04・市街地に上がる火



 ――向かい、通されたのはエヴォルの直営とも言える高級レストランだった。

 “外の天然物が食べられる”という店だ。金はあっても立場もあって来た事は無かったが。

 そして食事に招かれた訳ではなく、ラドロ・デビスの食事の時間に割り込んだ、そういう体になっていた。

「お時間頂き、感謝しますよ」

 個室に通された俺達の席も無い。警護に囲まれひりつくような空気の中、しかしデビスは俺達を油断の無い目で見ていた。

「青堂会のルツギ第2隊長の代理人という事だが、ここではもうフードで顔を隠す必要は無いのではないかね?」

「ああ、そうだな――」

 ここまで顔を隠していたのは、自衛だと思ってくれたらしい。

 そしてここでフードを取るのは計画通りでもあった。

 ばさり、とめくり“今の素顔”を晒すと流石にどよめきが走る。

「名乗らせて貰おう、俺の名前はアール。ヨウ・ルツギにあてがわれた“聖女ミナのクローン”だ」

 警護達もプロだった。けれども、動揺は隠せず、デビスですら体の動きを止めていた。

 俺が何を話すかを、渡りを付けるだけという約束のムンビには話していない。余計な危険を増やす可能性があったからだ。

「青堂会では、聖女ミナのクローンを作り“再誕”させる計画が進行している。ルツギ隊長はそれに賛同せず、独自に行動を開始した。これはその一環だ」

 ちらり、とデビスがムンビに視線をやる。

「このお嬢さんが単なる整形や、カタリでない方が助かるんだがね。どうかな?」

「残念ですがミスター、完璧ではありませんがウラを取りました。クローンを作る人材、設備が必要分はあり、そして活動を起こしたルツギ隊長は既に青堂会の人間と敵対を開始しています」

