第五話「居合い地蔵」

「自殺の名所である例の山の人斬り僧侶知ってますか?」

「例の辻斬りの? なんか前逮捕されたって聞いたけど?」

「ソースは?」

「で、その僧侶、なんか人を引っ張るんだって」

「いや、それのどこが怖いんだよ。引っ張るとか普通じゃん。刀で斬りかかってくる方が怖いから」

「そうじゃなくて手で引っ張るんじゃなくてなんて言うんだろ、ブラックホールみたいに遠くの物を自分に引き寄せるらしんですよ。これって人間じゃないですよね?」

「吸収力が変わらないただ一人の僧侶!」

「↑思った」

「というか最近人斬りの犯人が幽霊説のスレ増えたよね」

「で、俺と一緒に死んでくれる人いる?」



――ある日の自殺仲間募集サイトより。



 今俺は大学にある物を取りに来ている。

 星降り島の一件から二日後の昨日の夜、部長から電話があったのだが、まぁ少し問題が発生した。昨夜部長から携帯連絡が入り、俺が風呂に入っている時に勝手に夏穂が電話に出たのだ。そして夏穂に「悪い八手、変な誤解をされた!」なんて言いながら風呂場に飛び込まれた時は焦った。気になって話の内容を訊いたらどうやら夏穂を俺が好意を抱いている女と勘違いしてその後なんやかんや合って俺が二股をしているみたいな感じの話になったらしい。

「部長に何か言われるだろうな」

 そもそもはあの電話は部長が最近の都市伝説をまとめた資料を受け取りに来いというものだったが、目的は黒沢部長の誤解を解くことに移行している。

 陽炎で遠くの視界が歪んでいる。ただでさえ暑いのに俺の頭の中の不安は大きくなって脳がオーバーヒートしそうだ。

「はぁ……」

 思わずため息が出てしまう。とぼとぼと大学の外れにある“都市伝説研究会”の木造小屋へと向かいながら、別のことを考えるようにしていた。

 人間嫌なことばかり考えてしまうと病んでしまう。ふと、取り出したスマホの連絡先に新しく加入した名前を眺める。

「……」

 いかん、余計に暑くなってきた。しかし星降り島からの帰り、連絡を交換したというのに蓬の奴メール一つ寄越さないとは、少し意外だった

 いい加減にこっちから送ってやった方がいいのか? うん、そうだな……デ、デートって訳じゃないが、何か遊びに誘うのもいいだろう。まぁ今から忙しくなる訳だが、いつか息抜きをするために今から予約を入れてもいいんじゃないだろうか。

 さっそく「すぐにではないんだが、時間が合った時一緒にどこか行かないか?」とメールを送ってみる。

 立ち止まって少し待つ。いや、別に速く返信が欲しい訳じゃない。歩きながらのスマホは危ないしな、そして炎天下の元立つこと三分、軽快な音楽と共にやっと返信が来た。

 どれどれメールの画面を確認する。「あ、デートですね。後蓬様メールの苦手で俺が代わりに打ってます。函より」……て。

「ちくしょぉおお! 恥ずかしすぎるぞこらぁああ!」

 おい待てなんであいつメール一つ返信できないんだ! 今の時代信じられないぞ! というか自分の式神に代打ちさせてんじゃねぇ!

 ちくしょう。あまりの恥ずかしさに叫んでしまった。隣をすれ違った女子大学生が明らかに俺を避けて歩く。

「くそ、思わずスマホ地面に叩きつけるところだったぞ!」

 取りあえず「蓬の奴にメールの仕方を教えてやってください」と送っておく、するとすぐ返信が来た。

 えーと「蓬様は実は先日から八手様へメールをする為勉強中でして、暫くお待ちください」と……あいつ機械音痴にも程があるだろ。

 確か昔、俺が親のパソコンでネットしてたら不思議そうな顔をして電源のつけ方を聞いてきたっけか。小学校でそんなもん習うはずなのだが、あいつの機械音痴は筋金入りだ。

 なんでも最近スマートフォンを買ったとか、そう言えば初めて俺の住んでるアパートに来た時は持っていないとか言ってたような、うーむ、しかし機械音痴でボタンの多い機械を敬遠しがちなあいつが何故、スマホ購入という文明人の仲間入りを果たさせる決心をさせたのか、相当な理由ができないとあいつは機械を買わないだろうに。

「もしかして電話もできねぇんじゃねぇんだろうな」

 頭をガリガリと掻き回しながら足を進める。いい加減暑いので、部室へと急ぐ。炎天下で俺は一体何をやっているやら……。

 本日は十年に一度と言われる記録的な猛暑、まぁ毎年言ってるような気がするが暑いのは確かだ。

 そのため冷蔵庫のアイスや飲み物は夏穂によってすぐに根絶やしにされる。いい加減に腹を壊さないのか心配だが、あいつの場合そこらへんに落ちている物を食べても平気そうなので俺の杞憂に終わるだろう。しかし、財布の中の現実は心配しすぎていいぐらいだ。

「いい加減、稼がないとなぁ……」

 京極三長柄を手に入れたはいいが、生活できるほどの資金が無ければ、先輩から頼まれた件に集中できない。

 現実は無慈悲、というより孫から金をかっさらうあの糞爺さえどうにかなれば俺の生活は安定する。うーむ財布が軽い、今は小銭でも節約しないといけないのだが……。

「暑い……死ぬ。暑い」

 なんか後ろから変な声が聞こえる。

「暑い。水……」

 振り返る。そこには玉の様な汗を流している人物が、帽子を深々と被って顔は見えないが、この京都の蒸し暑さに苦しんでいるのは確かだろう。

 服装は紺色の男物の長い夏ズボン、しかし上に薄い短い白シャツの胸囲は膨らんでいるため顔は見えなくとも女性と判断できる。

「こ、これが熱中症というものか、かかか、このわらわとしたことが……まさか竜馬と生き別れこのような土地で果てるとはのぉー、ああ、走馬灯じゃー、走馬灯が見えおるぞ……死にたくないのぉー」

 そして何故か変わった口調で俺の後ろに守護霊の如くぴったりくっついている。うん、口調はともかく行動は夏穂が俺に飯をたかる時と似ている。

「……もし、そこの方、恵んではー、貰えんだろうか? その、水分を、できれば多めで」

「は、ははは、あー、きちんと頼んできたか……」

 いや、散々苦しんでいる様を俺に見せつけて飲み物を奢ってもらおうという腹だったのだろうが、限界なのだろう。作戦を変更しててっとり早く俺に直に助けを求めてきた様だ。

 ちくしょう。ついさっき財政難で悩んでいたのに、余計な出費だぞまったく。俺は無言のまま自販機へと走って、適当なスポーツ飲料のペットボトルを購入してくる。

「あの、これ飲んでください……」

「おーこれはこれは、いや褒めて使わす……と言っては駄目だったな。ふむ、礼を言うぞ見ず知らずの青年よ、この恩は忘れんからのぉ」

 一回上から目線で言われて、次は普通、とは言い難いがきちんとした言葉が帰ってきた。悪い人では無さそうだが、少し変わっている。

 俺たちは取りあえず木陰のあるベンチへと座る。まぁ部長と約束の時間なんて決めていないし、あの人は夕方まで部室で読書三昧なのだろうから、ここで少し休んでも問題あるまい。

「ほぉー、いや本当に助かった。改めて礼を言わせてもらうぞ」

 隣でペットボトルのスポーツ飲料を半分飲んでから、律儀にそう言って俺に挨拶してきた。

「わらわは石榴石(ざくろいし)と申す。石に榴、そうしてまた石と書いて石榴石じゃ、覚えたかの?」

 最近変わった名前を子供に付ける親が増えたが、いや、それでもあまりにも変わった名前だ。違う。そもそもこの人は、いや、こいつ……人間じゃない?

