黒猫の召喚術師

神島竜

第1話

白いワイシャツ、茶色の短パン、ぼさぼさ黒髪、目を潤わすその瞳は、まるで捨てられた子犬のよう。あなたはだあれ、あなたはなあに。わたしの心はそう思う。


 いつものような十字路に、いつものように人が通る。


 あなたはまんなかに一人立ち、空を見上げて軽くため息。


「あっ………」


 ギョロっと、黒眼がこちらをむいた。


 ふん、と鼻を鳴らして。


 いやな男の子だな、と思った。ほんとにね。


 彼は腰のカバンからスケッチブックを取り出す。右手には木の棒をもっていた。


 なにかしら? 棒の表面は緑色に塗られ、先はきれいな円錐に削られ、先端には黒い炭がある。その炭を紙に押しあてて書くようだ。


 ガリガリガリガリガリガリガリガリギャリギャリギュルルルルルゥゥゥゥゥゥン!


 彼はスケッチブックに今描いたものをわたしに向けて言った。


「naa kore wakaruka?」


 意味不明だった。彼の言葉も彼の絵も。


 描かれているものはグチャグチャのメチャメチャ。


なにがなにだかわからない。


 わたしはおもわず彼に聞いた。


「これはなに?」


 その言葉に、男の子はおもわずにやりと笑ってつぶやいた。


「コレハナアニ……ka! 」


 そうして、彼は地面をさして言った。


「コレハナアニ?」


 わたしは男の子のことが知りたかった。


 男の子はここのことが知りたかった。


 ここはワールドサイド、地図の端っこと呼ばれた、小さな街。


 この日を境にワールドサイドは世界の中心となる。


 だれも知らない力をもって、だれも知らない価値観をもって、だれも聞かない言葉をもった。


 一つの学園がこの国に出現したからだ。


 この男の子はその学園の生徒――


「あなたはだあれ?」


 わたしはたずね、自分をさして名前を告げる。


 男の子はこちらの意図を察して笑顔で言った。


「ジングウジ、ミライ」


 ――神宮寺未来、彼は自分のことをそう言った。


 


 女性の独白はさておいて。物語の時計は右にグルングルンとまわり、舞台は南にガクンと下がる。ワールドサイドの南に位置するは、活気あふれる港町、シーウォーカー。


 グロマがいくらだ、バッサがやすいぞと市場が盛んな晴れた午前の水曜日。


「待てやコラァ!」と怒号が響いた。


 なんだ、どうした、どうなった、


市場で働く商人も、市場で買い物のお客さまも、おもわず声の方向に視線を向ける。


 見ると、黒いスーツにグラサンつけて腰に銃を携えたまさに荒くれ者の風貌をした3人の男たちが一匹の黒い影を追っていた。


 その黒い影は韋駄天のように速く、目視するのが難しい。


 それを見て。


 なんだアイツか、そうかアイツか、


 と、この街に住みなれた市民はあきれた顔をした。


 だが、ポカンとした顔をする者が2人いる。


 どうやら、初めてこの街に訪れた旅行者らしい。


 一人の商人がそれに気づく。


「大丈夫ですよ、あの街ではいつものことですさ」


 と、ガハハと折れた前歯が見れるほど大きな口を開けて言った。


「まあ、見ててくだせぇ、なにかすぐにわかりますよ」


 折れ歯の商人はバッサを一尾掴んで宙に放り投げる。


 すると、黒い影はギュウイィィィン! と魚のほうに一気に吸い込まれ、口でキャッチする。


 地面にスタっと着地をし、腸に思いっきり噛みついた。


 これにより、黒い影の姿があらわになる。


 スラっとした胴体。蛇のように長い尾。細いながらも洗練された足。いつまでも撫でていたくなるような黒い毛並み。ピンとした黒い耳。首元には赤いチョーカーがはめられている。


 猫であった。それは猫であったのだ。


「ほう……」とおもわず旅行者の一人が呟いた。


 折れ歯の商人は得意げに語る。


「アイツは……先月からこの街に住みついた黒猫でさァ……名前はnya……nya……ニャンタロウだったっけか……リアティック語は発音しづらいから困りやすわ。そうそう、なんでもあっちのほうから来た猫だそうでしてね。この街のドンが飼いたがってんですよ」


