ネットロア

緑八 縁

第一話「陰陽師八手」

「ねぇ部長の噂、知ってる?」

「あの最近やつれた部長? やっぱり薬でもやってたの?」

「いやそれじゃあなくて前憑かれてるとかいう話になったでしょ」

「いやいやそんなオカルトな」

「でも部長の家、火の車らしいし、やっぱり憑かれてるんだって」

「もしそうならこっちの運とか吸われる?」

「いやー吸われるんじゃない?」

「だったら嫌だなぁ。ヤバい宗教にはまってるんでしょ。さっさと夜逃げでもして会社辞めてくれないかな?」

「大学生の娘いたよね? どうなるんだろ?」

「流石にもう縁切ってるでしょ。いくら親でも、あんなに頭おかしくなっちゃったら、流石に逃げるわ」

「まぁ、そうなるよね」

「もうあれ、絶対に家庭崩壊だわ」


 ――とある会社の裏サイト掲示板より。


 今俺はパソコンの前にいる。

 パソコンで何をしているのかというと、無料の通話サービスを使い海外にいるある方と話しているのだ。

 場所はアパートの自室、話相手は尊敬している先輩である。蝉がうるさいこの夏場、使用しているパソコンから熱気が出て、外以上に部屋が大変暑くなるのだが、先輩との通話手段がこれしかないのでひたすらに我慢だ。

「え、盗難ですか?」

「そうそう、いやーまいったよ本当に、ははは、八手君も海外旅行の時は気を付けたほうがいいよ。まぁ、僕が言えることじゃないけどね」

 先輩の名前は天木 優一(あまき ゆういち)というのだが今現在、海外の貧困国で餓死と戦っている子供たちを助ける仕事をしている。

 先日、それで俺に素晴らしい笑顔を見せて飛行機に乗り旅立ったのだが、到着早々荷物を取られるというハプニングに襲われたようで、画面の向こうの先輩は苦笑い、いや、完璧に面白いハプニングが起きたんだと嬉々として俺に報告してきている途中だ。

「でねぇ、驚いたよ、近くの店に僕の盗まれたパンツやらなんやらが売られてたんだよ」

「え、盗まれたパンツがですか!」

「あははは、うん、あれは笑ったよ~。マジックで書いてた僕の名前も消さずにさ、普通に店の一番目立つ場所に飾られててさ!」

 やはり、この口調からして別に大したことではないと判断しているらしい。外国で盗みをされたというのに、やはりこの人は相も変わらず大物だ。

「それで、パスポートとかは大丈夫なんですか?」

「うんまぁね。貴重品は小さな鞄に入れて別に持っていたからね。着替えとかはまぁ、現地調達でなんとかするよ。まぁパンツお気に入りだし買い戻すけど、それで、そっちは大丈夫かい?」

 自分の心配をまずした方がいいと思うのだが、というよりも盗まれたパンツ買い戻す気なのかこの人、まぁだが先輩が俺の、否、俺達のことを心配するのには理由がある。

「ええ、通り魔事件の方は進展がありません。力不足申し訳ありません。先輩」

「いや、謝らないで欲しいな、そんな簡単に尻尾は出さないのはわかってたし、しかし、八手君でも情報が手に入れることができないのか」

「ネットに転がっている情報は多いのですが、そのほとんどが嘘の情報ですし。本当の情報もあるのでしょうが何分情報量が多くて……しかし、必ず先輩からの依頼は達成しますよ!」

 意気込んでそう宣言する俺、先輩は画面の向こうでそれを見て「無理しないでね」と優しい言葉をかけてくださっている。

 一か月ほど前、東京で通り魔事件が起きた。普通ならある程度ニュースで騒がれて犯人が捕まり終わりなのだが、今回は少し特殊だった。

 武器はナイフでは無く、刀を使用していた点と、それ以外の手掛かりがないことだ。これほど世間を騒がしているにも関わらず、いまだ犯人が捕まらず、加え全国各地で同じような事件が何度もおきてしまつているのだ。

「被害者は増える一方で、焦ってはいるのですが……」

「八手君、焦らないで、冷静さは大事だよ。うーん、それにしても犯人が幽霊だなんて、警察もお手上げだろうね。責任とか大変じゃないのかな? こっちではニュース見れないんだけど」

「ええ、事件が連続して起きる度お偉いさんが記者会見で頭を下げてますよ。いや、もう五回目ぐらいで世間が飽きたのかやめましたが」

「そうか、飽きちゃったか……」

 幽霊。いきなりオカルトな話になったが、これは妄想でもなんでもない。まだ先輩が日本にいた頃、地獄の責任者、つまりは俗にいう閻魔様が先輩に接触してきたらしい。なぜ一人の人間である先輩に閻魔様が接触してきたという理由はおいおい話すとして、その閻魔様に先輩は頼まれたそうだ。その報酬として大切な友人の為に何かして貰うらしいのだが、まぁこの人は出会った時からいつも誰かの為に動いていたし、今回の件もその人助けだ。

「地獄から現世へと逃げおおせた罪人たちの処理、そんな事警察にはできませんからね」

「と言っても、陰陽師である君でも危険なのは変わりないんだ。なんたっては聞いた話によると相手は凄腕の人斬り集団らしい」

「安心してくださいよ先輩! 俺はこれでも腕っぷしには自信があるんですから!」

 仕事の都合で海外に出ている優一先輩に人命救助を気合の入った返答をして安心してもらえるようにアピールする。それでも先輩の表情から不安の色が消えることはなく、ふと目線が俺の後ろにいる同居人へと向けられた。

「夏穂も、気を付けてね……あれ」

「おい夏穂、優一先輩のありがたい言葉だ。聞け!」

「あ~、暑さでダウンしているのかな?」

「いや、優一先輩と話せるならあいつ喜んですっ飛んでくるはずですけど……寝てるみたいですね? まったく真昼間から」

「はは、可愛いじゃないか」

「口開きの不細工な顔で寝てますけど?」

「いやいや、そこが愛らしいんじゃないか」

 後ろにいる同居人、一年前優一先輩から預かったこいつは扇風機の前で死んだ様に動かず、髪が異様に長いのでボロアパートに住み着く地縛霊にも見えなくもない。まぁそれより性質が悪いのだが。

「まったく、見た目は俺と変わらないのに、性格が子供とか」

 いや、訂正しよう。見た目的にあっちが年上にも見えなくもないが、とある理由で精神年齢は間違いなく俺が上である。それは間違いない。

「ごめんね八手君、帰ってきたら夏穂の食費とか色々と返すから」

「何を言ってるんですか! こいつは今、一応俺の式神なんですから面倒見るのは当然の義務、食費とかそこらへんは気にしないでくださいよ」

 俺も結構な苦学生だが、先輩も決して儲けがいい仕事をしているのではない。なのであんまりお金の面で先輩に負担をかけたくないのだ。

「じゃあこれで、くれぐれも無茶しないように」

「任せてください! この京極 八手(きょうごく やつで)、先輩の力に沿えるよう全力を注ぎます!」

 そんな言葉を最後に俺はパソコンをシャットダウンする。もう少し先輩と話したいが、いい加減電気代も節約しないといけないのだ。

「とは言ってもなぁ」

 先輩にはああ言ったが、事件の解決よりも先にやらなければならない事がある。そう、さきほど電気代を気にした通り経済的な問題、特に問題となっているのが――。

「食費がやばい」

 そう言いながら先ほどから扇風機を独占している同居人を睨む。

「おい夏穂起きろ、あまり扇風機使うな、電気代がやばい」

「うーん、なんだよぉお今寝てたのに……あと扇風機は渡さんぞぉ」

 俺の声に起こされ、不機嫌になりながら床をゴロゴロと転がりながら夏穂は生意気にも反論してくる。

 天木 夏穂(あまき なつほ)、俺の一応、式神であり優一先輩から預かっている同居人でもある。式神といっても見た目が妖怪みたいに人間離れしていない。むしろ人間そのものである。

 長い黒髪にすらりとした体格に俺よりも高い背丈、いわゆるモデル体型と言っていいのだろう。

 しかし性格に問題があり――。

「八手、それより腹減った!」

「この大食い、お前のせいで冷蔵庫の中身全滅してんだよ!」

 まったく、俺が美大に行っている間に冷蔵庫の食料を根絶やしにしやがって、この大食い野郎は。

「じゃあ買いに行くか!」

 目を煌めかせそう提案する夏穂、きっと買い物についてきて自分の好きなものを買って貰おうと考えているのだろう。

 仕方ない、ここは現実を見せてそんな考え諦めて貰おう。

「すまんな、資金がない」

 空っぽの財布を見せつける。

「……じゃあ寝る」

 そう言ってがくんと意識を失った様に動かなくなる夏穂、部屋で弱風で回る扇風機の音しか聞こえなくなった。

「はぁ、仕方ないなぁ。夏穂、仕事だ」

「へ?」

 仕事と言われはっと顔を起こす夏穂。

「先輩に頼まれた件を優先したかったが俺たちが餓死してはそれもできないからな、大学の後輩に仕事の依頼されたんだ」

 そんな一言と共に、俺たちのいつもの仕事が始まった。


 今、私は炎天下の中を歩いている。

 理由は明白、先ほど仕事があるといって私を外に連れ出したのだ。依頼人はこいつが通う美術大学の後輩らしい。

「暑い」

「我慢しろ」

 八手の野郎はこの暑さでも平気なのか、早足で目的地まで歩いていく。

 京極 八手(きょうごく やつで)、私の主、らしいが私は世話係と認識している。こいつは長年続く京極家の陰陽師で、今は大学という場所で絵の勉強をしながら、こうして陰陽師として働き生活費を稼いでいる。

 見た目はなんと言うか、女っぽいが、背丈はそれほど低いという訳ではない。中性的で幼い顔立ちと、なによりこいつは揉み上げだけを異様に伸ばしており首の付け根まである。それで女に見えることもあるが、性格は少し気性が荒いぐらいで、私なんかしょっちゅう怒られている。

 こいつの先輩、つまりは私の親と言っていいのか、名前は優一というのだがあいつは小さいことでは怒らなかったのに、それとは逆でこいつはぐちぐちと小言が多い。

「どこに行くんだ?」

「ああ、すまんな、言ってなかったか、喫茶店だよ」

「え……」

「ん、どうした?」

「別に……」

 いきなり謝られてしまったので意表を突かれた。

 こんな感じに自分に落ち度があれば素直に謝るのだ。決して理不尽という訳ではなく、道理を通すタイプの性格だ。

 だが、趣味がネットサーフィンだったか、とにかくパソコンを触るのが好きなのとこんな細い見た目のせいで、こいつが通う大学の連中にはなよなよとした性格と思われているらしい。だが実際は口が悪く気も強く我を通すタイプで、しかも体も細いが鍛えているのでそれなりに筋力もある。要するに趣味の為世間に誤解されているタイプの人間だ。

