悪夢

 目を閉じて意識の中を漂う最中、人は色んなものを見聞きし一部を記憶する。それらは一般的に夢と呼ばれるものだ。

私が今こうしている瞬間は全て夢の中での出来事であり、実際の私には何の影響も与えない。

だから死を連想させるような夢を見ているこの瞬間も、命が擦り切れる感覚がこの身を包んでいても、夢と現実は無関係の出来事だ。


 今回の夢はいつもとは違うような気がしていた。

 だが私が今いるのは見慣れた部屋、寝る前に見た状態のまま目の前に広がっている。寝る前と違うことがあるとすれば、目の前に人がいるという点だ。

寝台で寝ている私の横に立ち、こちらをじっと見ている様な気がする。目の前にいるその人の顔はもやが掛かり、体の形も不確かで人と呼べるのかすら怪しい程だった。

しかし、私がそれを人だと認識したのだから、見知った誰かが夢に現れたのかもしれないと希望的に捉える事にした。

 先程まで全身に幾万ものあらゆる針が刺さっていた筈だが、痛みも含めて全て消えている。夢なのだから当然だろう。

上体を起こし、傍らに立つ人をよく見てみる事にした。だが、得られるものは何もなく、ただそこには人に近しい形の靄がいるだけだった。

 私の頭に『以前にも同じ夢を見た事があるかもしれない』という考えが浮かんだ。だがその考えもすぐに消えた。

今までどんな夢を見たのか、正確に覚えている人間の方が少ないだろう。私はその限られた少数派の人間ではない為、この考えもほぼ無意味だと言える。

 そんな事より、目の前の『人物』に目を向けるべきだ。

靄が掛かっているとはいえ夢に出てくるほどの人物なのだから、凝視している内に分かるだろうと思っていた。だが、目の前の靄に穴が空くほど見ても、それが形を変える事はなかった。

 それならば、音声的な情報はどうだろうか。

今のところ相手からの呼び掛けはなく、ただ静寂が続いているだけの状態だ。もし相手が人間だというのなら、私が何かしら声を上げたら反応を示すだろう。この夢からいつ覚めるか分からない今、すぐにでも試してみるべきだといえる。

「……あ、あぁ、あ」

目の前の靄に話しかけた筈なのだが、掠れた声の様な音が発せられただけだった。これには例え夢とは言え驚いた。

しかし、こんな声でも相手には伝わったのか、その靄は私の方へ頭部らしき形を保ったまま近付けた。心なしか顔があるような気もしてくる。

 本来なら恐怖するべき状況なのだろうが、不思議とそういった感情が浮かぶことはなかった。寧ろどこか安心するような、安堵感すら覚える心地良さまである。

靄は私の顔の前で漂うのみで、こちらに干渉してこようとはしないようだ。ただ目の前にいる存在、それでも心地良い安心感は得られるらしい。

もし私がと願ったとしても、望まぬ形で叶うだろうことは分かっている。

この状況が俗にいう『幸福』であろうとも、その幸福が現実にも影響する事はあり得ないのだから。

 目の前にいる靄が人の形をやめ、部屋全体を覆っていくのを見て夢の終わりがやってきた事を理解した。案外呆気ないものだ。

これから私は現実に戻されるのだろう。



 陽が差さぬ間取りの一室、一人の人間が寝台に寝かされていた。

いや、もはや人間と言えないかもしれない。

それは全身がとなり、甘い香りを部屋に満たすだけの物質に成り果てていた。

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