこない。そんなことを言われたのは初めてだ。そもそも式神自体夏穂のみ、いや、厳密にいえば式神自体俺は持っていないのだ。将来的に実家の馬鹿みたいな数の妖怪を受け入れる容量を俺は持っていないといけないし……。

「うーん。まー、そだね。取りあえず、仲間を集めなさい。少年漫画みたいに頼れる仲間を、人間一人では何も成せないからね」

「いきなりそんなことを言われましても……俺友人作るのは下手でして……」

「ははは、まぁ大きな災厄を解決しようとするなら、自然と敵も味方も多く作っていくだろうさ。そう気負うことはないよ」

 健史さんは最後、話をそう締めくくった。しかし俺にそんな人と協力する才能、本当にあるのだろうか? 今まで一人でやってきたのでなんとも判断できない。

「で、あの人どうなったの健史?」

「ああ、無事に天に召されたさ。小さな天使がちゃんと迎えに来てくれたよ。毎回思うんだけどなんであの子達全裸なの?」

「私に聞かないでよそんなこと、ララエルに聞きなさいよ」

 セイラムと健史さんがそんな会話をする。そうか、あの女の人は無事に天国に行けたのか。

「じゃ、私少し寝るから」

 そう言ってすっと立ち上がりそそくさと退場するセイラム。もう少し蓬のことで俺を弄ってくるかとも思ったのだが、なんともあっさりしている。

「あー、セイラム? さっきの課題の答え出た?」

「出たわよ! なんなのよあの子供じみたひっかけ問題は」

「あ、うん。理解してるね。と、まぁ、お疲れさま。あーでも夜ちょっと騒がしくなるかも」

「まぁ毎日お祭り騒ぎしてるけどさうちの学校の寮」

 え、そうなの。まぁ能力者が集まっている学校なのは理解してるが、寮で毎日バトルでもしているのか?

「いやまぁ、でも今夜はより激しいかもね」

「なんで? また降霊科が何か召喚するの? あんたちゃんと監督しなさいよ」

「いや無理無理、あの子達絶対に途中で悪ノリして取り返しのつかない事態になるし、それに反省しない鉄のメンタルだし。て、そうじゃなくて、今から八手君が勤に会いに行くんだよ」

 それを聞いたセイラムは一瞬鳩が豆鉄砲を食ったように呆気に取られてから、俺に無言のまま十字を切って見せた。あれ、キリスト教の確かカトリック信者の祈る時の動作だよな!

「おい待て! それどういう意味だ!」

「見た通りよ……あんた、死ぬかもしれないわね」

「死なないからな俺! 死なねぇからな俺!」

「……取りあえず神様には無事を祈っといたから、じゃ」

 そしてそのまま林の中へと歩き出すセイラム。いや、怖い

何が怖いってあの常に男を小馬鹿にした態度を取るセイラムが本気で俺の心配をしたことが怖い。

「じゃ……行こうか八手君」

「え、あ、はい」

「断頭台に」

「ちょっと待ってください、冗談ですよねそれ!」

 こうしてあらゆる不安を抱えながら、俺は現代に生きる魔女の儀式との立ち合いを終わらせたのだった。

 ……嫌だなぁ。死にたくないなぁ。


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