第二話「初戦」
「知ってますか? 最近話題になってる通り魔事件、犯人の一人が山に潜んでるって噂なんですけど」
「あのここオカルト版なんだけど? 事件の話とかスレ違い」
「いえ、それがどうも幽霊とかそういう話なんですよ」
「山ってどこの?」
「前、事件が起きた凄い田舎なんですけど、ほら田んぼだけの」
「俺あそこ実家だけどあそこコンビニすらないんだぜ。どうやって食べてるのか不思議だわ」
「動物狩って生活してんだろうって」
「いやあそこイノシシ出るから」
「それはほら、刀あるじゃんか。あの刀で人殺してるんだろ? それでイノシシ殺せるじゃん」
「いやイノシシに刀で勝てないから」
「で、その犯人なんだけど忍者みたいな格好してるんだって?」
「忍者? 馬鹿じゃないの?」
「いや忍者でもイノシシに勝てないから」
「で、テレビで言ってないけど犯人さ、人間じゃないらしいよ」
「いやいや、人間でしょ」
「幽霊でもイノシシ勝てないから、イノシシまじやべぇから」
「どんだけイノシシ強いんだよ」
「昔イノシシに追っかけられたんだよ! 自転車乗ってたから助かったけど、あれマジで怖いから!」
「で、その忍者の幽霊なんだけど、目が黒に塗りつぶされてたらしいって」
「嘘乙、イノシシがそんな奴倒すから」
――とあるオカルト掲示板より。
今俺はバスに揺られている。
早苗さんのあの事件から数日、俺は得意のネットサーフィンで先輩に頼まれた例の件について探りを入れていた。
そしてとある田舎でその犯人が潜伏しているのではないかという情報を入手し、俺は電車とバスを乗り継いてその場所に向かっているところだ。
今日本を騒がしている連続通り魔事件。それを解決する一歩として。
「こりゃ、速く決着をつけないとな」
しかし今この事件が地獄からの脱獄者達の仕業と知っているのは先輩と俺だけってのがな。一応国が雇っている公務陰陽員というのもいるが、そいつらも現状を把握しきれていないとみて間違いない。把握すればあいつらは犠牲者を出さないことなど置いといて、地獄からの脱獄者の力を有用に使えないかどうかという形で動きがあるはずだ。
「あいつら人道的に問題あるからなぁ……」
何度か仕事で国に雇われた連中と鉢合わせしたが、俺の依頼人を囮に使われたこともあったし、俺はあいつらを信用していない。それに京極家にとって、そして俺個人にとって陰陽省に所属する公務陰陽員の連中ははっきり言って敵だ。
「先輩はできれば国に協力を要請してくれないかと言っていたが……うーん」
先輩は人間として完成している。ゆえに俺の事情を知っていたがまず犠牲者をできるだけ出さないために国にも協力を要請してくれないかと俺に言ってきたが、俺がそれを断った。あいつらに頼ると余計な犠牲者が増えるだけだ。
「国は信用ならないからなぁ」
正直に白状すれば俺は焦っている。こうしている間にもニュースで日々報道される犠牲者は増えているのだ。だが国には頼れないとなると、やはり俺が一日でも早くどうにかしないといけないのだ。
「なんかそれニュースで禿げてたおっさんとかが偉そうによく言うセリフだな」
隣でバリバリとポテチを頬張っていた夏穂が一人考察していた俺の独り言に反応してきた。
「国は信用ならないっていうけど、その国が存在しないとそもそも自分たちは生活できてないのにな」
付け加えもう一言、そんなセリフどこかで聞いたような気がして思い出そうとする。
「あー、確かにそんなこと先輩も言っていたっけか」
よく行政が非難されるが、自分は国として最低限のことは現状やっていると思うから別になんとも思わないと、実にあの人らしい意見だ。他人に求めるのは必要最低限、それ以上は自分でなんとかするのがあの人の信条というか、生き方だ。
「でもそんなあの人が俺に頼み込んできた訳だし」
相当大切な何かがあるのだろう。人の頼られるのは進んでするが、自分のためだけに人に頼るのを渋る人だ。実際この事件解決も先輩個人の利益ではなく別の人を助けるためなのかもしれない。
「八手、本当にこの事件私とお前だけで解決する気か?」
「当たり前だ。俺が先輩に頼まれたんだから俺がやらなくてどうするんだ」
「……お前、馬鹿だ」
「なんでそうなるんだよ」
バリバリと音を立てながらポテチを食べる。というよりも処分していく夏穂が少し拗ねた顔でそんなことを言った。
そして無言。すでに携帯の電波が届かないほど田舎で、ネットもできず暇なので話相手が欲しかったのだが唯一の話相手に黙られたは手の打ちようがない。と、バスが止まった。どうやら目的地に着いたらしい。
俺と夏穂は各自自分の荷物を持ってバスを降りる。しかしなんだ。改めて見ると夏穂の奴とんでもない大荷物だ。登山用のリュックサックにすべてお菓子というお菓子が詰め込まれている。
「遠足じゃないんだぞ……」
こいつの緊張感の無さに嘆いていたが、夏穂はそんなの耳に入っていないといった感じで周囲の景色を見渡す。
水が入ったばかりの田園と農道、その中にちょこんとバス停があるだけの世界。
「なんか、懐かしい。」
ぽつりと夏穂が呟く。確かにこの風景は日本人ならそう思わないこともないだろう。
「ほら、感動してないで行くぞ。」
周囲は実に夏らしい。空にはさんさんと紫外線を放つ太陽と大きな入道雲、道を歩けば蝉の鳴き声があちらこちらから聞こえてくる。
「まずは情報収集だな」
人を探すが、通行人らしき人や農作業をしている人がいない。遠くに民家が見えるのでまずそこを目指すことにする。
数分歩いて民家に、呼び鈴を押してできた人は快く最近この変に表れた不審者について話始めた。どうやら警察に捜査要請をしたが犠牲者が出ていないのを理由に調査を断られたらしく、困っていたようだ。
自分は探偵と名乗り、村の老若男女の話を聞いていく。最初にどこから来たのかと尋ね返されて、ちょっとした雑談をして、事件の話を聞いていく。腰の曲がったおばあさんや、ザリガニを取って遊んでいた小さな子供、部活帰りの高校生や、少し怖そうだが、最終的にお茶を出してもてなしてくれたおじいさん。
その最中、夏穂は俺の後ろに隠れて話を聞いていた。こいつは人見知りが激しく、初対面の人間相手だとなにかと警戒する。というより意図的に避けている場面もあるが、こいつはそもそも聞き込みに置いて戦力外としているので別にかまわないのだが、こいつの人見知りはどうにかならないものか。
遠くにある山に目をやる。もう日が落ちてきて小さな村は気が付けば夕日のオレンジに染められた。
「話を聞いた限りここに脱獄者がいる可能性は高いな」
目撃証言によると、不審者は黒装束に身を包み刀を所持していたらしい。被害はないものの、近隣の住民はこの不審者に怯えていた。
「警察はなんで動かないんだ?」
ふと、農道を歩きながら物思いにふけっていると、夏穂がそんなことを聞いてきた。
「多分、悪戯が多いんだろう?」
「悪戯?」
「電話を使って、警察に嘘の情報を警察に伝える奴ってのがいるんだ。こういうニュースで大きく取り上げられている事件だと尚更な」
「なんでそんなことするんだ?」
「さあな、面白がってやってるんだろ?」
「……間違った情報を流して犠牲者が出たら、どうするんだよ」
「どうもしないさ、匿名で電話をかければ責任なんて発生しないしな。初戦は他人事さ」
ストレスの発散に、憂さ晴らしに、面白半分で、そんなことができるのが人間である。
俺はそれをよく知っている。子供の頃に思い知った。
「そんなの、間違っている」
夏穂が怒りと悲しさを交えた顔をする。
世の中の理不尽、悪意。こいつはそれらに慣れていない。だから俺はこいつを子供と判断している。しかし、俺はいつからこんな捻くれて世間をみるようになってしまったんだろうか?
