第59話
兄たち上級生の学園舞踏会も終わり、落葉樹が寂しく、寒々とした姿を現す頃。
ウルフのことは学園から忘れ去られて久しいが、その後、動きもない。学園の日常を送っていた。
南の島を領地に持つレイバ伯爵の子息であるランバートから、教室へ向かう途中、朝日差し込む柱廊で声をかけられた。爽やかな笑顔付きで。
「シャイン、放課後二人っきりで話がしたいんだけど、時間いい?」
ランバートは確か次男だったと思うが、領主の息子だし、物腰が柔らかく昔から小さな紳士然としていたからかとても人気がある。
その「ランバートさまに二人っきりで会いたいとピンク頭が呼び出された」という噂は午前中で前等部を駆け回った。
寄宿舎で言ってくれたら良かったのに!
噂を聞いてそう思うけど、今朝寄宿舎で会わなかったし、言われた場所が悪かっただけで、ランバートが悪いわけではない。ただ、もう少しもてるという自覚を持ってはほしいが。
ランバートはお菓子をくれるいい上級生だけど、ランバートからお菓子を貰ったとき、上級生女生徒たちの鋭い視線混じる嫉妬を感じたので、入学してからは特に避けていたんだけどな。
断る理由もなかった私は、待ち合わせにした場所へ放課後一人向かう。
先に待っていてくれたランバートに声をかけた。ただの制服なのに、ランバートだと、ゴシック調の重厚な壁に寄りかかる姿はモデルが撮影中、のような錯覚を覚える。
「ランバートさま、お待たせしました」
「僕も今来たんだよ」
にこやかに微笑むランバートの手には、制服のウエストコートが握られていた。
「それは?」
「ウエストコートだね。ルカ君の、だけどね。間違えて同じサイズだったからかドライクリーニングされたのが僕のところに届いたんだよ」
はぁ。それがどうしたのだろうか。ルカに言うか渡せばすむことだよね。
私の疑問は顔に出ていたのだろう。
「これ、魔法陣が施されているよね? それもこれだけじゃない。体操着にも同じように魔法陣がかけてある」
うぐっ。唾をのみ込む。
私はなるべく平常を装って答えた。
「それをなぜ私に?」
「シャインがしたことだろう? それも、魔法陣ぽいのが描かれてあるが、これは発動しない偽物。なのに、魔法陣は発動する。それも、【打撃緩和】という強い魔法だよね」
そこまで看破されてましたか……。
でも、【攻撃反射】の描かれた上着でなくて良かった。いや、【攻撃反射】の魔法陣は難しいから分からなかった可能性も――ないな。ランバートなら、調べただろう。
私はふぅと息を吐き、ランバートの目を正面から見て言う。
「ルカは私の幼馴染ですから。彼を心配するのは当たり前ですわ」
「僕が知りたいのはね、君が以前言っていた量産のことだよ。もしかして、量産する方法をシャインは知っているんじゃないかって思ってね?」
量産?
そんなの私が知りたい。一つ一つ描かなくていいもの。楽だし。
首を傾げて答える。
「量産? すみません、分かりません」
「そう? まぁ、この魔法陣をどうやって施したかって言うのも関心があるけど、君が以前言っていた『下着に魔法陣をつけて、量産したら安くなるでしょう』って言う言葉を忘れられなくてね」
あっ!
そういえば、初めてランバートに会ったときそんなことを言ったような……。
うわぁぁあああ。思い出した!
なんて馬鹿な私! 思い付きでそんなことをまだ六歳か七歳の小さな子供が口に出したらだめでしょっ。
ん? 小さいからこそ、何でも口に出したってことじゃないの?
「あの、ランバートさま、たぶん幼かったから、誰かの意見をそのまま口に出しただけではないでしょうか?」
「シャインが疑問形で僕に聞かなければそう思っただろうね。君は、最初知らなかったのだよ。騎士たちの服に体温設定の魔法陣がないことを。話をしていくうちに魔法陣を付けたらだめかと尋ね、最後に量産して安くなる方法があればいいですねって言ったんだ」
記憶力、良すぎっ!