「着いたぞ」

「あ、うん」

 目的地の喫茶店、特に変わったものはなく、少し洒落た雰囲気の店内と最近テレビでよく流れている曲。しかしクーラーが効いているのはありがたく先ほどまで額にあった汗がさっと引いていき、この冷房目当てか、少しばかり客が多い気がする。

 私がこの天国を満喫していると、迷わず八手は店内の奥にある席へと向かう。それに続いて私は少し急ぎ足で奴の後ろについていく。

「どうも、急な呼び出してすみません」

「あ、京極先輩、あ、えーと、初めまして。」

 店の奥の席でぽつんと座っていたのは茶髪のショートヘアーの若い女だった。可愛い、と言われる人間の分類だろう。

 格好はなんと言うかふりふりしたリボンやらレースやらがいっぱいついていて、あんなのまず私には似合わないだろう。なにやら近くにいた若い男のグループが舌打ちしている。どうやらナンパしようとしていたが思わぬ邪魔が入って苛立ったらしい。が、八手は気にせず依頼主と話を進める。

「初め――?、大学で仕事の依頼について、すでに話しましたが?」

「あ、えーと、その、すみません。あの時はなにやら別件があると言ってまともな挨拶してなかったので」

「ああ、成程、すみません。つまらない揚げ足を取りました。実は少し優先したい仕事があつたのですが、こちらの都合でその件は一度置いておくとなりましたので先日の話を前向きに引き受けたいと思っております。挨拶が遅れました。では初めまして、確かお名前は鹿沢 早苗(かざわ さなえ)さんですね」

 そう言って八手は相手に握手を求め、手を前に突き出す。うむ、しかしだ。普段は口が悪いのに見事な営業トークだ。実に気持ち悪い。

「あ、はい、どうも」

 相手も困惑しながらその手を両手で握り握手を交わす。外国人じゃあるまいし当然だ。というか親しくない女の子に握手を求めるのはどうだろうか?

「それで、その、そちらの綺麗な方は」

 恐る恐る早苗という女は私について八手に聞く。どうやら警戒されているらしい。というか……私綺麗なのか? いやまぁお世辞なんだろう。

 なんと言うか、私はこのように初対面の人によく怖がられてしまう。八手曰く、「お前はその背の高さと切れ長目のせいで話しかけづらい」とのことらしい。

「ああ、こいつは俺の仕事をする時の連れでして」

「あ、彼女さんですか!」

 この早苗とかいう女、とんでもない勘違いをしやがる。

『違います/違う!』

 八手と声がダブってしまった。と、こっちをちらりと目線をやる八手。どうやら挨拶しろということらしい。

「……どうも」

「すみません。こいつ人見知りが激しくて、お気になさらず」

 むぅー、挨拶したのにそんなフォローをしてくる八手、まぁ、確かに初対面の人間は苦手だが自分でもさっきのはどうかと思う。

「ほら、夏穂」

 そんなことを思っていると早々と席に座った八手が私も席に座るように急かしてくる。ちらりと八手を睨んでから、すとんと、私はこの馬鹿の隣に座った。

「では単刀直入に、大学では私に仕事を依頼したと聞きましたが、細かい内容は?」

「あ、その……」

 なんでこいつは無駄に威圧的なんだ。仕方ない、ここは私がフォローを入れてやるとしよう。

「八手、このケーキ食べたい」

 メニューに書かれていたチーズケーキを指さす、ショートケーキか迷ったがこっちが腹に溜まるかで考えるとチーズの方がいいだろう。

 我ながらこの場の空気を和ませ、かつ瞬時にその報酬を受け取ることができるナイスフォローである。

「お前は……話の腰を折るな。それに今財政難だと言ったろうが!」

 怒りながら私に拳骨を食らわす八手、ちっ、作戦失敗と見える。

「あはは、その、奢らせていただきます」

「あ、いや、そういう訳には」

「いえいえ、私もケーキ食べたかったですし」

 よし、場は和んだし、なによりケーキが食べれる。作戦成功だ!

「はぁ、すみません。たく、お前は」

 ため息をつきながら八手は私を小突いて睨んでくる。ふん、私の心遣いも知らないで恩知らずな奴だ。

 店員を呼びケーキを注文する八手と早苗さん、うん、食べ物を恵んでくれたこの人はきっといい人なのだろう。これからはさん付けで呼ぼう。八手はさすがに遠慮したのかコーヒーだけを頼んでいた。うーむ、隙を見て八手の分も食べてやろうと思っていたので残念である。

「それで、仕事というのは?」

「あ、はい、実はその、私の家、変な宗教に目を付けられまして」

「宗教ですか……うーん」

 八手が困った顔をする。それもその筈、私たちが相手をするのはいわゆる「本物」だけ、偽物をどうにかしてほしいと言われても困るのである。しかし他に請け負う仕事がないため話だけでも聞くことにした。

「両親はすっかりその宗教を信じてしまって、私の家はそこそこの資産家だったのですが、もう財産は底を突きそうです」

 よく聞く話だ。取りあえず彼女から聞いた話をまとめると、一月ほど前から両親が変な宗教にはまったらしい。

 その宗教の幹部によると、なんとうかという神様に貢物をすれば遠い未来に大いなる幸運が訪れるらしく、今起こっている不幸はその幸福のための貯金らしい。

「お父さんの会社、その、最近上手くいってなくて、それで」

「……正直俺の管轄外なんですが、わかりました。その宗教団体の名前等を教えてくれませんかね?」

「はい」

 そうして八手は色々と詳し話を早苗さんから聞いていた。

 そして話が終わるころには、私はケーキを平らげ八手もコーヒーを飲み干していた。

「真、大いなる幸福教、という宗教なんですね。その、変な名前ですね」

 八手のいう通りこれでもかというぐらいな変な名前だ。私もこいつの隣でそれに賛同の意を表すため相槌を打つ。

「なんでお父さんとお母さんこんなのに騙されたんだろう……」

「単純なマインドコントロール、まぁ心で思っていた不安に付け込まれてそこを利用されたんでしょう」

「八手、早苗さんのお父さんとお母さん助かるのか?」

 気になっているところを聞く。いくらなんでもこの話は私たちの管轄外だ。単純な妖怪退治ならともかくこんな警察がらみの事件、私はなんの役にも立たないだろう。

「わからん。取りあえず家に帰って色々と調べてみる」

 こういう時は嘘でも大丈夫と言えと怒りたくなるが、正直シビアなのは私にもわかる。早苗さんには悪いが私と八手では力になれそうにないと、普通ここで断ってもおかしくないのだ。

「えーと、八手さんは“本業”なんですよね? 大学の噂では確か……」

 私たちが反応を見てそんなことをいう早苗さん。そうか、八手が通う大学ではこいつが陰陽家業をしていると噂になっているのか、それで早苗さんが八手に仕事を依頼して来たと……ふ、自分の推理力が恐ろしい。

「その、半信半疑で、というより信じて貰わなくても結構ですから、宗教団体に騙された人に本物ですなんて言えませんし、お金も全てが終わって後払いで受け取るつもりですので安心してください」

「え、いえその、信じて、はいますけど、もう他に頼る人もいないので……その、よろしくお願いします。それと、その」

「?、なんでしょうか?」

 早苗さんの歯切れが悪い。それに何か言いづらそうにもじもじとしている。

「なんでも言ってください。仕事に影響が出るかもしれないので」

 身を乗り出して早苗さんの話を聞こうとする八手。実はこいつは結構仕事真面目だったりする。

「あ、いえ、その、特に関係ないんですが、京極先輩って思った性格と違うんですね。もっと暗い性格かと思ってたので、あ、すみません!」

 やはりこいつは大学でそんな風に思われているらしい。早苗さんもこいつと話して驚いたようだ。

「ああ、その件ですか」

 納得のいった顔で乗り出した体をひっこめる八手。そしてなにやら悩んでいるらしい。

「その、これは私の高校時代慕っていた先輩の言葉なのですが。人から偏見を持たれるのは仕方ないことで、だからこそ本当に自分を理解してもらった時は喜んでいいと思う。とおっしゃっていました。ですから今私は早苗さんに誤解されていたことを怒るよりも、本当の自分を知ってもらって喜ぶべきなのでしょう。ですからお気になさらず」

「はぁ……その先輩さん。いいこと言いますね。本当に、あんな変な宗教よりずっと……」

「まぁその、今のあなたにはとても胡散臭く聞こえるでしょうが……」

「い、いえそんなことは! ない、です。素晴らしい方だと思いますよその人」

 と、言葉を吐き出すにつれ早苗さんの顔に陰りができる。明るそうにしているが今でも泣き崩れたいのかもしれない。

「そうなんです! いや先輩は本当に――」

 しまった。こいつの優一語りが始まってしまいそうだ。こうなれば一時間しゃべり続けるぞこいつ。しかも相手は精神的に追い詰められている相手なんだぞこの馬鹿! 自粛しろ。

「八手、さっさと帰るぞ!」

「あ……ああ、そうだな」

 先ほどまで有頂天だった八手が早苗さんの陰りに気づいたのか、大人しく私のいうことを聞く。今のフォローは役に立ったらしい。

「それでは、その、ケーキ代はいつかお返ししますので」

 そんな八手の言葉と共に私は店を出た……むぅ、奢ってもらわないのか?