「ああ、間違っているが、それが当然になっているんだよ」
それから会話は無かった。
あれほどやかましかった蝉が静かになり、電灯のない日の落ちた村は、天に上った月のみに照らされる。
さて、ここからが俺たちの仕事だ。
「夏穂、覚悟はいいな?」
俺たちはよく不審者が目撃された山へと歩き始めた。
今私は八手と一緒に夕暮れの山に来ている。
八手が仕入れた情報によるとここに刀を持った地獄の脱獄者がいるらしい。
「八手、ここからどうするんだ」
今夜は月が出ているから、懐中電灯を使わなくても歩けるが、山の中になると光が木に遮られ見通しが悪い。
「本当に今夜一戦交えるのか?」
地獄からの脱獄者は相当の腕利きと聞く。できれば万全な状態で戦いたい。
「いや、こちらが準備を整えても相手に警戒されて接触を避けられたら元も子もないだろう」
「八手、やはりやめよう。何か、嫌な予感がする」
「今更何を言ってやがる」
私を邪険にする八手、しかし私は先ほどから八手がどうもいつもと違う雰囲気な感じがして、胸騒ぎがしているのだ。
しかし八手は私の意見を聞かない。仕方ないので取りあえず胸騒ぎを押さえつつ、状況確認をしてみる。
「相手はなんでここに潜伏しているんだ?」
「警察に見つからないためだろ?」
「幽霊なんだろ? そんな奴が警察を警戒するか?」
「そんなこと考えても仕方ないだろうが、ほら、これを持て」
そう言ってデジタルの腕時計を私に渡す八手、針の時計ではないためこれなら私でも時間を間違えることはないだろう。
「三十分おきに合流してお互いの安全を確認する。ポイントはここだ」
八手はそう言って荷物から暗闇でも赤い印の入った棒を突き刺す。
一応こいつなりに作戦を考えてきているらしいが、私はそれでも不安で仕方ない。
「だけど!」
「夏穂、俺たちが事件を早期解決しないといけないんだよ」
八手はその一言で私を無理やり納得させた。確かに事件を早く解決しないと犠牲者が増える一方だ。頭ではわかっている。
「……」
私は何も言い返せなかった。無言で頷いて、八手の言うことにした。
まだ納得できない部分はあったが、これ以上八手にかける言葉が浮かばなかったからだ。
「私は……」
何かを言いかけようとして、それでも言葉が出なくて、私は八手に背を向けた。
納得なんてしていない。でも、ここは八手の言うことを聞こう。あいつは私の主なのだから。
「行ってくる」
「気をつけろよ」
その会話を最後に、八手と離れる。
私が探索するのは人里の近くだが、それでも山の中の住人の空気は感じられる。
カラスの鳴き声が遠くから聞こえ、木を観察すればネズミか、リスかわからない小さな動物が私を警戒して上の方まで逃げている。
ふと、昔のことを思い出した。
私が、まだ八手の先輩である優一の元に住んでいた頃、私は家出をした。自分という存在を確かめたくて、いわゆる自分探しの旅をしに出かけたのだ。
徒歩で、今思えばそんなに遠くに行ってなかったのだろうが、初めて見る場所や、いつもと違う空気で、どこか異国に来たような気分だったのは覚えている。
なんだかんだで優一が私を探し出して、まず怒るのではなく家出した理由を私に聞いてきた。私はただ一言「自分は何者なのか知りたかった」と優一に告白した。
そして優一はただ「君は僕の大切な人だよ」と言い返した。
それだけで私は温かいものに満たされ家出を止めたのだが、私はどうしても自分の正体というものが知りたくて帰り道、優一に私の生まれについて聞いた。何故こんな強い力を持ってるのか、私の本当の親は一体誰なのか、そもそも何故見た目が同じ年ぐらいの優一が私世話をしているのか。この際だから全部聞いてやろうと口やかましく質問してやった。
あいつは少し言おうか言うまいか悩んだ挙句、私にこう告げたのだ。
ただ悲しそうな顔をして「君は、僕の大切な親友の生まれ変わりなんだ」と……そして、優一は「いつか、その親友を復活させる気なんだ」とも言っていた。
優一は、そのために生きていた。心優しく、そして人間として芯が通っているあいつは、親友を復活させるということを人生の目標として、色々調べまわっていた。
私はそれを聞いて思った。優一にその親友ともう一度会わせたいと。
だって私にとって優一は大切な人間だ。そう思うのが当然だ。そしてその為ならば私はいくらでも傷ついてもいい。
私はあの時に決めたんだ。
あの帰り道悲しげに親友を語る優一の顔が笑顔に変わるなら、最悪死んでもいいと思ったのだ。その覚悟もできている。
しかしそれで八手が傷つくのは我慢できない。傷つくのは、死ぬのは私だけでいい。
意地っ張りで、ムカつくところもあるが、それでもあいつが傷つくのは嫌だ。
「私は……!」
最初から、自分の言いたいことなんてわかっていたが、でもそれを言葉にできなかった。私は、あいつの言う通りまだ子供なのかもしれない。
すぐさま走る。
八手のいる場所なんて見当つかないが、やはりこの作戦には穴がある。
相手がなぜこの場所に潜伏しているのか、そんなこと少し頭を働かせばわかることだったのに。
動物が自分の縄張りにするのは、自分が逃げやすい、見通しがいいなど色々と都合のいい場所を選ぶ。
それは戦闘においても同じ、潜伏するなら逃げやすい場所か、戦いやすい場所を選ぶ。
「悪い予感がする!」
闇の中、私は走った。木の枝が腕を、足を、顔を傷つけようと構わない。
「はぁ! はぁ! はぁ!」
息を切らし、不安を振り払うようにがむしゃらに走る。
理由なんてわからない。さっき頭をよぎったそれを言葉に変えることなんてできない。ただ嫌な予感がしたから、それだけの理由で私は頭を空っぽにして走っていた。
今俺は敵と交戦している。
うかつだった。この山の中は敵にとって格好の狩場らしい。
視界が悪いのに加え、木々の茂みから石を尖らせて作った投擲武器を使用し攻撃してくるため、場所を把握できない。
「くぅ……」
腕、足に切り傷多数。致命傷はなんとか避けているもののやられるのは時間の問題だ。
それに、相手はまだ全力を出していない。
「キキャキャキャキャ!」
まるで猿か蝙蝠を思わせるかん高い笑い声。この声で俺は相手の大体の位置を把握し、なんとか今まで生き残っている。
しかし力量差は歴然、あいつ、わざわざ隠れて戦わなくとも俺より強いだろう。
「舐めやがって……!」
耳を澄ませる。
ありえない。草木が揺れる音で相手の移動速度を特定したが、ありえない速度で移動している。そもそも相手は人間なのかも怪しい。
実は地獄からの脱獄者では無く別の妖怪か何かかもしれない。