「貴女、霊力は感じませんが陰陽師の……」

 もし一般人なら変な顔されるだろうと思ってそれ以上言葉が出なかったが、どうやら俺の予想は当たっている様で石榴石と名乗る女は寡黙になりちらりと神妙になった口元を見せた。

「いや、同業者であったか……むぅ、そうかそうか。これは驚いた」

「名乗り遅れました。俺は京極家の陰陽師、京極 八手と申します」

「ふむ。ならばこの帽子をとっても問題ないな。恩人に素顔を見せぬことを心苦しく思っていたところでなぁ」

 そう言って深々と被っていた帽子を取る女、すると先ほどからの古めかし言葉とは違い若く美しい顔が姿を見せた。

 が、それよりも目を引いたのは頭にある紅の一本角だ。さらに夏穂ほどではないが帽子を取った途端人では持ちえないほどの霊力を全身から発している。

「あんた、鬼か。しかもかなり強い……」

 強力な妖怪の代表とも言える鬼、近年急にその数を減らしたと聞いたが、俺も実物を見るのは初めてだ。

 しかし角以外他の人間と変わりなどない。もっとこう巨体で体中から血管が浮き出ているほど筋肉が発達しているのを想像していたのだが、目の前にいるのはどう見ても気品が感じられる女性だ。

「まぁ、一部から鬼姫なんぞと呼ばれておる。陰陽師の間で少し話題になっているようだが、お主の耳には入っているかのぉ?」

 鬼姫……確か誰もが依頼を受けない難件を片づける陰陽師がいて、その式神がそう呼ばれていると俺も小耳にはさんだことがある。

「まぁ、主の名より式神であるはずのわらわの名が独り歩きするのは嘆かわしいが、自己紹介を簡潔に済ませれるのはいい」

 石榴石と名乗る鬼の女は再び角を帽子で隠す。

「その帽子、霊力を遮断する札がついているな」

 帽子の取り外しで俺が感じた霊力は完全に遮断された。おおよそ帽子の裏にでも霊力を隠す札でも貼り付けているのだろう。

 と、女はにかりと笑い帽子を見せつけてくる。

「良き物じゃろう? 我が主が私にくれた物なのじゃ、確かキャスケットとか言ったかの?」

 嬉しそうに話す石榴石、しかし俺はファッションには疎い、キャスケットなんて帽子の名前を言われも困る。俺が知っているの帽子と言えば精々麦わら帽子ぐらいだ。

「しかしあんた、なんでこの美大にいるんだ?」

「おーおーそうじゃったそうじゃった。竜馬と逸れてのぉ、しかし闇雲に探しても仕方なしと主様が興味ありそうな場所を探しておったのじゃ」

 女がベンチから立ち上がり、尻に着いた汚れを手で払いながら俺との会話を続ける。どうやらそのはぐれた主でも探しにどこか行く様子だ。

「興味がありそうな場所というのは?」

「そう。竜馬というのじゃがな、あやつ絵を描くのが好きでな。ここは絵を教えてもらえる場所なのじゃろ? 一度見学しようと思っての」

「ははは、主と離れ離れになったのに呑気なことだな」

「まぁあ奴が本気でわらわを探せばすぐに珍妙な術で見つけ出せよう。こう、この小さいのに電波とやらを飛ばしてな」

 そう言って女はスマホを取り出して俺に見せつけてくる。む、あれメールの着信着てないか? なにやら青い光が点滅しているのだが。

「あんたそれ、メール着てるぞ」

「むむ、文が届けばブルブルと震えるのだが、気づかんかったらしい。また助けられたな。礼を言うぞ」

「いや、別に礼を言われるほどでは……」

「遠慮なんぞせんで良い! 礼の言葉なんぞ受け取っても重荷になどならぬだろうに」

 にかにかと笑ってから、スマホを難しい顔で操作しながら俺の方をちらりと盗み見る。

「……使い方ならわかるが?」

「おお、お主心を読めるのか!」

「いやいや、あんたがわかりやすいだけだよ」

 そう言って手を伸ばす、やれやれ、すごい式神と聞いて警戒したがなんだか他人とは思えんな。

 こう手のかかる式神と機械にやたらと弱い女が近くにいるせいで、この石榴石さんを他人とは思えなくなってしまった。

「はい。どうやらあんたのこと心配している様だぞ。その竜馬さんって人」

 さっきから何十件と来ていたメールの最新の奴を画面に出し、石榴石さんに渡す。

「むぅ、人に迷惑をかけるなと……この場合どうしようかの。すでにお主に迷惑をかけてしまった」

「この程度は適当に誤魔化しとけばいいだろう。俺の式神なんか勝手に冷蔵庫のアイス全部食っても下手な嘘つくしな」

 日々悪知恵ばかり着けてくるあの勝手な式神に頭を悩ます。優一先輩から預かったばかりの頃はもう少し素直だったのだが、教育とはなんと難しいのだろうか……。

「いや、嘘は嫌いゆえ正直に話し謝る。親切な若者に命を救われたとな!」

 ほう、どうやらもの人をうちの式神と比べるのは失礼だった様だ。爪の垢を煎じて飲ましてやりたい。いや割と本気で。

「で、石榴石さん。主を探さないでいいんですか?」

「長いから石榴で良い。また縁あればそう呼んでくれ八手や。さて、その時は是非とも我が主と語らってもらいたいな!」

 深々と、しかし素早く一礼をしてから石榴さんは去って行った。なんというかさっぱりとした性格の鬼だったな。

 ベンチに座り、木陰の下で休みながら走っていく石榴さんを見送る。

「さて、俺も約束があるんだった」

 部長との約束を思い出し俺も先を急ぐ。俺も石榴さんを見習って駆け足だ。たまには運動もいいだろう。

 汗を垂れ流しながら炎天下を走る。これはいい。少しきついが余計なことを考えなくて済む。

「はぁ…はぁ」

 暑い中を走ったかいもあり、もう部室が見えてきた。さてと、これから部長の説得か……。

「お、お待たせしました」

「あら、そんなに急いでどうしたのかしら? 八手君」

 少し乱暴にドアを開けて部室に入ると、そこにはいつも通り奥の社長が据わりそうな椅子で本を読んでいる部長がいた。

 驚きながらも本から目をそらさず走ってきた俺に一声かけてくるあたり実にこの人らしい。

「少し、走ってきましてね。気まぐれに」

「ふふ、それは健康的ね。私も暑いからと言って部屋に籠るのは少しだらしないかしらね」

 部長が走っている姿は想像できないが、噂では運動神経は凄まじいと聞く。こう、恨みを買うとどこまでも追いかけてくるという噂なのだが……。

「ところで、昨日の電話で出た方だけれど……結構お盛んの様ね」

「ああ、昨日の電話の件ですが、あれ高校時代の恩人から預かっている奴が電話に出ただけであって、別に恋仲とかそんなのは一切ないです。同居はしてますがまぁ、手のかかる子供と言った感じでして。恋愛対象にはなり得ませんよ」

 はっきりと言う。そこのところを誤解されると後々厄介なことになりかねん。

 部長はやっと本から目を話し少し驚いた顔をしている。いや、あれは残念そうなのか? お気に入りの玩具を取り上げられた子供に見えなくもない。

「あら、それは、こちらの早とちりだったようね……失礼したわ」

「ええ、俺なんかがいくつもの女性と関係を持てる訳ないでしょうに」

 この前やっと蓬と打ち解けたのにそんなことできな……いやそれはいい。とにかく誤解はあっさりと解けたようだ。ほっと胸をなでおろす。

「そうそう、これを渡す約束でしたわね」

 そう言って部長は本を机の上に置いて引き出しから数枚の紙を束ねた資料を俺に渡してくれた。

 目を通すと読みやすいように整理された文字が書かれている。まるで一冊の本の様だ。

「すみません」

「いいのよ。まぁその変わりと言ってはなんだけど、近いうちに電話に出た子を私に紹介してくださるかしら?」

 いきなりのお願いに意表を突かれる。部長は基本人間関係を煩うタイプなのだが、どういう風の吹き回しなのだろうか?