 今俺は例の悪徳宗教について調べている。

 俺が住んでいるアパートは「秘密基地」という名の狭い路地を通った先にある隠れ家的なアパートで、ぼろい見た目に反し中はリフォームをして快適で、インターネット環境も最高と言っていいだろう。

 まぁそれは置いておき、今は取りあえずあの悪徳宗教についてだ。

「ああ、こりゃぁ……駄目だ」

 早苗さんのご両親がはまっている宗教について調べるとものすごい悪評だ。

 その悪党宗教のホームページ以外、詐欺だの関わるだのとあれに騙されるのは馬鹿だのそう言った言葉が並ぶ。

「こりゃ完全に黒だな」

 ちなみに早苗さんがいうには、この宗教現代文明を断ち切ることで神に近づく、と言っているらしく彼女のご両親にこの悪評を見せることは困難だろう。しかも、そんな宗教がホームページを作って勧誘しているのだから矛盾している。

「なんじゃこりゃ、神仏混同がひどすぎるだろ」

 日本にある神道、つまりは八百万の神を崇拝する宗教と仏教、つまりブッタの教えを信じる考えがぐちゃぐちゃだ。こりゃこの宗教、神道や仏教については素人らしい。

 そりゃ確かに日本はクリスマスやら多彩な宗教の文化を取り入れているが、この宗教は神道の教えを仏教として説明していたり、完全に間違っている。調べれば調べるほどひどいものである。

「八手、腹減った」

「晩飯は萌やし炒め食わしてやるから、それまで我慢しろ」

「……」

 きつめの物言いに腹ペコ夏穂は返答しない。いつもは萌やし炒めというコストパフォーマンス最強の料理に不満が出るのだが、どうもこいつは先ほどから機嫌が悪い。

 まぁなんだ、さっき早苗さんが泣きそうになっていたのに気が付かず思わず優一先輩の偉功について語ってしまいそうになったのは悪かったし、さっきさんざんこいつに礼を言った。

「悪かったって、さっきの喫茶店の件はお前のおかげで愚行をせずに済んだし感謝している。なんなら俺の萌やし炒め食っていいぞ」

 もう一度言ってみる。

「それじゃない」

 ならなんだってこいつはこんなに怒っているのだ。まったくこいつは時々よくわからん。

「じゃあなんだよ夏穂、腹でも痛いのか?」

「空腹で痛い」

「すまんな! 俺の分の萌やし炒め食っていいから機嫌直せ!」

「それは貰うけど、あとコショウいっぱいかけて……で、そうじゃなくてな」

 結局貰うのかよ。しかも注文が増えた。

「胸も痛いんだ」

「おいなんだ病気か?」

 人間じゃないこいつが病気になる訳ないのだが、いや、確か肉体は人間だったか、そんなことを思いながら声を荒げてしまった。

「違う。心が痛いから胸が痛い。」

「なんだよそれ、心配させんなよ……」

 胸をなでおろし再びパソコンで色々調べてみる。そんな乙女チックなこと言って俺の気を引こうとしても無駄だ。

「なぁ八手、人ってなんで他の人間を食い物にしようとするんだ」

 思わず、その言葉に手が止まってしまった。

「八手、私はわからないよ。その宗教団体はあの早苗さんの泣きそうな顔見たのかな? 見て心を痛めなかったのかな」

 ――だからこいつは。

「お前は本当に子供だな」

 訳のわからない苛立ちと一緒に、そんな言葉が吐かれた。

「大人になればわかるのか? 八手にはわかるのか?」

 普段は子供と言われたら怒るくせに、今日に限ってそれを認めるらしい。しかしまぁ、人が人を食い物にするか。

「八手?」

「夏穂、お前はずっとあの優しい先輩の元で育てられたから知らないだろうが、人間てのは何か弱い存在を攻撃して団結していく生き物なんだ」

「八手も?」

「俺は違う、と思いたいがな。先輩もな、それが醜いことだと知っているからやらないんだ」

「そうか、よかった」

 何が良かったのか、夏穂は安心したような表情を作り、扇風機の前でゴロゴロし始めた。

「……」

 足をパタパタと動かし、行動一つだけでも子供らしい。まぁ見た目は立派な大人なのだが。

 切れ長目で長身、モデル体型の八頭身で、街を歩けば振り向く人も多く。まぁ、特徴的なのは服装もなのだが。夏穂の力を制御するための拘束具の様な黒い服、優一先輩から頂いたそれも夏穂本人同様目立つし、若干大人びた印象を与える。

 されど中身は子供そのものだ。強い好奇心と食欲で人格が構成されているのではないかと俺は思う。それにこいつは、人の醜さを知らない。こっちがイラつくレベルで真っ白で、穢れを知らない無知な餓鬼だ。

「お前はもう少し大人になれ、見た目と中身が釣り合わん」

 こいつと出会ってから幾度も口にしたセリフをつい口走る。

「私はもう大人だ」

 そしていつもの返答。これからもこのやり取りを何回、何度もしていくだろう。

「はぁ、まあいいか、ん?」

 ため息とともに、気になる文を見つける。

「……おい夏穂、どうやらこの件、実は俺ら向きの仕事だったらしい」

 あまりの嬉しさに後ろでニートと化している夏穂に自分の成果を報告してしまった。そして現状を打破する情報を見つけたのは夏穂にも伝わったらしく、俺の肩からひょこっと顔を出しパソコンの画面を覗き込む。

「何、これ?」

 夏穂が首をかしげて聞いてくる。一目見ただけでは確かにこのサイトがなんなのかは判別できない。

「ああ、これは早苗さんの父親が務めている会社の裏サイトだ」

 念のため彼女の父親が務めている会社の名前を聞いていて正解だった。まさかこんな情報をつかめるとは夢にも思わなかった。思わぬ収穫というやつである。

「裏サイト……知ってるぞエロいサイトかなんかなんだろ! そんな物見てないで働けこの馬鹿八手!」

 夏穂がなにやら勘違いして怒ってくる。しかし裏サイト=エロサイトという脳内変換の仕方は誰が教えたのだろうか?

「そうじゃねぇよ。いいか、裏サイトってのはまぁなんだ。公式とは違う色々と言えないような情報を交換するサイトのことだ。」

 あまりにもざっくりとした説明に自分でもどうかと思うが、こいつに説明する時は短文でなければまず理解してくれないのでこれでいい。

 ちなみに裏サイトについてもう少し詳しく説明すると、主に学校でいじめの標的についての悪口や、教師の悪口なんかを掲示板なんかに書き込まれるサイトがそうだが、これはその会社版だ。

 そのほとんどが上司への愚痴や会社の体制への批判がほとんどで、利用しているのは比較的若い世代の人間と感じられる。

 そしてその会社の裏サイトに、気になる情報が書かれていたのだ。

「さて、一通り作戦は立てた。夏穂、お前が出る幕はなさそうだが一応争い事になったら力を貸せよ」

「ふん、言われなくても早苗さんの為なら働く」

 早苗さんを助けたい一心なのか、いつもの仕事とは違いやる気を出している様子の夏穂、こいつの力を借りるということは暴力沙汰に発展した時で、そんな事態に陥りたくはないのだが念のためにいつでも戦える準備をしておけと伝えてておく。

「さて、まずは早苗さんに連絡だな」

 そうして俺は充電中のスマートフォンを使って依頼人である彼女へと連絡する。

 この裏サイトに書かれていることが本当なら、厄介なのが彼女の家に取りついているはずだ。

「八手ー! 一人で納得してないで教えろー!」

 と、俺が勝手にこの事件のからくりに感づいているのが気にくわないのか、後ろから肩を掴んでやたら揺らしてくる馬鹿一名。いや、お前どうせ説明しても理解しきれないだろう? というか早苗さんにも説明しないといけないから二度手間なんだよ。て言っても納得しない性格なのは今までの付き合いでよく知っている。

「わかった。早苗さんとの話が終わったら説明してやるから!」

「ついでにごーはーんー!」

 我が儘が一つ通ったと思った瞬間追加注文してくる食いしん坊。あまりこいつを甘やかすのは教育に悪いので、その注文は無視する。

 あ、そう言えば、あれには何が有効だったか? 俺の記憶が正しければ味噌だったような気がするが、早苗さんの所に行く前にネットで調べておくことにしよう。

 さぁ、お仕事の時間だ。


 今私は早苗さんの家に向かっている。

 八手がパソコンを触って得た情報によると、早苗さんのお父さんには厄介な奴が取りついているかもしれないというのだ。

 事情を早苗さんに伝え、電車に乗って彼女の自宅へと向かう。

「なぁ八手」

「なんだ?」

 駅を降りて早苗さんに案内されること五分ちょっと、ただ歩くのに飽きたので気になっていたことを八手に聞いてみる。

「早苗さんの家に何がいるんだ?」

「おい、それ家でさんざん説明しよな?」

 むぅ、確かに家に出る前になんか言ってる気がするが、こいつの説明は長いからほとんど覚えてないがその時に一度言われたらしい。が、私にそんな長い説明を覚えろというのが無理がある。ここはもう一度説明してもらおう。

 前を歩く早苗さんもその話が気になったのか、会話には参加しないもののチラチラとこちらを振り返っているし、こいつにはもう一度私たちに説明する義務があるはずだ。うんそうに違いない。

「もう一度説明しろ八手、お前にはその義務があるぞ!」

 そして私はその義務を全うさせようと八手に一声かける。うんうん、完全に私が正しいぞこれは。

「……いや、なんで偉そうなんだよ。仕方ない。歩きながら説明するか。ああ、ついでだから早苗さん呼ぶか、なんかこっちチラチラ見てるし」

 あれ、私に言われなんでか呆れる八手。早苗さんがこちらを気にしているのに初めから気づいていたのか? 八手は手招きをして彼女を呼んだ。

 少し遠慮がちに私たちに近づいてくる早苗さん。うーむ、私との距離を明らかに離す辺り、やはり少し警戒されているようだ。

「まずはそうですね。ネットで得た情報なんですが早苗さんのお父さんの会社の裏サイトに、君のお父さんが何かに憑かれているって噂になっていたんです」

「え、その、それは、幽霊とか……ですか?」

 おびえた声で恐る恐る八手に尋ねる早苗さん。うん、早苗さんは八手のことを怖がっているようだ。こいつはなんだか偉そうだし、威圧的な物言いだから仕方ないが、いつか私がこの態度を改めさせてやらなければならないと思う。

「こう、白い着物を着た髪の長い女の人ですか?」

「いや、幽霊じゃなくて妖怪の類ですが、いや、一般の人から見れば似たような物ですかね?」

「あ、その、えーと――」

「まぁ今は信じなくてもいいです。今回私もそれを確かめる為に家に上げて貰うので、では説明を続けてもよろしいでしょうか?」

「……あ、はい、すみません」

 うーむ、なんと言うか八手、早苗さんに偉く他人行儀になりすぎてないか? そんな機械的で事務的な態度だから早苗さんが、自分が悪いことをしているのではないかと勘違いしてしまっているのに気が付かないのだろうか? その程度の“目”をこいつは持っている筈なのだが。

「おい八手」

「なんだ?」

 八手に近づいて早苗さんに聞こえないように耳打ちをする。ん、なにやら近くにいる早苗さんが赤くなっている。なんでだろう。もしかして変な誤解されているのだろうか?

「何で早苗さんに冷たいんだよ?」

「別に冷たくはしてない」

 いつもはもうちょっとこう、喧嘩腰なのに今のこいつはただ質問に受け答えをするロボットになっている。

「嘘つくなよ。あからさまに距離置いてるだろ」

「……仕事する時はこういった態度になっちまうんだよ。あまり情を持たない為にな。お前にはまだわからないと思うが……」

 む。最後はなんだかいつものような喧嘩腰になったが、それよりもだ、またそれだ。私は子供じゃないのにこいつは私を子ども扱いする。このナイスボディーが目に入らぬのか!