「はぁ、く、そぉ」
体力の消耗が激しい。いくらなんでもこんな短時間の戦闘でここまで体力が削れるのはおかしい。
毒、しかし微量なのか。はたまた遅行性なのか。それほど強力なものではないらしい。
やばい、目がかすれてきた。
「キャキャ! ギャキャキャ!」
「!」
不愉快な笑い声と共に石の針が飛んでくる。
俺は横に飛びのいて、それを避けるが、意味がない。次で同じ攻撃をされれば死ぬのは確定だが、第二撃目が来ないのだ。
完全に遊ばれている。
「はぁ! く、はぁ!」
息が荒い。自分の無力さが憎い。いくらなんでももう少しは戦えるはずだろう。
すると、ボトリと正体不明のものが俺の前に落ちてきた。
黒い塊、いや、黒装束を着た何者か。
「キャキャ! キャキャキャ!」
一瞬、これが人間かどうか判断できなかった。
四つん這いになり、まるで蜘蛛の様に俺に近づいてくるそれは、目が黒く塗りつぶされていた。
舌も蛇の様に細く長く、自分の顔の周りを舐めまわしている。
しかし、あれは人間だ。妖怪特有の雰囲気が感じ取れない。実際狂った家に生まれた陰陽師は人間離れした見た目をしている。
「ざこがきた。ザコガキタ。雑魚が来た!」
同じ言葉を何度も繰り返しながら俺に滲み寄ってくるそいつ。
そして、腰に差していた刀を四つん這いのまま抜き、口にくわえた。
「――! なんだその刀……」
そう言わずにはいられなかった。あいつ本人の見た目も異様だが、その刀は俺からしたらそれ以上に異様に見えた。
ボロボロで、そして茶色く錆びついている刀。
見た目だけなら単なる古い刀だが、しかし纏っている妖気が出鱈目だ。並みの妖怪ならそばに近寄るだけで硬直し動けなくなるだろう。
間違いない。あいつは地獄からの脱獄者。俺の第六感が大声で叫んでいる、あの刀は現世に存在していた物ではないし、して良い物でもない。それがなによりの証拠だ。
「お前、何者だ。」
確認のため言葉が通じるかもわからない敵に質問する。
「キキャキャ! 名前か? 大黒目(おぐろめ)だ」
奇妙な笑い方をして誤解していたが、こいつ案外理性はあって話が通じるようだ。
「地獄から来たんだな?」
「……お前は、何者だ?」
俺が地獄の単語を出した瞬間、奴の顔が強張った。
確認はとれた。あの顔だけで十分あいつが俺たちの目標ということというのは理解できた。
「キキャキャキャギギャギャギャギャギャ!」
変な笑い声がいっそう変になってくる。くそ、本気になったな。
「お前、そうか。そういうことか。敵か、敵なのか、敵なんだな」
自分自身で確かめるように何度も頷く大黒目。
「……やばいか」
奴が四つん這いから二足歩行になり、刀を口から手に握り直す。
殺される。俺はあいつに斬り殺される。
「コ……ロス!」
あっさり下される死刑宣告。
先ほど間で浮かべていたふざけた笑みが消え、目にもとまらぬ速度で俺との間合いを詰めてきた。
俺の目では捉えられないほどの速さでの接近、一瞬でボロ刀の刃が俺の首めがけて迫りくる。
逃げられない。毒が体に回っている! 指に感覚がない。 足もまるで無くなったようだ! すぐ横に飛べない、くそ、なら頭を使え京極 八手! 躱せないなら防ぐだけだ! 俺は必死に懐に隠し持っていた物を引っ張り出して奴の刃を弾き飛ばす。
「キキャ!」
大黒目は一気に俺との距離を取り長い舌をベロベロと動かしていた。
「キキャキャキャ! 十手、か」
そう、俺が手にしていたのは十手、先輩が海外に飛び立つ時渡された物だ。
詳しくは教えてはくれなかったが強力な霊的武器らしい。今回はこれのおかげで首の皮一枚繋がった。
「強結展安(きょうけつてんあん)!」
すぐさま俺は京極家に伝わる強化結界を張る。
張るのはこの十手にだ。早苗さんの事件の時は自分の体に強化結界を張ったが、これが本来の使い方と言っていい。
京極家、陰陽術「強化結界」それは京極家の初代陰陽師が生み出したどの陰陽術にも該当しない異端の技。
自身の体に張れば硬質化、筋力の機能向上などの効果を得られるが、それは武器がない時の緊急時の使い方だ。
そもそもこの技は自身ではなく「物」に張る結界だ。それが武器でなくてもいい。個人の相性というものはあるが、物ならば武器として強化、性能を把握し、経験が無くとも使いこなすことができる。
そう、“使いこなせる”そこが重要なポイントで、無条件で使いこなせるということは修練無しに刀ならば達人の剣術、弓ならば百発百中の精度を得ることができる。
これこそがこの「強化結界」の神髄、物体を、機能を、そして本人の技量さえも強化させる結界……と昔あの糞爺に何度も聞かされた。
「はぁ……」
しかし、ここにきて問題が発生した。いかに優れた術でもそれを使う前に術師が動けなくなれば意味が無い。
先ほどの毒が、完全に体を回っていたのだ。もう、全身の感覚が無い。くそ、視界が暗い。いや、もう夕方から夜になったのか。駄目だ。頭も回らない。
「キキャキャ!」
俺が毒に弱ったことを相手が悟るのも時間の問題だったようで、小黒目と名乗る化け物は再び風の様な速さで、俺の首を狙い突進してくる。
「八手!」
そこに、聞きなれた声が耳に入る。死に際に聞いた幻聴かとも思ったが違う。これは実際の声だ。
でも変だ、三十分、もうそんなに経ったのか? そんな俺の疑問なんぞ知らず、黒い炎が俺を守るように周囲に発生する。
いや、待て、首が痛い。斬られたか? 否、触って確かめたが、確かに斬られたが首ははね飛んでいない。少し切れているだけだ。
大黒目とかいう奴、本当に俺の首を跳ね飛ばせる寸前のところで刃を引っ込めて回避に回ったらしい。
「夏、穂!」
あいつの名前を呼び無事を知らせる。緊急時における簡略化された安否確認、しかし聞こえた言葉は俺への返答ではなく夏穂の気合の入った声だった。
「どっかいけぇええええええええええええええ!」
そんな語彙力の欠片もない掛け声と共に、山に二匹の大蛇が走る。
蛇の正体は夏穂の作りだした炎。両手左右から放たれたそれはすでに見えるか見えない位置まで逃げうせた大黒目を追い続けていた。
「逃がすかぁ!」
そして、見えるか見えないか、目で確認できそうにない位置まで離れられると、夏穂は細長く放たれた黒い炎の先端を爆発させた。
静かなはずの田舎に、爆音が響き渡る。
眠っていた森が目をさまし、鳥が羽ばたき空に逃げ、大小関係なく動物たちは爆発位置から逃げ出す。
「……馬鹿八手、無事か?」
夏穂がゆっくりと息を吐き出し、再度俺の無事を確認する。というか、お前、馬鹿って……俺の影響で口の悪さが日々パワーアップしてねぇか?
