第5話

午前9時半、女性はうろおぼえの歌をハミングした。


「ふふべつなスープを、あなたーにあげよーふふん♪」


 歌いながら、鍋をかきまぜる、ふわりと、味噌の香りが店内にただよった。


 オタマですくい取り、小皿に移して味見する。


 うまい! っと思う。コクがあるかはちょっとわからない。


「あったきゃいんだか――」


 ニンマリと笑って、うれしそうにサビを唱える。


「いや~、それにしてもダニエル・ドットは強敵だったわね。なんだか、つかれちゃったわ」


「――ラララララララァァァァ!」


「どぅわ! なに! どうしたの!」


 女性のシャウトに磯野はおもわずビビる。


「まだ、まだまだまだ、店開けてないじゃないですか~! なんで入ってきちゃうんですか!」


「あれ? そうだったかしら?」


 すっとボケるイソノ。涙目の女性。


「まあいいじゃない。準備できるまで待ってるわ」


「もう、いいですよ。わかってますよ。いつものでしょ。待ってて下さい、すぐつくりますから」


 女性はそう言って、キッチンに引っ込む、前にぼそりと一言。


「……もしかして、見ましたか?」


「へ? なんのこと?」


「いや、見てないならいいんですよ! 問題ないよ! ノープロブレムだよ」


「にゃにも見てにゃいですよ! にょりにょりでオタマをマイクに歌っているところなんか、フレイヤ達は見てにゃいにゃ」


「ミテイルジャナイデズガァァァ!」


 ダミ声が目立つ異色俳優のような語調で叫びながら、彼女はキッチンへと逃げるように駆けこんだ。


「しかし、驚いたわ。あなたの魔理屈、モンスタートラベラーだっけ? どんな能力か今までわかってなかったけど。まさか、悪魔を召喚していたなんてね」


 イソノの言葉にニャンタロウはつまらなそうな顔をして紅いチョーカーを光らせる。周囲にTが飛びまわった。


「なるほど……戦闘機ね……」


「セントウキ?」


 フレイヤは不思議そうにつぶやく。ファンティックの世界にはセントウキは存在しない。ニャンタロウと対決する今まで、彼女は飛行機を見たこともなかったのだ。


「グレムリン……それがヤツの名だ……」


 飛行機の中をよく見ると、中には茶色い小鬼のような生物が乗っていた。


「ニャッ!」


 フレイヤはおもわずギョッとする。


「ある日、チョーカーが光ったと思ったらコイツらが現れた。コイツらは俺の命令どおりに動く」


「なるほど、心強い限りだわ。さて、と。それじゃ次の目的地について話しましょうか」


 イソノは地図を取り出した。


「とりあえず、これでシーウォーカーの魔石は一個撃破ね」


シーウォーカーに線を引く。


「それじゃ、次はここよ」


 そう言って、イソノは次の目的地を○で囲った。


「サイレントシ―。静かな海……ね。嫌な予感しかしないんだが」


 ニャンタロウはうんざりした様子でつぶやく。地図には六角星の図が描いてある。それは結界だ。結界を作るために、魔石は六角星の角にそれぞれ位置していた。


 その角が一つだけ明らかに海のなかに向いている。まるで、魔石は海のなかにあるとでもいいたげにだ。


 猫は深呼吸して自分に言い聞かせた。


 落ち着け、落ち着け、まだ決まったわけじゃない。

落ち着け、落ち着け、クールになれ。


「シーウォーカーで情報収集した結果。3か月前に『大海原のバカヤロウ!』と叫びながら、キラキラとサファイヤのように輝く石をサイレントシーに向かって投げた男を、この辺の子供が見たそうよ」


「お前のがバカヤロウだよ! チクショウゥゥゥゥ!」


 イソノの言葉に、ニャンタロウはブチぎれる。


「どうしたのよ。まだわたしたちの旅は始まったばかりよ」


「そうにゃ、諦めたらそこで試合終了にゃ」


「いやだ! いやだ! わしはもう行かんぞ! 海なんぞ絶対に行かんぞ!」


「ん? もしかして、泳げにゃいのかにゃ?」


「ハァ!? ナニ言ってんだァ! んなわけないだろ! んなわけないだろ!」


 それは、明らかな動揺であった。酷く狼狽した様子でニャンタロウはうわごとのように、


「水なんて、水なんて、水なんて……」と、繰り返した。


 こころなしか、目に光がないように見える。


「そういや、猫って水が苦手だったわね」


 イソノが納得したようにつぶやいた。


 フレイヤはニヤニヤと笑う。


「にゃにゃにゃっ! にゃさけにゃいにゃ!」


「じゃあ、お前はどうなんだよ!」


「フレイヤは泳げますよ。故郷じゃ素潜りの名人にゃんです! 水中に10分はもぐれるにゃ」


 フレイヤはニャンタロウを見下すように「にゃっにゃっにゃっ」と笑った。


「ニャンタロウもしょせんはにゃんこってことですね! 笑っちゃうっにゃ!」


 フレイヤ、あなたも猫じゃなかったっけ?


 と、イソノは思わないでもないが、口に出さなかった。


「それにだ! どうやって海のなかに沈む魔法石を探すんだ。このネコ娘が一日中潜って探すわけにもいくまい」


「うっ……やっぱり、フレイヤも泳げにゃかったような気がしてきたにゃ……ほら、フレイヤはにゃんこだし。素潜りって言ってもナウイ川でしか泳いだことないし」


「ナウイ川で水深100メートルの巨大な川でしょ。だいじょうぶ、だいじょうぶ」


「そっ……そんにゃ~」


「冗談よ。ちゃんと考えているわ。ここは助っ人を呼びましょう」


「助っ人だと?」


「そう、あの子の目だったら、海のなかにある魔石をみつけることなんて容易だわ。そろそろ来るはずなんだけど……」


 そう言って、喫茶店の窓を眺める。なんてことのない、いつもどおりの日常が映っているだけだ。お目当ての客人が来るようすはちっともない。


「どこで道草食っているのかしらね」


 と、かるくため息をついた。


 

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