「後で説明してやるから、少し黙ってろ」

 不機嫌そうな声で言い返すしてくる八手、こういう反応をする時は決まって本気で怒っている。

 むぅ、これ以上こいつを刺激すると後が怖い。こう晩御飯を作ってくれないとかそう言った拷問を平気でしてくるのだ。後で話す時間を作るということなのでこの話はここまでにしておこう。

「あの、着きました」

 と、隣を歩いていた早苗さんが立ち止まるりどこにでもある一軒の家を指さす。

 うん、ここが早苗さんの家か。同じような家が並ぶ住宅街では近隣に住む住人でなければ見分けがつかず通り過ぎてしまうかもしれない。

「その、両親は今日あの宗教の集会に参加しているので不在ですから……」

「ええ、わかりました」

 そう行ってさっそく家に早苗さんに鍵を開けさせ上り込もうとする八手、と、その時変なことを口走った。

「ああそうだ早苗さん、味噌あります?」

 味噌? 味噌汁でも作る気なのかこいつ?

「え、あ、はい。冷蔵庫の中にあるはずですが?」

「それは良かった。交渉の材料に使うので用意をお願いできますか?」

「はぁ……」

 首をかしげながらも八手のお願いを聞き入れる早苗さん。私も味噌を交渉に使うなどと言われ意味がわからない。

「それじゃあ、探索だな」

 首の骨をボキボキと鳴らしながら家の中を探索し始める八手、というより、なんでこいつは人の家でこんなに遠慮がないのだろう?

「お邪魔しまーす」

 一方行儀の良い私は八手とは違い遠慮がちに家へと上がる。早苗さんはさっそく味噌を取りに台所へと向かったようだ。

「さて、俺の勘が正しけりゃ、あいつは押し入れの中か」

「押し入れ?」

 む、押し入れだと。よく八手の所に来る前の家では押し入れを私の秘密基地にして半日そこにいたということもあった。ここは私に任せて貰おう。

「押し入れは任せてもらおうか八手、私は押し入れの神様という称号を得たことがあるのだぞ」

「なんだよその押し入れの神様って……」

 私の異名を馬鹿にしてくる八手、押し入れは完成された美しい一つの世界だと思うのだがこいつは芸術を愛するくせにそんなこともわからない。

 まぁそれは置いといて私の押し入れセンサーはこの家の端の方を感知している。この家自体床はフローリング、壁は洋風の壁紙を使用しているが、そんな中に忽然と襖(ふすま)の扉を発見した。私は迷わずその襖を開ける。襖の奥は少し手狭だが畳が敷かれた和室となっており、普段使っていないのか机一つ置いていない。

 そしてそんなさびしい部屋の奥にまた襖(ふすま)があり、これが押し入れと思われる

「あ、この部屋だな」

 辺りを迷わず見つけ出し自慢げに八手に胸を張る。

「おい、他人の家なんだから勝手に探るな」

 おい、さっき遠慮なしに他人の家を散策してた奴が何言ってるんだ。

「まぁ、早苗さんに案内してもらう手間が省けたな」

 そう言って押し入れに手を伸ばす八手、それを私は腕をつかむ形で阻止した。

「?、なんだ」

「お前が検討を付けている相手、危ないのか?」

 もし危険ならばこの押し入れは私が開けるべきだ。こいつを怪我させる訳にはいかない。

 何かの冗談と思われるのは嫌なので、真剣に聞いてみる。

「……危なくはない」

 なぜか一回驚いたような表情をしてからそう答える八手、むぅ、こいつが怪我したら私の飯を作る奴がいなくなるからと聞いたのに、要らない世話だったようだ。

「まぁだが、予想が外れ万が一ということもあるからな」

 八手はそう言ってアイコンタクトで私に押し入れを開けろと命令する。

「くれぐれも驚いた拍子に力を暴発させるなよ。」

「わかっるって、そんなことしたら早苗さんに悪いし、なにより家一つ弁償なんて無理だしな」

 それに私の力はそこまで不安定ではないぞ。確かに膨大な力を出したら扱いきれないが、少し力を出すなら簡単にコントロールできる。

 ちなみに私の力とは一言で説明すると「炎」である。そのためこんな所で暴発させたらこの家は全焼してしまう。火事は凄く怖いんだぞ。命もだけどお金も飛ぶからな。

「気をつけろよ」

 後ろから釘を刺してくる八手、こいつのしつこさに苛立ちを覚えながらも障子をあけ押し入れの中を確認する。うん、ちょうどいい薄暗さと狭さ、なかなか快適そうだ。しかし変わった様子はなく、中には何もいない。

「いないぞ、八手」

 役に立たない後ろの探偵にぶーぶーと文句を言ってやる。

「よく探せ、いるはずだ」

 それでもこいつは絶対の自信でもあるのかよく探せと私に命令してくる。

「そんなこと言っても――」

 再び押入れに顔を入れてあれを見た瞬間、鳥肌が立ってしまった。あれは? 押し入れの隅に、茶色い大きな粘土の様な、いや、あれが粘土とかそういうのはおいとくとして、なんで人の顔の形をしてるんだ?

「……」

 霊の顔は黙ったまま、取りあえず叫びたい気持ちを押し殺し、そっと押し入れを扉を閉める。

「いた。気持ち悪いの」

 簡潔に、しかし要点を抑えた報告を行う。

「どんなのだ?」

 先ほど見たあれを思い出す。

「小さな顔がなんか、押し入れの隅に粘土みたいにこびりついてた」

「そうか、この家に癒着してるのか。厄介だな」

 一方八手はまた一人で納得している。いい加減私にも説明して欲しいのだが。

「おい八手、あれなんだ?」

 あの気色悪い奴の正体に気が付いているであろう八手に怒りながら訊く。

「なんだ家で言ったこと全部覚えてないのかよ。あれは貧乏神だ。押し入れにいるので確信した。あいつらもお前と同じで押入れが好きだからな」

 貧乏神。それは私も知っている! 取り憑いた人間に不幸をもたらすありがたみのない神様だ。

「なんでそんなのが早苗さんの家に!」

「さて、それは本人に聞いてみようか」

 そう言って押し入れを開け、中に手を押し込む八手。あの気持ち悪い奴を引きはがす気なのだろう。

 八手が手に伸ばした先で、例の貧乏神が暴れているらしく、バタバタと音がしだした。

「暴れるな貧乏神、別に取って食おうって訳じゃない」

「おい、大丈夫か?」

 心配になり声をかける。

 八手が貧乏神と格闘していると、押し入れから変な鳴き声が聞こえ始めた。

「そいつ鳴くのか!」

 いや、まぁ鳴くぐらい別段驚くほどではないか。

「離しゃんかい小僧!」

 しゃがれた大声が耳の鼓膜を叩く。

「そいつ喋るのか!」

 明らかに老人が発する声が押入れから聞こえてきた。

「よし、ゲット」

 ようやく捕まえた獲物を眺めながら自らの勝利の余韻に浸るハンター八手。

 ただその手に持っているのがあまりのも薄汚いため、私は思わず八手から逃げてしまった。

 まず匂いがひどい、あれだ。夏に生ごみが入ったごみ箱を覗き込んだ感じの臭いが私の嗅覚を襲ったのだ。

「臭い! 凄く臭い!」

 不満をそのまま口にしながら鼻をつまみながら八手に近づいていく。

 自慢げにこいつが手にしていたのは日本人形ほどの大きさの老人で薄汚い小物、手にはぼろぼろの扇子が握られ、今は猫の様に首根っこをつままれわたわたと暴れている。

 こいつが貧乏神、早苗さんの家族を不幸にした張本人、か。ならばやることは決まっている。冷徹な声で八手に問う。

「こいつ、処理するんだろ?」

「な、なんじゃ娘! わしを殺す気か!」

 私の言葉を聞いた貧乏神戦慄している。

 しかし私は本気だ。この貧乏神さえいなければ早苗さんは家庭は崩壊することはなかった。こいつにはその罰を受けて貰わなければならない。

「お前は黙れ!」

 殺気のこもった目で貧乏神を睨みつける。

「ひぃ! こ、小娘! わしを殺してもお前には得などないぞ!」

 そしてそのまま怯える貧乏神は無視して、八手を睨む。

「たく、血気盛んだなお前は……こいつは利用する」

 怒りを抑えきれない私とは反対に、八手は全く冷静な顔でそう言い切った。

「なっ……」

 絶句した。こいつには怒りいう感情がないのか。この貧乏神さえいなければ早苗さんが不幸になることは無かったんだぞ! だんだん私の怒りは八手へと向けられる。

「お前は!」

 八手へと掴みかかろうとした瞬間、和室の扉がゆっくりと開かれた。

「あの、失礼します」

 ビニール製のパックに入った味噌を片手に、早苗さんが少し怯えながら部屋へと入ってくる。

 先ほどの私の大声を聞いたのかもしれない。私への警戒心が増しているように思えた。

「味噌を持ってきたのですが……」

「ああ、どうも」

 恐る恐る八手へと近づき味噌を手渡す早苗さん。

 一方でその目は八手が掴んでいる小人へと向けられている。

「ああ、こいつがこの家に取り憑いていた奴です。」

 早苗さんが貧乏神を見ていることに気が付くと、八手がひょいっとそれを見せつけるように前に突き出した。

 それを見せつけられた早苗さんは、目を丸くしている。見えているらしい。

「こいつは貧乏神、この家を襲った不幸の大体の原因はこいつです」

 シンプルな説明で、早苗さんにそう説明する八手、しかし大体の原因って、全部こいつのせいだろうに。

「わ、私、霊感なんてないのに」

 一方早苗さんはこの薄汚い貧乏神が見えている自分に驚いているようだ。

「まぁ世の中霊感が無くても見える妖怪は存在しますが、こいつの場合は取りついた家の者だから見えるのでしょう」

 そうしてじっと早苗さんの目を見る八手、おい、なんでそこで見つめるんだよお前。

「あ、あの、何か?」

 ほら見ろ。八手が早苗さんの目を覗き込むから困っているじゃないか。

「ああ、すみません。恩人から人の心を探る時は目を見ろと教わったもので」

 恩人というのは優一のことだろう。私もよく目を覗かれ今欲しいものをよく言い当てられた。あれはなんと言うかあれはエスパーじみている。

「で、早苗さん。私たちを本物と信じてもらえるでしょうか?」

 そこで、八手はおかしなことを言った。

 本物? 早苗さんは私たちを、いや、八手、お前を信頼して仕事を頼んだだろう。なのになぜ、そこでそんな言葉が出てくる。

「……その、すみません」

 早苗さんが謝る。

 本当に申し訳なさそうに、八手と、私にも悲しそうな目でちらりとこちらを視線をやって深々と頭を下げた。

「あーいえ、私たちを、というより人を信用できないのは無理もないでしょう。だから謝らないのでください」

「でも……私は八手さん達のこと、まだ」

「それに私たちを信用されなくても仕事には影響ありません」

「あ……」

 早苗さんが悲しい顔をしてから、それを隠すように下を見る。

 また早苗さんに冷たくする八手、こいつは早苗さんのことが嫌いなのだろうか。

「まぁでも、早苗さん。俺はね、この家から貧乏神を取り除くよりも、貴方が人間不信になりかけているのを治すのを優先するつもりですから、そこまでしないと仕事とは言えませんからね」

「……」

 早苗さんがピクリと動く。だがそれだけ、無言のまま黙りこくっていた。

 ああ……そうか、早苗さん、人間不信になってたのか。だから八手はあえて距離を追いて接していたのかもしれない。人の良さそうな顔で近づいてくる詐欺師に騙された人間には、それが一番いい接し方ということか……でも、なんだろう。それがわかってもこいつの対応にはなんだか嫌悪感を覚えてしまう。それはまだ私が未熟だからだろうか?

