第15話


「チクショウ、なんだってんだ」


 ニャンタロウは腹立たしげに尾をピンと立たせる。


「しかし、これはマズイな……イソノのキャッツキーがなければ、僕たちはゴーストタウンに行けないんじゃないか。ここからあそこまでどのくらいかかるかな?」


 ソラの問いかけに、リアリーは首をかしげる。


「う~ん、歩きなら一カ月……馬ならその半分かな……」


「けっこうキツイな……」


「キャッツキーみたいに一瞬で移動する魔法とかないのか?」


「あるにはあるけど……高いよぉ。行くのはゴーストタウンだけじゃないんでしょ?」


「たく、アイツも、なんだってとつぜん投げ出そうってんだ。貝が怖い。海が怖いの次は幽霊が怖いってヤツかよ……クソ、今から追いかけてとりあえずキャッツキーだけでも手に入れるか? ……」


「行く気かい?」


「もちろん、お前はどうするんだ?」


 そうだね、とソラは天井を仰いだ。数秒考えた後、口を開く。


「僕も行くつもりだよ。ミライのことは、少し気になる。彼は何の理由もなしにそんなことをする子だとは思わないんだ」


「ああ、わしも同感だ。それじゃ、フレイヤ、お前はどうすんだ?」


「えっ、フレイヤですか?」


 ニャンタロウから話を振られて、驚いたような顔をする。彼女は自分は何も関係ないと言わんばかりに、淹れたての紅茶にふ~ふ~と息を吹きかけて冷ましていた。


「フレイヤですか? って、お前には関係ない話ってわけじゃないだろ。ずっとイソノについてきたんだろ? そのイソノが学園の再建をやめると言ったんだぞ。どうすんだよ」


 フレイヤは、う~んと悩むように首を左右に大きく振ると、整いましたと目をパチクリ。よし、と言って立ちあがる。


「イソニョを追いかけます!」


 扉を開け、背負っていたスケボーを扉の向こうに投げ、乗り込む。スケボーは十字路に駆けだした。


「あのネコ娘は単細胞なのか知らんが、何考えてんのかまったくわからんな……」


「いや、彼女、じつは頭はいいよ」


「そんなまさか」


 黒猫はフン、と鼻で笑う。


「昨日、僕の漫画談義で盛り上がったんだけどさ。あの子、ファンティック語……まあ、僕たちがそう呼んでいるんだけどさ。その言葉を覚えたのは半年前だぞ」


「なんだって?」


 おもわず、ニャンタロウはつぶやく。


「それより前はニャナニュっていう民族言語をしゃべってたらしい。ナ、ニャ、ニュ、ニョ、ナ、ラ、ガの組み合わせでしゃべる言語だ。しかも、他の街との交流が断絶されたジャングルの奥地だから文化もまったく違う。だけど、ナ行以外は問題なくしゃべれるし、ふつうにワールドサイドで暮している。これってけっこうスゴイことじゃない?」


「ふ~ん、しかしなんだ……そういうヤツがいったいなんだってイソニョのそばにいるようになったんだろうな」


 


 


 心の苦味は砂糖の甘さでつつんでしまおう。


 心と味覚は友達ではないけれど遠くはない隣人だ。


 辛い日々に甘いものを、甘い日々には辛いものを、退屈な談笑には苦い紅茶やコーヒーがかかせない。


そういうふうにできているんじゃないかしら、とイソノは思った。


 小さなピンク色の城の中で、イソノは小さなお城を模したお菓子を食べていた。ラージェンダではポピュラーな茶うけの菓子だ。砂糖で作られていて、フォークやナイフで切ることができるほどそれはやわい。中からトロリと蜂蜜が溶け出た。


 指先から出せ、自分の意思でコントロールできる、火の魔法を使うのが当たり前だからこそできる飴細工だ。


「どうぞ、雪ギサウの春眠です」


 メイドの衣装に身を包んだ少女がイソノのテーブルに新しい砂糖菓子を置いた。白いウサギのような生き物が桜の木の下であくびしていた。そのウサギは、もう春であることを忘れているようで、まるいからだがひらたく溶けはじめていた。


