第2話

 わしは、もともとミチヨに育てられた。


 ミチヨは、ミライの祖父母だ。


 優しく、平凡な人だった。


「ミライを頼むわね」


 ミチヨはいつだってそう言った。


 東京の都市部で比較的緑が多いところに家をかまえ、わしを膝にのせて、トコのうえで彼女はいつだってそう言った。あの冬の晩の時もだ。珍しく、沖縄にも大雪が降る年だった。窓には霜が張りつき、大粒の雪がガラスをたたいた。


「ミライの母親は……まあ、私には娘なわけなんだけど……17で生涯を添い遂げたい人ができちゃったって言ってね。はやいでしょ? まだ高校生なんだし。わたしは止めたわ。だけど、あの子ったら聞かなくてね。結婚して、大学生の時に未来が生れたわ。それから、その人とは別れちゃって」


 コホン、コホン、と。絡みつくような咳が二、三。


「まあ、すぐに結婚したんだけど」とつぶやき、一度ため息。


「ミライのことは心配だわ。父親がいなくて、一人っ子なもんだから。自分一人で人になったようなつもりで生きてるんですもの。こんなせまいところで、ほんとうに一人になれた子がどこにいるものですか。人のない国で生きればヒトデナシになるにきまってます。半端に人と関わり、面倒な時だけ一人になればロクデナシになるのです。ロクデナシはヒトデナシより恐ろしくないからマシなんだけどね」


 そう言って、わしを撫でて、またため息。


「私に何かあったら、ミライのことを頼むわね。あの子には、お兄さんが必要だわ。あの子のことを見守り、道を外そうとした時に戒められる人がね。あなたには、荷が重すぎるかしら」


 そんなことない、と言いたいがにゃあ、としか言えなかった。


 ミチヨが死んだのは、その3日後のことだった。


 わしはミライの家に引き取られた。


 


「ふわぁぁぁ……もう3時か……」


 女性は読んだ本をテーブルの上に置くと、ゴロンと机の背にのけぞって大きく伸びをした。


「お店開けないとな」と、言って、テーブルから立ちあがる。


「あれっ?」


 扉を開けようとする前に、外からお客様がはいった。


 女性は慌ててテーブルの椅子をもとに戻し、にこやかに、


「いらっしゃいませ~」と言った。


(おっかしいな~、さっきカギかけたよね?)


 そう思いながらも、いつも利用してくれるお客様に笑顔をつくった。


「あっ! イソノさん! いつもありがとうございます。す~ぐ用意しますね」


 目の前には緑色のカーディガンに水色のストールの落ち着いた雰囲気の格好の女性がいた。


 背後には、フードをかぶったボーイッシュな格好の女の子と黒い猫がいる。


「この喫茶店って動物はだいじょうぶだったかしら?」


 磯野は目の前の女性に問いかける。


「いいですよ~、かわいい猫ちゃんですね」


「ふん、ありがとよ」


「へっ?」


 足元になにか渋い声が聞こえた気がした。


 声の方向を見ると、そこには黒い猫がいるだけだ。


(気のせいかな?)


 そう思うも、店の奥へと向かった。


「それじゃ、いつもの用意してきますね」


 磯野とフレイヤ、ニャンタロウはそれぞれの席に着いた。


「驚いたな、急に現れた扉をくぐってみれば、ここは喫茶店じゃないか。しかも、窓から見える風景もシーウォーカーとは別の町の風景……ここはワールドサイドだな」


「そう、これが私の魔理屈マリックよ」


そう言って、磯野はポッケから鍵を取り出した。なんてことのない、ただの鍵にみえる。

魔理屈マリック、本来リアティックワールドに存在すべきものがファンティックワールドに転送されたことで発現する魔法の力。リアティックワールドの物理法則がファンティックワールドの魔法法則に無理やり変換されたことでできるバグのようなもの、と言われているわ」

「ファンティックワールドに転送された結果、猫のわしが人間の言語を喋るようになったり、普通の小学生が視力や聴覚を異様に向上させたりしているがあれも魔理屈マリックか?」

「いや、原理は同じだけど、それは便宜上スキルと呼ぶことにしてるわ。ごっちゃになると説明しづらいから」

「そういや、そっちの猫娘も魔理屈マリックが使えるようだな。魔理屈はリアティックワールドの住人でなくても使えるのか?」

「適性に合えばね。もっとも、リアティックワールドの住人のほうが魔理屈は十全に使えるわ」

「ようはフレイヤがスゴイってことですね!」


フレイヤは自慢げに胸を張り、猫はうんざりした様子でため息をつく。

「なるほど、つまりお前はバカってわけだな」

「そんにゃハニャシしてにゃいにゃ!」

「そんな話は置いといてだ。っで、なぜわしを訪ねてきた。神宮寺の件と言ったが、愚弟がなにかしたのか?」

「愚弟?」

「アイツは弟も同然だからな。こうみえてわしは23だ」

「23って、普通の猫だったらとっくに死んでいるじゃにゃいですか!」

普通の猫ならそうだ。だが、ニャン太郎は23でも健在である。

「でっ、愚弟がなにをした?」

「芽出愛学園については知ってるわよね?」

「もちろん、わしたちはあそこごとこっちに転送されてきた」

 芽出愛学園、リアティックワールドにある学園だ。そこの初等部がある日突然、このファンティックワールドに転送された。理由は今もわからない。学園ごと転送された生徒と教師たちは戸惑い、動揺し、困惑しながら、徐々にそれぞれの道を歩み、もう10年になる。ある日いなくなり、いまだに行方不明の子もいる。才能を活かし、仕事にしているものもいれば、異世界特有の知識で利権を得た者もいる。


