第4話

館から大きな音が響いた。


「なっ……今の音は……磯野のヤツ大丈夫か?」


「大丈夫ですよ!」


 ニャンタロウの言葉に、フレイヤは自信満々に答える。


「イソニョはああみえてやるときはやるオンニャです」


 フレイヤの言葉からは、イソノに対する絶対的な信頼がみえた。彼女が負けるはずがない、そんなこと思いもしない、と言いたげな圧倒的な信仰にさえ聞こえる。


 彼らは館の庭にいた。無造作のようでありながらどこか洗練されたならびの岩と木。自然と人工の境目にゆれた不安定な空間の中心には、吸いこまれそうな深いみどりの池が、我ここのあるじなりと、言わんばかりに君臨していた。


「にゃあんか、おちつくにゃぁ♪」


 フレイヤが敬語を忘れておもわずつぶやく。


「こりゃ、なつかしい日本の庭園だな」


「テイエン?」


「リアティックワールドにあるんだよ。こういう庭がな。どこの庭師か知らんがいい仕事だ」


「ああ、そうだろ。苦労したゼ。1000万ギャレオンも払わなきゃいけなかった」


 突然、演歌の歌手のようにこぶしの聞いた声が池の方向に響いた。ニャンタロウは池を見る。だが、そこには誰もいない。


「オィィィ、どこみてんじゃぁい。こっちじゃ、こっちじゃよ後輩ィィィ!」


 ニャンタロウはよく見る。すると、池の端の岩陰になにかがいる。黒い甲羅に緑色の肌。テカテカ光る皮膚にタトゥーの如く淡く光る赤いイナヅマ。そこにいるのはミシシッピアカミミガメ。全国の小学校で飼われている亀でもっともポピュラーな亀と言えるだろう。その亀、岩かと見間違えるほどの苔が生え、巨大である。