いや、それより敵だ……いない。大黒目はすでに俺たちが認識できる位置から消えたらしい。
「三十分、経ったのか?」
薄れる意識の中、先ほど気になったことを聞いてみる。夏穂は腕時計を見てから、ため息をついた。
「私、時計の見方なんか知らないから」
……まったく、もう少し、ましな嘘はつけないものか。
朝飯も七時ちょうど、昼も十二時ちょうど、三時になったら必ずおやつを要求して、晩飯も十九時ちょうどに要求してくるお前が、時計の見方を知っていないはずないだろうに。
俺が不甲斐ないから、未熟だから、浅はかだったからそんな嘘をつくんだろうお前は。お前なりに気を使って、そんな不器用で優しい嘘をつくんだろう。
「すまん」
謝罪する。今回完全に俺は冷静さを欠いていた。
三十分後こいつが来ていれば俺は死んでいた。作戦を無視して、時間を無視してこいつが来なければ、この人生が簡単に終わっていた。
「ごめん、八手、私……」
何故か夏穂も謝る。
「私が、もう少し、自分の意見を言えてれば、嫌な予感はしていたんだ」
泣きながら、そんなことを言ってくる。まったく、こいつは子供すぎる。
「ごめん。ごめんなさい。私が、もっと……もっと」
「なんでお前が謝るんだよ。お前は悪くないだろ?」
「……八手、私言いたいことがある」
「なんだよ」
改まってそんなことを言い出す夏穂。
「お前、人を頼れ」
こいつらしい短銃明快な一言、そんな言葉を泣きそうになりながら吐き出す。こいつ……まっすぐすぎるだろ。
「頼れってお前……十分頼ってるつもりだが?」
現にこの作戦だって、最終的にはお前と共闘するつもりだった。
「お前の頼るってのは違うだろう? 仕事として必要最低限での助け合いしか要求してない。私が言いたいのは、もっと、優一みたいに心のそこから、だな……」
先輩みたいに、どうしろってんだよ。
「俺はあの人みたいにはなれない」
「別に優一になれとは言わないけど、それでも無茶はだめだ。そりゃこの事件はすぐに解決しないといけないけど、お前が死んだら事件の解決じたいできないだろうが、それに、前に言ってたじゃないか、お前好きな奴いるんだろ?」
「何でいきなりそんな話題になるんだよ」
「この前早苗さんに言ってたじゃないか、貴方以上に救いたい人がいるって、その人苦しんでるんだろ? お前はその人助けたいんだろ! なら死ぬな。私でも、お前の爺さんでもいいから力を借りてさ、みんなでこの事件を解決しようよ」
口下手なあいつが、こうも言葉を尽くしてくる。
きっと、俺と別れている間に自分の言いたいことをまとめてきたんだろう。
まっすぐで、無垢な言葉。いつもは子供だと馬鹿にするが、今はそれはできない。
だって、今あいつが言っていることは、本当に正しいことなのだから。
俺は、焦っていた。初めて先輩から頼られ、どこか舞い上がっていたんだ。
人に頼りすぎるのはよくないが、頼ることが必要な時もある。
そんなこと、先輩に言われなくとも自分で気づかなければならないことだろうに。
「ああ、そうだな。夏穂、やり直そう。今度はお前を本当の意味で、頼るから」
日が昇る。ああ、そういえば俺、体に毒が……視界が夜より濃い闇に染まる。
さて、夢の中でこれからのことと、目を覚ました時こいつにどんなことを言えばいいのかじっくり考えるとでもしよう。
私は今、見舞いに来ている。
八手とあの気持ち悪い奴と戦った後、なんとか私一人で後片づけ、は絶対に無理だったのでまず八手の爺さんに電話をした。
警察への事情説明と、気を失った八手の入院手続きとか色々とやって貰った。
そして、三日ぐらいして、私は爺さんとでっかい建物に泊まりながら毎日八手の見舞いに来ている。
むぅ、というかあそこが八手の実家なんだろうか? スイートルームとか言ってたな。 なんか色々な人がいたしプライバシーとかどうなっているのだろう。
その建物から近場に病院があるので、見舞いに来ること自体は楽だ。
「……ごめんなさい」
最近の口癖になっている言葉を口にする。
「謝ることないじゃろがぁ、夏穂ちゃんやぁ」
そして、その八手の爺さんが、今私と一緒に真っ白の病室にいる。
この八手の爺さん、禿げた頭でかなり高齢に見えるが、結構元気な爺さんである。持っている杖も、優しい人が電車で席を譲ってくれるという理由で持っているだけの飾りらしい。
白いカーテンがそよ風に踊り、少し強めの朝日が窓から入り込んでくる少し幻想的な空間。なんだかここだけ窓から見える外の世界から隔離された別の世界の様だ。
ちなみにさっきのごめんなさいは、八手の向けての言葉だ。こいつが眠っている間に何度このセリフを口にしたことか。
「夏穂ちゃんやぁ、今晩何を食うかね? 寿司かの。ピザも良いかの? おお、知り合いに高級レストランを経営しとるところもあったのぉ」
「あ、一旦レストラン行って、帰ったら寿司とピザ、うん、全部食べる」
「……夏穂ちゃん、今落ちこんどるんじゃろ?」
「え、うん。かなり」
「……そうか。うむ、そうなのか。食欲があるのは良いことじゃが、うむ……むぅ」
そんな中、その爺さんと私は安らかな顔をして眠っている八手を共に眺めながら、今雑談をしている。
なんか急に無言になったが、なぜだろうか?