 それを聞き、デビスは椅子に深く腰を下ろすと部下が葉巻を咥えさせ火を付けた。

「アール、きみは一体どんな話を持ってきたのかね」

「協力を。ルツギ隊長は現在の青堂会トップ、カイド・カゴと袂を分かち、彼の命を狙っています」

「……ふむ?」

 それが1番信じられない、という様子を見せる。

 カイド・カゴとヨウ・ルツギ。聖女ミナの右腕と左腕。青堂会結成前からミナと共にいた俺達が殺し合うのは現実味が無いだろうさ。

「……うちのボス、ルツギ隊長は聖女ミナの死を受け入れられずに“俺”のような存在を作ったカゴを許せないのだ、と」

「あー、良いですか? オレも青堂会が出来る頃、あいつら3人とつるんでたクチなんですがね。ミナ絡みならありうる話ですよ」

「ふむ。ま、それはひとまず置いておこうか。それで協力したい、とは言うが――」

「――カイド・カゴの命だけではなく青堂会を潰したい」

 流石に周りの表情が一気に変わる。

「やれやれ、聖女ミナの顔と声で言われると、流石にゾッとするな」

「それだけ、本気だと思って貰えれば」

「それは、キミ個人の意見かな? それとも――」

「ヨウ・ルツギの意思であり、俺個人としても同じ考えだ。――こんな産まれ方をしたくは無かったさ」

 産まれ方、生き方。どちらにしろ、今の状態は本意じゃない。

「分かった、話だけは聞いてやろう。好きに話せ」

「どうも。まずはその為に、第2部隊の情報を流す。別に今すぐどうの、という訳じゃなくまずは協力者としての関係を持ちたい」

「その情報の内容次第だな。何せ第2部隊は我々と長い間争いすぎた。コレも罠だと思う連中の方が多かろう」

「だろうな。だから、ムンビにも言って無いとっておきを用意した。あんた達が間違い無く欲しがる内容だ」

 誰から見ても俺が裏切り者である以上、それでも良いと思わせるだけの手土産が必要だ。

「第2部隊とやりあってたそっちの覚醒者、イグアナの殺害計画がある。十中八九成功するだろう奴がな」

「イグアナをそう簡単に殺せるとでも?」

「何なら試してみるか?」

 イグアナは強い。アデプトには少なく、けれどミュータントには多い生命力に優れたタイプの覚醒者だ。実際殺すのはかなり骨だ。

 けれども、それはタフだというだけで殺せないような覚醒が起きてる訳じゃない。

「それが手土産か」

「こっちとしても、青堂会を潰すのにイグアナ達の部隊が無くなると手が足り無いんでね」

「あの程度のミュータント、失った所で大した事は無い。換えはいくらでもいる――と言ったら?」

「だったら今までの損害の説明がつかない。北西地区輸入経路、中央区格納庫、あるいはそっちのスカウト屋の殺害。その辺の時にでも投入してしかるべきだった筈だ」

 どれもこれも、第2部隊がエヴォルに大きな損害を与えた件だ。イグアナと同レベル、いや少し劣る程度でも手があればある程度は軽減出来た案件を並べる。

「どうやら、第2部隊絡みというのも嘘ではないようだな。分かった、ならこちらからも条件を出そう――その殺害計画を、お前たちが止めろ」

「ミスター、そりゃどういう」

「簡単な事だ。まず、その計画そのものは止めずに走らせて良い。そしてイグアナが襲撃された段階で止めて見せろ」

 まず、襲撃そのものが発生しなければ単なるブラフだと思われるだけだ。

 それは実際に起きるだろうけれど、元々俺の手を離れているから止められない、つまり問題無い。

 ただ、俺達で止めろ、というのは。

「青堂会の人間と実際に戦って見せろ、って事でいいのか」

「その通りだ。そういった現場を見せでもしない限り、上はともかく実働隊は間違い無く受け入れない。それでは、意味がなかろう?」

「分かった」

「おい、アール!?」

「戦闘力の無い一般区画を相手取る訳じゃない、それに今じゃ第2部隊もとっくにカイド達の指揮下に入ってる」

 隊長不在、あるいは死亡した場合、その舞台の指揮権は一時的に上の番号にうつる。

 第2の上はカイドの第1しかないのだから、そうなっているだろう。

「どうしたっていつかはぶつかる。ミスターデビス、その条件を飲もう」

「ふふふ、そうか。なら、せいぜい上手く行くように期待しよう」



 ●



 ――一応の形として、出会い頭に殺されないように俺とムンビが協力者だと連絡はしてくれる流れになった。

 そこまで取り付け、俺達は歩きで帰っている所だ。

「んで、アールよぅ。第2部隊の襲撃ってのはいつ頃なんだ?」

「明日」

 飲んでいた大豆コーヒーを勢いよくふきだすムンビ。

「おま……!? ギリギリじゃねえか!」

「とはいえ、俺が抜けてどう軌道修正したか分からないけどな。ま、準備が最短で終わるのが明日だって話だ」

「……そういう事かよ」

「ギリギリ間に合ったな。実際、個人としてはイグアナはこの街でも色んな意味でトップクラスの人材だ、出来れば失いたく無い」

「そのトップクラスと長い間やりあってたルツギ隊長は今はこんな可愛らしいお嬢さんだしな。んで、どうすんだよ」