「別にいいですが。夏穂は結構やかましいんで部長とは合わないと思いますが」

「あら? 騒がしいのは一善君も同じよ。それに私は話していて面白い人は好きよ」

 あはは、何を仰いますか。話していてではなく弄っていてでしょうに。一善に散々怪談を聞かせて怯えている姿を見て悦に浸っているでしょう黒沢部長。なんて言うツッコミは心に封じ込めておく。

「ともかくわかりました。そのうちでよろしければ、あいつも俺が大学に行っている時は暇らしいので」

 人見知りなあいつを連れてくるのに少し不安なところもあるが、いつも留守番している夏穂をここに連れて来るのはいいかもしれない。

 さっそく部長の作った資料に目を通す。なるほど、最近で刀、着物などと言ったワードが含まれる都市伝説を重点的に調べてられている。完璧な仕事だ。

「これは、丁寧な仕事で。ありがとうございます」

「ええ、喜んでくれて嬉しいわ。う、ふふ、ふふふふ」

 再び本を手にしながらぎこちない笑みを漏らす部長。しかしこの人は相変わらず笑顔がぎこちない。綺麗に笑えれば異性にもモテるだろうに。

 ひとしきり笑った後満足したのか、本の世界に没頭する部長。うむ、真顔になるとまるで美しい彫刻だ。

「では俺はこれで、少し遠出してきますんで暫くはここにこれません」

「あら、それは残念ね。お気をつけて」

 本を見たまま別れの言葉を口にする部長に気を使って、静かにドアを閉める。

 さて、やっとだ。やっと優一先輩からの依頼に取り掛かれる。俺はまた灼熱の世界を通り、同居人の前で扇風機が首を回しているあの家へと足を進めた。



 私は今知らない風景を眺めている。

 タクシーに乗って名前を知らない山を登っているのだ。雲行きが怪しくもうすぐ雨でも降ってくるだろう。

「あ、ここでいいです」

「お客さん。こんな山奥になにをしに?」

 今まで無言でタクシーを運転していた運転手に、八手がそんなことを聞かれる。

「こんな山奥まで、その、変な噂もありますし」

「変な噂ですか?」

「ええ、ここ、自殺のスポットなんですがね。最近自殺しに来た人間を殺して回っている幽霊がいるって……」

 八手は無言のまま財布からお札を抜き取って運転手に渡す。

「ええ、知っていますよ。だからこそ来たんです。ああ、別に死にに来た訳じゃあありませんから、ご安心を」

 運転手は意味がわからないと言った顔をして下車する私と八手を見送る。まぁ、気持ちはわかる。

 外に出ると湿気た空気が肌に当たった。うん、じめじめだ。かなり高い山らしく、すぐ上を見上げればかなり近くに雲がある。なんで人間はこんな山の天辺まで道路を作ったのだろうか?

「ここから歩きか?」

「ああ、この辺の地理はもう調べてある。この山の頂上に廃寺があるらしい。取りあえずはそこを目指す」

 ふーむ、相変わらずの用意周到ぶり、こんな山奥の地理をどうやって調べたんだろうか? ネットか? ネットだろうな。

 最近こいつは蓬と仲直りしてからなんだか浮ついていたが、やってることはきちんとやってきたらしい。うむうむ、お母さんは感心です。別にお母さんじゃないけど……。

 で、だ。今日は地獄からの脱獄者の討伐、すなわち優一から頼まれた仕事をしに来た。

 と言っても、まずはその地獄体の脱獄者がいるかどうかの確認が目的なのだが、気は抜けない。もし違う存在でも危険な悪霊や妖怪であることには変わりないだろう。

「そう言えば八手、最近スマホばっかり見てたけど今日は一回も見てないんだな」

「ああ、うん。まぁな」

 微妙な返答が帰ってくる。蓬とあの星降り島から帰ってきてからずっとスマホをニヤニヤしながら見ていたのに、まぁ気持ち悪くなく無くなればそれでいい。

 乗ってきたタクシーが迂回を始める。取りあえず私たちは舗装された道から山に入れそうな場所を探す。

「八手、気を引き締めろよ」

「ああ、今回は前の様なへまはしない」

 大黒目と名乗るあの忍者同様、今回も強敵なのは間違いない。しかし前とは違う。

「今回は俺と離れず二対一での戦闘だ。一対一では逃げる。常に有利な状況を意識しろ。いいな?」

「ばっちりわかった!」

 作戦は前もって聞かされている。要するにフルボッコ戦法だ。一人では戦わない。二人で妖刀使いを倒す。実にシンプルで覚えやすい。

「どうする? さっそくそのお寺を目指すのか?」

「ああ、それと、これからは山道だから気をつけろよ。足を滑らすな。いざという時に足を負傷していたら逃げるのが困難だからな」

 八手の指示を聞きながら暫く歩いて、山に入れそうな道を発見した。人が手を加えた道でそれを使ってその寺を目指すことにする。

「あ、そうだ八手。この前手に入れた武器、色々と調べたのか?」

 京極三長柄を手に入れた八手はまず、三日間実家に戻って片っ端から古文書を解読したらしい。こうフニャフニャっとした、何書いてあるかわからない巻物やらと睨めっこしていた。

 強化結界を使えばある程度その武器についてわかると思うんだけど、それだけでは足りなかったらしい。

「ああ、今のところ一本だけしか使えないがな。まあ簡単に言うとわかったのは京極の強化結界と京極三長柄は相性が良いということだけだな」

 一本だけしか使えないのか。いや、それよりも八手の召喚という言葉が気になる。

「召喚? なんかかっこいい模様でも描いて武器出すのか?」

 アニメとかでよくやる奴だ。山を登りながら八手がかっこよく呪文を唱えながら武器を取り出す姿を想像してみる。

「いや、京極の初代はとことん実戦主義らしい。普通の陰陽術ならば呪文の一つや二つ唱えないといけないんだが。これに関しては一瞬で取り出せる。奇襲に対して一秒でも早く供えられる仕様ということだ」

 そうなのか。それはなんというか残念だ。

「まぁ京極家ってのは色々と異端だからなぁ」

「それ、よく聞くけどお前の家はどう異端なんだ?」

 京極家は異端。その言葉はよく八手の口から聞くがどう異端なんだろうか? この際聞いておこう。

「京極家初代は戦国の世の生まれで、陰陽術を使った武術を完成させ、名を上げようとしたらしいけど、戦場で活躍はしたが歴史には名を残せなかったみたいだがな」

「武闘派陰陽師か。ムキムキだったのかな。そりゃ異端と言われても仕方ない。」

「いや……違うっての。いや合ってるのか? 陰陽術は呪術も含まれるから普通人前に出しちゃいけないってのが暗黙の了解なんだが、それを戦場で堂々と使ってるから異端ってことだ。まぁそのせいで他の陰陽師から粛清(しゅくせい)を食らったみたいだが……」

 ふむ。つまり八手の偉いご先祖様は空気読めなかったのか。なんだろう。妙に親近感が湧く……まて、この親近感は湧いていいものなのだろうか?

