第106話
魔法学園の後等部生になって初めての夏休み、私は実家でダラダラと過ごしている。
なぜって、一歩外に出ると暑いから。茹だるような暑さなのだ。
王都はアンブル領より北に位置するし、学園は緑も多く環境的に実家より涼しかった。三年も過ごすと、体が順応するようで、アンブル領の夏の暑さがツライ。もちろん、外に出たら、の話しであって、家の中は快適だけど。
ベッドの上でゴロゴロ。
「あー、暇だぁ~」
独り言も増える。
王都にいるときには、侍女のローサ夫人が「少しは休まれてくださいね」と言うくらいには、動いていた。そのローサ夫人は今は休暇中。
私は自分が結構な働き者だと思っていたけれど、どうやら違うらしい。
ポーション作りもやる気がまず起きない。勘も全然働かないし。
お菓子作りも面倒で、母やリタ任せ。自分で作るよりレイバ領産の夏のフルーツがおいしすぎる。
暑すぎて、ぷかぷか浮かんで泳ぎたい気持ちはもちろんあるのだが、海に行くまでが面倒なのだ。
剣術? あー、ムリムリ。体を動かさないと落ち着かないというあの感覚がまるっと消えてる。
面倒と言えば、なんかもう本を持ち上げるのもおっくうになっているような……。
人って一週間で激変できるものなのですね。
ぐぅぅううう
あ、お腹がなった。
「よいしょ」
私はどっこらしょと言わなかった自分を褒めつつ、階下へ行く。手をベッドの縁に置いて立ち上がらないといけない筋力の衰えは怖いから無視することにして。
ちょうどトウモロコシが茹で上がっていた。
祖母に声をかける。
「久しぶりのトウモロコシだねぇ。デザートの生のもいいけれど、あったか――」
「ばばさまーっ! 急患だっ!」
祖母と私は一瞬顔を見合わせて、すぐに店の方へ向かった。
店の方から叫んでいたのは、顔見知りの町の男性。汗びっしょりなのは、ここまで駆けてきたのか。
「いてくれて、良かった! 一緒に来てくれ!」
「誰がどんな症状なのかい?」
「あ、あぁ、町の反対側のほうで、高熱や激しい咳が続くものが多く、流行風邪の恐れがあると言われていただろう? だが、一人症状にリンパが子供のこぶし大にまで腫れて、手が真っ黒になった者が出たんだっ」
「え!? まさか黒死病?」
言葉が口をついていた。
ババさまは私を一瞥し、すぐに男性に聞く。
「薬やポーションは何を使っていた?」
「うちはハーブとかだよ。近くの薬屋に駆け込んだんだけど、手が黒くなった者がいると言ったら、診察を断られちまった。ちきしょうめっ! 鑑定士も同じくだ。お願いだ! 俺の娘も高熱が昨夜から出てるんだっ。助けてくれ! 領主の方へは別の者が行っている。でも、治療できるものが来てくれるか分からない。お願いだ、助けてくれ!」
男性は、必死な形相でババさまにすがりつかんばかりだ。
黒死病とはペストのことだ。
一度感染が広がると人口の半分滅ぶこともあるという恐ろしい感染症。
真っ黒に壊死して死ぬことから黒死病と呼ばれるが、それは腺ペストに罹った者に起こる症状で、肺ペストだけだと、黒くならない。
一割は特に目立った症状がないまま、気付いたら内出血が始まるペスト敗血症になる。肺ペストは咳などで容易に他の人に感染する。
どちらにしろ、黒死病なら即刻治療が必要だけど、薬がな……! ある、あるよ!
「ババさま! ゼータ上級ポーションでたぶん治療が可能ですっ!」
ババさまは頷き、手早く必要なものをカバンに入れていく。ゼータ上級ポーションを一つとり「これをすぐに飲むんだ」と男性に渡す。私も手伝いしながら、祖母に一つ封を開けて渡そうとしたが、後でと止められた。
男性に尋ねる。
「肺炎の症状が出ている人に、ゼータ上級ポーションを飲ませませんでしたか?」
「そこまでは分からない。飲んだやつもいるかもしれないが。これ、俺が飲んでもいいのか?」
「差し上げますから、早く飲んでください。娘さんにも飲ませたほうがいいでしょう」
うんうんと頷きながら、彼も飲んだ。
目の細かい布をマスク替わりに幾つかそろえている間に、裏庭から母もやってきた。
祖母が母に指示を飛ばす。
「すぐに子爵に連絡して、王都からゼータ上級ポーションをアンブル領に送ってもらうように手配しておくれ。少なくとも肺炎には効くだろう。どれくらい黒死病を抑えてくれるかは分からないが、今はゼータポーションを集めるのが先だ。では、行ってくるよ」
それだけ言うと、私たちを置いて出て行ってしまった。
私は聞いたことを母に伝えた。
母はすぐにタブレットで連絡をとる。
父はすぐに王都の薬剤窓口をしているホセたちに連絡して、取り寄せてくれると言う。他にも消毒液なども手配してくれるそうだ。
領主の手配するものと重なっても、ないよりはいいだろう。
「まだ黒死病とはっきり決まったわけではないでしょうけど、ポーションが効くといいわね」
「うん……」
この国ではペストだと分かるとネズミを徹底的に駆除し、感染者を隔離して根絶する。消毒もすることを知っているから、一度ペストだと分かると対処するので人口が半分も減るなどということはないが、それでも死亡率が高い。
一般のポーションも一部壊死などには使えるが、万全ではない。
――ペストに抗生物質の追加効果を試すのは初めてになる。
私たちは男性の娘に感染の疑いがあったことから、店全体を消毒した。
私はゼータポーションがなくなった棚を見て、思考の渦に飲まれる。
もし、他の領地にまですでに拡大していたら?