「私の力不足で、八手がこんな風になっちゃったんだから、落ち込むよ……」
膝を抱えながら、弱音を吐く。
「そりゃー、こやつの修行不足のせえじゃて、夏目ちゃんかなり強いしのー、使いこなせんこやつが悪いんじゃて」
「でもさ、いくら霊力があって私うまく使えないし、もっと頭も使わないと……」
八手はいつもそうだった。私より弱いくせに、早苗さんの時みたいに作戦を立てて、いつも依頼を上手く片づけて、ぐちぐち文句言いながらそこの爺さんに仕送りして、色々やってるし、賢い。
それに比べて私なんか馬鹿で無力だ。
「うーむ、まぁそこは今後の頑張り次第じゃのぉー、で、こやつは一体どんな厄介ごとに首つっこるんじゃ? ん? 言ってみぃ、飴ちゃんやるから」
「……怖い顔」
「そうかの? 夏穂ちゃんが言ってくれれば笑顔になると思うのじゃがのぉ?」
急に会話が尋問に変わった。
むすっとした顔で爺さんを睨んでみるが効果無し、それ以上に険しい、きっとした真剣な顔で私の顔を覗き込んでくる。
実はこの爺さんすごい奴らしいんだが、こう一対一で対峙するとそれがよくわかる。
「おい糞爺、人の式神脅してんじゃねぇ」
と、物凄く不機嫌そうな声が耳に入る。声の主は言うまでもない。
「八手!」
「ほほ、お主夏穂ちゃんを御しきれてないじゃろうに、式神なんぞとよく言えるもんじゃわい」
「うるせぇ。こいつが人の手に負えるか、当たり前だろ。で、糞爺、ここでなにしてやがる?」
目を覚ましたばかりだというのに、すごい気迫の八手、相当気が立っている。
それをきょとんとした顔で見る爺さん。
「おいおい、お前さんがミスって怪我して夏穂ちゃんが泣きついてきたから病院の入院手続きをしてやったのに、それはないじゃろうて、のう八手」
「……そうか、迷惑かけた。悪かったな爺さん」
少し頭を冷やしたのか、寝たまま謝る八手。
そして周囲を見渡しながら、頭の中で状況を整理しているようだ。
「何日寝てた?」
「三日じゃ」
「警察は?」
「わしが適当に言っておいた。犯人が爆弾魔で、探偵業の孫はそれを追っていたとな」
「さすがだな……嘘つくのは大得意ときやがった」
む? それお前もだろ。村人に探偵って名乗ってあっさり信用させてたじゃんと言いかけたが黙ることにする。なんだかこの会話に入りずらかった。
「いや、一つわからんことがあるんじゃが、お前さんの目的はなんじゃ? 隠しとる事白状せい」
少し怒りにも似た感情を込めた言葉で、爺さんが八手に問いただす。
しかし八手はそれに臆することなく、天井を見上げながら冷めた声で答えた。
「退院したら、適当な菓子土産にして家に行く。そこで説明するから待ってろ」
「……なんじゃ、あっさりしとるのぉー! ちと体にでも聞き出そうとおもっとったのに残念じゃのー」
私は黙って爺さんと八手の話を聞いていた。
この孫と爺さんは基本的に仲が悪いのだが、案外、やはり血が繋がっているので似た者同士なのかもしれない。
「実の孫を拷問するなよ」
「うむ、まぁ来るのはまた暫くで良い」
「ん? なんだよ」
「わしからの粋なプレゼントを用意しとるんじゃ、それが届いてから来るが良い」
そして上機嫌で別に要らない杖をつきながら、病室から出ていく高価な着物を着た爺さん。
なんか出ていく際に廊下ですれ違ったナースの尻を触ったように見えたが、うむ、触られた方は気づいてないから見間違いか。
「今あいつ、わいせつ行為したよな?」
訂正、ベットで寝ているもう一人の証言者が表れたので、私のあれは見間違いではないのだろう。
「あのエロ爺」
かすれた笑え声とともに祖父に対する罵倒が、八手の口から漏れる。
あの爺さんに呆れたのか、それともその爺さんに自分が隠し事をしていると見抜かれ、自分自身を笑ってのものなのか。
「なぁ、八手、これからどうするんだ?」
不意に、そんな言葉が出た。
大体やることなどわかっているが、聞いてみたかった。
八手の口から、決心の言葉を。
「決まっている。目的は最初から変わらん。地獄からの脱獄者を倒す。まぁ……そのために、強くならないとな」
病室に吹き込む心地よい風に髪を揺らせながら、自信に誓うように八手は言った。
だったら、私もより一層覚悟を決めるとしよう。
今俺は大学に足を運んでいる。
退院してからの翌日、俺はまず大学に行くことにした。
俺が通っている美大は、それになりに大きく有名な大学で、元は木造の小学校校舎を初代校長が独自のセンスで改築、増築しそれが現在まで大学として使われているらしい。
この大学を俺は気に入っている。そこら変に整備された日本庭園などがあり、まるでこの中だけ忙しい社会と隔離された異世界の様な感覚を覚える。
自然と、遊び心豊かなこの大学で、俺は絵について学んでいる。
目的は今日みたいにサークル活動への参加か、まだわずかだが単位の残っている授業への参加。
別に俺は芸術家ではなく家業を継ぐのだが、昔から絵に興味があり技術だけでも取得したかったのだ。そのため祖父、あの変態爺に頭を下げ、莫大な学費を負担してもらった。
まぁ趣味の延長線上と言えば他の熱心な生徒に失礼なのだが、実質俺は将来美術の道を歩む気はなく、しかしこの大学に通い続けていた。
ここに来てから有意義な時間を過ごせた。絵の勉学は面白かったし、サークル仲間もできた。その中でも特に仲良くなったのがいて、友達と言えばいいのか……いや違うなあれは。どちらかというと腐れ縁と言えばいいのだろう。ちなみに腐れ縁の腐れとは鎖からきているらしく、切っても切れない関係のことを腐れ縁というらしい。
講義に出れば何故かいて、連絡なしにサークルに参加しても高確率であいつも参加している。まさに腐れ縁だろう。うん、友人よりそっちの方がしっくりくる。
「あいつ俺のことストーカーしてるんじゃねぇだろうな」
初対面からなんか馴れ馴れしかったし、有りうる。
「よー、久しぶりじゃん。どったの?」
噂をすれば影さすとは言うが、まさにそれだった。
後をむけば汗を額に流した茶髪男が俺の所へとひよこのようにヒョコヒョコと駆け寄ってきた。
「サークルの顔出し、ちょっと調べ事があってな」
「おー、そりゃご苦労さん」
と、俺にそう言いながらこいつから鞄から取り出した飲料水を渡された。
「サンキューな、一善(いちぜん)」
「で、何を調べんだよ?」
名前は一善、この大学に入った初日に馴れ馴れしく話しかけてきて、会うたびに馴れ馴れしく接してきて、今も馴れ馴れしく十年来の友人の様に気安いのがこの茶髪男の一善だ。
大体こういう奴は適当にグループを作ってそこそこ顔が綺麗な彼女を作るのが普通なのだが、何故か俺の側をうろちょろとしている。本人曰くあまり大人数には慣れていないらしい。
それゆえ孤立している俺に話しかけ同じサークルにまで入ったらしいのだが、まぁなんだ。それを俺は失礼とは思っていない。一応人との距離を測れる奴で、必要以上の詮索はしてこないのだ。
「まぁ大したことじゃない」
「ふーん、でさ合コン行かね?」
「誰が行くか。そんなもん」
まぁ、一つの話題に集中しないだけの性格なのかもしれないが。
「んだよ。黙ってりゃモテるだろうぜ八手は」
指で頭を小突きながら合コンに誘ってくる茶髪男、人との馴れ合いが嫌いな奴だがやはり彼女は欲しいのかこうしてどこからか誘われた合コンに俺を連れて行こうとする。
一度強引に連れて行かれたことがあるが、あれはひどかった。俺たちを見るや否や、タバコをふかし、挙句無言でスマホをいじり出し、遅れてきた合コンを主査視していたイケメン君が来ると態度を一変、俺と一善はそんな女の豹変ぶりに嘆いて、男二人の二次会で散々愚痴を言ったものだ。
「お前と二人で不毛な二次会(傷の舐め合い)するのはもうごめんだ」
「なっ! それが楽しいんだろうか」
こいつ、合コンより俺と二次会する方が目的らしい。いや、俺はごめんだからな。
「お前一人で行けよ」
「嫌だっての! 失敗するの目に見えてるのに一人で誰が行くかよ」
「失敗する前提なのかよ!」
久しぶりにこんな風に友人としゃべたのでテンションが高くなってくる。
だがそんな俺の高ぶりを一気に冷めさせる一言を一善は口にした。
「あ、そういや例の通り魔事件、最近一層ひどくなってきたな」
「ああ、ネットでも賑わってるよ」
そのほとんどが警察への批判だが、最近では一向に警察に捕まらない犯人を神格化しているような書き込みも目にする。
冗談か、本気なのか。犯人は人では無く愚かな人に罰を与える霊的存在だとかなんとか。まぁ、そんな馬鹿げた妄言も皮肉なことに霊的存在という点は当たっているのが笑えてくる。
「お前のネットサーフィンの情報収集能力はすごいからなー、警察とか知らない情報とか知ってたりして」
「……知る訳ないだろ」
「え、何その間、お前変なことに首突っ込んでねぇだろうな?」
「少し興味があるだけで、事件について調べことをしているだけだ」
こいつのそんな冗談も核心をついているのも笑えてくる。まぁ苦笑の方だが。
「実はそのことを調べるために今日サークルに来ていてな」
「は!? いやサークルに通り魔事件に関する情報なんてないだろう」
まぁ普通そうなのだが、あそこにおわすボスはなんというか、俺でも侮れない人間なのだ。
「まぁ藁にもすがる思いなんだが、部長、都市伝説を集めてるだろ? 最近のできた都市伝説を調べれば事件に繋がってるかもと思ってな。それに黒沢部長なら……」
「あの人なら確かに警察の知らない情報も知ってそうだな……うーむ、それに通り魔事件の話が都市伝説に変えられちまったかもしれねぇってこともあるし、可能性は低いがまぁ手掛かりねぇならやってみる価値はあるわなぁ」
そんな会話をしながら歩いていると、この大学のはずれにある小屋にたどり着いた。
この大学の辺境の地に存在する胡散臭い木造小屋、それが俺が所属するサークル「都市伝説研究会」なのである。
「お邪魔します」
「部長、お久しぶりっすぅ」
「あら、いらっしゃい二人共」
小屋の扉を開けるとそこにはいつもの部室の奥にある特等席に座り、本を読んでいる女性が小さな声で俺たちを出迎えた。この大学一の変人と言われる黒沢 麗子(くろさわ れいこ)、その人である。
見た目からしてあれだ。見事な黒髪を前髪を目が隠れる位置まで伸ばし、後ろに関しては夏穂と同じく腰まで伸ばしている。顔は、悪い意味で美人だ。整いすぎて怖い。そして色白すぎて、大学内では本気で彼女を幽霊か何かと信じている者もいるらしい。
ちなみに特等席とは社長が使ってそうな皮で作られたフカフカの椅子で、部室の奥に立派なこれまた作業机とセットで置かれあそこ一帯は部内でも部長のテリトリーなのである。
「ふふふ……今日は、そうね。調べ事かしら?」
実家が富豪らしく教育が厳しかったのか、今日も丁寧なお嬢様言葉で俺達に微笑み、なのかわからない顔をしてくれた。いや、あれは笑っているのだろうか?