 まぁ、そんなこんなで暇つぶしに会話をしながらこの山のてっぺんを目指す。空がどんよりと曇っているせいか夏なのに少し肌寒い。

「しかし、今回の相手は一体どんな奴なんだ」

 この前戦った忍者はかなり人間離れしていた。黒く染まった目に変な笑い方、今回も怪物じみた奴なのだろうか?

「部長からもらった資料には何も、ただここで刀持った死神がいるっていう噂が流れてるらしいからな」

 死神……そう言えばタクシーの運転手がここを自殺スポットと言っていた。となると死にに来た人間をわざわざそいつは殺しているのか?

「なんであいつら人を斬り殺してるんだ?」

「よくはわからんが、一回聞いてみるといいかもな」

「聞くって、地獄からの脱獄者にか?」

 素直に教えてくれるとは思えないが、まぁいきなり斬りかかってくる奴ばかりではないことを祈ろう。

 む、道が険しくなり始めた。人の手でなんとか階段にされているとはいえ、山道だ。一つ一つで段の大きさが違うし、左右木々に囲まれて伸びた枝を避けないといけない。

「八手、木の枝に気をつ――」

「横に飛べぇ!」

 八手に枝について注意をしようとした瞬間、大きな声で叫んばれた。空気が震える。頭上から空気を振動させるほどの何かを感じ取った。

「霊力!」

 私でも感じ取れるほどの強力な霊力をすぐ頭上から感じられた。

 やばい。私はすぐ背負っていた荷物を投げ捨てて草むらに飛んだ。

「八手!」

「応戦しろ!」

 突如何かが私たちのいた場所に落ちてきた瞬間、土煙が呼びかけるとすぐさま私に支持をする八手。すでにあいつの頭ではこの先の作戦が立てられているのだろう。

「なら」

 私はあいつが言った通り襲ってきた敵と応戦するだけだ。

 土煙が上がっている中、敵を発見しようと目を凝らす。

「見つけた……!」

 大きな影が動いたところにすかさず手から出した黒炎をぶち込むが、どうやら避けられれてしまった。

 むぅ、少し離れた所に八手もいる。見通しが悪いから敵を狙うのではなく一気に周囲三百メートルほど焼き払いたいのだが、それでは八手を巻き込んでしまう。

「くぉ!」

 と、敵が一人で私に殴りかかって来た。拳が私の顔すれすれを通り過ぎ、て待って、なにこの風圧! 物凄い風が私の顔を直撃した。一瞬殴られたかと錯覚したが、これは漫画とかである拳圧、なのだろうか? 現実でこんなの味わうとは思わなかったぞ。

 やばい……私の体は普通の人間。霊力は莫大だが、殴り合いはそんなに強くないのだ。一応、女の子なんだぞ!

 まぁ、けれどそれくらいの対策私だって考えている。

「落ち着いて……よし!」

 自分のすぐ周りを黒い炎で取り囲む。少し呼吸しづらいが、相手はうかつに私によってこれないはずだ。

 私の姿を見るなり相手は地面を殴って砂煙を起こし後ろに後退していった。

 なるほど、大した力だ。ああして最初も頭上から私たちを襲い砂煙を起こしていたのか。

「さーて、どうしよ?」

 相手は肉弾戦を得意としいるようだが、この炎の壁を突き破ってくるほど強靭な肉体はしていない様だ。

 ならば砂煙が晴れるまで待っててばいい。

 む、いきなり周囲が暗くなった。確かに雨が降りそうな天気だったがそんな急に――。

「は!?」

 降ってきたのは雨ではなく大きな木、どうやらあいつ大木を放り投げてきたらしい。暗くなったのはボールみたいに投げられた木が太陽の光を遮ったからだ。

 急いで上空に炎を飛ばして私の何倍も大きい木を消し飛ばす。

「こいつ! 戦い慣れしてる!」

 姿を見せず、私の炎の壁の対策を一瞬で立ててきたところを見ると戦闘に慣れていると判断して間違いない。

 しかし、こっちもある程度修羅場をくぐってきたのだ。勝つ自信はあるぞ。

「ふぅー……」

 荒ぶった気を落ち着かせる。集中しろ。

 私にとっては気の抜けない繊細な作業、霊力をできるだけ凝縮させて……一気に拡散させる!

「はぁ!」

 位置は上空三十メートル付近、空中ならば八手に当たる心配もない。と、私はここで配慮しないといけないことを思い出した。

「八手ぇ! 耳を塞げぇ!」

「あ! 何する気だ!」

 遠くから八手の返答あり、ふむふむ。これで後から文句言われても大丈夫。私はもう言ったもんね。

「ドカンだ!」

 空中で私の凝縮させた霊力が炎に変わり、拡散すると同時に爆発を起こす。

 狙いは土煙の排除。いい加減こそこそされるのは嫌だからだな。

 爆音と共に周囲に立ち昇っていた砂煙が吹き飛ぶ、狙い通りだ。

「さて、姿を見せてもらおうか」

「あいてて、お主、力押しにもほどがあろう。なんと無茶苦茶な霊力の使い方じゃ」

 む、声からして相手はどうやら女の様だ。なんというか話し方が爺さんっぽいが間違いない。

 敵の姿を確認する。帽子をかぶった身長の高い女だ。細い腕だがあの怪力は嘘ではないだろう。軽々と次に投げるための木を片手で持っているのだ。

「すごいなあいつ」

 毎日筋トレでもしたのかな。すごい力だ。

「それで、お主ら、何故この山に登った? 登山客、ではあるまい? かなりの実力者と見受けるが……」

「うーん……人斬り退治?」

「いや、どうして疑問形なのじゃ?」

 だって今日はその人斬りがいるのか確認しに来ただけだし。

「ということは、お主ら……」

 女は頭を押さえながら何か考えている。表情が見る見るうちに悪くなり先ほどの敵意が嘘の様に消え去っていた。

「……すまん」

 いきなり謝られてた。まずは説明してほしいのだが、取りあえずこれ以上相手が戦う気がないのは理解できた。

「竜馬ー、こやつら敵じゃないぞー」

「あー、そうみたいだなー」

 女が遠くに叫ぶと低い声で返答が帰ってきた。

「……えーと、その、どこのどなた?」

「うむ。名は、石榴石と申す。いや、改めて謝らせてもらうぞ。主からはまず話し合いをしようと言われていたのだが、わらわがそれを無視して奇襲を仕掛けてしもうたのだ」

 ぺこりと一度頭を下げて、そう早口で説明する女。と、頭を下げた拍子に帽子が地面に落ちてしまった。

 む……角が生えてない? この女の人。

「む、これか? この紅の角が珍しいのかの? わらわは鬼でのぉ」

「鬼……鬼!」

 なるほど鬼か。ならば木を軽々しく持っているのも説明がつく。しかし鬼ってのは皆あんな細身で怪力なのか。もっとこうゴリマッチョなイメージをしていたけど。

「おーい。無事か?」

 なんだか軽い感じの声で八手が草むらをかき分けながらこっちに来た。まったく、私が死闘を繰り広げている間にこいつは何をしていたのか。

 と、八手が誰かの首根っこを摘まんで持ってきた。うむ、背の高い男で、なんだか雰囲気が優一に似ている。

「お前……大学で会った式神か?」

「むっ! おお、この前の青年ではないか! いやこれは奇遇じゃ!」

 はて、八手と目をぱちくりとさせ、鬼の女はニコリと笑う。今どんな状況、誰か私に教えて。

「……あー、はは、世界は案外狭いもんだな」

 八手が疲れ切った笑いと共に、そんなことを言った、本当に何がどうなっているのか。あー、なんだ。私はもう話しに着いて行けないのでもう流れに任す。これすなわち一種の生きる知恵である。