「そりゃ、襲撃が始まった所を横殴りしかないだろ?」

「事前に潰したらカタリだと思われる、か。それまで放置されるイグアナ共もかわいそうだね」

「そうだな、間に合わなければ死ぬしな」

 さっきのレストランで本当に何も飲み食い出来なかったのもあって、2人して歩き食いをしていた。

 ホットドッグが妙に美味いのは、この体の年齢に引きずられてるのか、オッサンになった時の味覚が死んでたのか。

「あのトカゲ野郎が死ぬとか言われてもピンとこねえな。昔、体が上下に泣き別れしても生きてたとか、そんなひでぇ噂まで聞いたぜ」

「ああ、あの時は流石に殺したと思ったんだが」

「……やったのお前かよ。つか、どうやってそんなん殺すんだ」

「凍死、が理想的だったんだけどな」

 その辺はトカゲ型のミュータントだけあって、弱いのは分かっている。

「……お前さんの“絶対零度”じゃダメなのか?」

「生き物の熱は奪えねえんだよ」

 俺のジュツとしての制限なんだろう。どれだけ周りを凍り付かせても、生き物から直接熱は奪えない。少なくとも、凍結で誰かを仕留められた事は無い。

「そこまでお前抜きでどうすんだよ」

「プランは1個じゃないからな。ついでに言うとその絶対零度が抜けたんだ。早めに対処しなきゃイグアナに好き勝手されんぞって慌てるだろ」

「自己評価もアイツに対しての評価もたけえな」

「他の部隊は単なるチンピラ一人くらいにしか思って無い節はあるけどな」

「そりゃお前が封殺してきたからな――で、横殴りするにしてもどうすんだ」

「シンドから決行日抜いて、当日合流するって言っとけ。それまでは待機だ」

「あの嬢ちゃんもかわいそうになあ。まあ、おかげであの工場テロのウラも取れたんだが」

 伊達に地獄の最前線で副隊長を務めてた訳じゃない。シンドの情報収集能力が無ければ今頃死んでただろう。

「あいつは、まあ。出来れば見逃してやりたいトコだけどな」

 気弱で慎重な所があり、それに見合った知覚力を覚醒させていた。

 ミカ、というか一緒に居た俺に助けられたクチで、青堂会の中でもアイツ自身が腐ってるとは思いたくなかった。

「……あ、そうだムンビ。この背だとバイク乗れないんだよ」

「……ミカは別にでかい女って訳じゃないからなあ」

 15歳くらい、との事だけど、日本人の中でも大きい方じゃなかった。そのあと20歳過ぎた位まで伸び続けて、それなりにはなったんだけど、今の俺は成長も止まってるらしい。

「どうすんだよ。割とマジに面倒な問題じゃねえか」

「……車、出してくんないか?」

 あんまり早くうろついてると横殴り出来ないし。

「しゃーねえ、それと別にちっせえバイクでも今度探すか」

 出来ればそれで馬力があるといいんだけど、そう都合良いのはなさそうだった。



 ●



「――見張りか」

 その夜、事務所にエヴォルから人間がやってきた。

 さっき、レストランで警護についていた人間だ。いかにもなスーツ姿の男で“コイクチ”と名乗った。

「そう思っていただいても。他、便宜も図るように仰せつかっています」

「あーじゃあ、こいつの体格で使えるタフなバイクとか用意してくれるか?」

 間髪入れず、仕事をぶんなげるムンビ。この辺の遠慮の無さは凄い。

「探しておきましょう。他には?」

 そこで俺も探していた物があったのを思い出した。

「それなら、ドワーディン工房に行きたい。青堂会を抜けたからな、ルツギ隊長のジュツで使える武器が欲しい」

「ルツギ隊長といえば魔法剣はどうしたんですか」

「無くした。向こうも警戒してたからな」

 専用に開発された“魔法剣”があれば1番良いけれど、無いならそれ以前に使っていた物を調達するだけだ。

 ただちに連絡を取るコイクチ。この街で無線の連絡機を持てるだけでも珍しい。

「ところでよぅ、アール。本当にエヴォルを巻き込む必要はあったのか?」

「それを見張りだと言った私がいる前で話します?」

 多少困ったような顔をするコイクチ。どこまで演技なのか、それとも素なのか分かりづらい。

「いる前だからだよ。晒せる腹の内はさらしといた方が面倒がすくねえ。裏切る、裏切らないなんて時は尚更だ」

 しれっと言うムンビだけど、きっと納得出来てないからここで俺に確認してきている。

 なまじ、エヴォルの人間がいる分、適当な事は言えない。

「ムンビ、思ってる事を言ってくれ」

「例えば、ヨウが青堂会の幹部共を暗殺して来るとか、そういう終わらせ方は出来ないのか、と」

「十中八九途中で死ぬな。そもそもサシじゃカイドに勝て無い」

「――そうなのですか? 青堂会第2部隊のヨウ・ルツギと言えば最強と名高いですが」

「エヴォル相手に立ち回りが多かったってだけだ。実際のジュツの相性とか考えればまず無理だな。それに、仮にそれを成功させても青堂会の上を軒並み殺す訳だろ? その後、どのみちエヴォルには食い物にされるさ。だったら最初からそういう予定にしておけば余計な混乱も被害も減る――違うか?」