「う……ふふ、ふ……ふふ」
うん。多分笑ってる。かなりぎこちないが。しかしなんであの人は上手く笑えないのだろうか。
「実は、調べたいことがありまして……」
しかしそんなツッコミはできない。この人の前では俺もつい姿勢を正し静かになってしまうのだが、心の距離は不思議と感じない。
近寄りがたくはあるが、疎遠するほどではない。根は優しい人なのはこれまでの付き合いでわかっている。それによく人を観察しその人物が何を望むかを考えるから、俺が今日何をしにここに来たのか、すぐに言い当てられたのだろう。
「一善君、悪いけどお茶入れてくれるかしら?」
「うぃーす。あ、日本茶でいいっすか?」
「そうね。緑茶をお願いできるかしら?」
一善は適当な返事をして入り口付近に設置されたポットから湯を注いで、日本茶をこしらえる。
唯一この人物に敬語を使わない人物、それがこの茶髪男一善。大学の教授でさえ黒沢部長には敬語なってしまうのに、ある意味こいつは大物だ。
「いやぁー、夏なのにここ涼しいっつうか、寒いっすよねーこの小屋」
一善が気づいたのかそんなことを言った。確かにここは夏場なのに冷房が効いているかの様に肌寒い。
「ふふふ……知りたいかしら?」
それを聞いて部長が不気味に笑い出す。笑い声につられふと顔を見ると、本を見ながら口元がにやけているのがわかった。
「いたら……涼しくなるじゃない?」
「な、え!? いるって? 俺たち三人だけじゃ――」
「そんの、決まってるじゃない……ねぇ八手君?」
俺が原因を知っているのがわかっているのか、話題をこちらに振ってきた。
まぁ確かにいたら涼しくはなるが、俺もそれほど詳しいことはわからない。
「まぁ種類にもよりますが」
うん、それだけはわかる。火の妖怪がいたら部屋の温度は上がるだろうし。
「いやいや、いないから!」
一善はひどく怯え周囲を見渡す。
いや、別に俺はもう驚かないが実際いるんだよ。ここに来る度に違うが幽霊が、今日は部長の隣に小さい男の子がいる。
「あら、一善君? お茶が三つしか用意されてないじゃない。一つ、足りないわ」
「いや足りてますよねぇ!」
部長は一善をからかうのが好きらしく、毎回こんな風にからかう。
一善もいい加減慣れればいいのに、まぁ、いつも面白い反応をするのでちゃっかり俺も楽しんでいるのだが。
「それで、八手君はどのようなご用件でここに?」
「最近ニュースで通り魔事件が話題になってますよね?」
「あら、そうなの? 最近テレビを見ていないものだから……やぁね、私ったら。もう少し世の中に目を向けないわ」
本を読みながらそんなことを話す部長。しかし、俺には部長が夏穂のみたいに夜に煎餅をかじりながらテレビを見ている絵面なんぞ想像できない。この人は夜まで本を読んでいるイメージだ。
「今日はその通り魔事件の話がねじり曲がって、都市伝説として広まってる可能性を探りに来ました」
「流石は八手君、簡潔でわかりやすい説明ね。私は好きよ」
ふと部長が手にしている分厚い本のページをめくる手が止まる。格好だけは本を見たままだが頭の中でそれらしい話を探し出しているらしい。
「そうね。最近大きな刀を持った古めかしい格好をしている幽霊の話をよく聞くかしら?」
「……古めかしい格好、ですか」
前遭遇した大黒目とか言う忍者。あいつも時代錯誤な格好をしていた。
「黒沢部長。その話、詳しくお聞かせ願いませんかね?」
「うーん。結構多いから後日資料にして渡すわ、そうね。二日は頂けるかしら?」
「はい。助かります」
事情も聞かず協力してくれる黒沢部長。なんとなく俺が陰陽師だと感づいているらしく、俺も何度か仕事で情報提供をしてもらっている。
「あ、部長、合コン行きません?」
てっ一善の野郎、いきなり部長を合コンに誘ってるんじゃねぇよ!
「あら、私なんかが行っても良いのかしら。一善君?」
「男ども喜びますよぉ。部長ってほら、すげぇ美人だから!」
「あら、お上手ね。一善君は」
え、部長まさかの乗り気? やばい。ちょっとそれ見てみたいかも、逆に絶対に参加はしたくはないが。
「まぁ男はすぐ確保できますからねぇ、八手は不参加ですけど」
まだ諦めてないのか俺を睨みながら、そうを口にする一善。
「あらあら、好きな人でもいるのかしらねー」
俺をからかっているつもりなのか、二人とも微笑し俺の方を見てくる。
「まぁ、いますけど」
「え?」
「……八手君? 今なんとおっしゃいましたか?」
ついむきになってというか、いやまぁ、別に隠すつもりもなかったが今まで聞かれなかったので口外することがなかった真実を口にする。
「いや、いますけど」
念のためにもう一度言うが、どうも変だ。
あれ? 何故か部室内に不穏な空気が流れる。
部長の隣にいた小さな男の子の幽霊も危機を察知してか、すぅっと消えていく始末。
そして無言を突き破るように、部長がしおりを挟んでから本を力強く、ポンと閉じた。
「京極 八手君? その話、少し詳しくお聞きしてもいいかしら」
え、なんかめっちゃくちゃいい顔しているんですけど、あの部長が! 俺のフルネーム呼んで!
