第52話

 先生がいない中で、不安な表情を隠しきれないクラスの生徒たちを、ルカとリタが先導する。クレトと私が最後尾について、警戒しながら教室へ向かった。


 学園の建物内に入ると安心して気が抜けそうになる。

 安全なはずの学園にウルフが出たことで、持っている【仲良し小好し】スキルのことが頭から消えない。

 隣で歩くクレトに思わずもらす。


「クレト、ウルフって王都には多いの? 学園に出るなんて警備がおかしいのかな。それとも私のせいかな……」

「シャイン、それはない。あのスキルのことを気にしてるなら、俺たちしか知らない。自分のスキルのことは誰にもいうなよ。それでなくても、スキルの話はしないんだ」


 クレトも小声で言いながら、きっぱりと否定してくれる。

 それでも、安全だからこそ、補佐もいない授業だったはずだ。

 もし、私のせいでクラスの子たちが危ない目にあったのだとしたら?

 心がずーぅんと下がっていくような、暗闇に飲まれそうな気分になる。


「シャイン、おまえのせいじゃない。もしかすると俺のせいかも――」

「え?」

「ウルフの様子がおかしかった。誰かが故意に放った可能性もある。死骸を調べたら詳しく分かるだろうが」

「何? 何がおかしかったの?」

「凶暴すぎた。何かおかしい。ウルフは普段人を襲わない。こんな秋の食べ物も豊富な時期に学園にまで姿を現す意味もない。もし、俺が狙いなら――」

「後で」


 私は短く、クレトに言い、話を遮った。

 先生たちが駆けつけてきた。担任から聞いたのだろう。 


「全員無事か?」

「はい」

「ウルフは?」

「そのままにしてあります」

「わかった。ニィナ先生たち女性陣は生徒について教室までお願いします。私たちはウルフのほうへ行ってみます」


 サルバドール先生はウルフのほうへ行くんだ。確か今指示を出したのは副学園長。隣を通り過ぎるとき、きつい香水の香りに顔をそむけてしまった。

 そして最後に鼻に残る薬品の匂い……。香水のラストノートが薬品?

 思わず振り返り、その足早に遠ざかる姿を見据える。


「どうかしたか?」

「あ、うん。ちょっとね、匂いが気になって」 

「あの臭い香水か。かぶり過ぎだな」

「うーん、それもあるけど……たぶんラストノートは動物性だと思ったんだけどそこに別なものを感じたから」

「ラストノート?」

「うん、香水のベース。グラデーション的に本当は香っているんだけど、トップとミドルで隠れて少し経ってから気づく持久力のある香りって言うのかなぁ。すっごくきつく感じたあれがたぶんミドルノートの香りだと思う。そこにラストノートも香っていたんだけど、最後の最後で薬品ぽいのを感じたの。ま、他の人から香っていたのかもしれないんだけどね」

「シャイン、鼻がいいのか?」

「薬師はにおいに敏感であるべきだと祖母が言うの。病気って匂いを放つから。薬草も匂いがあるでしょう? 毒草とそうでないものを見分ける時にも、役立つしね」

「病気が匂いを放つ?」

「うん。糖尿病は甘い匂いがするように、病って細胞の腐敗状態にも似てるから、どこが病かで腐敗臭も違うっていうのかなぁ。味も舌で感じる部分は少ないんだよね。鼻で感じて味わう方が多いし」


 ありゃ? 話がどんどんずれていってるぞ。糖尿病は糖分の匂いだし、ちょっと違うんだが。ま、いいか。



 教室についたので、私たちは後で話をすることにした。

 でも、頭の中ではウルフが普段人を襲わないこと、凶暴過ぎた件、そこに薬品の匂いというキーワードがグルグル渦巻く。

 オオカミは絶対人を襲わないわけじゃない。年に数人は亡くなっている。でも、時期もそうだが、確かに凶暴だった気がする。

 人を殺すのは魔物以外では、蚊、その次が人、そして蛇と続く。紛争をしている国はあるから。第二位が一番衝撃だけど、蚊や寄生虫なんていう小さなものが熊やワニよりもずっと身近であるぶん、危ないらしい。

 ウルフなんて寄生虫よりも被害がすくなかったはずだ。ん? これ前世の記憶も混じっている?