「つまり“戦後”を見据えてエヴォルと手を組んだ訳だな」

「ああ。一般人の被害も少ない方が良いからな」

「――今まで、第2部隊にいた人間がそう言うのだから驚きです」

「俺は生まれたてだけどな。ただ、こっちでの交渉に関してはルツギに全権を預けられてる、そこは信じてくれて良い」

「そのルツギ隊長はどうしているんですか?」

「カイドに狙われてるからな、潜伏中だ。まあ、その分は俺が働いてみせるよ」

 ただの小娘ならともかく“聖女のクローン”だからこそ無能だとは思われてなかった。

「それに、どうせ青堂会を潰すなら確実な方が良いだろ」

「まー、これで内輪もめでぐずぐずになるよりは、一気の方がっつーのも分からなくは無いけどよぅ――」

 ムンビがそう難色を示した時だった。ムンビとコイクチの携帯通信機が同時に鳴り響く。

「おい、兄ちゃん」

「ウチの拠点が青堂会に襲撃を受けています。……ええ、イグアナがいる所ですよ」

 外は日が暮れ始めている。どうやら半日、行動を早めたようだった。

 俺達3人は即座に、その拠点に向かうのだった。



 ●



 ――エヴォルの戦闘部隊は、内部に抱えた直下組織ばかりではない。

 イグアナ達は実の所は傭兵で、金で雇われるプロの荒事屋だ。

 拠点はいくつかあるが、その1つ。青堂会の支配圏に比較的近い所にいるタイミングで狙われていた。

「……狙いはオレ、か?」

 拠点を外から襲われ火の手が上がる。炎と煙に包まれた中、イグアナは仲間と離ればなれになっていた。

 拠点にいる所を襲撃されたのは初めてじゃない。しかし人手が少なく、狙って孤立させられたのはあきらかだった。

 それも、今までに無かった訳じゃない。

 元々、ストリート上がり――つまり街のゴロツキとして縄張り争いをしていた頃から、慣れた物だった。

 だが、しかし。

 まさか、曲がりなりにも聖女ミナが立ち上げ、弱者救済をうたう青堂会が――。

「……まさか」

 建物を爆破するような真似を仕掛けてくるとは、思ってもいなかった。


 轟音、火炎と熱、衝撃と共に崩れる雑居ビル。

 被害はビル1棟に留まらず、近隣の建物にまで衝撃が広がり、火の手が伸びていく。

 強引に爆破したせいか、その崩れ方に規則性は無く、土塊が割れるように、崩れ落ちていく。

 中には、当然イグアナだけではなく他の仲間も居た。そして近隣のビルは、傭兵とは関係の無い。偶然、エヴォル側の支配圏にいた、一般市民が暮らしていた。

 だがしかし、崩れるビルは爆破の余波だけではなく、火事まで広げて行く。

「クソが……」

 崩れる瓦礫の中から、イグアナが立ち上がる。

 倒壊した時に鉄筋が刺さり、骨も折れているが、それでもかまわず這い出てきた。

 周囲の警報と炎、流れる血に――戦闘衝動が高まる。

 この程度で止まるイグアナなら、ヨウに既に殺されていただろう。

 問題は誰がどうやって襲撃したのか。そしてこの後は――。

 次の瞬間、足が弾けた。

 離れたビルからの、遠距離狙撃。銃器が貴重なこの街で、さらにこの精度の銃を持ち込むのは珍しかった。

「……本気か」

 片足に穴が空いていた。倒れそうになるが、元よりの筋力で踏みとどまる。

 次弾が来たが、炎と煙で照準を狂わせたのか当たらない。

 しかしじり貧である事には代わり無い。大きめの瓦礫の裏に身を隠し、回復を待つ。ライフル弾程度なら、走れるようになるまでは大した時間じゃない。

 そうしている間にイグアナの傷がふさがってきた――。

「――撃て」

 声と共に、ポシュポシュと軽い空気が押し出される音と共にイグアナの周囲に子供の握り拳程度の何か――濃縮ガス弾がばらまかれる。