 話している間に、猫は魚を食べ終え、走り去って行く。


「あっち行ったぞ! 追え!」と言って、荒くれ者たちは追いかけて行った。


 その様子を見て、旅行者の一人はため息をついた。


「ホントに彼をにゃかまにするんですか? フレイヤは反対にゃんですけど……」


「ええ、もちろん、ここを捜索するためにも土地勘がある者に頼ったほうがいいわ」


「にゃっ……?」


 商人はいぶしかげに旅行者を見る。見られていることに気づいた旅行者の一人は被っていたフードを深くかぶりなおした。


「なんだか、お二人さんも奇妙な格好をなさってますな。お国はどちらですか」商人は訊ねた。


 商人の言うように、二人の旅行者は奇妙な格好をしている。


 一人はフードのついた灰色のフードのついたパーカーに青いデニムの短いズボン。両足は右が赤いスニーカーで左が青いスニーカー。右と比べると左足のスニーカーだけボロボロになっている。どうやら右足だけ新品に変えたようだ。さらに背中にはなにやら奇妙な模様な板を背負っている。


 もう一人はこの陽気な気温にはさすがに熱いだろうと言わんばかりの白いシャツのワンピースに厚手の緑色カーディガン。水色のストールを冬国の人のように巻いている。表情は涼しげにしているが見ててこっちが熱くなりそうだ。


 そもそも女性二人でこんな港町に旅行に来ているのもおかしなもんだ、と商人は思った。


「とりあえず、あのにゃんこをつかまえればいいんですよね。任せてくださいよ」


 帽子の女はそう言うと、背負っていた板を地面に置く。板には車輪がついていた。商人にはわからないがこれはスケボーである。


「そうよ、すばしっこそうだから。あなたにまかせるわ。頑張ってね、フレイヤ」


「任せてくださいよ。イソニョのためにも、フレイヤはあのにゃんこを捕まえてみせますよ」


 さっきからな行がうまくしゃべれないのでいまいち締まらない。


 フレイヤはスケボーに左足を乗せて、右足を地面に数回蹴った。


 逃げて行った猫たちを追ってスケボーはて勢いよく走りだした。


 


 一方、荒くれどもは猫を追って裏路地へと入っていた。


「チクショウ! どこ行きやがった!」


 荒くれ者の一人が憤り、近くのゴミ箱を蹴る。


「そうかっかするんじゃねぇゼ、ジョニ―!」


 ジョニーは膨れたつらで


「わかったよ、ダニー」と呟く。


「しかしよ、なんで俺らが猫を探さなきゃいけないんだよ……もうやんなっちゃうな」


 と、気弱そうにつぶやくのはトニー。


 ジョニ―、ダニー、トニーは同じタイミングでため息をついた。


「まったく、哀れなことだな。街のジジイにこき使われて猫探しと来たもんなんだからな」


「なに言ってんだゼ、トニー」


「違うよ、俺じゃないよ……」


 トニーは気弱そうに手を振って否定する。


「確かに、トニーにしてはやたらと渋い声だったな。まるで往年の舞台俳優のような歳を喰っているようなのにやたらとハッキリと聞こえた」


「オイオイオイオイオイオ~イィィ! テメェらは足も遅ければ耳も聞こえねぇのか! こっちが喋ってんだよ! こっち!」


 言われて、トニーの背後に目を向ける。すると、そこには一匹の猫がいた。


「テッテメェは! ニャッ! ニャンタロウ!」


「おうともよ……」


 猫はしたり顔で言った。


 三人の荒くれどもは動揺した。


猫が普通喋る筈がない。だがニャンタロウはしゃべるのである。精確に言うなら、リアティックワールドから来た猫、ニャンタロウはしゃべるのだ。


「なるほど、ドンが欲しがる訳だゼ」


 ジョニーはにやりと笑って、銃を猫に向けた。


 トニーとダニーもそれに従う。


「なんじゃい、わしを傷つけるのか」


「どんな手を使ってでも、と言われているからな。これ以上反抗するならはく製になってもらうゼ」


 そう言って、ジョニ―は引き金を引く。


「弾丸より速く動ける猫はいねぇ! 死にな!」


 銃から弾丸が発射される。弾丸は吸いこまれるように猫の足へと向かう。


 だがっ!