「こりゃお主ら、ワシを離せ!」

 一方貧乏神は先ほどから八手に摘ままれながら暴れている。

 いい加減ムカついてきた、さっきからうるさいし。というか臭い。

「八手、やっぱりそいつ燃やそうか?」

「な、こ、小娘! 無駄な殺生は止めぬか!」

 は、ここで的外れな正論か。いい加減本気で頭にきた。

 早苗さんが落ち込んでいるのにこいつは自分のことばかり、お前のせいで早苗さんの家がばらばらになったのだろう。

「止めろ夏穂、こいつとは交渉する。利用するって言ったろうが」

「なんじゃと、交渉じゃと?」

 八手の言葉に反応して暴れるのを止める貧乏神。

「ここに、お前が好物の味噌がある。これをやるから俺のいう奴に取りついてもらおうか。なに、悪くはしないぞ貧乏神、協力してくれたら命は保障する」

「……ぬぅ」

「あ、断ったら後ろの女ににお前を処理させるからな」

「拒否権なんぞ始めからありゃせんではないか!」

「まぁそう吠えるな。でだ、相談なんだがな――」

 と、八手は前々から練っていた作戦を貧乏神を含めた私たちに披露する。

 まぁ、と言っても私はあまり難しい話はわからないのだが、あいつが今している凶悪で楽しそうな顔をしている時は悪いことをする時なのは間違いない。

 うむ。今回の仕事は上手く行きそうだ。


 今俺は自室で作戦を練り直している。

 早苗さんの家で貧乏神を捕獲し、今家でそいつを一旦預かっているにだが……元々絶望的な経済事情で金が無い我が家に預かっても問題ないと思っていたが、甘かった。

 朝から何故かパソコンの調子がおかしくなり使えなくなるし、机の角に足をぶつけてしばらく動けなくなるし、不幸なことが立て続けに起きる。

 これは早急に次の段階に移らなければならないのだが、しかし一つ、否、二つほど問題がある。

「うううう!」

 後ろで飢えた野良犬の様に唸り続けているこいつ、夏穂。

 そしてもう一人、俺の作業の妨害をしている者がいる。

「こりゃ糞餓鬼! とっととここから出さんかい! 協力してやらんぞ!」

 この家に一時置くことになった貧乏神、昔、夏穂にねだられて買った虫かごに入れてあるが、能力のことは仕方ないとしてこいつもさっきから五月蠅くて仕方ない。

 騒音の発生源が二つもあると、考えに集中できない。

 普段は裏路地の奥にあるこのアパートは工事や選挙カーなどの騒音とは無縁なので、俺自信騒音に対する耐性がない。

 落ち着ける静かな場所でこそ良案が浮かぶというのに、こいつらは先ほどからやかましすぎる。

「おいお前ら! 静かにしてろ!」

 我慢できず一喝、しかし大した効果は見受けられない。

 片方は唸り続け、もう片方も罵詈雑言を吐き続けている。

「はぁー」

 パソコンは使えないし、あー、もう絵でも描こう。俺の通っている大学は京都にある美大である。

 そこそこ有名と言えば有名な美大、日本だけでなく海外の会社にもコネがあり、才能が有り努力をする人間ならば就職先は保障される大学だ。

 まぁ俺はその子コネには興味が無く、まるで日本の城みたいな外観が気に入ったのと、元々絵に興味がありそこに入学したのだが、その時俺の保護者である祖父に借金をしたのだ。と言ってもその返済はすでに終わっているのだが今も「育てた恩を忘れたのか!」となにかと生活費を俺にたかるので、陰陽師としての仕事の収入のほとんどを持って行かれる。

「あの爺さん、生活費と言って金を要求してくるが、絶対ろくでもないことに使ってんだろうな」

 陰陽師としての仕事は依頼されあれば一つの仕事で大きな利益を生むのだが、あの爺さんに送っている金額は老人一人の生活費にしては多すぎる。きっとくだらないことにつぎ込んでいると思うのだが――。

「なぁ、八手」

 と、絵を描くためにカッターナイフで鉛筆を削っている途中、夏穂が話しかけてきた。

 先ほどまで犬みたいにうなっていたのだが口調はいつも通り、しかし明らかに目つきが悪い。

「なんだ、機嫌悪いな」

 腹でも減っているのかとちらりと夏穂の顔を見てから、再び鉛筆を削る作業に戻る。

「お前、どうして早苗さんに冷たいんだ?」

 相変わらず貧乏神がうるさい中で、夏穂はそう聞いてきた。

「……説明しないと駄目か?」

「いやまぁ、大体はわかるけど八手……早苗さんが自分たちを信用できてないのが見通してたからあんな態度なのは」

 驚いた。こいつ、早苗さんと距離を置いていた理由、気づいていたのか。

「……そこまでわかってるならもう聞くことはないだろう?」

「早苗さんが人間不信になってること……後八手が冷たくする理由もなんとなくわかったけど……なんだか納得だけができないんだ」

「納得って……いいか夏穂、早苗さんと喫茶店であったことを思い出してみろ。あの人初対面にも関わらずお前が恋人かどうか聞いてきたろう? あの大人しそうで内向的そうな早苗さんがだ。失礼になるなんてのは承知の上で人に探りを入れたんだよ。」

「……そうか、八手はもうその時に気づいてたのか」

 珍しく大人しく俺の話を聞く夏穂、というか何故か先ほどまで煩かった貧乏神まで静かになっている。まぁその体臭は相も変わらず強力なのだが。

「なぁ夏穂、お前は早苗さんをどうしたい?」

「え?」

 俺の問いが意外だったのか、意表を突かれ、驚いた顔をする夏穂。

「そんなの……私は、助けたい」

「そうか、なら後のことも考えろと言いたいが、それは俺の仕事か。まぁだがお前も考えるだけ考えてくれ、早苗さんの人間不信を直しさらに例の詐欺団がもう早苗さんの家族に手を出せないようにする方法を……そうす――」

 いつの間にか夏穂の話に夢中になり鉛筆を削る手が止まっているのに気が付くと同時に、俺の携帯が鳴った。

「はい、京極ですが?」

 宛先を見てすぐさま電話に出る。そして、電話の向こうの相手は今にも泣きそうな声を出していた。

 もう、私の家は終わりだと、そう訴えて泣いていた。

「……落ち着いてください。はい、すぐに行きます!」

 すぐに携帯をカバンに放り込み夏穂に伝える。

「悪いが夏穂、この話は後だ。貧乏神持って早苗さんの家に行くぞ」

「え、こいつ持ってくの!」

 緊迫した雰囲気、連絡先は早苗さんの家であったようだ。

「逃げ出されたらたまらんからな!」

 そして、もう日が沈んだ街へを足早に進んでいった。


 今私はいわゆる家庭の事情というのに首を突っ込んでいる。

 早苗さんから電話がかかってきて急いで私と八手は夜の電車に乗り、早苗さんの家へと向かった。

 着いた時、玄関から聞こえたのは早苗さんの鳴き声と、その両親の怒鳴り声が鼓膜に叩きつけられた。

 正直、人間というのはよくわからない。

 八手の先輩、つまりは私の育ての親だった優一は言った。家族とは大切な人なんだよ、と。

 なのに、駆けつけて呼び鈴も鳴らさず玄関を開けた私と八手が見たのは、頭から血を流していた早苗さんだった。大切なはずの両親に、大切にされるはずの両親に、ガラス製の灰皿で頭を殴られていたのだ。

 正直、覚悟できていなかった。早苗さんから家族と仲が悪くなっていると聞いていたが、まさか実の娘を殺しかけてもなんにも悪びれもしない両親を見て、怒りよりまず驚いてしまい動けなかった。

「で、君たちは一体なんなのだね?」

 苛立ち交じり私たちにそう呼んでくる早苗さんの父親。

 動けない私を無視してすぐに八手はすぐに救急車を呼び重症の早苗さんを病院へと運ばせた。怪我の原因は階段から落ちたとしてあるが、私たちが玄関を押し破って入った時確実に目の前にいる男は血まみれの灰皿を持っていた。

 私は思う。一応母親が付きそいで病院に行っているが、あの母親も血まみれの娘を見て表情一つ変えなかったところを見ると、やはり早苗さんの家族はもう修復不可能なのではないだろうか。

 そして、慌ただしく時が過ぎもう深夜、今は私と八手、早苗さんの父親が玄関先で話している。

「初めまして、俺は早苗さんの学校に通っている生徒です」

 腕を組んで先ほどまで押し黙っていた八手が口を開いた。

「じゃあ帰ってくれ。今日は私は疲れたんだ」

「帰りません」

「人様の家庭の事情に首を突っ込まないでくれ。警察を呼ぶぞ!」

「呼んでくれて結構、なら俺はさっき見たことを警察に話しますが? もうこれ家庭の事情とかそういう言葉で見逃される範疇を超えてますよ。貴方の娘さん、打ちどころがもう少しずれていたら死んでました」

「くっ」

 怒鳴る父親に強気に出る八手、正直私は言葉なんて発せない。さっき、頭に怪我を負った早苗さんのことを思い出すととても冷静ではいられないからだ。ここは八手に任せるしかなかった。