 ニャンタロウが同郷の者とこうして話すのも久しぶりである。


「ん? にゃんでニャンタロウはその時、芽出愛学園にいたんですか?」

「うっせ、バーカ」

「ただの罵倒ににゃったにゃ!」


フレイヤのことなど気にもしないかのようにニャンタロウは口を開く。

「たしか、芽出愛学園は今、国の管理下に置かれているよな」


ファンティックワールドの住人にとって、あそこは異世界の知の宝庫である。それを狙うものも少なくない。

「そうだった、と言うのが正しいわね」

「そうだった? どういうことだ?」

 ニャンタロウの問いにフレイヤは待ってましたとばかりに語り出す。

「ニャッハハハ! 聞いて驚くニャよぉぉぉぉ! イソニョはな、イソニョはにゃ! あの芽出愛学園を、ガッコウとして復活させようとしているのにゃ!」

 まるでオレのとうちゃんパイロットという子供のように自慢げだ。後、ガッコウがなにかも知らないに違いない。

「…………………」

「なんか言えにゃ!」

 気にせず話を続ける。

「なるほど、学校ね。いいことじゃないか。やればいい。っで、そのことと神宮寺未来がどうつながるんだ? まさか愚弟が教師というわけではあるまい」

「ええ、もちろん違うわ。問題はね、その芽出愛学園のなかに入れない。学校として使うことができないということなの」

「どういうことだ?」

「話すより見たほうがはやいわ」

 ニャンタロウの問いに答える形で、突如、テーブルの上から小さな扉が出現する。

「これが私の力、キャッツキー。能力は至って単純。離れた場所の扉につながる扉を出現させる能力。扉の大きさと形は自由自在。ファンティックワールド内の行ったことのある場所に限られるんだけどね。今、私は芽出愛学園のロッカーの扉につなげたわ。いい、チラッとだけよ。チラッとだけ、なかを見せるわ」

 そう言って、磯野は小さな扉に手をかけた。扉の向こうには一人の青年がいる。彼はペラペラと漫画雑誌をめくっていた。雑誌の表紙ではメガネの小学生が笑顔で右手を差し出している。

 その青年は神宮寺未来だった。

 神宮寺は、ふとページをめくる手を止めると、つむじを中指でグリグリとかき。そのまま指をこちらに向けた。

「ゲットカット……」

 呟いたかと思うと、彼の右手には黒い拳銃が握られている。向けられた中指はちょうど引き金にかかっていた。

「ヤバい! バレた!」


磯野が口走ると、血走った目で青年は扉の向こうの彼女を見る。

「見え見えなんだよ! 磯野!」

 銃弾が発射される。磯野は慌てて扉を閉めた。がっ、銃弾は扉から飛び出し、ニャンタロウの頬をかすめ、喫茶店の窓ガラスをぶち破った。

「イソノさん! あなたたちなにやってんですか!」

「ごめんなさい、窓ガラスは弁償するわ。でも、ちょっと待ってくれない」

 店員が駆け寄ると磯野はなんてことのないように言った。店員は納得がいかない様子でしぶしぶひっこむ。

「今のは、神宮寺未来か」

 ニャンタロウの問いに磯野はため息混じりに答えた。

「そうよ、今、彼は芽出愛学園を占拠している。だからそこで学校を開くことができないのよ」


「なぜ、愚弟は芽出愛学園を占拠している」


「あなたにわからないんだったら、私にだってわからないわよ」


 磯野は頭を抱えて、声を絞り出すように答えた。


 芽出愛学園に神宮寺がいる。人を誰も寄せ付けず。たった一人で。昔からわけのわからない子供だったが、今の彼のこともまったくわからない。ニャンタロウはそう思った。


「国の兵はなにをやっている。そのために管理していたのではなかったのか」


「中に入れないのよ。結界があるから。どこから持ちこんで、どうやったのか……まだわからないんだけれども。彼は六つの魔石をワールドサイド周辺にばら撒いて、学園に結界を張っているのよ。そして、そのなかの一つがここにある」


 そう言って、磯野は地図をテーブルに広げると、ワールドサイドの南をゆびさす。


「なるほど、だからわしを頼ったのか」


 指さしたその先はシーウォーカー。ニャンタロウが根城にしている港町である。


「ここは入り組んでいるから、土地勘のあるものに頼りたかったのよ」


「いいだろう、愚弟の不始末も兄の役目だ。この港街にある魔石というなら心当たりがある」


「ほんとう?」


「ああ、港町のドン、ダニエル・ドット。たしか、アイツが最近、高価な魔石をどっかの怪しい商人から手に入れたと聞いたことがある。まずはそこからあたってみるぜ」


 そう言って、ニャンタロウは曲がった尾を高々と伸ばした。


 

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