「甘いな……」


 と、猫はひらりとそれをかわした。


「一発避けたからなんだと言うんだ」


 今度は3人が一斉に射撃する。


 凄まじい撃鉄音を挙げて拳銃から弾の雨が降り注ぐ。


 猫はそれを最小限の動きでかわした。それはまるで華麗なダンスのようである。


「弾丸より速く動く必要なんざ、ねぇんだよ。弾ってぇのはな、どんなに速くてもチャカから放たれるんだ。つまり、注目すべきはチャカの向きと指の動きだ。そこを見れば弾が発射した時にどこに着弾するかがわかる。それさえわかっちまえば後は避けるだけさ」


 長々と語りながら、ひょいひょいと身軽に弾をかわし、ニャンタロウはジョニ―の前に飛びだす。


「つ~わけで、わしとケンカしたけりゃもうちょい勉強しな、小僧」


 猫は爪をキラリと光らせて、ジョニ―の顔を切り裂いた。


「ギャァァァァァァァァァァ!」


「ジョッ! ジョニィィィィィィ!」


 裏路地に断末魔が響き渡った。


「にゃ~んだ、そんなものか」


「ハァン、なんだって!」


 よく見ると、ジョニ―たちの背後に一人の女性が立っていた。


 女性は左足をスケボーにのせている。荒くれ達と猫の戦いを観戦していたらしい。退屈そうな顔で大きなあくびをした。


「イソニョがほめてたからどんにゃヤツかと思えば、たんに人語が喋れるだけじゃないですか。やれやれ、だから猫のマリック使いなんて役に立たないってフレイヤは言ったんですよ」


 女性は一人称で自分のことをフレイヤと呼ぶ。


「マリック……なんだそりゃ……」


「驚いた、マリックも知らにゃいのか。ますます、フレイヤはいらないと言いたいですね」


 フレイヤはやれやれだぜ、と言わんばかりに額に手をついてため息もついた。


「まあいいや、とりあえずフレイヤについてきてくれませんかね。ほれ、にゃーにゃ、おさかにゃもありますよーだ」


 そう言って、女性はポッケからバッサを取り出し、ひらひらと動かした。


 その行為に、いぶかしげな猫の表情はさらに険しいものに変わる。


「ありゃ、お気に召しませんかにゃ?」


 女性が不思議そうに猫をみつめると、黒猫は口を開いた。


「わしにはな、嫌いなもんが三つある」


 そう言って、黒猫は女性をにらみつける。


「一つ、所詮は猫だから、と。エサをちらつかせるヤツ。施してやろうという態度が気に入らん」


「さっき、商人の投げたさかにゃを喰ったじゃにゃいか」


 女性は呆れた顔で言う。


「あれはノーカンだ。わしはもらってやったんじゃ」


 黒猫は自信あり気にふん、と鼻を鳴らす。


「二つ、しかも猫だからと粗末なものを与えるヤツ。貴様、落ちていたヤツを拾っただろう。匂いですぐわかるぞ」


「あちゃーバレちゃいましたか。って、じゃあにょこりの三つめはにゃんですか」


 女性の言葉に歯をギリギリと鳴らした……


「最後の三つめ、最後の三つめはな……その喋り方だよォォォォォ!」


 そう言って、ニャンタロウは女性に飛びかかり、なんと鼻っつらを蹴った。


「生粋の大阪人が、東京もんの女にモテたいがためにエセ大阪弁をしゃべるその所業にイラつくように! わしはぶりっこが語尾ににゃんにゃんつけてしゃべるその態度に腹が立つんじゃ! なんだそれは! 可愛いとでも思っているのかにゃんちゃって女が!」


 ニャンタロウは目の前の女性を罵倒した。女性は鼻を押さえてぼそりぼそりとしゃべった。


「ひどい……ひどいニャっ……フレイヤだって言いたくて言ってるわけじゃニャいのに……ただのにゃまりなのに……」


 猫パンチならぬ猫キックで、フードがハラリと外れる。頭にはトラ模様の猫耳がピンと立っていた。


「ニャッニャニャニャ! イソニョからは捕まえろと言われたがもういいニャ! おニャえは! フレイニャが完膚なきまでにたたきつぶす!」


 そう言って、フレイヤは力強くスケボーの端を踏み抜く! スケボーはてこの原理でクルクルと回りながら宙を舞った。


「ビートビートルクィーン! レディゴォォォォ!」


 そう叫ぶと、突如スケボーが発火した。フレイヤはその炎に包まれたスケボーに乗り移った。


 そのまま壁に着地、なんと壁を……炎の道を作りながら壁を下って行く! 


