第16話
「さて、行くか……」
ニャンタロウは椅子から飛び降りてつぶやいた。
「……もう夜だよ」
ソラは20杯目にもなる紅茶をテーブルに置いて言った。
「すぐ追いかけなくてもいいさ。どうせ最後は家に帰るか……」
喫茶店の扉が開かれる。扉の向こうから、イソノとフレイヤが現れた。ニャンタロウはにやりと笑ってつぶやく。
「自分から戻ってくる。さて、イソノ、どうする?」
「アイツを倒し、魔石を壊すわ。壊して、神宮寺未来に会いに行く」
「うん、その通りだ。それじゃ、行くか」
猫が歩み出そうとすると、女性は待って、と猫を止めた。
「行くのは、私一人よ」
イソノは、意を決したように言った。
イソノが十字路の喫茶店からゴーストタウンにむかった頃。
喫茶店から北にまっすぐ進んだところにある学園のなかで、一人の男がうずくまっていた。チョークで地面に何かをかいている。耳障りな音が暗闇の学園に響いた。
ワールドサイドにはたった一つしかない学園にいるただ一人の男。
神宮寺未来だ。
彼はつむじを中指でぐりぐりとかいていると、しりポケットから震えを感じ取り、それを取りだした。
「ヘイ! もしも~し」
耳に当てる。もっているのはスマホだ。なぜ電波が届いてるのか。スマホの画面には電波のマークがない代わりに、wifiマークが映っている。学園のwifiを利用することで学園の周囲からは電波でつながっているのだ。
「ウッ……なんだお前か……わーてる、わーてるよ! 置いとけ、そこにな」
そう言って、ミライは両手を前に出す。
「……ゲットカット」
呟いた次の瞬間、彼の両手にはお椀と箸が握られている。
お椀のなかにはほかほかのご飯、のうえでトロリととろけるワニリトの卵とお肉が交わり合う。蒸気とともにはじける卵と肉の香りがたまらない。
「親子丼じゃねぇか。再現度半端ねぇな」
ガッガッと箸をいれて、米と卵と肉を口内にかっ込んだ。肩でスマホを押さえ、食べながら、ミライは会話を続ける。
「へいへい、わーてますよ。後で食いますから、親子丼は。えっ、食ってねぇゼ……ほんと、ほんと」
と言いながらもメシをかっこみ、お椀をおいて、スマホを離して、かるくゲップ。またスマホを耳に当てた。
「しかし驚いたな……魔石がもう二つも壊されたのか……いや、まあこれからさ。ヤツらなんて数合わせ……本番はこっからだ……」
そう言って、ミライは教卓に腰掛ける。十年来の親友に話しかけるようにその声は陽気そうだ。だが、次の瞬間にその声は陰をおとした。
「へっ? ゴーストタウンにイソノが一人で……相手はアイツか……う~ん、こりゃ三つめもダメだな……アイツにも悪いことをしちまった」
ミライはため息をついた。
「なんでだって? まあ、アイツの能力が見かけ倒しってのもあるんだけどな……アイツらの中で一番厄介なのがイソノなんだよ。炎を操るフレイヤよりも、幻覚をつくるソラよりも、戦闘機を操る黒猫の召喚術師よりも。俺はキレたらなにするかわからないあのヒステリックな女のほうが俺は恐ろしい」
霧に覆われた街を一人の少女が歩いている。
視界を遮る霧など気にもしないように、みえない道がみえるかのように、一歩ずつ前に進んでいた。
――女よ……また性懲りもなく、現れたのか……――
霧の中に巨人が現れた。
巨人はにやりと笑う。
――貴様に、我は倒せない、我は霧の魔理屈使い……――
イソノは声など聞こえないように歩く。
――おい、聞こえぬのか女よ――
気にせず、彼女は歩いた。じょじょに近づき、霧の巨人の足もとに。
――おいったら! ――
巨人は握りこぶしをつくった。彼女はため息をついて立ち止まる。こぶしがイソノに放たれる。だが、霧でできたこぶしは彼女を通りすぎた。
「霧の魔理屈って……そもそも、霧が攻撃できるわけないのよね……まったく、バカらしい」
「クっ……クソぅ!」
巨人はくやしそうにじだんだを踏んだ。だが、すぐに余裕をとりもどす。
「だが! 貴様に我を見つけることはできんぞ! この広い街の中でどうやって我を見つけるのだ」
「べつに、見つける必要はないわ……」
「なんだって?」
巨人の問いかけに答えるかのように、イソノはキャッツキーを前に出した。
グッと鍵を握りしめて、右に回す。扉が開いた。
「たく、なんだってんだ」
ゴーストタウンの建物の隅で一匹のネズミは苛々しげにつぶやいた。
そう、ネズミ。芽出愛学園でひっそりと生きていた齢5歳の一匹のネズミのそのひ孫ののネズミ、その名はトム。彼こそが、霧を操る魔理屈使いの正体であった。額にはトパーズのような石がはめ込まれている。学園に結界を張る魔石の一つだ。
トムは考える。さて、この女は何をする気だ、と。
自分の魔理屈は自分より小さなものを操る能力。だから霧も操れた。操れるのは霧だっけじゃない。小さければ、どんなものでもいくらでも操ることが可能だ。この女はそれに気づいていない。
考え、トムは割れた窓ガラスに魔力を流した。ガラスの破片が宙に浮く。
たとえば、たとえばだ、このガラスの破片を操って、彼女の喉元を切り裂くことだってできる。勝負は一瞬だ。だが待てよ。焦っちゃいけない。今、操っているのが霧だと思わせておくのが優先だ。隙を狙わなければ、泥のように身をひそめて、チャンスをうかがわなければいけない。
トムは冷静に、着実に、ミライから頼まれている魔石の死守に思考を巡らせた。
昔、ミライは小生の祖先を救ってくれた。ネズミ捕りに捕まった時に、外して、逃がしてくれたのだ。小生は先祖代々の恩を大事にする男だ。恩は返さなければいけない。魔石を守るって? 任せてくれ、兄弟。小生は絶対に負けはしない。たかが、扉を開けるだけのドアガールには。
イソノは、扉を開けた。
さあ、どう出る。今さら、炎を操るネコ娘が出ようが、幻を操る絵かきが出ようが、戦闘機を操る黒猫の召喚術師が出ようが、小生は負けんぞぉぉぉ!
扉が開かれる。扉のむこうにあるのは、
海だった。大量の水がゴーストタウンに流れ込んだ。
「なっ……なんだとぅぅぅぅぅぅ!」
ネズミが慌てて、走り出した水は勢いを失わずに流れ込む。
ちょっと待った……ちょっと待った! ちょっと待ったァァァァ!
「それは反則だろォォォ!」
ネズミは思わず叫んだ。
「いいえ、反則じゃないわよ」
建物の屋上でイソノは水から必死で逃げるネズミを、文字通り高みの見物をしながら言った。
「私の魔理屈、キャッツキーは遠く離れた場所をつなげる扉を作る力。そりゃ、海にだってつなげられるわ。ホント、場所があなたが以外誰もいないゴーストダウンでよかったわ。遠慮なくやれる。そして、ついに見つけたわ」
そう言って、彼女は扉をつくる。ちょうど手がはいるサイズの小さな扉だ。手をつっこみ、引き抜いた。片手にはネズミが握られている。
イソノは捕まえたネズミの額の石をつかみ、引き抜き、握りしめる。魔石は粉々に砕かれた。
「第3の魔石、破壊完了と……これでわかったでしょ……私を怒らせたらこうなるのよ」
イソノの問いかけにネズミはチュウと鳴いてうなだれた。
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