03・メッティ・シュガー


 ――また予定が狂った。


 いや、そんな事を言ってる場合じゃない。一瞬、思わず現実逃避しかけた意識を引き戻す。

 俺達が青堂会の研究施設に潜入する用意をしていた所で、事態が動いていた。

 ラドロ・デビスが死んだ。

「は、マジか?」

 警護役の1人で、今は俺達とのパイプになっているコイクチが言わなければ信じなかっただろう。

 実際、俺もイグアナも声が出ない。

「……事実です。青堂会の第3部隊長が面会をしていたらしいのですが」

「あのオバサン何してんだ。え、いや。まさかパブロがやったのか?」

「いえ。――そこにカイド・カゴが現れました。これがその時の監視カメラのデータです」

 今度こそ、俺達は言葉を失った。コイクチから受け取り、モニタに映す。

「おいおい、こいつは……聖女か?」

「……俺以外にも、幹部連中にあてがわれたのが動いてるんだ。カイドが連れててもおかしくはない」

 銃撃の無効化。

 ナイフも通じず、パブロのオバサンが倒れて――溶けた。

 その映像を見て、ムンビが顔を歪ませ、イグアナですら眉をひそめる。

 そして誰もいなくなった後に、悠々とカイドは聖女のクローンを連れてその場を去って行った。

「なんだよ、こいつぁ……おい、アール!? 第4部隊っつーのは、何作ってんだよ!」

 ムンビに胸ぐらを掴まれるが、それを振り払う。

「知るか! 内部監査はこの今溶けたオバサンの仕事だ、俺はエヴォルの相手やらばっかで、内側には殆どいなかったっんだよ!」

「――いや、この毒はもしかしたら元々、ウチで開発していたヤツかもしれない」

 映像を巻き戻し、音声を拾いながらイグアナが口を開く。

「毒、というか生物兵器か。温度に反応して生物を溶かすとかなんとか言ってたかな? 制御も出来ないし、使い処が無いんで、てっきりお蔵入りしたと思ってたんだけどな。この間、オレが喰らった時にアールがひやしただろう? あれもその亜種だ」