 イソノはふと、砂糖菓子を出す彼女の手を見る。手には黒い手袋がはめられていたが、隠しきれないほどの火傷が彼女の手首まで広がっている。


「あなたも、飴細工をするのね?」


 イソノの問いに、少女はおもわず手を押さえ、すこしはにかむ。


「はい……」


「そう……何歳から?」


「4歳の頃です。私の生れた村からひとやまさきのところにここのお弟子さんの店があって……そこで修行して、最近になってここに……まだ未熟なんですけどね」


 そう言って、にっこりとほほえむと、店主に呼ばれたのか「はい!」と元気よく返事して奥へと戻っていった。


 けなげに頑張っている少女の姿を見て、イソノはミライの言葉を思い出す。


 この世界は、学校という同学年が一か所に集められる場所なしで社会が成り立っている。それはべつに教育がないというわけじゃない。かわりに、この世界にはギルドというものがあるんだ。ギルドとは労働を管理する団体のことだ。ギルドのなかで労働者はスキルと経営を学び、いつしか自分の店を持ち、一定数の弟子を取って教育をする義務を持つ。そういうギルドがこの世界には職業ごとにある。物や人を移動させるという魔法が身近にあるからこそ、社会に必要なスキルを持った人が距離の垣根を越えて人々に教えてまわることができるからだ。俺たちが稲の育て方を教えてもらいに山を越えるしかない時代からそうだったんだろう。もしかしたら、この世界では俺たちの世界よりも教師と呼べる存在が多いかもしれない。


――そんな世界で、お前があんな狭いところに子供を閉じ込めてものを教えてやろうという考えが俺には理解できん――


 ギリギリ、と奥歯を噛みしめる音が口内に響いた。ちょっと説得力があるのが腹立たしい。


 だけど、リアティックワールドのことを誰かが伝えてあげるべきではないのか。私が住んでいたあの世界を、だれかに知ってもらいたい、そう思うのはいけないことだろうか。


――そりゃ、すばらしい心がけだ。けどな、お前の話すリアティックワールドの話は俺には新興宗教かなにかのように聞こえるぜ。誇張しすぎというかさ、なんか自分の住んでた世界を褒めすぎなんじゃねぇの? 俺はな、お前が……小学生のころに異世界転移した俺たち全員に言えることなんだけど、そこまでリアティックワールドのことを知らねぇンじゃねぇかな、と思うぜ。思い返してもみろよ。俺たちの中で日本から出てきたことあるヤツいるか? ハーフのカレンは置いといてだぞ。俺たち、世界の貧困も戦争もテロが何で起きてるかも知らずにこの世界に来ちまったんだぞ。そんな大人になれなかった俺たちがこの世界で何を教えてやるって言うんだよ。そんな話をしたら俺たちの世界を過度に評価して憧れる頭のおかしい信者をつくる結果になっちまうんじゃねぇか――


 思い返せば、筋の通った話だった。ただ……


――つうか、お前みてえな女が教師やるなんざ俺がゆるさねぇ。ガキがかわいそすぎる、ぜったい俺は認めねぇからな――


「……私の何が気に入らないっていうのよ」


 イライラしげに、イソノは雪ウサギにフォークを突き立て、ほうばる。


「グッ……ゲフンゲフン!」


 思いっきりむせた。甘い、甘すぎる! なんかべつの味が欲しい。そう……


「ショートケーキが食べたいな……」


 イソノはそう呟いた。そうケーキが食べたい。こういうザ・砂糖って感じじゃなくて舌に溶けるようなクリームと柔らかいスポンジ。その上に乗るはじけた果実が食べたい。


「ほいにゃ」


 と、ウェイターがそっとイソノの目の前に次のデザートを用意した。


「えッ……いや、ごめんなさい。まだ頼んでないんだけど……」


 と言いかけた次の瞬間、イソノは驚いて言葉を失う。黄色いスポンジの上に雪のようなクリーム。その上に控えめにのったベリー系の果実。まさしくショートケーキが目の前に現れたのだ。驚かないはずがない。