どうしよう。ヲシテ文字のことは言えない。誰にも言ってない、言えないことだ。
量産と言ったとき、私は何を思った? どうして関心が行ったのだろう。
「もしもですが、量産できたら、量産したいのですか?」
「それは願ってもないことだろう? 多くの騎士だけでなく、庶民も快適な服を着れるようになるからね」
「魔法陣が発動するには、魔力が必要ですよ?」
「知っている。それでも、君の事だから、ルカだけでなく友達の制服にも施したんだろうと思ってね。制服数着に体操着。それを入学までの短期間で発動させたんだよね?」
確信しているようだし、どちらにしろ魔法陣が描かれていないのに、発動できる状態なのだ。他に話をされて困るのは私。
そして、思い出した。量産に関心を向けた理由。
冒険者や騎士たちが冬寒くなくてもいい服が安く手に入ったらいいなと思った幼い自分の気持ちを。
すぐに、自分にはそこまで多くの人を助けるには至らないと気づいたのだったと思うけど。自分の周りだけでも精一杯だったから。ううん、違う。自分のことだけでいっぱいだったんだよね。自分が学園でぼっちになりたくなくて、友達を巻き込もうとしていただけだから。
量産、できたら素敵だろうけど……。
「時間を下さいますか?」
「了解」
先ほどと同じ笑顔のランバートに、一緒に夕食をと誘われたけど、先約があるからと断った。先約と言う程のものはないのだけど、これ以上墓穴は掘りたくない。
自分のうかつさを思い知るが、時すでに遅し。
三年も前のことを覚えているランバートがすごいのだ。
量産することで、人々の生活が潤うのはいいことだけど、いくら簡単な魔術でよくても、ヲシテ文字のことを知られるわけにはいかないし……
夕食後、布や紙に文字を描きながら、一人部屋で悶々と過ごし、気づいたら机の上で寝ていた。
もう夜中だ。ベッドで寝ようとして、ガンマポーションの小瓶に机の上に書いたヲシテ文字が映るのが目に入った。
「これだ!」
思わず叫び、私は改良に取り掛か――ろうとして、あくびが出たことで眠りなさいの合図と取り、明日に持ち越すことにする。
ベッドに入り、グースカと気持ちよい眠りに落ちた。
朝から開発に取り掛かるものの、その日はパッとせずに終わる。
次の日も。そのまた次の日も。
そんなに簡単じゃないわよねぇ、と思って一週間。
できないのだから、ランバートとも会う必要もなく、噂もすぐに立ち消えた。
「領地の知り合いだったようね。決して告白されたわけではなさそう」
という、「決して」の言葉に「なさそう」という希望的女性心理が滲み出る言葉は噂と共に、忘れ去られた。
ランバートも量産を忘れてくれたらいいのに――三年忘れない方が、三週間も経ってないのに、忘れるわけはないか……。私は机に向かいながら、大きなため息をつく。
リタからも昨夜は「目の下にクマができてるよ。大丈夫?」と言われ、自分がかなりの頑張り屋さんだったことを知った。
偉いね、自分。でも、現実はできてないんだよなぁ……。
紙に文字を描いてそれをポーションにつけたら、ぽんってすぐできるとなぜ思ったのかな。細かく切って入れたらどうかな、とかいろいろ試したけど、全て
私は、ため息をつきながら、指にポーションを付けると、何の気なしに金属版の上で体温調節と描いていた。
――光るポーション。
おりょ? できた? まさかのできちゃった?
私はすぐにそれを一滴、新品の長袖カットソーに垂らす。
すぅとポーションを吸収する。
私は効果を確かめるため、それだけを上に着て、ベランダに出る。
朝早い時間、吐く息がほんのり白い。
「うん! 寒くない!」
ただし、上着部分だけ。出ている部分は寒いわけで「くしゅんっ」とくしゃみが出たから、すぐに部屋に入る。
暖かい。ほっと体が緩む感じがした。
量産できるポーションの出来上がり。
これなら、ヲシテ文字の秘密がばれることなく、このポーションを垂らした水にでも服を入れたら量産化ができるはず。
魔力の入ったポーションとヲシテ文字の組み合わせだからこそ、できたもの。
にんまりと緩む表情筋。
でも、結局、量産への道は冬休みに入ってからとなった。
適量を調べたりとか時間が結構かかった。研究って時間がかかるものなのですね。
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