「なんでそいつが青堂会にあるんだ」

 ムンビが怪訝な表情を浮かべる。

「……持ってウチに逃げ込んだんだろうな。言ってみりゃ青堂会は全員が全員“元エヴォル支配下”に居たんだ」

 100%エヴォル支配下だった比良坂で立ち上げたレジスタンスだ。相手とのパイプなんて、いくらでもある。

「ただ、オレが聞いた話じゃこんな即効性は無い失敗作だったんだけどな――」

「カイドだか第4だかが完成させた、か……洒落にならんな」

 ただ、もしそれがイグアナの言う通りなら今は置いておこう。

 それ以上に、見逃せない物があった。

「それよりも、お前等が俺を疑わない事に驚いたな――」

 動画を操作し、カイドの側にいた“聖女のクローン”をクローズアップする。

「――こいつのジュツ、俺と同じだろう。だからコイクチ、あんたもココに駆け込んできたんじゃないのか?」

「……その通りです。ですが、この時間。貴方がここにいた事も確認が取れています」

「あぁ、オレ達と準備してたからな。分身でも出来なきゃ、抜け出せねえよ」

 イグアナ達傭兵チーム、ムンビと共に研究所への潜入準備をしていた所だ。

 そして俺の立場は微妙な所で、元より半監視は続いていたおかげもあって、今回は無実を証明出来ていた。

「本当に同じジュツなんでしょうか」

「同じ事は出来るし、温度で反応するような兵器を使ってるなら、やっぱりその辺のジュツを使うんじゃないのか、とは思うけどな」

 とはいえ、そう思わせるだけかもしれない。ただ、少なくともカイドにはそんなジュツは使えない……筈だ。

「となるとキーはこの聖女っぽいヤツか……おい、アール。お前双子だったりしないか?」

「双子どころか、何人姉妹がいるか分かったもんじゃないけどな」

「……すまん」

 そこで謝られるとこっちも困る。

 そんな中、コイクチに新たな連絡が入り、血相を変える。

「――やられました。他のエヴォルの拠点でも同じような事が起きています」

「なんだとっ!?」

「しかも建物内から漏れ出すだけの量が散布されていて……周辺にも、被害が出ています」

 それはつまり、街中でエヴォルの拠点に近づくだけで体が溶ける、という事だ。

「――コイクチ、イグアナ。その兵器のデータは出るか?」

「調べても良いがそういうのって残ってるものか?」

「ハハハ、少なくともオレなら残さねぇな」

 俺もそう思うけれど、一応確認するべきだ。ソレがどれだけ残り、どれだけの拡散性を持つのか。そういった情報がなさ過ぎる。

 そしてムンビが転がったままのロボメッティを視界に入れ、足先で小突く。

「おーい、博士。ちょっとこの辺分かりませんかね? ……博士ー?」

「それ、動くのか?」

「俺の身体検査の時は動くんだけどな。そういえば昨日の夜は起きてこなかったな」

 そこでふと、仮定が繋がってしまった。

「……例の生物兵器、失敗作だって言ってたよな? もしかして、俺の体をこんなにした天才サンが、仕上げたんじゃないだろうな」

 ――ビクン、とロボメッティが動いたように見えた。

 やれ、と指示を出すと、ムンビがキックを入れる。

『あぁああああああ!? いや、違うってぇええええ! いや、いやいや、というか何だ、こんな使い方するなよもおおおお』

「やっぱりお前かメッティ・シュガー……」

『違う、違うの。というかエヴォルで研究してたっていうのも、ウチの残してった研究成果を掘り出しただけだろうしー! いや、こっちで完成はさせたけどサー』

「……で、何の為にこんな物騒なもん作ったんだ」

『何のって、有機物の分解用だってば。まあ、ほら? こんな研究してると、肉とかの処理にも気を使う訳で。一応、平和利用も出来るヨ?』

「思い切り物騒に使われてるんだけどな……というか、こんなエヴォルの超お得意さんの所でダベってて大丈夫なのか?」

 ムンビが冷房を入れようとしたら、逆に温風が吐き出された。

「明らかに細工されてんじゃねえか!? ――うお!?」

 迷い無く、イグアナが椅子を振り上げて空調を壊す。

 俺はため息を吐きながら、手の平に“熱”を集め、部屋の温度を下げていく。

 この辺りにも散布されてる可能性が高い。

「で、どうすればいい。危険性は? 分解薬みたいなのは?」

『た、大気中にしばらく残りマス……基本、死なないんで専用の薬品も必要デス?』

「作れるのか」

『ウチなら?』

 方針は決まった、というかやることは変わらなかった。

「イグアナ、予定通りメッティ・シュガーの確保に行くぞ。ムンビはコイクチ手伝ってやれ、荒事に付いてこられても守れるか分からないからな」

「へいへい、つーか博士にデータなり送って貰ってぱぱーっとエヴォルで作れないかね」

『そうしたいのは山々なんだけど、ちょっとソレが出来ない状況なんだよねー。まま、来て助けてくれるならその時に?』

 どういう状況か分からないけれど、行かなければならない。

「アール、都合が良すぎる気がする。罠じゃないか?」

「現状、俺が生きてこうしてる事そのものがカイドの想定外だ。そうでないなら、その場でどうにかするしかない」

 疑い過ぎて動かないでいると期を逃す。

 今は急いだ方が良い、直感的にそう思っていた。



 ●



 比良坂の下水道は、身もフタも無く言えば適当だった。

 俺達ミュータントにあてがう街なんて適当で良いだろ、という事だろう。

 また、適当に修繕、拡張されている事もあって恐らく正確な地図は誰も持っていない。

 だからこそ、こんな無茶な潜入作戦がまかり通っていた。

「しかし、まさかイグアナを連れて青堂会に潜入する事になるとはな……」

 夜に紛れての侵入は、思った以上に楽に事が運んだ。

「確かに、な。よし、誰もいないな」

 俺が使ったルートは、あくまで青堂会の“ゴミ捨て場”(と呼ぶしかない、一般的には使われない廃棄場)までだ。そこからは、内部を通って研究区画に行くしかない。

 その区画までの道は、以前カイドに案内されたから知っている。

 あれから、まだ2週間も経っていないのに、立場は随分と変わってしまった。