 まぁしかし、暴れたら腹が減った。ついでに少し休みたい。そうだなーってあれ、さっき手に何か当たって……。

「む、八手、やばいぞ。今手に水付いた」

 確認する。ひんやりとした滴が手の甲に付いていた。

「水だ? それって――」

 時すでに遅し、八手が「雨か」と言い切る前にザァーッと音を立てて土砂降りの雨が降ってきた。



 今俺達はやたら人口密度が高いテントの中にいる。

 しかし文句など言えない。大雨の中、必死に建設したのだ。自身の手によってこの屋根という素晴らしい物がある空間に愛着すら湧くってものだ。

 で、その貧相なオアシス、もといテントの中に詰め込んでいるのは四人。俺と夏穂、でさっき勘違いで襲ってきた竜馬さんと名乗る陰陽師とその式神の石榴さん。

「なんだかワクワクするな! あ、ここからここ私の領土な!」

「お前小学生かよ……それと人前だ。行儀良くしろ」

 夏穂の幼稚な発言に頭を悩ます。しかし、それ馬鹿な男子の発言だぞ、それ。お前仮にも女だろうに。

「ふん、お前ごときには自分の土地を持つ良さがわからんのだな。八手!」

 夏穂の奴が興奮している。うむ、このテントをかなり気に入った様子だ。蒸し熱いし、グチグチ文句を言うと思ったのだが。

 そう言えばこいつ、やたら狭い空間を好むんだったか。トイレとかに漫画を持ち込んで入り浸っていることもある。正直かなり迷惑なので止めて欲しい。

「この狭さ、実にいい……八手、押入れのある部屋に引っ越そう。あのアパート空き部屋いっぱいあるんだし」

「うるせぇ。あの部屋が一番家賃が安いんだよ。お前の食費でどれだけ家計が圧迫されてると思ってんだ」

「あ、あのぉー」

 ああ、他の人がいるのについ夏穂といつもの調子で口論してしまった。俺は気を取り直して話を切り出す。

「先程の件すみません。えーと、竜馬さんでしたか?」

 大雨、現在では豪雨と言えるほど強くなった雨の中一緒にテントを建てた竜馬さんが苦笑いをしている。夏穂とのやり取りを見せたのと、火の車の我が家の家計状況を暴露したため少し恥ずかしい。

「ああいえ、謝るのは私の方ですよ。いきなり襲ったのですし」

「いや! 違うのだ。そうではないぞ。此度の件はわらわが焦り敵の姿の確認をせず先行したための愚行、どうか竜馬めではなくわらわに怒ってくれ!」

 石榴石さんが深々と頭を下げる。これで何度目だろうか。

「いや、もういいですので、それよりあなた方がこの山にいる説明をしてくださると助かるのですが」

 少し警戒しながら相手の意思を確かめる。

 相手はただの登山者では無く同業者、ならば目的は俺達と――。

「ええ、私たちはこの山に出たお坊さんを退治しにね。そういう君たちも悪霊退治らしけど?」

 やはり、同じだった。しかもこの人は相手の姿を知っている。

「すみません。お坊さんというのは」

「ああ、一戦交えたんだ。でも実力が違いすぎてね」

 軽く笑いながらそう話す竜馬さん。しかしよく観察すると服の袖の奥に真新しい包帯がちらりと見えた。多分その戦いで怪我をしたのだろう。

「依頼で、ですか?」

「いや、依頼というより祖父の使いでね。私の家は古道というんだけど……知っているかな? 私は公務陰陽員でね」

 その一言に、思考が凍ってしまった。公務陰陽員、つまりこの人は、“国の犬”だ。

「ええ……知っています」

「そうか、まぁあまりよくない噂を聞いているかもしれないが仲良くしてくれるとうれしいよ」

 にこりと笑って手を差し出してくる男。しかし俺はそれを握り返すことができなかった。

「……ん? ああ、すみません。少し馴れ馴れしかったかな?」

 隣で夏穂と石榴さんが不安そうな顔をしている。俺は馬鹿だ。少しは頭を冷やせ、仇はこの人ではないだろう。

「すみません。昔……古道家の人に親を――いえ、その」

 今度は竜馬さんの顔が凍りついた。俺のちぐはぐな言葉でも真実を読み取ったらしい。

「……ああそうか、いや、本当に申し訳ない。私は古道の者ですが実家の事情には疎くて……」

 微妙な空気が流れる。言葉を絞り出すことができない。

 古道家、古くから国の陰陽師として使え、俗に言う裏の仕事をしてきた名家だ。代々国の陰陽師の集いの上役をやっていると聞く。

「さきほど……実家の事情には疎いと言っておりましたが」

「ええ、長い間家を出ていまして、しかし最近よく祖父から仕事を押し付けられるようになりましてね……しかし、古道家が今まで何をしてきたのかは薄らと聞いてはおります。京極さん。別に私に嫌悪感を抱いてもそれは間違ったことではないですよ」

「……」

 いい人なのはわかる。だからこそ、複雑な心境になる。

 よりによって古道家の人間と出くわすとは、一体俺はどうすれば……。

「嫌じゃ。竜馬と八手殿には仲良くして頂きたい」

 と、今まで黙っていた石榴さんが口を挟んできた。

「確かにわらわもあの性悪な老人は嫌いじゃが、竜馬は違う。この私が胸を張って誇れる主じゃ、そして八手殿も心正しき者。どうか仲良くして欲しい」

「そ、そうだぞ八手。この人優一に似てるぞ! 絶対お人良しだ! うん間違いなく! 捨てられてる子犬ほっとけないタイプだ!」

「そうじゃ。竜馬はお人好しでのー、まったくすぐに厄介事を引き受けてくるのじゃ」

「うーむ、八手の奴は真逆だ。少しぐらい他人に優しくしても罰は当たらないと思う……」

「ほほぉー、そなたも苦労しとるのか」

「いやぁー、まったく、こいつは私がいないと駄目で、八手は」

 おい待て、いい感じの話が式神の不満大会にすり替わりやがったぞ。思わず竜馬さんと顔を見合わせる。

 まぁ確かに、俺もある程度は人を見る目はあるつもりで、この人が善人なのはわかる。昔、優一先輩もその人を本当に判断するには自分の目で見てからしかにしてるんだとおっしゃっていた。今回は俺もそれに習おう。

「……あーと、その、先ほどはすみません」

 謝って次は自ら握手を求め手を伸ばす。竜馬さんは少し面食らった顔をしたが、すぐに笑顔になって俺の手を握ってくれた。

「気にしないでください。古道の家の者は色々と恨みを買っていますので慣れていますので」

「八手ー、それより腹減ったー」

 竜馬さんと話が終わるとすぐに夏穂が空腹を訴えてきた。まったくこの食いしん坊め。

「ああ、インスタントラーメンあるのですが食べます?」

 と、竜馬さんが荷物からカップラーメンを取り出す。他にもヤカン、水の入ったペットボトル、湯を沸かすガスコンロなどが入っていた。

「食べる!」

 遠慮のない夏穂。俺は呆れるより珍しさが勝った。こいつが人見知りせず初めて会った人間に気を許すのは本当に珍しい。

 まぁ大体食い物をやれば懐くんだが……いや、だが石榴さんにも親しげに話していたし、ふぅむ、蓬と会って夏穂の人見知りがましになったのだろうか?

