第107話

「――ン……、――イン、シャイン!」


 私を呼ぶ声に目が覚める。


「火事よっ 早く起きて!」


 母が言うことがようやく理解でき、私は飛び起きた。

 火事?

 母は窓を開けて下をのぞき込んで「こちらのほうがましかしら」と呟く。

 こちらのほうがまし?

 火事なら、逃げ出さないといけないのよね、と廊下の方から来る煙に気付く。


「煙が出てる! ババさまはど――」

「シャインは無事だね。東西南北全て火の手が上がってる。飛び降りる窓の下に水魔法を飛ばして、飛び降りるしかないようだよ」


 ババさまが急ぎ部屋に入り扉を閉めながら言う。

 私たち三人とも水魔法は得意だから、火を消せる気がするのだけど。


「階段の方は煙が多すぎて降りられない。吸ったら危ないよ。窓から脱出して、外から火を消そう。カギはある!」

「飛び降りるのに、マットが必要でしょうね。ここの窓から出ましょう」 


 ババさまの話に頷いた母が言いながら、窓を全開にし、身を乗り出して階下へ水魔法で水を火に投げかける。


「きゃっ! おかしいわ。火の勢いが増したわよ!!?」

「何だって!? 油……?」


 母と祖母が話をしている間に、私は必要なものを収納カバンに詰めていた。

 油? それなら、土魔法で押さえれば……。


「土壁で火を押さえてみる! で、階段までは無理でも、滑り台を作るね!」


 私は母と場所を変えてもらい、土壁を家に沿って出して、火が家の中から外に漏れないようにする。


「立ち憚れ! 【土壁クレー・ウォール】」


 次に、滑り台を作る。強度までは分からないが、一人ずつなら大丈夫だろう。私は最悪【浮遊】で飛び降りてもいいのだし。


「シャイン、よくやったわ! 母さん、先に! 気を付けて降りて!」

「私は浮遊が使えるから最後に降りる! 降りたら、土魔法で火を防いで置いて、ババさま!」

「分かった。行くよ」


 ババさまは、横幅五十センチもない細い簡易の滑り台に椅子を伝って降りていく。母も続いた。

 二人続いたことで、滑り台の強度が心配になり、私は窓から身を乗り出し、土壁で補強しようとした。そして、気付く。

 祖母に向かう矢があることを……!


「立ち……憚れ! 【土壁クレー・ウォール】」


 とっさに土壁をずらし、矢と祖母、母の間に壁を作った。壁の方が早かったが、襲撃者も素早かった。


 ヒュンッ


 自分めがけて矢がスローモーションで螺旋を描きながら向かってくる。なぜかそれがはっきり見え、あぁ、私は射られるのだなと思っているどこか他人事な自分がいた。

 心臓目がけて来る矢に自分の左腕がぐいっと引っ張られ、当たった。


 パリンッ

 砕け飛び散るバングル。


 衝撃にハッとし、のけ反ったがすぐに身を伏せる。父からの魔導具が命を救ってくれた!

 だが、ホッとする間もなく、階下にいる祖母たちの安否も気になり、閉じられた扉の隙間から入ってくる煙に目から涙が零れ、ここにいるのも安全でないことを知る。


 その時、ガッ、カキーンッという剣の交わる音が耳に届く。

 外の様子を頭だけ出して確認すると、襲撃した者と剣を交えている男性が見えた。あれは――

 父が付けてくれている護衛の一人だ!

 裏手に住んでいたから、気付いて駆けつけたのだろう。良かった。他にこちらを狙う姿はないようだ。

 彼らが戦っている隙に滑り台に手をかけ、素早く飛び降りる。


 ドンッ


 一メートルの高さでも、裸足には衝撃が伝わりじぃーんと痺れる。バングル以外何の魔導具も身に着けていない寝間着姿であったことを実感するが、急ぎ立ちあがり、祖母たちに駆け寄った。


「グァァッ!」


 男の断末魔の叫び声に祖母たちの目が見開かれる。どちらかが倒れたようだ。どちらが?