 火事の炎と煙に紛れ、イグアナがそれに気付いた時には既に体に不調が出た時だった。

「……くっ。毒、か?」

 目眩、そして真っ直ぐに立てずに勢い余って瓦礫に倒れ込んでしまう。

「……ふざ。けるな、ここは市街地だぞ。そこで、まさか毒ガスか」

 その通り、毒ガスだった。それを制御できるような、例えば毒物や気流操作のジュツを持つアデプトもおらず、撒き散らされるソレは被害を広げていく。

 狙ったイグアナにあわせた毒は神経を麻痺させる物だが、下手をすれば死ぬような物だった。

 体の自由の無くなったイグアナの周囲に、宇宙服めいた防毒アーマーを着た者達が現れる。

 そしてその中の1人が持っていた一抱えもある大型のボウガンから金属製の矢が打ち出され、イグアナはコンクリートの残骸に縫い付けられる。

「があっ!!」

 一発では終わらない。風斬り音と共に打ち出される太矢は、イグアナの鱗肌を貫き、子供の落書きの“髪の毛”のようなオブジェを作り上げていく。

 それは何も拷問が目的ではない。強靱な再生力を持つイグアナの動きを止めるには、その体に“異物”を差し込んでおく、という対処の為だ。

 出血、さらに太矢で体を縫い止められ、周囲は毒ガスが満ちている。

 街、あるいは覚醒者の中でもトップクラスの生命力を持つ男であっても、無敵ではなく、抵抗する力が失われていく。

 指揮をとっていた一回り大柄な防毒アーマーの男が、後ろの仲間から、身長よりも長い大型の槍を受け取る。

 慣れた手つきで馬上槍のようなソレをイグアナに向けて構える。

 遮光されたマスクの向こうで、一体どんな表情をしているのか読み取れない――。

「確かに第4部隊が作った神経ガスをイグアナに使用するプランもあった。けれども、市街地で実行許可を出したのは誰だ」

 不意に、声が響く。

 辺りは火事の煙以上に、イグアナ相手に散布した麻痺ガスが充満しているというのに、声はマスク越しでも機械越しでもなかった。

 瓦礫を踏みしめる、スニーカーの足音。

 そして青堂会としてもごく限られた人間しか知らない筈の言葉に、その場にいた人間達はうろたえる。

 振り返りそこにいたのは、真新しい、だぼっとしたパーカー姿の少女だった。

『聖女ミナ……!!??』

「まがい物だがな――」

 注意が逸れたその瞬間。

「GULALAAAAAAAAA!!」

 獣じみた、いや怪物じみた声を上げイグアナが飛びかかった。

 近くにいたのは大型ボウガンを持っていた男だ。

 矢の刺さった部分の肉を引きちぎりながら飛びついたイグアナに押し倒され、そのまま首と腕が本来回らない角度まで推し曲げられる。

 脱力し、糸の切れた人形のように動かない男の上から離れると、次の標的に飛びかかる。

 太矢、毒ガスが通用せず手持ちの武器では暴れ回るイグアナを止められない。

『馬鹿な……!? 致死量でもおかしくないんだぞ!』

「ああ、その声。槍見て思ったけどやっぱりお前、ヤマトメか。馬鹿な事しやがって」

 すでに正気を失った、いや元よりどこまで正気だったのか。イグアナは防毒スーツの男達を、素手のままでねじり、殴り、殺して行く。しかしその悲鳴もマスクの内側でくぐもって響かない。

 しかしリーダーであるヤマトメ――元第2部隊副隊長は、救助に行けない。

 自分の目の前に現れた聖女ミナの見た目をした少女から、意識を反らせない。

 火事が起き、爆発炎上すらしている場所にいるというのに、背筋が凍り付くようだった。

 いや、ちがう。今この一帯は“実際に、温度が急激下がっていた”。そんな事が出来るアデプトの心当たりは一人しかいない。

『隊長……!?』

 “絶対零度”ヨウ・ルツギ。

 しかし、彼は死んだ筈では。そして、そのヨウのような口調で話すこの少女は何だ!?