「なんじゃいあの小僧、胆が据わっとるのー」

 持ってきた虫かごの貧乏神が茶々を入れてくる。こいつはどうやらこの状況を楽しんでいるようだ。いつもなら怒るが……今はその元気がない。

「で、君の望みはなんだ? 口止め料か」

「事態の収拾。実は早苗さんに頼まれまして、親が加入している変な宗教をどうにかしてほしいと」

 あくまで冷静に、簡潔にそう答える八手、しかし相手は違う、今にも家から鈍器を持ってきて私たちを殴りそうな勢いで怒鳴ってきた。

「失礼な! 君みたいな汚れた人間にあの教えの素晴らしさが理解できるはずが――」

「理解なんてできませんし、したくもないですよ。娘を殺しかけといてのうのうとしていられる教えってのは」

 あっ八手の言葉が荒れた。できるだけ自分を抑えてはいるが、内心は怒り心頭と言ったところで、無意識に早苗さんの父親以上の剣幕で相手を圧倒していた。

 しかしすぐに無表情に戻り家の中へと目をやる。あくまでも冷静さを失っていないようなので私はまだ傍観しておくことにしよう。

「で、そこで立ち聞きしているのは誰ですか?」

 八手が家の中に目をやる。無表情だが確かに殺気に似た物を目に宿していた。

「がははは、いやぁばれましたか」

 中から出てきたのは背の高いごつい坊さんで、伸びきったままの無精髭が威圧感を生んでいた。

「先生、危ないので出てきては駄目ですよ! 万が一こいつが先生に危害を加えたら――」

「いや、気づかれたのならば隠れなくてもいいだろうさ鹿沢さん。それに私は神の加護を得ている。こんな小僧にどうこうできる者ではありません」

 そう言いつつ男は豪快に笑い。なれなれしく八手のバンバンと肩なんかを叩いているが、八手の奴は微動だにしない。

「ふん、で、お二人さん、どういった用事かな?」

 ごつい坊さんはにたりと笑い八手の顔手の平一つ分ほどまでその不愉快な顔を近づける。坊さんがゴリラか八手がサルと言えばいいのか、八手も背が低い方ではないがあの坊さんの身長は二メートル近い。あれ本当に日本人か。

 無精髭の坊さんは立っているだけで威圧的だ。おまけに今度は、やたら私の方を見てニタニタと笑っている。

「あの女風俗に売ったら金になりそうじゃねぇか若造、取引しねぇか?」

「あいつに手を出そうってんならやめた方がいいぞ、坊さん。下手すると焼死するから」

「は?」

 八手が坊さんの目線に気が付いたのか、そんなことを言ったが、言われた相手はそれが気にくわなかったらしい。

 突然にこやかだった表情が変わり、鬼みたいな顔に豹変する。

「おい若造、あんまり舐めてると痛い目見るぞ?」

 先ほどの見せていた笑みと余裕がなくなり、坊さんが俺は今怒っているぞアピールをする。これは今までの仕事で何度か見てきた。こうして相手になにか気にくわないことがあり自分を怒らせたと認識させて相手の気を削ぐ方法だ。しかしそんな心理戦八手には通用しない。

「そうかい。で、あんたは一体何者なんだ」

 無精髭の坊さんの脅しにも動じず、質問を切り出す八手。

「ああ、俺は霊能力者だよ。お前さん悪いものがついてるぜ、祓ってやろうか?」

「そりゃ忠告どうも、悪いものが付いてたら自分で確認できるから気にしないでくれ」

「はっ! お前も見えるってのかよ! 嘘はいけないなぁー嘘はぁー」

 八手の受け答えが面白かったのか、心底可笑しそうに笑う坊さん。一方八手は相変わらず無表情のままだ。

「お前にそんな力は無いだろう? 何も感じないんだが? ん?」

「そうですか、ではどんな神様を崇めたら相手が霊能力者か判断できるか教えてください」

「あ? 俺たちのこと知っているのか?」

「ネットで、偉く評判ですよお宅、悪い方で」

「かぁー! これだから若いのは、なんでもインターネットで調べて、百聞は一見にしかず、自分の目で見て判断しな!」

「ああ、そうだな。じゃあじっくり観察して……やっぱりネットに書かれた通り胡散臭そうだなあんた」

「けっ……生意気な野郎だ」

 やけに暑苦しい顔を近づけて話してくる無精髭の坊さんに八手。だが、こいつは商売柄、今までチンピラや暴力団関係者に喧嘩を売ったり売られたりしてきたので、この程度馴れている。

「でだ。ぶん殴られたくなきゃ帰りな、若造」

 早苗さん父親に聞こえないように小声で八手を暴力で脅す坊さん。しかしそんな忠告聞かないとばかり八手は早苗さんの父親を見据える。

「早苗さんのお父さん、ここに来る前早苗さんから電話がありまして、混乱していた言葉でしたがなんとか聞き取れました。この人から壺か何か買い取ったようですね?」

「え、ええ、幸せを貯めれる壺だと……そんなありがたい壺を売って頂いて」

 二人のやり取りに驚いていたのか素直に八手の質問に答える早苗さんの父親。すると八手が少し笑う。

「それ、変なのついてますよ」

「へ?」

 柄の悪い坊さんを無視して早苗さんの父親に話しかける。そんな何度かの無視でついに坊さんの堪忍袋の緒が切れたようだ。

「おい若造……調子に乗ってると痛い目見るって言ったよな?」

「言ってたな。で、どうするんだ?」

 坊さんが問答無用で八手に殴りかかる。それを見て早苗さんのお父さんが驚いていた。多分感情をむき出しにしたあの男の姿を今回見るのが初めてなのだろう。

 今まで最初あったときみたいなにこにこ顔で、八手が言った通りにいい人間のふりをしてこの家族を、早苗さんを壊したのだろう。

「ってぇ……」

 八手が自分の顔に手を当てる。

 当たり前だ。あんなゴリラみたいな人間に全力で殴られれば歯が取れてもおかしくないのだが。

「……い! ああ!? なんでだ!」

 だが、八手以上に無精髭の男が八手を殴った手を抑えて痛みを耐えていた。

 坊さんはひどく驚いて目を皿にして八手を見ている。まるで人外の怪物を見るような目だ。

「何に驚いてんだよ?」

 口の中を少し切ったのか、発音の悪い声でそう驚く坊さんに問いかける八手。

「で、早苗さんのお父さん、この人から貰った壺持ってきてはくれませんかね?」

「え、ええ」

 いきなり目の前で起こった暴力に混乱したのか、あれほど八手のことを邪険にしていた早苗さんの父親が素直に言う事を聞いた。

 そして待つこと数分、大切な赤子を扱うように、早苗さんの父親はそこそこ大きい壺を持ってきた。

「ああ、これ、やっぱり変なのついてますよ」

 八手がまたもそんなことを言い出すが、変だ。私にも八手にも霊や妖怪を見ることはできるが、私にはその壺に何か取りついているようには見えない。

「おい八手?」

 不審に思って八手に問いかけた私を、八手は手招きだけで呼び寄せる。ああ、成程、そういう作戦か。

「おい坊さん」

「なんだ若造?」

 今の今まで赤くはれた拳を息をかけ冷ましていた坊さんが、八手に呼ばれてる。

「あんたなんて物をこの家族に売ったんだ。こりゃ幸せなんて呼び寄せない、とんだ疫病神だ!」

「あ? てめぇどんな根拠があってそんなことを言いやがる!」

 八手の言葉に再び感情をむき出しにする坊さん。しかし八手はひるまず言葉を重ねる。

「なら賭けをしようか。この壺を一週間あんたが持っていろ。それでもなんにもなかったらあんたの勝ち、名誉棄損ということで賠償をしよう」

 突然の提案にきょとんとする坊さん、そりゃそうだ。八手のした提案はあまりにもこの無精髭の坊さんに都合がいい。

「へ、へへ、いいだろう。ならその壺持って帰ってやる」

「じゃあこれ連絡先だ。何かあったらその壺、俺が回収してやるからな。捨てるなよ」

「ああ、そりゃどうも! 一生頼ることなんざないだろうがなぁ!」

 連絡先が書かれた紙を手にして男が家の玄関に消えていく。うーむ、しかし上手く行くのだろうか?

「さて、帰るか夏穂、これでまぁなんとかなるだろう」

 八手はそう、たった一言私にそう言って、事態がまだ把握できていない早苗さんのお父さんをその場に残し家へと帰るべく玄関を出た。

 ああでも、そう言えば終電の電車に乗って私たちは早苗さんの家に来たんだっけか……歩いて帰るのか。


 今俺は早苗さんの家族に呼び出され、再びあの家へと来ている。

 あの坊さんに殴られてから一週間後、どうやらあの連中、ぎりぎりまで俺に頼るのを我慢したらしい。敵ながらあっぱれだ。とは言えもう限界だろう。

 家の前には見慣れない黒いワゴン車が止めてある。どうやらあいつらも来ているようだ。そして、自信満々に俺は早苗さんの家のインターホンを押す。

「あ、すみません。京極ですが」

「なぁあいつ、ちゃんと仕事したのか?」

 インターホンを押し家の人と会話を終えた俺に夏穂は話しかけてくる。

「当たり前だ。あいつは貧乏神だぞ」

 あの壺、例の宗教詐欺組織が早苗の両親に売りつけた壺には何も取り憑いてなどいない。ただの変哲もない壺なのだが、俺は賭けをした。

 一週間、あの壺を所持して何事もなければ俺はあいつに損害賠償を払うと約束したのだ。

 無論、そんな賭け確実に俺の負けである。一つ、細工をしていなければ。そう、あの壺の中に、夏穂が虫かごに入れて連れてきた貧乏神を放りこんでいたのだ。

「ああ、先生! 会いたかった」

 素直に驚いた。早苗さんの家からあの坊さんが、俺を先生呼ばわりして家に招き入れたのだ。

 しかも一週間前とは違い、がりがりで骸骨みたいになっている。これは手ひどくやられたようだ。

「あいつすごいな!」

 隣で貧乏神の力に夏穂が目を輝かせながら驚いている。先ほどの心配などこいつの有様を見て吹き飛んだようだ。

「そりゃどうも、で、なんで俺に直接電話せずに早苗さんの家に頼んで連絡したんだ?」

「ああ、それは、お恥ずかしいながらあの連絡先を紛失してしまいまして」

 おおよそ、この賭けに絶対に勝てると思い連絡先をすぐに捨てたのだろう。

「早苗さんの両親は?」

「今家の中に!」

 変わり果てた姿の坊さんに案内され家の中に、どうやらリビングへと向かっているようだ。

「ではお邪魔します」

「お邪魔しまーす」

 俺たちは家のリビングたどり着くと、見慣れない男と女、その全員が痩せこけている。

 例の宗教集団の幹部たちなのだろうが、服も顔もひどいものだ。

「先生! で、例の壺なんですが」

「まぁ落ち着いてください。まずは、早苗さんの両親は?」

 家の奥から二人が出てきた。いや三人、頭に包帯を巻いた早苗さんとその両親だ。

「あ……」

 怪我はしているが元気そうな早苗さんを見てか、夏穂が安堵の表情を浮かべる。

「で、あの壺は持ってきたんですか?」

「ええ! 勿論です!」

 骸骨みたいな坊さんがあの壺を持ってきた。

「これ、ハンマーで叩いても割れないし捨てても何故かまた俺たちの事務所の机の上に置いてあるし! どうにかしてくれ!」

「ええ分かりました。では一千万ほどで処分しましょう」

 その一言に、詐欺集団は凍り付く。

「なにを固まっている? その壺を処分してやるとは言ったがタダでとは一言も言っていないだろう」

「て、てめぇ! 最初からその気で!」

 坊さんの態度が一変し、服からナイフを取り出した。おいおいさっきまで俺のこと先生とか言って敬ってたろうに。

 と、慌てて夏穂が早苗さんの家族の前に出て手を広げる。まぁこれで早苗さんたちの安全は確保された。例えこいつらがミサイルを持っててももう彼女たちに傷一つ付けれない。

「てめぇらが散々悪行で稼いだ金だ。まだ残ってんだろ? 調べさせてもらったぞ?」

 俺がこの一週間何もしてなかったと思うなよ。貧乏神が出て行って調子が戻ったパソコンとお前らの部下尾行したりして色々と調べさせてもらったんだからな。ああ、パソコンが戻って本当に良かった。壊れてたら暫く立ち直れなかっただろう。

「ふざけんな! あの資金はまた会社を立ち上げる金だ!」

 よし、貧乏神のおかげで追い詰められていい感じに取り乱している。では懺悔でも始めて貰うとしよう。

「まず認めろ。自分たちが霊能力者でもなんでもないことを」

「あーあー! 認めてやるさ、だからさっさとこの壺を処分しろつってんだろ!」

 いや……早苗さんの両親が目を見開いて驚いていた。というか俺も驚いた。こんなにあっさり認めらるとは。少し俺は動揺しながらも話を続ける。

「な、なら、金を払え」

「金、金うるっせぇーんだよ三流霊力者! さっさとこの壺どうにかしやがれぇ!」

 必死な顔をした坊さんがナイフを持って突進してきて、早苗さんと早苗さんの両親が叫び声をあげる。

 完全な修羅場という奴だが、正直予測はしていた。では偽物に見せてやろうか、陰陽師の力を!