 だが、確かめる間もなく、人々の声がする。


「ババさまーーっ! 無事ですかーっ!??」

「火を止めるぞーっ」

「シャインーっ!」


 リタの声だ! 他にも男性たちが近づいて来ている音や声も分かった。向かいに住むリタたちが気付いて、来てくれたに違いない。

 店の方へ祖母たちと駆けだす。護衛が無事か気にはなるが、今は何の装備も、武器もない。魔法が少し使えるだけのまだ子供以上大人未満の自分。

 ギリッ

 奥歯をかみつつも、辺りには注意を払い素早く移動し、リタたちのいる店の前に回る。


「ババさま! ご無事で!」

「シャインっ!」


 リタたちが、すぐに気付いて駆け寄ってくる。私は大丈夫と声をかけ、火の方を先に鎮圧するように家を指さした。それだけで、ちゃんとリタは理解してくれたようだ。家の方へ向き直る。

 リタの父親たちは壊した窓から水魔法で水をかけてくれてはいたが、いかんせん、威力が足りない。だが、水魔法で火が消えている。店の方の火の手は水で消えるようだ。

 水魔法を使うなら、祖母たちもいるのだが、襲撃者が気になる。交戦していた後方を振り返り、そこに護衛の男を目に留めた。

 良かった!

 さっきの断末魔は襲撃者のものだったようだ。

 私は火よりも、肩で息をしている護衛の方へ駆け寄る。すでに近所から人々が集まっているし、扉も開けれたら大丈夫だろう。


「ご無事で!」

「うん! ありがとう! ケガは?」


 先に声をかけられたが、見たところケガはなさそうだ。

「大丈夫です。取り押さえたのですが、仲間、いえ、失敗した者を始末する者が城壁の外にいたようです。外から矢に射られて倒れ、火だるまになって跡形もありません。相方が追跡に行きました」

「跡形もない?」

「何か特殊な魔法か薬品を使ったか。妙な匂いが鼻をつきましたから。それより、まだ家の火と煙が消えてないようです。行きましょう」 

「分かりました」


 私たちも加勢して火を鎮圧した。

 妙に涙と咳が出る煙だと思ったが「催涙剤でも店に置いてあったのか?」と聞く近所の人の言葉に、催涙剤が入っていたのかもしれないと思う。もちろん、薬草も各種置いてはあるし、一階にはポーションもあるけれど、可能性がないわけではない。

 襲撃があったことで、狙われたのは、嫌でも分かったから。

 気を付けて消火活動していく。


 ひどい状態なのは、店側だった。

 祖母が一番目に標的にされていたことからも、たぶん改良ポーション絡みだとは思う。だが、なぜ?