「テメェ、だれだ……」


「なんじゃい、後輩ィィ! テメェ、芽出愛学園にいたってぇのに。学園のペット番長。よわい、30のわてことミシシッピアカミミガメのミッピちゃんを知らんのかァァァ!」


 亀はそう言って、よろよろと前へと進む。だが、一歩一歩踏みしめるそのさまはまるで不良のそれである。


「知るかんなもん」


「なんじゃ、先輩にその態度はないじゃろがァァ!」


 亀が怒鳴ると、キラリと、甲羅にくっついている石が淡く光った。


 それは紅く輝くルビーのような宝石。


「なるほど、魔石がどこにあるかと思ったら、そこにあったのか」


「ん? ああっ! この石かァ! この石ャ、ミライのぼっちゃんがくっつけた石じゃよ」


「ふん、やはりそうか。悪いがその石をくれないか」


 ニャンタロウの言葉に、ミッピはふん、と鼻を鳴らす。


「イヤだねぇぇぇ! わるいが! ミライのぼっちゃんのことは気にいってんでね。アイツはしっかりしているぞ。わての甲羅をごしご~しちゃ~んと洗っとるからね」


「ハッ、もも太郎みてぇな理由で邪魔しよって」


「なんじゃ、後輩」


「なんだカメこう」


「テメェ、わてに先輩つけんとはどういうことじゃい」


「テメェこそ、勝手に後輩とか呼んでんじゃねぇよ」


「なんじゃい、貴様は23じゃろ。わては30じゃ。学園じゃ一番の先輩じゃぞ。ちゃぁぁんと敬語を使えやァァァ! わてぇぇぇ!」


「いいから、魔石をよこせぇぇ」


「フレイヤをハブるにゃぁぁぁぁ!」


「黙れ、ネコムスメェェェェ!」


 亀と猫がハモった。


 ネコ娘はしょげた。


「ネコ娘は手ぇ出すな。この亀はわしがブッ飛ばす」


 丸めた尾をピンと伸ばし、あごをクイっと上に向ける。テメェのピーをぶった切ってやんよ、と中指を立てる如くの挑発的な態度だ。


「ほうぅ、できると言うのか貴様によォォォ! まわれぇぇ、レッドスピナァァァァ!」


 ミッピの声に呼応して、ルビーが輝きを増す。


 両手両足を甲羅のなかに引っ込める。甲羅はクルクルと回転を始めた。


 工事現場の掘削機のような音が響き始める。甲羅の回転が岩を削っているのだ。


「わての甲羅はダイヤキュウゥゥゥゥ! 回転速度はドリルキュウゥゥゥ! テメエの体をミンチにするぜぇぇ!」


 回転、回転、さらに回転。まあるい甲羅の輪郭がぼけ、へしゃげた楕円の形に変わり、UFOのように不規則な動きでニャンタロウに突撃する。攻撃を察していた猫はすぐに避けた。ミッピは岩にぶつかって、ギュルギュルと音を立てる。大きな岩は割れるでも、削れるでもなく、溶ける。岩が、回転の熱に耐えられずに触れる前に溶けるのだ。


 甲羅についたコケが燃え、真っ赤に真っ赤に炎に燃える。周囲の樹木にも火がつき。日本の庭園は炎の海に変わった。


「にゃぁぁぁぁ! 庭園がっ! 1000万ギャレオンのテイエンガァァァァァ!」


 所有者ではないフレイヤが一番ショックを受けた。


「回転の熱がわてに炎を与える。この高温は触れるまでもなく絶望じゃぁぁぁ!」


 そう言って、炎の円盤はニャンタロウにつっこんだ。


「そうか、じゃあ、わしは触れないことにしよう」


「なに?」


 ニャンタロウの紅いチョーカーが光る。


 まただ、とフレイヤは思った。彼女は獣の聴覚と視覚をフル回転させて、ニャンタロウの挙動を見る。


あの時、フレイヤは確かにニャンタロウを炎でつつんだ。だが、あの猫はしにゃにゃかった。いや、殺そうとしたわけではにゃいにゃ。ただ……ちょっと大けがさせようとしただけで。やめてやめて、イソニョに怒られちゃうにゃ。


とにかく、たしかに攻撃はあたったはずにゃのに。あの猫は、平気な顔で、フレイヤの背後を取ったにゃ。アイツの魔理屈はいったい……にゃんにゃんにゃ。


そう考え、フレイヤはニャンタロウを注視する。すると背後に、コバエのようなものが飛んでいるのをみつけた。


フレイヤと戦っていた時も、アイツの背後にはヤツらがいた、と彼女は思い出した。


 それは虫と呼ぶには不思議な形状をしていた。そもそも、飛行しているのに、その虫は飛んでいない。羽を、動かしていないのだ。


 この前、イソニョに教わった文字のかたちに似ているにゃ。


 たしかあれは、そう、T。


 Tの字のまま制止した虫がニャンタロウのまわりで飛んでいる。


 フレイヤにはそう見えた。


 Tは炎の光で鈍い色を放っている。鉄の色だ、とフレイヤは気づく。


 Tは物体なのだ。しかも、飛ぶはずのない重さの。


 鳥のなかには、羽を動かさなくても動くヤツがいる。たしか、飛んでいるんじゃなくて飛ばされたり、浮いたりするんにゃ。でも、このTはちがう。だって、明らかに不規則な動きをしているんだもの。


 ここから先は一瞬である。ニャンタロウのまわりで不規則に浮くTは徐々に数を増やす。まるでイナゴの大群だ。Tの大群はニャンタロウの周囲の炎をつつんで。消していく。


 大群のなかの三体が、回転する円盤に向かっていた。


 見ると、Tから火花のような光が見えた。


 光とともに、Tからは灰色の塊が飛んでいく。それは銃弾のようである。


 銃弾は、円盤の宝石に着弾する。甲羅が突如爆発した。


 宝石は粉々に破壊され、亀の回転が止まる。


 燃え盛っていた炎は一瞬にして消化された。


「なっ、こっ……これはどういうことじゃい!」


 ミッピの驚きの声に、ニャンタロウは淡々と答えた。


「どういうことでもないさ。単純な答えだ。お前にわしは倒せない」


 一連の流れを見て、フレイヤはひとつの結論に達する。


「ニャるほどにゃ……ニャンタロウ、おまえにょ魔理屈がやっとわかったにゃ。お前が召喚しているのは低級の悪魔……お前は、召喚術が使えるんだにゃ」


 フレイヤの問いに、ニャンタロウはにやりと笑った。


 

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