 さっそくインスタント麺を作る竜馬さん。その間やたらと夏穂がそわそわしている。保護者として実に恥ずかしい。

「そう言えば八手殿、絵を描く学校に通っているのだったな」

「ええ、京都の美大に、と言っても将来は家業を継ぐ気ですが」

 ラーメンができるまで暇なのか、石榴さんが話を振ってきた。

「へぇ、じゃあ私と同じですね」

 手際よくインスタントラーメンを準備する竜馬さんが少し興味があるのか話に入ってくる。そう言えば大学で石榴さんに主も絵が好きだとか言われたっけか。

「竜馬さんも絵を?」

「ええ、と言っても美大や専門学校に通っていた訳ではないのですが」

 そうなのか、しかし大学以外で絵が描くのが趣味な人と会えるのは珍しい。

「ラーメンまだ?」

 そしてすぐに飛んでくる空気を読まない夏穂の言葉。よほど空腹なのかお腹を右手で押さえていた。というか、口から涎でも出そうなのか、口元も左手で押さえつけている。

「はは、ちょっと待ててね」

 急かされてラーメンを作る手を早める竜馬さん。仕方ない。俺も作業を手伝うことにしよう。

 割り箸に底の深い紙皿。なんだか外でこういうことをしたのは久々だ。

 前に外で何かを食べたのはいつだったか、うーむ。小学生の頃、夏休みで俺の実家で蓬の奴と冒険した時か。

 まぁ冒険と言っても川まで言って初雪さんから貰った団子を食べただけだが、あの時も急に雨降ってきて蓬の服がびしょびしょになって……。

「八手、変な顔してるぞ」

「え、ああ違う、ちょっと昔のことを」

「昔?」

「ああいやぁー……」

 口ごもる。蓬のことを思い出していたなんて口が裂けても言えない。後で絶対からかわれる。

「うん、ラーメンできたよ。まずは夏穂ちゃんから盛り付けてあげよう」

「おお、食べる食べる!」

 よし、こいつが食いしん坊で助かった。ラーメンのおかげで話題をそらせたぞ。

「で、昔のこと、というのは聞いて良いかのぉ、八手殿?」

 はは、まさかここで石榴さんに話題を掘り返されるとは思わなかったなぁ、ちくしょう!

 それとも、なんだ。女というのはこういう話を嗅ぎ付ける機能が備わっているというのだろうか?

「その、昔友人と一緒に遊んだのを思い出しまして」

 控えめにそう告げる。嘘はついてないぞ。

「蓬か! 蓬だな! 蓬しかいない!」

「なんで一番にあいつの名前が出てくるんだよ!」

「え、お前蓬しか友達いなかったんだろ?」

 ……くっ、否定できない自分が情けない! いや、いたよ友達! 人間じゃないけどな! 実家の妖怪達だけどな!

「まぁなんだ。昔外で遊んでてこんな大雨降ってきたことがあってな」

「へぇー、で、シャツが透けて下着が見えてムラッとしたと」

「いきなりなんなんだお前は!」

 確かにあの時……いや待て俺、何を思い返している!

「最近読んだ漫画でそういうシーンがあったんだ」

「ほほう。八手殿には意中の相手がおると」

 やばい。話が悪化してきた。というより何故女はこういう人の恋愛話にやたらと食いつくのだろうか。

 ああ、時すでに遅し。雨が降って寒い中テント内での女共は暖かなラーメンと俺の純粋な思いを肴に熱く盛り上がっていらっしゃる。

「はは、同姓と話す機会がないので大目に見てやってください」

 はしゃぐ石榴さんを見ながら竜馬さんが申し訳なさそうにしている。まぁいい。蓬と俺のことをとやかく言われるのは気に食わないが、それより今ははっきりさせておきたいことがある。

「ところで、なんで俺たちにいきなり襲いかかったんだ?」

 さきほど散々謝られたが理由までは聞いていないかった。

「ああー、それはですねぇ……さて、どこから話せばいいのやら」

「うむ。私から話そう。非は私にある」

 と、楽しそうに夏穂と談笑していた石榴さんの顔つきが変わった。自分から説明を買って出たあたり責任感が強いのがよくわかる。

「わらわ達はこの山に住まう人斬り亡霊を退治するという任を受けた訳だが、なかなか上手くいかなくてな」

「何か問題でも?」

「まず、あの人斬りの腕が立つのだ。笠をかぶった坊さんの格好をしておるのだが、めっぽう強い。放つ居合は目にも止まらん」

 坊さんが居合を使うのか……普通坊さんと言えば殺生を好まないイメージがあるが、なんとも異色の組み合わせだ。

「しかし問題は相手の強さのみでは無くてな。被害者が自分から来ることにある」

「そう言えばここ、自殺スポットと聞きましたが……」

「うむ。あの坊さんは自殺をしに来た人間のみを標的にしておる。二日に一度、廃寺から下りてきて斬る相手を探すのだ。もう何度も目の前で殺されてなぁ。もう犠牲者を出したくないと思い焦り、ろくに相手の姿を確認せず襲ってしまったという訳じゃ」

 成程、丁寧な説明のおかげで全容を理解できた。まぁ少し話が長かったため夏穂は途中で話を理解するのを諦めてラーメンを食べるのを再開していたが、いつものことだ。

「そうか。そういうことか……」

 話しが終わると夏穂が相槌を打つ。

 お、珍しい。長い話をすると途中で必ず思考を放棄するこいつがさっきの話はかろうじて理解できたようだ。

「つまり竜馬が悪いんだな!」

「え!」

 夏穂に指差され竜馬さんがビクッとした。無理もない。変な迫力がある。

「お前に期待した俺が馬鹿だった。別に誰も悪くねぇよ」

「そうか。なら許す!」

 何故こいつは偉そうなのか。胸を張って偉そうに威張っている。しかも若干鼻息が荒い。

「それで、八手さん達も悪霊退治を?」

 竜馬さんが控えめに訪ねてくる。何を考えているかは大体想像つくが、さて、その提案に乗るかどうか……。

「私たちに協力を申し込みたいのですね」

「ええ、あの人斬りは強い。ここは協力したいのですが」

「その提案、受けましょう。しかし一つ条件があります」

「?」

「貴方は国の使いというのなら、仕事が終わった後の報告を誤魔化してほしい」

「……貴方は一体何者ですか?」

「それはまだ答えられない」

 少し竜馬さんが警戒する。しかしよほど俺たちと協力したいのか相当悩んでいる様子だ。自分達ではこの仕事、もはや手詰まりなのだろう。

「わかりました」

「では交渉成立です。体力を回復させてから廃寺に行きましょうか」

 まぁ、正直こんな口約束守ってもらえる保証はないが、人斬り討伐に手を貸してもらえるのはこちらもありがたい。

 どう転ぶかはわからないが、まずは亡霊退治だ。そのために、今は目蓋を閉じよう。



 今私は廃寺に来ている。

 テントで雨が弱まるまで休憩してから、山頂にある廃寺へと歩いてきたのだ。

「八手、あそこにいる。」

「ああ、寺の広場にいるな」

 朽ちかけた門の向こう、広場に正座して座っているのが離れた位置から確認できた。

 時代劇でも時々見る小雨を防ぐための頭にかぶった帽子……名前はわからないが、あれで顔を隠しながらずっと座っている。そして脇には鞘に収まった刀、お坊さんの格好、なるほど、あれで間違いないと思う。