 そうだな、前は顔に張ったが、今日は右手に張っておこう。

 ――強、強化術式の構成。

 ――結、結界術式に変更。

 ――展、展開術式も発動。

 ――安、安定術式を重複。

 これすなわち陰陽京極家秘技――強化結界。まぁ秘技もくそ代々伝わる技らしい技がこれしかないのだが。

「強結展安(きょうけつてんあん)」

 俺はいつものように口に馴染んだ呪(まじない)を口にし、坊さんを持っていたナイフを躊躇なく掴んで見せる。

「あ?」

 俺の目の前で坊さんが何をされたのか理解できていないのか、呆けた顔をする。自分から刃物を握ったのだから当たり前だが、少し間抜けすぎやしないだろうか?

「で……次、お前の手がこうなるぞ?」

 俺が手を広げる。しかしそこには血など流れてはいない。ただそこには潰れた鉄があるのみ。そして数秒して坊さんはその光景を理解した。

「……ひぃ!」

 目の前の現象が信じられないと言った様子で身を引いて俺から逃げようとする坊さん。さて、喧嘩は相手をビビらせれば大抵勝ちだが、ああこりゃ駄目だ。この坊さん俺に怯えてはいるがまだ心が折れていない。仕方ない、追撃だ。

「偉く情けないな。霊能力者さん。なんなら俺に何か憑けてみたらどうだ?」

「な、なんだお前! お、おれは本物の霊能力者でお前みたいな奴、さ、三流なんざ俺の法力で! 神降ろしもできるんだぞ!」

 と、俺の挑発で自分の設定でも思い出したのかそんなことを言い始めた。ならばその無防備になった顔面に強化したままの右手を固め、一発ぶん殴ってやるまでだ。

 強化結界――まぁ少しややこしい能力なのだが、京極に代々伝わる結界とは名ばかりの守る為の技では責める為の技で、簡単に言えば張った物を強化する結界だ。自分でも、なんだが陰陽師らしくない能力と思うのだが、まぁ俺の家は代々異端と呼ばれてるし、いや、その話は今は置いておく。

 それよりこの前殴られた借りでも返そう。いくら強化結界を張ったとはいえ、急だったので口を切ったのだ。

「じゃあこれをなんとかして見せろよ、三流以下!」

 ごちん、といい音が俺の拳に伝わる。そしてそのまま俺に殴られた骸骨みたいな坊さんは目を回してその場に倒れていた。

 まぁ一応手加減はしてあるので命に別状はないだろうが……いや、ちょっと手加減しきれなかったか、泡は吐いて倒れてやがる。

「ぁあああああ!」

 と、後ろで男の叫び声が聞こえた。

 手にはこの家にあったであろうゴルフバット、しかも俺ではなく早苗さんの家族を狙っている。

「おい、やめておけ」

 一応忠告をしておくが、暴走している男の耳には入っていない様子だ。貧乏神め、一体どんな方法であいつらを追い込んだんだ?

 ゴルフバットを振り上げる男は明らかに冷静さを欠いている。目は血走り息は荒い。まったく、予想はしていたが暴力沙汰になってしまったなぁ。まぁこいつを連れてきて正解だった。

「夏穂、殺すなよ」

 と、俺の声に答えるように早苗さんの両親を守るように前にいた夏穂が動く。いや、動くというほど大した動作ではないのだが、夏穂はすぐに振り上げられたゴルフバットへと視点を合わせた。

 そのわずかな動作だけで、男がこの場での支配者となれる武器としていたゴルフバットは一瞬で黒い炎に包まれる。

「あっつ!」

 ゴルフバットを持っていた男はすぐに手にしていた武器を放り投げ何が起きたのか理解できずその場で固まる。

 そう、これが俺の式神、まぁ……少し違うのでここは仕事でのパートナーと言っておこう。

 パートナー夏穂の能力、実に分かりやすいの能力で、短くまとめて説明すると炎を操る能力だ。

 コントロールに少し難があるが、非常に強力な能力で燃やした物を自分のエネルギーに変換できるというとんでもない力も有している。

「ごちそう様」

 夏穂が満足そうにつぶやくと、俺以外の人間は唖然として固まっている。

 ぶっちゃけあいつは俺よりも強い。そこら辺の妖怪など指一つ動かせばさっきのゴルフバットのように一瞬で燃やせるのだ。

 勝負有りだ。口約束の賭けも、そしてそれを暴力で覆す力がないことをこいつらは思い知ったのか、借りてきた猫かと思うくらい大人しくなった。それに加え、自分たちが偽物であると早苗さんの家族の前で認めさせる。では……止めと行こうか。

「じゃあ金だ。一千万、耳揃えて今すぐ持って来い。お前ら風俗にも手を出してるようだから宗教法人に登録されてないだろ。税務局に目を付けられないように自分たちの事務所の金庫に入れてあるのは調べてあるから銀行に預けてますなんて言い訳通じないからな」

 ちょっとした法律の知識を披露しながら、悪徳宗教家達にそう伝える。あ、夏穂の野郎、ものすごく勝ち誇った顔してやがる。なんで俺が立てた策なのにそんな自分の手柄みたいに誇ってんだよ。

「ついでに、金を持ってきたらその壺こっちで処分してやる。言っとくがこの場で逃げたところでその壺に付きまとわれ最悪死ぬぞ。一千万は安いもんだと思った方がいい」

 俺の言葉に詐欺宗教団体の連中は震え上がった。これはけっして嘘ではない。貧乏神は取り憑く相手が徳ある人物なら不幸にするだけだが、悪人には最悪、死をもたらすこともある。まぁそれも、一週間貧乏神の恐ろしさを体験したこいつらには言わなくてもすでに感じ取っているだろう。

 一千万かそれとも自分の命か。俺は最後の最後でこいつらに選ばして、ほどなくしてケースに乱雑に詰め込まれた札の塊がこの家に運ばれてきた。


 今私はあの喫茶店に早苗さんの両親に会いに来ている。

 私はいつも通りの黒を意識した私の力を抑える服で、八手も安物の服に身を包んだいつものスタイル。しかし大きく違っていたのが脇に抱えた荷物。

 この荷物は早苗さんの家族に渡すつもりだったようだが、現状を見て心変わりをしたのかそそくさとその荷物を隠すように足元に置いていた。

 そして今は、早苗さんの家での一件から三日経って、その早苗さんの両親と事後報告のようなものをしている真っ最中である。因みに早苗さん本人は家族とは会いたくないのかこの場に現れていない。まぁ、そんなにすぐ仲直りなんてできないだろうし無理もないと思う。

「あの、この度は本当にお世話になりました」

 冷房が効いた店内で、早苗さんの父親の一言ともに母親も一緒に深々とお辞儀をする。少し大きな声だったので他の客や店員が何事かとこちらを伺っていた。

 一方、その娘の早苗さんは少し離れた席からこちらを見ていた。あの事件以来さすがに両親と距離を取り、一人暮らしを始めたらしい。

 元の仲が良かった家族には戻せられないのが悔やまれるが、取りあえずは事件解決である。

「別に、俺は頼まれた依頼を解決しただけですから気にしないでください」

 八手が事務的な返答をする。今回ばかりは八手の気持ちも分かる。娘を殺しかけて、今では早苗さんに寄りを戻すように迫っているらしいのだから、呆れもする。

 今日もわざわざ早苗さんをここまで引っ張ってきたのも八手に仲介役を頼む目的だったのだが、八手は一言できっぱりと断った。

 家族の問題は家族で解決してくださいと、時間をかけて謝るなりなんとかして元に戻ってくださいと。というか専門外ですと。私たちはなんでもできる存在ではないのだ。

「そのー、なんと言いましょうか。報酬なのですが、いかんせん私の家は今すっからかんでして」

 少し恥ずかしそうに早苗さんの父親が説明を始めた。まぁ今あの家にお金など無いだろう。

「あー、それならいいですよ」

 と、八手は大したことのないように言った。

「一千万がこちらの報酬とことで、なによりこの馬鹿が家のフローリング燃やしましたしね! その弁償ということで今回はお代は頂けません」

「そ、そそそそそんな!」

「いや、こっちが納得できる条件がそれなので、まったく大きな火事にならなかったからいいものを、昔依頼人の家全焼させたのを覚えてないのか!」

「痛いぞ八手ー!」

 そう言いながら私の頭をひっぱたいてくる八手、そう、私が燃やしたゴルフバットを男がすぐに放り投げたため床を焦がしてしまったのだ。なので今回はその弁償代ということで依頼料は無し。だが収入は十分に得た。

「一千万手に入ったからいいだろう! しばらくは食費の心配しなくていいんだからそんなに怒るなよ!」

 いくら大食いの私でも、二人暮らしであれほどの大金をすぐに食い潰す方が難しい。なのにこいつは今朝から機嫌が悪い。問題が解決して少しぐらい機嫌が良くてもいいはずなのだが。というか気前よく私に寿司でも食べさせろ!