「嘘でしょ! なんでリアティックワールドのスィーツがここにあるのよ!」


「リアリーに教わったんです」


「いやいや、あの子どんだけリアティックのこと知ってんのよ! って……」


 イソノはウェイターの顔を見る。わざわざウェイターがつけるにはおかしいつばのついた赤色の帽子をかぶったウェイター姿の少女の顔をじろじろと見た。金髪のショートカット、みひらかれた眼に自信満々につり上がる口角。その表情はまるでサーカスを見に来た子供のようこれから行われる楽しいことを絶対に見逃さないって表情だ。そんなもの、私にはありもしないというのに、とイソノはため息をついた。


「なんでこんなとこにいるのよ……そんな格好で」


「イソニョにゃらきっとこの店に来ると思いましたから、店主さんにお願いして待たせてもらいました。ついでにバイトもしてたんですよ。もしかしたら、来にゃいんじゃないかと思っていましたけど……よかった、ちゃんと会えた」


 フレイヤは「よかった」と、また呟いて、ほっと胸をなでおろした。


「何の用よ……」


「ああ、えっとですね……」


 フレイヤはイソノの前の席にすわる。イソノはショートケーキをフォークでよこに3分の一に切り裂いて、さきの三角の部分をほうばった。ねばりつくような甘さのクリームが舌に絡みつく。それを喉に押し込むと、粉っぽい後味が残った。駄菓子屋にならぶような偽物を食べた気分だった。


「イソニョは学園を建てるべきです」


「なんでよ……」


「にゃんでって……決めたんでしょ?」


「私には無理よ……」


「にゃ……」


 フレイヤは言いかけて、口を真一文字にすると、


「どうしてですか?」と、言いなおした。


イソノはそんな彼女を見て、ゴマかそうとしたらきっと怒るわね、と思い、自嘲気味に語りだした。


「さっきね……見ちゃったのよ」


「見ちゃったって……にゃに……いや、ちがう……」


 フレイヤは迷ったように視線を宙に漂わせると、


「誰を見たんですか」と言った。


「神宮寺未来……私の小学生のクラスメイトで、宿敵よ」


「ジングウジミライ……イヤにゃ……ひどいヤツですよね」


「そう、ひどいヤツよ…私の学園計画に反対して、たてこもりまでされている」


「イソニョは……どうして、学園を建てようと思ったんですか?」


「それは……きっと……夢だったからかしらね」


「ユメ? ……ニェていた時に見たんですか?」


「そうじゃなくて……大人になったら、やりたいと思っていたことなのよ。大人になったら……私は先生になりたいと思っていた」


 そう、そう思っていた。小学生のころ、作文にも書いていた。私は、早乙女先生のような……やさしくて、生徒を笑顔にできるステキな先生になりたいって。その早乙女先生は……もう、先生じゃないわけだけど。


「ああ、そうだ……」


 ふと、イソノの記憶の扉が開かれる。神宮寺未来の冷たいまなざしが彼女の脳裏に浮かび上がった。


「授業で作文を読み上げた時に……隣の席ですわっていた彼がつぶやいたのよ。お前にはできないって……おまえなんかが先生になれるはずがない……って」


 そう、3年生の時に彼は言っていた。なんで、ずっと忘れていたんだろう。彼のことはずっと前から……あの時から嫌いだったんだ。


「悔しくて……悔しくて……でも、泣いたらバカにされるから……涙なんて流さなかった」


「やっぱ、ひどいヤツにゃ……」


 今度会ったら一発にゃぐってやる、とフレイヤはちいさくつぶやく。


 イソノはおもわず笑みを浮かべた。


「でも、それなら、子供のころからずっと考えていたんだから……絶対にやるべきですよ」


「子供のころからっか……そんな大層なものじゃないのよ」


 イソノは視線を下に落とす。テーブルにはぽつんとベリーだけがのこっていた。


「異世界に来て、何年も経って、みんなが、色々な才能や知識でそれぞれの道を歩み始めた……私だけが、なにもできずに。お姫さまのお情けでなんとか生きていた。怖かったのよ……なにもできない自分が……なにをしてもいいと言われて、なにもやらなきゃいけないことが思いつかない自分が嫌だったのよ」