 ぞろぞろと四人で近づくと、こっちに気が付いたのか向こうから話しかけてきた。

「名を、訪ねてもよろしいかな?」

「あ、夏穂です」

 む、隣にいた八手が変な顔をしている。名前を尋ねられたら答えるのは礼儀だろうに。お前いつも礼儀に口やかましいじゃないか。

「はは、素直な方の様だ。小生は禅法(ぜんほう)と申します。またを、居合地蔵とも……」

 うーむ。いかにもお坊さん見たいな名前だ。しかし居合地蔵か……たしかにお地蔵さんに見えなくもない。

「見た顔もおりますが……一応お尋ねしましょうか。何の御用か?」

「あんたを地獄に送る」

「……それは、無理でしょうな」

 と、八手の返答を聞いてお坊さんが刀を手にしてのっそりと立ち上がる。

 殺気、とは違うが、戦意は感じ取れた。

「少し往生際が悪いのですが……見逃してはくれませんか。小生はただ、死を求む人間を苦しまず一瞬で斬っておるだけでして」

「無理だ。あんたの意志は知らんが、人殺しには変わりないだろう」

「……ええ、違いない」

 八手の即答に諦めを含む笑みをこぼした。あまり悪い人では無さそうだが……なんで人殺しをしているのだろうか。

「何故人を殺してるの? 自殺しに来た人を説得したらいいじゃないか」

 思わずそんなことを聞いてしまった。どうもこの人は悪人ではないと私は感じ取ってしまう。

「……死を願う人を助けるには、殺す他ないと悟ったまで」

「それでお前が地獄に落ちちゃったら駄目だろう」

「おい夏穂、竜馬さん達の前で下手なことを口走るな」

 おっと、そう言えば竜馬さんと石榴さんは国の使いだったか、ならこいつらが地獄から出てきたこととか、そういうのは黙っとくべきか。

「あんたの過去に何があったかはわからないが、別に善悪を語りに来た訳じゃあない。俺はあんたを殺す」

 八手が横で殺気立っている。が、頭は冷静なままなのだろう。

「夏穂、お前は守りに集中しろ。それと俺と石榴さん、竜馬さんの援護もだ」

「私だって戦える!」

「……今からやるのは人殺しと変わらないんだ」

 ――その一言に、とっさに何も言い返せなかった。

「……あいつは、怨霊だろ?」

「星降り島の時みたいな奴じゃあない。あの忍者を見て誤解していたがこの坊主で理解した。悪霊と言った不確定な思念の塊ではなくこの人斬り共はきちんとした理性を持っている、狂っていない。それは生きた人間となんら変わらない。お前にはまだ荷が重いんだ」

 なら、お前はどうだというんだ。

「お前は人を殺していいのか。八手!」

「ああ、薄々そうだろうと思っていた……だから腹はもうくくってある」

 そう言って八手はゆっくり歩いて前進する。人殺し、今からするのはそういうことだと八手は言い切った。覚悟、その強い意志と決意があいつの背中から伝わってきた。

「石榴、八手さんのカバーに、俺は夏穂さんと一緒に後方支援をする」

「ああ、わかっておる」

 隣では顔つきの変わった竜馬と石榴が小声で作戦を決めている。

 ……人殺し。それは、でも、だけれど。それができないと私はそれじゃあお前の力になれないってことじゃないか。でも確かに、人を殺すのに抵抗を覚えているのもまた事実で……。

「別に悪いことじゃあない。人を殺せないってのは」

 自分が甘いのかどうか悩んでいると、八手が背を向けたままそう言った。

「お前は純粋でいい。そりゃたまに餓鬼っぽくてイラッとくるが、お前はそれでいいんだ。捻くれ者の側にいるんだから、単純でいてくれよ。バランスって大事だろ」

 ……まったく、ときどきこいつは優しいのかそうじゃないのかよくわからなくなる。

「わかった。今はお前に甘える」

「はっ! 気持ち悪いぐらい素直だな」

 悪態をついて戦闘態勢に入る八手、なんだろうこれ、戦闘時の異様なテンションになっている。と、その横を石榴さんが駆け抜けた。

「!」

「八手殿! まずはわらわが先行する!」

 すでに事後承諾だったが、八手に戸惑いはなかった。人間である八手と鬼である石榴なら危険な接近戦は鬼である石榴の方が秀でている。

「はぁああ!」

 石榴が叫びながらまっすぐ突っ走っていく。一方坊主は鞘に刀を収めたまま微動だにしない。

「石榴! 居合だ!」

 竜馬が後ろから叫ぶ、すでに一戦交えただけあって相手の得意技を知っていたようだ。

「わかって、おるわぁ!」

 だがそれは石榴も一緒だったようで、間合い外ぎりぎりで止まり、石畳を殴りつけその瓦礫を坊主に飛ばした。

 間合いを一気に詰めての投擲攻撃、あの細い刀一本では到底防ぎきれない! はずなのだが……。

「止めただと!」

 石榴が飛ばした岩が宙に浮いて止まっていた。なにかのマジックか!

「なに、僧侶が法力を使ってもおかしくはあるまい」

「法力だと! あの坊さん、そんなに徳が高いってのか!」

「人斬りを始めてから力は弱まりましたが、この岩程度ならすぐ受け止めれますゆえ……」

 八手の問いに律儀に答える坊さん、瓦礫地面へと落ちていく。

「すみません。タイミングを計りかねました。石榴さん、竜馬さん、もう一度行けますか?」

 八手が石榴と竜馬にそう提案する。何か考えがあるんだろうか。

「わかった。もう一度仕掛けよう」

「夏穂、次で仕留める!」

「わかった」

 と、八手が上空へと手を伸ばす。何をする気だ。

「夏穂、お前は石榴さんの支援だ。俺には構うなよ」

 その一言と共に、長い何かを手にした八手、あれは……!

「それは……神器? いや、違う。異質な物をお持ちで」

「さっき律儀に自分の能力を教えてくれた礼だ。答えてやる、これは笹の葉(ささのは)、俺の家に伝わる家宝であり武器である軽薙、笹の葉だ」

 京極の家宝、八手は今その一つをどこからともかく召喚したのだ。見た目は普通の薙刀だが、家宝なのだからなんかビームとかそういうの出すのだろう。

「ほほう。して、それはいかなる力を秘めているのですかな?」

「名の通り軽い、それ以外の力は無い。軽いだけが取り柄の薙刀だ。故に危険視する必要はないぞ」

「他の能力を隠している様な口ぶりですが、小生に虚言はつうじませぬよ。嘘は言ってはおりませぬな。本当に軽いだけですか」

「ちっ、あんた相手に嘘は通じないってか。心理戦は無理か」

 は……いや待て、本当にそれだけ? ただ軽いだけの薙刀ってお前なぁ!

「おい八手、ふざけるな! そんなのが家宝だっていうのかよ」

「別にふざけていない。この薙刀は軽いってのが売りだ。それこそ葉っぱと同じぐらいな」

 もんのすごく軽いのはわかったが、それがなんの役に立つというのだ。軽くて振り回しやすいのはわかるが重さが無いと相手にぶつけても威力は出ないだろうに!