「馬鹿、あの糞爺にほとんど持っていったんだよ!」

 な、こいつが呼ぶ糞爺ってのは八手の実の祖父ことだ。で、その爺さんに今回で手に入れたお金をほとんど持ってかれたらしい。

 そう言えば朝に式神が来ていたような。孫が稼いだ金をかっさらっていく駄目な祖父。なるほど、八手が機嫌が悪いのはそのせいか。

「あ、すみません。取り乱して」

 八手が人前であることお思い出し、早苗さんの両親に謝る。

「それでですね。少し頼みたいことがございまして」

 と、早苗さんの両親が背筋を伸ばし八手と向かい合った。

「どうか八手先生、これからも私たちを導いてもらえないでしょうか! あのナイフを握りつぶした奇跡! それとその女性のあの不思議な炎! 貴方は本物の霊能力者なんでしょう!」

 え、なんか変な話になってない?

 隣にいる八手は……唖然として面白い顔しているし、と、今気が付いた。少し離れた席で話を聞いていた早苗さんをちらりと見ていたのだ。なんだかんだ気になって来ていたらしい。そして今飲んでいたコーヒーを噴出しかけているように見えた。あ、おしぼりで机を拭いてる。あれは確実に噴き出したな。

「……えーと」

 八手が困りながらも頭の中で言葉をまとめているらしい。なんと言うか、この両親はまったく反省していないらしい。

「これは、高校時代での私の先輩がおっしゃった言葉なんですがね」

「はぁ……」

 いきなり八手が先輩について語りだしたので早苗さんの両親は目を丸くするが、私は慣れているのでちょうど店員が運んできたショートケーキをぱくりと口に放り込む。

「人が幸せになるには二種類の努力をしないといけない。人に尽くす努力と、自分をのためにする努力、その二つをしてやっと人間は幸福になれるんだと僕は思うんだと言ったんです」

 まぁそれから八手の一時間ぐらい尊敬する先輩、私の育ての親から教えてもらったことを永遠と話し続けた。と、早苗さんの両親はそれを真剣に聞いて、最後まで逃げることなく心に刻むように聞いていた。人に、いや、何かにすがり続けた夫婦はこれで変われるのだろうか?

 ああ、八手ではないが、いつの日かこいつの先輩、優一が言ったことを思い出す。

 

 ――神様ってのいうのは案外僕たちと同じで、面倒くさいことが嫌いなんだよ。だからただ助けてって言うだけじゃあなんにもしてくれないんだよ。


 愉快に笑いながら、何かを懐かしむような悲しい顔でそんなことを言っていた。

 まぁ何が言いたかったかというと、神様だろうがなんだろうが無条件で自分を助けてくれる者なんて中々いないということなのだろう。

「えーと、つまり話をまとめますと、たまには神頼みもいいですが、そればかりでは駄目でやはり自分のために日々の仕事を頑張り、他人を思いやらなければならないということです」

 最後にそんな当然で、しかしなかなかできないであろうことを八手は言って話を終えた。


 今俺は喫茶店から家へ帰っているところだ。

 隣にはケーキを食べれてご満悦な夏穂、そして時間は昼過ぎ、空を見上げると夏らしい大きな入道雲が視界に入ってきた。

 そしてその壮大な雲を眺めてつつ、俺はあの人を思い浮かべた。

「やはり先輩は偉大だなぁ」

 思わず感傷的に呟く。先輩のあの言葉がなければ早苗さんの両親は何にかにすがり続ける人生を送るだけだったし、俺の心にも深く刻まれている。

 二種類の努力か。うんうん。俺もその言葉の通り他人と自分を大切に生きていこう。

「そう言えば、お前も優一にすがって生きてないか?」

 と、先ほどまで鼻歌を歌っていた夏穂が唐突にそんなことを言ってきた。

「そうか? うーん、確かに先輩は僕はそんな君が思っているような立派な人間ではないと言っていたけどそれは謙遜であって、やはり先輩は偉大だ!」

「八手、それ返答になってない」

 隣で夏穂が呆れている。やれやれ、先輩の元で五年も近く住んでいたというのにこいつにはあの方の偉大さが分からなかったのか。

「……でさ、この前の話の続きなんだけど」

「あー……なんの話だ?」

「お前が早苗さんに冷たくするのが何か納得できないって話」

 あー、したなそんなこと、あの時は早苗さんが頭を殴られ苦しそうな声で家に来てくださいと連絡がきて途中で終わってしまったが、こいつは今までそんなこと一々覚えていたのか。珍しい。

「で、あれから私なりに考えたんだけど、なんで納得できなかったのか分かった」

「なんだよ」

 馬鹿な頭で一生懸命考えたんだろう。取りあえず聞いてやる。

「お前が知らない奴でも、誰かから嫌われるのは悲しい。私にとってお前は家族だから、なんかそういうの、やだ」

「……そうか」

「え、何その薄い反応!」

 いや、いきなりそんなこと言われて驚いただけだ。というかこいつこんな恥ずかしいことを言葉にするのに抵抗はないのだろうか? やはり、中身がまだ子供なのだろう。

「む?」

 と、夏穂が何かに気が付いたようで、唐突に振り向いた。まさか例の詐欺宗教団体が復習に来たんじゃないだろうな。

「あの、八手さん!」

 と、それは思い過ごしだったらしく、後ろに立っていたのは喫茶店で俺たちを隠れ見ていた早苗さんだ。しかし夏穂にも気づかれたところを見るにこの人は追跡とかは苦手なのだろう。で、喫茶店で身に着けていたサングラスとマスクと帽子を取って、喫茶店からここまで走ってきたらしく息が荒い。

「どうかされましたか?」

 こんなに慌てて一体どうしたのかというのだろうか?

「その、少しお話が……ありまして」

 荒れた息を整えて、僕を真っすぐ見据え、予想外の言葉を言い放った。

「私と、付き合ってくれませんか? これからも私を支えてくださいませんか? そして、私にあなたを支えさせてくれませんか?」

 ……いや待て、理解できんぞ、この状況。

 と、わき腹に小さいダメージ、隣にいた夏穂が意地の悪い笑みを浮かべながら肘でつついてきている。

 そう言えば少し前、大きな仕事を終えた時、多額の報酬を持ってきた金持ちの老人が大学に来たことがあった。あの時は大変だったなぁ、男どもには飯を奢れとたかられ、流行りの化粧や高い服で着飾った女共には簡単な気持ちで告られて大変だった。でその後に大学で俺が本物の霊能力者ではないかと噂が流れたのだが……。

 まぁそういう連中は前から俺を根暗と馬鹿にしていた連中だったので丁寧に断ってやったが、いや実際その報酬も糞爺にほとんど持って行かれて飯も、豪華なデートもできなかったのだが、今回の件でまた変な奴が絡んでこなければいいのだが。

 と、早苗さんのまっすぐな瞳を見る。ああ、本気だ。分かってしまった。早苗さんは本当に、全力で俺にそんなことを言ってくれたのだ。ならば、いうことは一つである。

「……その、申し訳ありません」

 隣で夏穂があんぐりと口を開けている。実に間抜け面だ。そう言えば、こいつにも言ってなかったっけか。

「俺には、その、貴女以上に助けたい人がいまして、その人のことが好きで、貴方とは付き合えません」

「そう……ですか」

 早苗さんが残念そうに呟く。

 これでいい、本気な相手だからこそ、生半可な返答などできない。

「早苗さんなら、きっといい人が見つけられますよ」

「うん、八手さんより魅力的な人見つけちゃうからね」

 はは、女性は強いな。これならば早苗さんは人間不信で人生を棒に振ることはしないはずだ。

 あ、そう言えば忘れていたものがあった。

「それとですね。これをお渡ししたいのですが」

 俺はそう言いつつ脇に抱えていた荷物を取り出した。

 大きめの鞄に押し込められていたのはあの壺である。そう、例の貧乏神が取りついたあの壺。

 それを見て早苗さんは露骨に嫌そうな顔をする。

 当たり前と言えば当たり前の反応、しかしこの壺はかなりの価値があるのだ。

「早苗さん、貧乏神は悪だと思いますか?」

 いきなりの質問に目を丸くする早苗さん。

「人に害を与えるならば、少なくとも人間にとって悪ではないのでしょうか?」

 きっぱりとそう返答する早苗さん。しかしそれは違う。

「貧乏神ってのは人に取り付いて不幸を与える神様ですが、人間の心にまでは影響を与えないんですよ」

 貧乏神は人に取りついて災いを与えるが、それによってその人間が不幸を嘆いて悪事を働くか、不幸でも周囲の人間のために働くかは取りつかれた人間次第なのだ。

 そして不幸でも善人でいれば、不幸を出し切った貧乏神は、その人に取りついたまま転生するのだ。

「早苗さん。見えますか?」

 早苗さんに壺の中を見せる。そこにいるのは少しメタボリックな小さなおっさん。

「なんですか? これ」

「福の神っていう奴です、貧乏神と福の神ってのは実は同じような存在でして、今ここに入ってるのは元はあの貧乏神なんですよ」

 そう説明すると、壺の中でふくよかなおっさんが高笑いをしている。

「で、早苗さんにこの福の神が見えるということは、貴方はそれを受け取る権利があるんですよ」

 元々霊感がない早苗さん。貧乏神が見えていたのは住む家に取りつかれていたからで、ならば普通この福の神も見えないはずだ。それでも見えるということは、福の神が自分の意志で早苗さんに姿を見せているということになる。

 あなたが私の持ち主だと、訴えるため。

「え、それは、つまり?」

 あまり話についていけてない様子の早苗さん。ここは簡潔に説明しておこう。

「まぁ簡単に言えば貧乏神に取りつかれても家族を救おうと善人でいた貴女は福の神の恩恵を受けれるということですよ。で、この壺受け取りますか? 受け取りませんか?」

 霊的価値が分かる所に売れば大金が入ってくるこの壺、しかし俺は早苗さんにこれを送ろうと思う。

 これを早苗さん本人のために使うもよし、あの家族との仲を修復するために使うもよし、まぁ俺にできるのはこれぐらいだ。

「……分かりました。私、八手さんのいうことなら、信用します」

 そう言って、早苗さんは少し重たい壺を受け取った。

 そうして俺は再び帰路へ着く。夏、日差しが強い午後、俺たちはあの裏路地に隠れたように建てられたあの隠れ家と呼べるアパートへと帰る。

 その帰り道、夏穂がやはり聞いてきた。

「で、お前の好きな相手って、誰!?」

 おいおい、なんだその火男(ひょっとこ)みたいな顔は、興味と驚きがごっちゃになってるのか?

「……教えん」

 教えたらそれをネタに散々からかってくるのが目に見えている。なので興味津々と言った感じに目を輝かせているこの馬鹿のことは暫く無視することにする。

「おい八手! 教えろよぉ!」

 まぁ、そのうち分かってしまうだろうが、少しでも平和な時間を謳歌するべく今は教えるつもりはない。

 そして俺たちは一組の家族を、中途半端に助け、そして最後に一人の女性に副を渡して、この夏の初めの仕事を終えたのだった。


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