 黙々と働いていたら、いつの間にか終わっていたようだ。


「鎮火したようだね。皆さん、ありがとうございました。お礼は後日させていただきますよ」

「ババさま、何水くさいこと言っているんだい」

「そうだよ。いつもお世話になっているんだ。それより寝るところはどうする? うちじゃぁ、一人分しか余裕がないが」


 お礼を言う祖母に、近所の人たちが優しい言葉をかけてくれる。

 東の空は少し白々と夜が明けてきている。


「もうすぐ夜も明けるようだから、このままで大丈夫。二階の様子を見て決めるよ」


 祖母の言葉にそれぞれ家に帰っていく。「火の元は何だったんだろうねぇ」と首を傾げているいる人もいるが、私たちもまだよくわかってはいない。

 爆発音はしなかったけれど、火炎瓶の種類かもしれないし、直接油をまいて火を飛ばしたのかも知れないし、はっきりはしない。

 ただ、窓がすでに割れていたところがあったらしく、人々が騒いではいた。

 放火じゃないのかと母も聞かれていたけれど、分からないと答えていた。

 私はリタを探す。


「リタ、ありがとう。おかげで早く火が消えた」

「水は得意で頑張ってしまったけど、家が水浸しだから、後味がよくはないわね」


 リタに声をかけると、そんな言葉が返ってきた。

 確かに、店の自動扉は開けたけど、他の窓は全て壊されているし、焦げた上に水浸し。使い物になるのはどれだけ残っているだろう。


「命が助かっただけよかったと思うことにする」

「うん。火事に気づかず寝過ごしたら、いくらシャインでも危なかっただろうしね。シャインが無事で良かったぁ」


 気付いたけれど、襲撃にあって、危なかったよ。とは言えず曖昧に笑うしかない。


「リタも少し濡れちゃったね。風邪引かないように気を付けてね」

「暑いから水浴びしたと思えばいいわよ。それより、二階に上がれそう? 着替えてきてから手伝うね」

「朝食後、お願いするかも」


 結局、一階部分の家具や物は全滅に近いことが分かった。私の部屋の真下にキッチンがある。キッチンの窓から出ていた火を消そうとして火の手が大きく上がったのは、台所にあった油のせいかもしれないとなった。

 護衛の二人は戻ってきており、一人はババさまに報告していた。

 父にもすぐに連絡が行くだろう、と思っていたら、私のタブレットに連絡が来ていた。幸いにして、私の部屋はドアを閉めていたこともあり、無事だった。水もかぶっていない。階段は半分無事で何とか上がれる。

 家が角に建っていたのは幸いだった。東隣りは道を隔てて駐在所で、西側と裏手南側には隣家があるが、薬草を育てていることもあり、敷地が広く、少し離れている。

 とりあえず、現状を把握してから、父へ連絡を入れる。

 屋敷に全員来なさいということで、最初は拒んでいた祖母たちも私の部屋が広いからベッドを一つ入れて三人で寝ればいいと私が説得して、ようやく首を縦に振ってくれた。

 父は祖母には客室を使うように言ったらしいが、岳母にはなるけれど、父は貴族、祖母は平民なので、いつも少しもめる。私の部屋を使うことに決まったけど。



 馬車を送るから、それに乗るようにと父は言っていたが、五分も待たずに馬車が来てしまった。持ち物も、火事の後の整理もまだだからと先に私だけが屋敷へと向かう。他の護衛も来ていたので、せめて、護衛を一人残してほしいとお願いして、早朝の貴族街への道を揺られた。


「シャイン! あぁ、無事で良かった!」


 下の兄が外で待っていて、出迎えてくれた。私は兄にぎゅうっと抱き着く。

 背中を優しく叩いてくれ、安心する。


「お兄さま、おかげで落ち着きました」


 私が顔を上げて微笑んで見せると、父が待っているからと手をひかれた。ホセたちにも心配をかけたようだ。

 義母にも父の所へ行く途中、抱きしめられて私は深く息をついた。

 父は執務室にいた。


「シャイン、無事で何よりだ。先に食事にしなさい。護衛の者に話を聞いておくから、食事が終わったら話をしよう」


 挨拶だけして、私はフェルミン兄たちと食事をとりながら、襲撃に関して逡巡するが、さっぱり分からなかった。

 ただの殺しにしては手が込んでいる。だが、少人数しかいなかったし、半貴族とはいえ、貴族の私にも矢を向けた。もし、魔導具のバングルがなかったら、私は無事ではなかっただろう。完全に心臓を狙っていた。ババさまの孫が貴族だとは知らなかった、のだろうか。そこまで知らずに殺しにきた?

 兄と義母、そしてホセたち執事たちも気を使って構ってくれるが、どこか上の空で気付くと襲撃のことを考えてしまう。だが、兄たちのおかげで死ぬような目にあった恐怖に襲われることはなかった。     

 義母が優しく「大丈夫よ」と微笑みながら、直接ミルクティーを注いでくれた。ミルクティーのほのかな甘さと温かさが心地よく、自分が今、安全なところにいるんだと実感させてくれた。

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