「うちのチームはここで逃走経路の確保で待機。行くのはオレとアールだけでいいんだな」

「ああ、派手にドンパチするのはまた今度だ……そんな事が出来るかどうか分からなくなってきたけどな」

 比良坂ではこの半日で“原因不明の奇病”が発生し、大騒ぎになっていた。

 エヴォルもトップだったラドロ・デビスを始め主だった幹部が皆餌食になっていて、現状組織としての体制も危うくなってきている。

 その絵を描いているのがカイドだとしたら、あいつは一体どんな終わりを望んでいるのか。

「――待て、そっちは人がいる。別のルートは無いのか」

 思考が逸れていた俺の腕をイグアナが掴んで止める。

「……こっちだ。それにしても、死にづらいだけじゃなくて感覚も鋭いのかお前は」

「人間には無い器官があるらしい」

「便利な事で」

 体中、いたる所が鱗に覆われ、半人半トカゲのミュータントが羨ましいのか、といえば別の話ではあるが。

 ただ俺の軽口を気にした風も無く、事前に打ち合わせた地図を参考に先へ進む。

「意外と人が少ないのは、街の騒ぎのせいか?」

 そのイグアナがぽつり、と夜闇の中で小さくつぶやいた。

「だろうな。被害が出てるのはエヴォル周辺とはいえ、他に出て無い訳じゃない」

 逆に、青堂会への被害が無い以上は誰がやらかしたかはもう言うまでもない。

「……オレはな、アール。いや、ヨウ・ルツギ。青堂会も聖女も良く分からなかったが、お前の事だけはそれなりに分かっているつもりだった」

「うん、何だよ?」

「聞け。オレはこんな体だ。傭兵はそれを生かせる仕事だったし、エヴォルの思想とか、金の出所とかはどうでもよかった」

「だろうな。知ってた」

「ああ。お前はオレ達とは違った。思想とか、守る為とか、そんな理由で戦ってた。正直、全く理解は出来なかった」

「だろうな。俺もきっと、あの日、あの路地裏でミナと出会って無かったら間違い無くイグアナの側にいただろうさ」

「……そうか」

「ああ。俺の理想とかは全部ミナの受け売りで、借り物だよ。押しつけられたもんでもあるし、今更下ろせなくなってたんだ」

 最初は、違ったかもしれない。いや、俺の中にもガキが死ぬのが嫌だなんて気持ちもあった。けれども、いつかあやふやになってしまっていた。

「今は違うのか?」

「……違う、だろうな。今までは、ミナが死んでからもずっと、ミナだったらどうするか、あいつが守りたかった物はなんなのかって考えてた。はは、馬鹿らしいと思うか?」

「いや。ルツギ、お前は命をかけてた。実際オレはお前を殺そうとしたし、お前の部下も何人も殺した」

 そうだ。俺もイグアナを殺そうとしたし、こいつの仲間を何人も灰や消し炭にしてきた。

「命をかけてくる相手を甘く見れば、自分が死ぬ」

 路地裏で転がってた俺達がこれまで生き残るには、そうするしかない。

「なあイグアナ、お前は何の為に戦ってた」

「生きる為だ」

 闘争の場に立って、生きたいというのはおかしな話に聞こえる。けれども、ミュータントが満足に生きられる場所というのはこの比良坂でも多くは無い。

 そして、こいつが命を賭けて生きようとしていたのは、俺だって笑うつもりは無かった。

「おかしな話だ。ずっと親友だったカイドより、今はお前の方が信じられるなんてな……」

「そうか? オレはそうでもないな」

「俺は青堂会の裏切り者で、部下殺しだぞ」

「そうしなければならない理由があったんだろう」

「……どうしてそこまで言える」

「好きで戦って無いのに、これまで生きてきた奴のやる事だ、理由があるだろうさ」

 ――妙な話だと思った。

 俺達はそれこそ何年も敵味方に分かれて殺し合ってきた。そこで友情とか共感とか、感じたことも無いし手加減をした事も無い。

 隙あらば殺す。殺されてきた仲間の為に殺す。恨みつらみもある。

 そう思ってきたのに、こいつに今殺される気はしなかった。

「俺も、カイドと同じだ。ミナが死んで、カイドに殺されて、もう狂ってるのかもしれない。それでもか?」

「だとしても、お前はもっと簡単な話を忘れてる。オレは、お前に命を助けられた。借りは返す――」

 話は、そこで一度途切れた。

 イグアナに対して、友情は無い。今までずっと敵で、そうじゃなくなったから仲良く酒を飲み交わすなんて気持ちも無い。

 ただ、自分でも恐ろしい程に恨みは無かった。一度死んだ時に落っことしてきたのかと思う程だった。

「まさかお前に背中を預ける事になるなんてな……妙な話だ」

「こっちだってヨウ・ルツギが聖女の声と姿をしてる時点で十分に気持ち悪い」

 あまり表情を動かさないイグアナが、暗い中でもげんなりした顔をしたのが分かってしまった。



 ●



 たどり着いた研究所は、信じられないレベルで警備が薄かった。

「……罠か?」

「俺もそう思ってた所だ」

 俺達は、最前線で殴り合うのが仕事――ではあるのだけど、流石に両方ともリーダーをやってただけあって、それなりに何処でどういう事をしてるかは分かっている。

 その2人分の判断でもって、研究所の“警備はほぼ無い”としか思えなかった。その後に何もないとは思ってはいない。

「機密施設だから、怪しまれないように警備をしてないのか?」

「いや、俺が前に来た時は警備はあった」

 あからさまではなく、あくまで青堂会の施設としては一般レベルではあったが。

 青堂会本部の敷地内、という時点でおいそれと部外者は入れないのだ。

 実際、ここに来るまでも他の場所は“それなり”に警備が残っていた。

 普段と様子が違うのは、やはり例の“奇病”で人が割かれてるだろう。

「待っていても仕方ないだろう、行こう」

「そうだな」


 ――警備が居ない理由は、簡単だった。

「……そういう事か」

 俺がカイドに殺された場所まで入り込むと、そこで1つの死体を見つけた。

 メッティ・シュガーの物だった。

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