「強結展安!」

 そんな私の心配を無視して八手がお得意の強化結界を使う。あれであの薙刀を使いこなせれるようにはなるだろうが……。

 と、すごい風切り音が聞こえ始めた。しかも継続してだ。

「ヌンチャクか……あれ」

 目を疑う。八手がとんでもない速さで薙刀を振り回し始めたのだ。目に見えないほどの速度、腕がもげないのか不思議なほどだ。

 いくら強化結界を使ってもそれを使いこなせるようになるだけのはず、人間の限界を超えた動きはできないはずなのだが……そう言えば八手は京極三長柄は強化結界の能力と相性がいいと言っていた。だからあんな馬鹿みたいな速度で武器を振り回せれるのだろう。

「石榴さん、居合を、もう一回あいつに使わせてください」

「了解した!」

 八手の一声で石榴がまた突っ込む。また居合を警戒して岩の投擲でもするのだろうか。

 いや、一瞬で加速した! なんて踏み込みだ……しかしなんだか石榴は慌ててるような?

「!……やばい」

 と、竜馬が声を上げる。こっちも慌てているけど、待て、さっきのは相手に向かって突進した訳じゃないのか!

「竜馬! 引き寄せられてる!」

 やばい! これは奴の法力だ。あいつ石榴さんを自分の間合いまで引き寄せる気だ。

「はぁ!」

 霊力を集中させる。威力なんてどうでもいい。取りあえずあの坊さんの近くを爆発させて瓦礫を当てる。

 爆炎と共に坊さんの後方が破裂、瓦礫が坊さんに飛んだが、それも法力で受け止められた!

「解けた!」

 石榴がそう叫ぶ。後ろの瓦礫を受け止めたから石榴に掛けられた法力が解けたのか! しかし加速した体は急には止まらず、地面を転がりながらあのお坊さん目掛けて転がる。坊さんは居合の構え、駄目だこのままじゃ斬られる!

「縛呪!」

 だがそれはお坊さんの間合いに入る寸前で急ブレーキがかけられる。地面から生えた光の鎖で石榴さんが縛られたのだ。いち早く異変に気がついた竜馬がなんかの術で石榴の動きを止めたらしい。

 そして石榴の体すれすれの目の前で鈍い銀の光と共に宙を一閃するお坊さんの刀、危なかった!

「むぅ!」

「今だ!」

 風切り音が止み、叫んだ八手の方を見る。そのまま相手に突進するのかと思っていたのだが、どうやら違うようで。手にはあの薙刀がない。まさか手元が狂ってどっかに投げ飛ばしたのかこの馬鹿!

「八手、薙刀は!」

「よく見ろ。飛ばしたんだよ。遠心力を利用して思いっきり速くな」

 どうやらわざと投げたらしい。言われて坊さんの方を見る。血は出てはいないが、心臓がある部分に穴が開いていた。そして八手の薙刀は後ろの廃寺に突き刺さっている。そうか、薙刀が体を射抜いたのか。

「……高速の投擲……とは、恐れ入りました」

「居合地蔵の異名、その場から動かないから地蔵なんてついているんだろう? 居合ってのは安定した足場が必要だし、その法力で相手を引き寄せれば動く必要が無いからな。近づけば斬るカウンター戦法。だから投げた。それが目で見て認識できない速さならば法力では受け止められないしな……簡単な話、銃でも持ってればあんたを簡単に倒せたんだろう」

「ふん……ああ、銃か。なるほど、なんの皮肉か。生前と同じ道理で殺されるとは……なぁ」

 居合地蔵がその場で崩れ落ちる、八手の、私たちの勝ちだ。

「しかし、なんで居合を打たせた後に?」

 竜馬さんが八手に質問してくる。当たり前だ。あれならいちいち石榴さんを先行させる意味がない。

「相手は居合の達人、もし投げた薙刀を居合で弾き飛ばされれば困ったので、念には念をね」

「なるほど……いや、君は戦いに馴れているんだね」

「そうでもないですよ……」

 計算づくの作戦、実に八手らしい。しかし法力があれば……いや駄目だ。坊さんはあの法力は発動に少し時間が掛かると言っていた。故に使った直後では八手の投擲物を認知できても居合い意外に高速で放たれた薙刀は受け止められない。なるほど、あまり自分の能力をべらべらとしゃべるのは良くないということか。

 と、八手が崩れたお坊さんの方へと歩いていく。

「これであんたは地獄行きだが、最後に何かあるか?」

 自信で手にかけた者の最後の言葉を聞こうとする八手、責任を取っているつもりなのだろうか?

「何か……勘違いしておるな」

「ん?」

「小生らは倒されれば魂は消滅よ……輪廻の輪から離れてな」

「……そうか」

「――それも悪くはない。地獄に落ち、自身のしてきたことが罪だと、時をかけ納得しておった。しかし、いざ生き返ると広がるは平和な世、乱世に苦しむ民草もおらず、それでも他の生き方ができず、ただここで、自ら死にに来たものを斬る毎日……昔、苦しむ者が数えきれないからこそ、殺すしかないと悟ったのに……小生は、説得もせず殺しておった」

「……不器用な奴だな。あんた、この戦いにも本気で挑んでなかったろ」

「気づかれていたか……罰を望んでいたのかもしれん。礼を言いまするぞ、若き陰陽師よ。お主はまだ“奪ってはおらん”」

「俺にその言葉は不要だ……これから奪うさ。守るためにな」

「これは……強い御仁、だ。ですが、これだけは心に刻んでおく様に、私とは違い、あなた様の行いは、罪などではありません。迷いなくお進みなさい」

 最後、八手にそう言ってから、坊さんは持っていたボロ刀と共に砂になって消えた。最後の最後、坊さんらしい優しい言葉を残して。



 その後、竜馬達と下山した。別れ際、国への報告はでっち上げると約束してくれて、私たちは勝った。なのに、すっきりしない。家に変えるためタクシーに乗る。最初自殺スポットから来たから幽霊じゃないかと疑われ誤解を解くのに時間がかかってしまった。

 疲れた体が車に揺られる。そんな中私なりに考えた。地獄からの脱獄者、私は皆それを悪人だと思っていた。悪いことをしたから地獄に落ちたんだと。

 でも違う。あのお坊さんは、方法はどうあれ人を救おうとしていたんだ。そして、それが間違いだったと後悔していた。だからわからなくなった。

 要するに、私の中の善悪が曖昧になってしまって迷いが生まれたのだ。

「八手、私たちは悪なのか?」

 ふと、隣で寝かけていた八手にそんなことを聞いた。すると少しさびしそうな顔でこう言い返してきた。

「優一先輩が昔、話してくれた話しがある。僕は人を助けたいと思うけど、それは同時に救えない誰かを見捨ててるんだって、でもそれに悩んでいても仕方ない。だって何もしなければ両方助からないんだからって、なぁ、夏穂、あの坊さんは確かに悪人じゃあなかった。でも、あの自殺スポットで思い悩んだ挙句また山から下りて社会に戻る人だっているかもしれなかった。そしてこれからも、そういう人が出てくるかもしれない。なら、俺たちはこれから出てくるそういう人を、助けたんだよ」

「……ごめん。話長いから途中から理解できなかった」

 あ、八手が隣で本気で呆れている。そしてため息とともに目を閉じた。まぁなんだ。私たちのしたことが間違いじゃないってこいつが思っているならそれでいい。

 なら今は私も眠ろう。これからの戦いの為に。


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