 異世界に帰る方法を探す人がいる。だけど、私は何をすればいいというの!? 自分の才で、人々を喜ばせる人がいる。私にはなにもないの? ずっと、他の人をうしろから見て、考えていた。自分にできることはいったい何なのか。もしかしたら、自分はなにもできないんじゃないか。動きだしても、迷惑しかかけれないんじゃないか。そう……


「……行方不明になったあの子たちのように……」


「北の国がさらったんですよね」


「私のせいよ……私が行こうって言ったんだもん」


 一瞬、目を離した。その瞬間に、すべての生徒が霧のように消えた。そう、霧のように……


「魔法の恐ろしさを知っておくべきだったわ。あんなことができちゃうし、ありえちゃうんだって考えておけば。結局、私がわるいのよ。きっと……私がなにかわるいのよ。でも、わかんないわよ。なにかがなにかわかんないわよ。言ってくれなきゃわかんないわよ」


 イソノはおもわず叫んだ。店内の客が思わず彼女たちを見た。


 フレイヤは迷うように腕を組んで、うーん、と考えこんだ。


 考えて、考えて、意を決したように口を開く。


「イソニョは自分に自信がにゃくて、でも、にゃにかしたいから、学園を建てて、センセイににゃりたいんですよね。自分だけが知っていることを誰かに教えることができれば、自分の居場所が見つかる気がするから」


「そうよ」


「だけど、ミライがいじわるで、反対してて、スゴイ悔しいんだけど……本心では言いかえせにゃくて……だから迷ってるんですね」


「そうよ」


「よし、わかったにゃ!」


 フレイヤはこれで決まりにゃっ! とでも言いたげな表情で、


「やっぱり、フレイヤは学園をやるべきにゃ! 先生をするべきにゃ!」と言った。


「いや、なんでそうなるのよ!」と、イソノは立ちあがる。


「イソニョはにゃやみすぎにゃ!」と、フレイヤも立ちあがる。


「クッ……このネコ娘はっ……」


 悩んでなさそうな女から、悩みすぎだよと言われた。イソノの眉がつり上がった。


「そりゃ、アンタは悩みなさそうだからいいでしょうよ! フレイヤにはわかんないのよ! 私の悩みが!」


「わからないからやれと言っているんですよ。このままやらにゃいでみてくださいよ。きっとスッキリしませんよ。もやもやして……このままでいいにょかにゃって思うんです! にゃら、やってみればいいにゃ! 」


 握りこぶしで、


「やるべきにゃ!」と、力強く言い放つ。


「いやよ! いやよ! いやよぉぉぉ!」


 駄々っ子のように首を振る。


「にゃんでですか!」


 だって……だって……、と言いながらイソノの肩が震えていた。目には涙を浮かべている。


「それで失敗したらどうするのよ。なにもうまくいかなくて……迷惑ばかりかけてしまったら……もうなにかもおしまいよ……私はなにもできない人間だって思い知ることになる」


 イソノは、自分がやっと本心を言ったのだと理解した。


 ああ、そうか、私はそれが怖かったんだ。失敗することが、なにもできない自分を知ってしまうことが怖かったんだ。


 ずっとテストで一番だった。だけど、ミライに負けてしまった。あの時も怖かった。できないことを知ってしまったのが怖かった。自分の自信が崩れてしまうのが怖かった。負けず嫌いなんかじゃない。私はもっと卑怯だ。ミライが受験に失敗した時、私は笑ってたんだから。


 私は挫折から逃げている。失敗して、役立たず、と言われるのが怖いんだ。きっと、小学生の頃の私は、テストの成績だけが自信の生命線だった。だって、みんなが褒めてくれるもん。先生も、それがいいことだって言っていた。それだけが正しいと言っていた。だけど、異世界に来て、一番だった自分がいざってときになにもできなくて……だから、なにかがしたかったんだ……そのなにかは……


「これでなければ意味がない……」


 イソノはそう呟いた。


 ウォホン、と咳ばらいが店内に響く。


「お客様、静かにしてほしいのですが……」


 店主が迷惑そうにイソノたちは言った。


「すいません」


「ごめんにゃさい」


 と、二人は同時にあやまった。

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