効力が薄かったら?
それどころか、ポーションが効かなかったら?
ペストというのは、完全な治療薬がない伝染病だから、家族が感染して、逃げ出す者もいる。逆に善意や仕事として病人に近づき命を落とす者も出ていると私は祖母から聞いたし本でも読んだことがある。
ペストは人の命や体の一部を奪うだけでなく、家族の絆や友情といったものも崩壊させる……。
こつん。
母に額を小突かれた。
「な~に難しい顔しているのよ。ダメなときはその時よ。領主たちも対応してるわ。ホセさんからの情報だと王都など他の地域ではペストらしい症状の人はいないのでしょ? 大丈夫。それにねぇ。まだシャインは大人じゃないのよ。それなのに世界の悩みを私が背負ってます、みたいな顔されてもねぇ」
母が苦笑と共に口にする言葉に私は顔を上げ、小突かれた額のじんわりとした痛みをワンテンポ遅れて感じる。
あぁ、下を向いていたのか。
ダラダラしていたつけかな。気分が落ち込み気味だ。
「そういえばトウモロコシが置いてあったわね」
それを聞いて私のお腹はぐぅと悲鳴をあげ、自分がお腹が空いていたことを思い出す。こういう時でも、お腹はすく。
トウモロコシはすっかり冷めてしまっていたから、母がバターで焼いてくれた。 あんなにおいしそうだと思ったトウモロコシにバターのいい香りなのに、いつもより味を感じなかった。
祖母が帰宅したのは、夜も更けてからだった。
「おかえりなさい! どうだった? 黒死病だった? ポーションで完治した? 何人くらいいるの?」
「……まだ起きていたのかい。ふぅ。ただいま。大丈夫だよ」
勢い込んで話す私に、笑って見せて先ずは服を洗濯すると着替える祖母。
何がどう大丈夫なのか、ただの安心させようとする言葉なのか、本当に完治できた大丈夫なのか、早く聞きたくて私は手を前で握りしめて祖母の近くをうろつきながら、待つ。
母も二階から降りてきた。
「夕食まだでしょう? 残り物ですけど、準備しますね」
「じゃ、座って話そうかね」
笑って言う祖母の表情からは疲れが見えているし、大変なときも微笑みを浮かべて私たちに対する祖母だからこそ、笑顔だけど、私の心は安心できていない。
母が火にかけて準備する間に祖母が話し始める。
「黒死病で間違いなかったよ。領主の方からも人を派遣してくれたし、王都を通して各地にも伝令が届いているはずだ」
そこで祖母は一息ついて、水を口に含み、私を見つめる。
「ゼータポーションは効果があるよ。ありがとう、シャイン」
ぶわっと涙がせり上がった。私は目を見開いて流れるのを押しとどめ、聞く。
「命が助かる?」
「あぁ。助かっている。黒くなっている者には十本以上のポーションが必要だったがね」
おまけに黒くなった部分は、全部は元に戻らなかったそうだ。壊死した部分だからか、ポーションでは時間などの制約があるのだろう。
祖母は温められた食事をとりながら、続ける。
「子供で、咳をしているだけの状態でも五本のポーションを飲ませたよ。数は必要だね。上級ポーションが十五倍化されていて、助かったよ」
神経毒に効くエプシロン上級ポーションができたとき、十五倍化しなければと思ったけれど、ペストでは数が必要だった。結果的には良かったのだ。
「持って行った百個だけで間に合った? 感染している人は少なかったの?」
「王都からすぐに届いたからね。感染の疑いがある者たちにまで全員ポーションを飲ませたから、そうだねぇ……ざっと三百、いや四百近くはポーションが出たはずだ」
「そんなに!? 全員お代は払えたの?」
「お金は取ってない。と言っても、くれる分はもらっておいたがね。領主からの分はたぶん領主がどうにかするだろう」
そもそも百も上級ポーションが地方のアンブル領は小さな薬屋にあったのも、普通に考えたらおかしいのだ。祖母と母が作ってみたものがそのまま売れ残っていたおかげとも言える。十五倍化されるのだから、在庫を全て改良していた。
領主が転移魔法も、ポーションを優先で送るように指示を出してくれたそうだ。おまけに、王都からの分は買い取ってくれたとか。
領主も太っ腹だなと思ったら、政治的な意図も働いているらしい。確かに、エプシロン上級ポーションで輸出に成功して、いい風向きの中、アンブル領からペストが広まったとはなりたくないだろう。
素早く対応してくれる領主で良かった。
だが、その素早い対応も空しくペストは国の各地で起こった。
二週間後から二か月後という時間の幅があったのは首を傾げたが、感染症とはそんなものなのかもしれない。潜伏期間もあるだろうから。
各地に伝えられてはいたが、対応が遅かった地域では死者は出なかったものの、体の一部を失ったものは出てしまった。
王宮でも感染者が出たという話が出た時には、さすがに心配したが、すぐに対応できたらしく、王都での犠牲者はゼロだった。
王宮でも感染者が出た後、ゼータ上級ポーションを作った者、すなわち祖母に褒賞が出るとなったが、辞退したので、領主が受け取ったらしい。
そう、祖母は辞退した。
だが、辞退したのにも関わらず、ババさまと家族は命を狙われた――
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