 そして――


 クレト。「俺が狙いなら」って言ってた。

 私がクレトを学園に誘ったのは間違いだったのだろうか。

 彼がどういった経緯でアンブル領に来たのか知らない。まさか誰かに命を狙われるくらい危ない立場だったの?

 私は恐ろしくて、ニィナ先生たちが生徒のケアをしていることも別の世界の動きを見ているような孤独の中にずぶずぶと沈み込みそうになっていた、ようだ。


「シャイン、大丈夫?」

「……ん」

「これ、以前シャインからもらったポーション。飲んで」


 見上げたリタが目の前に出したのはαポーション。首を傾げる私を慮る色を顔に載せて彼女は言う。


「顔色悪いよ。魔力もたくさん使ったでしょう? それにこれ確か追加効果あったよね? 飲んだ方がいいと思う」

「ありがと」


 私は追加効能は免疫向上だけど、材料の百合根には精神作用もあったなと思いながら飲んだ。

 思ったより疲れもあったのかもしれない。それかリタの優しさのお陰だろうか。

 先ほどの変な感覚が消えた……?


「良かった。シャインが背中を丸めているなんて初めて見たから」

「え?」

「上を向いて飲んだからなのかは分からないけど、背筋が伸びたよ」

 微笑んでいるリタの言葉に、ずぶずぶ沈んでいたのは体もだったようだと思う。

「ありがとう~」


 私は椅子から立ち上がりリタに抱きついた。ほぅ。安心するー。

 リタは背中を撫でてくれて、それが祖母たちを思い出させる。


 ニィナ先生がパンパンと手を叩いて注目を集めてから話し出す。


「では、みなさぁ~ん、具合が悪くなったらすぐ医務室へ行ってくださいね~。グラシエラさんも少し血が多く出ただけで、医務室の先生も明日まで様子をみるけど、大丈夫だと言われてたそうですよ~」

「ニィナ先生、グラシエラのウルフに襲われた傷は大丈夫なのですか?」

「奇麗に傷は治ってるそうよ~。誰かいいポーションを持っていたのね。それから、アリシアさんと男子生徒が頑張ってくれたのよね? では、頑張ったみんなの勇気に拍手~~!」


 グラシエラの友人だろう、質問した女生徒はほっと笑顔を浮かべてる。名前が全然出てこない……。早急に覚えなきゃ。

 先生たちはいつの間に通話したんだろう。無事で良かったけど。

 拍手しながら、自由に歩き回る生徒たちをぼぉと見ていた。

 グラシエラと同じ領の生徒たちにお礼を言われて、頬を染めているアリシアと、いつものように男子生徒に囲まれているルカ。

 クレトはそっけないから、一言二言声を掛けられて終わってるけど、でも生徒たちの表情には憧れが見える。

 クレトとルカが平民なのに委員長に選ばれて心配していたけど、杞憂に終わりそうで良かった。

 この八組が平民が一番多いクラスだとニヤリ先生がバカにしたように言っていたし、担任のキンダリー先生が身分を気にしない先生だからこそ、選ばれてしまったのだろうけど、私は心配してしまっていたんだ。

 心配することなんてなかったのに。

 悪い所ばかり、不安なところばかり目が行ってしまうけど、今私の目の前で受け入れられている彼らの姿に目を向けよう、そうつらつらと思っていた。



 スゥーと自動扉が開いて、キンダリー先生が入ってきた。

 生徒の様子を見てホッとした表情をした後、先に先生たちにお礼を言ってる。

 ニィナ先生一人を残し、他の先生たちは教室を出て行った。


「グラシエラさんは意識も戻っていますよ。点滴を受けているから医務室にいますが、元気ですから後でお見舞いに行ってあげてくださいね。それから、今回の事は学園としても初めてのことで、原因が分かり次第、対策をとりますが、普段警備は徹底していますからあまり心配はしないでも大丈夫です。ですが、なるべく一人で行動するのは避けてくださいね」


 がやがやと騒がしい教室にはグラシエラがの無事を喜ぶ生徒たちであふれていた。

 今回のことで、一体化したクラス。少し暖かい気持ちに浸っていた。

 

 だが、原因を調べるために必要なウルフが、副学園長らによって後処理として焼かれてしまっていたことを次の日、私たちは知ることとなるのだった。 

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