気のせいか血色もいつもより良く……はなってないがあんな輝いている顔見たことない。
「ぶ、部長も人の色恋沙汰を気にするんですね?」
「うふふふふ、いえ、同級生とか誰が誰のこと好きとかそういうのは興味ないですよ。だって人の純粋な気持ちを肴にして盛り上がるなんて品が無いじゃない」
「いや、じゃあなんで?」
「そりゃあ他でもない八手さんに、好きな人がいると聞けば、多少ははしたなくとも私とて気にはなります」
成程、俺限定でこういった話に興味があるようだ。
そうして部長が不敵な笑みを浮かべながら部室の奥にある特等席から立ち上がる。一善も俺に好きな人がいるのが意外だったのか、机越しにずいっと身を乗り出し、この話には偉く興味があるらしい。
「なんだよぉー、好きな子いるなら言えよー。どんな子か教えろよー」
一善の野郎がそう言いつつ、ニヤニヤしながら部長とアイコンタクトを取る。二人で協力して俺を逃がさない算段らしい、なんという鉄のチームワークだろう。
まぁ別に隠す気はあまりなかったのだが、やはり俺とその思い人の話はなんというか、重いので話辛い。
「はぁ、わかりましたよ。ですが先に言っておきますが、あまり聞いて気持ちのいいものではないですからね?」
そんな俺のセリフを聞いてか、部長と一善の顔つきが少し変わる。俺をからかえるネタを聞けるとでも思っていたのだろうが、今回は見当違いだ。
「まぁ最初は、そうですねぇ。まず小学生の時の話なんですがね。俺の初恋の相手は、いじめって言葉は軽いな、そうだな、暴力を受けていました」
そして俺は、俺の悲惨で無様な恋物語を柄にもなく語り始めた。
今私は部屋でくつろいでいる。
今朝、病院から退院した八手は、ネットでの情報収集はやり終わったとか言って、大学へと出かけた。
なんでも聞いた話によると八手が所属している妙なサークルの部長が、その筋、つまり都市伝説とかオカルト系の話に詳しいらしい。
そしてわたしはいつも通りお留守番で、これまたいつも通り煎餅でもかじりながらテレビを見ようと思っていた。
扇風機の風音に紛れて、玄関のドアをノックした音が聞こえた。私はこのアパートのオーナーが尋ねてきたのかと思ったのだが、ドアを開けるとそこには見知らぬ女が立っていた。
「……」
「……」
そして今私とその見知らぬ女は数分、無言で見つめあっている。
なんかリンゴがたくさん入ったビニール袋片手に、私を見て硬直してるし、しかも名乗らない。
なので私も名乗らないでおこう。うん、個人情報? は大切と八手も言っていたしな。
む? でも客人が来たらまず何か言えと八手に言われたような。
「あの、どちら様、でしょうか?」
と、私が思案していると目の前の女が恐る恐る話しかけてくる。それはこちらのセリフなのだが。
相手を観察してみる。見た感じ大人しそうで、髪の毛が短く、腰まである私とは対照的で、色も違って艶のあるこげ茶色だ。左の目元に泣き黒子があり少し大人っぽさもあるが優しい目をしている為、小動物のような可愛さを感じさせる。
背は、百六十手前で、私よりも小さいだろう。服装は下は長いスカートと、袖が短く白を中心とした色合いのシャツという清楚な服装をしていた。
しかし、だ。さっきからなんか泣きそうになっている。むぅ、私が悪いのか、いくら個人情報が大切とは言え軽い自己紹介はしなくては話が進まない。
「私は、この部屋に住んでいる者、です」
簡潔にそう伝えた。相手が名乗ってないので名前はあえて言わない。
「えっと、こちらは八手君の家でひゃ! す、すみません噛みました!」
「ええ、八手の野郎は私と同居していますが今大学……留守にして、おります」
うん、今なんとなく丁寧な言葉を使ったぞ。むふふ、私もやればできるではないか!
「え……と、同居ですか」
え、なんでこの人さらに泣きそうになってるの? というかなんで八手のことを知っているのだろうか?
謎は深まるばかりである。むぅ、見た感じ悪人とは思えないし、今すぐ泣き崩れそうだしここは家に上げてみよう。
「その、取りあえず上がってください」
「あ……はい」
微妙な空気なまま私は名前も知らないこの女を家に上げた。
「まずは……お茶」
取りあえず女をそこらへんに座らして冷蔵庫を開けて麦茶を出す。
コップは、そうだな。取りあえず八手のを使おう。こういう時、八手はまずコップを洗ってから使ってたな。棚に入れる前に一回洗っているのに不思議である。
「しかし、誰なんだろう?」
ここは今ある情報をまとめて、頭の中を整理してみよう。
私は留守番をしていて、顔見知りであるこのアパートのオーナーが訪ねてきたと思い、ノックされた玄関のドアを開けが、しかしその場にいたのはあの見知らぬ女、私は非常に困惑している。
このアパート「秘密基地」は四方を建物に囲まれ、裏路地を通ってしかここまでたどり着けない魔境で、たまに冒険心が旺盛な子供がここに来る程度だ。ちなみに近辺の子供から、ここは悪のアジトとして認識されているらしくたまにおもちゃで武装した子供が遠くからこのアパートを見ているのを窓から何度か確認した。
さて、そんな子供はともかく、こんな大人などまず来ないのだが、あの女はどうやら八手の知り合いらしくここが八手の部屋だと知っていた。
「むぅ……早苗さんみたいな大学での依頼者?」
なら何故八手が大学に行ったのを知らないのか? 早苗さんの時みたいに依頼者なら八手が大学で連絡先を交換しているのでこのような入れ違いにならない。
そもそも八手は仕事の依頼は始め電話で受け答えして、喫茶店などで詳しい話を聞くスタイルだ。
「じゃあ、仕事絡みじゃないの?」
なら、一体何者なんだ? もしや……あれがストーカーという存在なのか!
早苗さんの前例もある。大学では少しばかり八手の野郎もモテるのかもしれない! 認めたくないが。
ストーカーかぁ、なら大学から八手の後をつけてこの場所を特定し、ついでに部屋も特定し、いざ部屋を訪ねていきなり出てきた私に驚いたのにも合点がいく。
そりゃ好きな人の部屋から知らない女が出てくれば涙目にもなるだろう。
麦茶を入れ終えて、ちらりと女を盗み見る。
かなり挙動不審だ。さきほどから部屋をあちこち見て観察している。間違いない。あいつストーカーだぁ! やばい奴を部屋に入れてしまったぁ!
「どうぞ……」
「あ、すみません」
取りあえずさっき入れた麦茶を差し出し、ストーカーの側に座る、のは怖いので少し距離を取りいつでも逃げ出せる位置を陣取る。
「八手君、相変わらずパソコンとかやってるんですね」
ストーカーが八手のパソコンを見て呟く。いや、私に聞いてきているのだろう。
「え? はぁ、よくそれで色々と調べてます」
というかそんなことまで調べているのか。恐ろしい。
「すごいなー、小さい頃から難しい機械とか平気で触って調べてましたから」
「ん?」
どうやらこの女は小さい頃の八手を知っているらしい。と、いうことは、こいつ小さい頃から八手をストーカーしていたのか!
プロだ。こいつプロのストーカーだ! ストーカーキングだ! いや、女だからストーカークイーンか。
くぅ、やばい、怖い。最初無害そうな人間だと判断したが今ならわかる。こいつ無茶苦茶危険だ!