「第4部隊も中途半端なもん作ったって言ってたよなあ。実際、高温環境下じゃないと使えないガスとか、どういう事だって。まあ、おかげで被害が広がる前にこうして停止させられた訳だが。いや、試作品だったか?」

 目の前の少女は、しゃべりながらチャクラの呼吸を練っている。それは本物の“アデプト”の為せる技だった。

 ヨウのジュツにより、周囲の気温は下がり続け、ガスの活動は弱まっていた。

 その呼吸、それをヤマトメは何年も見ていた。

『……どういう事ですか……なんで、隊長が聖女のクローンになってるんですか!?』

「――ヤマトメお前、聖女にクローンがいる事を知ってたな?」

 ヨウ=アールの視線が鋭くなる。それにあわせ、周囲の気温の冷え込みが強くなる。

『だ、第4部隊の隊長が、連れている所……つい、この間……見た、事があって……』

「で、俺が居なくなった後にこうして使われてる訳か。堕ちたな、ヤマトメ」

 背後、大暴れを続けていたイグアナがついにヤマトメ以外の防毒スーツを全員片付け、しかし本人も限界が来たのか膝から崩れる。

 だがしかし、意識は残っていた。倒れたまま、這ってでも殺しに来そうな殺気が溢れていた。

 一方、アールの手の平には小さな火花が飛んでいた。

 大気中のゴミ、あるいは噴煙のカスが触れる度に瞬いて消える様子は、失敗した線香花火のようでもある。

『だって、仕方なかったんだ!! 隊長は死んだって言うし! 自分らは、結果を出さなければならなくて――』

 震える手で槍を握り直す。

 アールの手の平にある、テニスボールサイズの“ソレ”の正体をヤマトメは知っている。

 そして自分に向けられる殺気に気付ける程には、鉄火場をくぐってきていた。

『何故ですか! 何故――』

「……答えてやれれば良かったんだけどな」

 殺される。

 ヤマトメは、第2部隊の副隊長として十分な実力を持っていた。

 何年もエヴォルとの戦闘の先端に立ち続け、生き延びてきた。

 疑問と感情が納得しなくても、生きる為に戦える。

 今も、体は動き槍を握り、チャクラを巡らせ、自身のジュツである肉体硬化を行う。

 動きを全く鈍らせずに、銃弾程度なら弾くそのジュツは、鍛え上げられた肉体も合わさり対人戦においては極めて有効だった。

 実際、ジュツ無しで殴り合えばヨウにも圧勝出来る程の戦闘力を持つ。

 だがしかし、ヨウがカイドに勝てないと言ったように。

 ここにも、ジュツによる相性の差があった。

『はぁぁああああああ……っ!』

 裂帛の気合いと共に繰り出される大型槍。しかし、ヤマトメも分かっていた。

 これが、この少女の体に届く事は無い。

 アールが、手をかざし一振りすると大型槍はまるで炙られたプラスチックのよう曲がり、柄から崩れ形を保てなくなっていく。

 その瞬間、ヤマトメは文字通り“血も凍る”感覚に襲われていた。

 錯覚や、殺意の延長ではない。周囲一帯の記憶が急激に下がり、凍り付いた塵が炎の光に照らされ煌めいていく。

 一振りした手の動きに合わせて身を回し、手の平をヤマトメの体に押しつける。

「じゃあな」

 次の瞬間。

 ヤマトメ“だったもの”は声もなく、炭化――を通りこし、灰となって崩れ落ちた。

 中身が灰になった防毒スーツが、そのまま倒れる。

 それは正しい表現ではない。ヨウのジュツは“熱制御”だ。

 自身の体を通せる範囲で、周囲の熱を“集め”“放出”するジュツ。

 意識を持ってチャクラを練る間はそのジュツの及ぶ範囲もある程度は制御出来るので、こうしてイメージしやすい手の平に集める事が多かった。

 それだけ周囲の熱量を一点集中する事で、逆に周囲が氷点下を下回る事も多く、氷、冷気に覆われる事が多かった為に“絶対零度”の名が広まっていった。

「何故、っつったな。それは俺が聞きたいよ、ヤマトメ」

 火事、爆破事故の現場の中心でありながら、周囲には霜が降りていた。

「……おい、絶対零度。何の、冗談だ」

 転がったまま、意識があったイグアナが、ジュツの解放から呼吸を整えるアールに問いかける。

「貴様の、部下なんだろう……」

「ああ、そうだ……そうだったんだけどな」

 残心の後、制御の限界で焼け焦げた手の平を眺め、アールはそうつぶやいた。

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