「フレイヤのマリック! ビートビートルクィーンは炎を作りながら走る暴れ馬にゃ! このまま燃やしてやるにゃぁぁぁ!」


 そう言うと、フレイヤはスケボーに乗ったままニャンタロウめがけて向かってくる。


「そんなもの! 弾にくらべれば遅いわ!」


 そう言って、ニャンタロウはジャンプしてスケボーを避ける。


 だが、フレイヤはにやりと笑って、別の壁に移った。


重力などんものともしないかのように、スケボーは屋根に向かって走った。


「それはどうかにゃ~」


「なんだと!」


 と言うのも遅し! なんとフレイヤが走った後にできた炎の道がニャンタロウに襲いかかる!


「ニャニャニャニャニャァァァァァ! バカニャっ! アホニャっ! 救いようのニャいバカ猫にゃっ! フレイヤのビートビートルクィーンはにゃっ!走った後にできた炎を操れるんだよォォォ! 炎の渦で燃えてしまえニャっ!」


 屋上から燃え盛る炎を見下ろして、猫は高笑いをした。


「バカはどっちだろうな……」


「にゃっ!」


 フレイヤはふりかえった。なんてことだ! 背後にいるのはニャンタロウその人! いや、その猫! 


「お前は! 今、完璧にもやしたはずにゃのに!」


 その言葉にニャンタロウはにやりと笑う。


「そうさなあ、やっとわかったぜマリックのことが……なるほどな……お前はこれのことを言っていたんだな! この首輪のことを!」


 ニャンタロウの首輪は紅く光っていた。


「ニャッ……ニャにをしたにゃ! お前は一体ドンにゃ力を!」


「知るか! 夢のなかでなかで考えてな。解放、モンスタトラベラー!」


 一瞬、ニャンタロウの背後がキラリと光る。来る、攻撃が来る! フレイヤが身構えるその瞬間――


「そこまでよ」


 ニャンタロウとフレイヤの間で小さな爆発が起きた。爆発は数発起きた後に小さくなる。


 すると、そこには扉が。青いネコ型ロボットが使いそうなピンク色の扉がそこにはあった。


「イッ……イソニョォォォォォ……」


 涙目で、ニャンタロウがイラつきそうな猫なで声をフレイヤはピンク色の扉に向かって言った。


「まったく、言ったでしょ。協力してもらうだけだって。なんで攻撃しちゃうのよ」


 扉が開くと、中から一人の女性が現れた。


「だって、イソニョ、イソニョ、そいつがぁぁぁぁぁ」


「だってじゃないの」


「うぇぇぇぇぇぇん」


 ついには泣きだした。泣きだす猫娘に、イソニョと呼ばれた女性はため息をつく。


「さてと、それじゃちょっと事情を説明させてもらってもいいかしら」


 女性の言葉に、ニャンタロウは不機嫌そうに鼻を鳴らし、


「イヤだね」と、言って踵を返した。


「悪いがわしは寝床へ帰らせてもらうよ」


 ニャンタロウの態度に女性は表情を変えずに淡々と言う。


「その事情が神宮寺未来に関わることだとしても?」


「なんだと」


 ニャンタロウは驚いた様子でふりかえる。


「おい、イソニョ、テメェはミライのことを知っているのか」


「知っているわ。クラスメイトだもの。後、言っておくけど私はイソニョじゃないわ。磯野よ。あの子はなまりが強いからな行をにゃって呼んじゃうのよ」


「磯野……まさかお前、磯野か!」


「そう、磯野智花(磯野 ともか)。あなたと同じリアッティックワールドから来た異世界人にして芽出愛学園、元6年A組のクラス委員よ」


 磯野は事務的にそう言った。

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