小動物みたいなかわいい顔をしているが今ならその仮面の奥の狼のような一面を感じ取れる。こいつ、めっちゃやばい!こいつ、私を八手の恋人だなんて誤解してないだろうな? なら、隠し持っている包丁でやられる。
うん、確信できる。こいつ、包丁を隠し持ってる!
「あの、顔色悪いですよ?」
ストーカークイーンがそう言って私の方に近づいてくる。
「い、いいいいいいえお構いないく!」
やばい怖いやばい怖いやばい怖い!
「あ、そうだリンゴ向きましょうか?」
そう言って女はリンゴの入ったビニール袋を私に見せる。見せて……赤いリンゴの中に茶色い柄らしき物が……あ。
「!?!!!」
「え? あの大丈夫ですか!」
やっぱり包丁持ってたぁ! 私わかってたもんねぇ! それわかってたもんねぇ!
「あ、あの横になって寝られた方が……」
こいつ私を永眠させる気だぁ!
「わ、わた、私八手の、か、彼女」
「あ……やっぱりそうだったんですね……」
「ち、違い、ちが!」
「いいんです。別に、貴方が悪い訳ではないですから……」
おぉおおおおおお!? 待って! 貴女なんか勘違いしてるからぁ!
「それより、ね?」
ねって何! ねってどういう意味なの! ね!
「ただいまー」
すると、ガチャリとドアを開ける音。八手だ! 八手が大学から帰ってきたんだ!
「八手! ストーカークイーン!」
「はっなんだそれ?」
私は犬の様に四つん這いで八手の足元まで駆けていってしがみつき、あの女を指さす。敵はあいつだぞ八手!
「……蓬(よもぎ)か?」
しかし八手は私の反応より目の前の女の方に驚いていた。
絶句している。八手らしからぬ思考停止。
「あ……久しぶり、だね。八手君」
「いや待て! なんでここに!」
「おじい様から聞いていませんでしたか?」
何やらストーカーと話し込む八手、私も取りあえずそれを見て落ち着いてきた。
「あの糞爺……プレゼントってそういう意味かよ。じいさんから住所とか聞いてきたのか? それだけでここを特定するなんて難しいだろうに」
「おじい様が案内用の式神を用意してくださって、それより入院していたと聞いたのですが……元気そうでよかったです」
案内用の式神だと? ということはこの女も陰陽師の関係者ということか。
「軽い怪我だったしな」
毒をくらって何日も意識不明だったくせに、私がどれだけ心配したと思ってるんだこいつは。
「暫く会ってなかったが、昔のままだなお前」
「うん、でも八手君はすごく変わったね」
「そ、そうか?」
「うん……」
なんだか先ほどから八手が変だ。
先ほどから落ち着きがなく、辺りをキョロキョロと見渡してなんかを探している。自分の家なのに何を探しているというのか。
「えーとだな。えー……と」
どうやら物では無く話題でも探している様子で、蓬と名乗る女と何か話そうと必死になっている。
そんな八手の目が私の方を向いて固定される。無理もない、無様にこいつの足にしがみついている私はこれ以上ない話題になるだろう。
「でだ。お前は何をしてるんだよ夏穂?」
「……何をしているんだろう?」
うん、正直自分でもよくわからない。ストーカーかと思っていた女が実は八手の知り合いで、その八手のお爺さん使いだったというのは理解したが、なんで自分がストーカーだと勘違いしてしまったのか、今の冷静になった私にはわかりません。はい。
「まぁいい……それより蓬、あの爺からの使いなら何かメッセージを預かってないか?」
「あっはい」
蓬と名乗る女は八手に小さな紙切れを渡す。爺さんからの言伝をメモしていたものだろう。
「明日家に来いか……」
そう言って八手はそのメモをポケットの中へくしゃくしゃにしてから仕舞い込む。他に何か気に食わないことでも書いてあったのか、表情が少し険しい。
「その、今日はお邪魔しました」
「別に構わんが、連絡ぐらい、ああそうか、電話番号知らないな」
「わ、私携帯電話無くて……」
八手と女がぎくしゃくした会話を続ける。
八手は必死に話題を探し、女はちらちらとこちらをしきりに見てくる。
あの女、何か私に用があるのだろうか?
私が蓬という名前の女に話しかけようとした瞬間、女は多分最初から聞きたかったことを思い切って八手に尋ねた。
「あの……彼女さんができたんですね!」
先ほどまでぼそぼそと話していた女がいきなり大きな声を出すものだから私と八手は口をあんぐり開けたまま固まっていた。
「……は? いや、こいつは俺の式神だ! なんでそんな話になっているんだよ夏穂!」
もっとも八手は大きな声よりその内容に驚いていたようだが、私は首をぶんぶんと振って否定の意志を表す。それに関してはその女が勝手に勘違いしたので私は悪くない、それと八手の彼女と思われるのは私も嫌だ。
「式神……?」
女がキョトンとした顔で固まっている。
「ああそうだ。少し特殊だがな、こいつは俺の式神で彼女でもなんでもないぞ」
女がまじまじと私を観察する。
「でも妖怪って感じじゃないよ?」
「霊体を無理やり人の体にねじ込んでるようなもんだらな、一見普通の人間と見分けがつかん」
八手の説明に女が小首をかしげる。私も女が何を疑問に思っているのかわからないので取りあえず首をかしげてみる。こういう時は基本流れに身を任すんだ。今まで生きて見についた私の知恵である。
「いや夏穂、お前までなんで首をかしげる? 優一先輩からお前の正体について説明を受けてなかったのか」
受けたと思うがよくわからない。いちいち難しい話だったのは覚えているが、当時の私は内容を全て理解できなかったのだ。
「はぁ、お前自分がどれだけ特殊な存在か理解してなかったのか」
「特殊?」
私は特殊だったのか、まぁ強い力を持っている自覚はあるが、特殊とまで言われるほどではないと思っていたので正直その言葉に驚いた。
「あの……じゃあ私はこれで、その、リンゴ食べてください」
「いや……」
八手が女を引き留めようとするが、声に力がない。
そして机の上に大量のリンゴ入りのビニール袋置いて、慌ただしく玄関まで去る女を見送り、扉がぱたんと静かに閉じるまで八手は固まっていた。
「で、あの女誰?」
銅像のように突っ立っている八手に先ほどから気になっていることを聞いてみた。
幼馴染と言っていたが、あのぎこちない空気はなんだったのか? それにあの八手の反応だ。いつも必要以上にはきはきと喋るくせにさっきのはらしくない。
「……幼馴染だよ。名前は季羽 蓬(きはね よもぎ)、見たまんまの奴だよ」
それっきり八手は誤魔化すように黙ってパソコンを弄り出してしまった。
こうなってはこいつは一言も喋らないだろう。あの蓬とかいう女に関してあまり触れて欲しくないようだ。
「むぅ」
まぁ、漠然とだがあの女の正体もわかったのでここはあまり深く聞かないことにしよう。
「でも気になる! 教えろ八手!」
前言撤回。人間、そう簡単に好奇心は引っ込まないのだ。
「うるせぇ! リンゴでも食ってろ!」
そうだリンゴ! 人間緊張するとお腹が減るものだ。ということで八手にねだってリンゴを剥いてもらい、みずみずしいフルーツを堪能する。やった!
むぅ、しかしだ。本当に誰だったのだろう、あの人……。
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