03・そして彼女は立ち上がる

 立てた作戦は単純だった。

 今まで相手が誘拐を行ったシチュエーションに似た状況を待つ。

 そして、アーシェンが事件を探っている事は隠さず“お嬢様捜し”をさせ続ける。

 それを俺とカイドが密かにバックアップ。

「ついでに、私達はアーシェンと仲違いさせた事にしておきましょう」

 単独で動いてるように見せかけて、餌を泳がせ、相手がかかったら、後はゴーだ。


 で。

「ヨウ、動きました」

 こっちで状況を作るんじゃ怪しまれる。自然に状況と合致した時、カイドが俺にそう伝えてきた。

 ジュツの都合で、カイドは俺よりも何倍も感覚が鋭い。普段は負担がかかるから常時使っていないけれど、使えば人の気配や音を逃す事はまず無い。

「車の音もします。バイクを出して下さい、最悪アーシェンの発信器は潰されますからね、しくじらないように」

「あいよ。お前は? 後ろ乗ってくか?」

「後から追いますから、ヨウの発信器は潰されないようにして下さいよ」

 まだ、遠くを歩くアーシェンが何かされるようには見えないけれど、カイドの言う通りにバイクに火をいれる。

 動きは直ぐに出た、言われるのが遅かったら間に合わなかった。

 いきなりぐらり、と体勢を崩すアーシェン。血はしぶいていないけれども、麻酔銃か何かを使われた動きだ。

 そして、そこいらにいる格好をした男が物陰から現れ、崩れた体を抱えると慣れた動きで連れ去っていく。

 その向こうでは車のエンジン音が聞こえてくる。乗せて連れ去るつもりだろう。

 この辺の道は頭に入ってる、車を走らせられる道、場所に見当を付けて俺は何も言わずバイクを発進させた。

 ミラーを見れば、カイドも別の方に走り出していた。

 ――アーシェンをさらう時の妙になれた動きは、素人には見えなかった。慣れた手合いか、それとも元々プロフェッショナルか。

「俺に皆殺し、出来るかね」

 そんな事を思いながら、追跡を始めた。


 ――ヨウがミナを乗せた車を追い始めた頃。

 カイドは、一人の男を捕らえていた。

「――大きな声を出しても良いですよ、どうせ助けは来ません。ええ、そういう状況で動いたのはあなた方ですからね」

 路地裏のさらに物陰。どんな場所でも人通りの無くなる時間はあるし、あるいは何が起きても“自分から関わらない”人間達しかいない状況、場所というのはある。

 彼らが誘拐に選んだシチュエーションはそうだったし、それが今、自身の首を絞めていた。

「てめえ……何処の手の奴だ」

「自分から話す訳が無いでしょう、立場を考えなさいよ」

 男は完全に気を抜いていた、というより車を追ったバイクに気を取られていた。そこをカイドに不意打ちされ、意識を失わされた結果、今は縛り上げられ転がされていた。

「聞きたい事を聞くのはこちらです。対価は貴方の命、都合良く話してくれたら、助かるかもしれませんし、面倒になったら殺します」

 手にナイフを持ったまま、気楽に告げる。お前の命はその程度の価値しか無いぞ、と教えるのだ。実際、演技ではなくカイドにとってはその程度だ。

「ああ、雇われでなくて死ななきゃならないなら言って下さい。楽に殺してあげますから」

 ナイフで深く傷を付ける。流れて行く出血量は、それがタイムリミットだった。



 ●



 ミナを乗せた車は、誰も住んでいない廃屋――という事になっている建物に乗り込んだ。

 地下駐車場に入り、外の目から隠された状態で運び込まれたそこは、あの風俗宿の下働きが逃げ出した場所に違いなかった。

 しかし、気を失い運ばれたミナにそれを確認する事は出来ず、奥の部屋に運ばれ、転がされていた。

 そして、どれだけ一人で放置されたか、真っ暗な中では時間感覚も狂う中、近くで誰かの気配がして目を覚ました。

「――お姉ちゃん、大丈夫?」

 そして一人の少女が転がるミナを覗き込み、声をかけた。

「……う、ん……?」

 ベッドのような所に転がされたミナが目をあけると、その少女と“片目”があった。

 もう片方の目は包帯で被われ、見えない。

「……ここは」

 体を起こさないまま、視線で周囲を見る。

 ろくに明かりも無い薄暗い室内は、奇妙な物陰が多かった。

 その一つ一つは形がはっきりしており、無秩序ではなく並んでいる様子は廃屋らしくは無い。

 そして何より、ミナには慣れた“薬”の臭いが染みついていた。

「ここはね、目の泥棒が住んでる所なの」

 そう言って少女は前髪をかきあげ、包帯に被われた方の目(のある場所)をミナに見せる。

「……泥棒、ね」

「ええ。欲しい目があると、ここに連れてきてくりぬいちゃう、とっても怖い人」

「くりぬいてどうするのよ。まさか飾っておくの?」

「ううん、そうじゃなくて泥棒は自分にあう目が欲しいんですって」

 少女は悲しそうな顔をする。

「ほら、アデプトって自分の体が欠けるとジュツが使えなくなるって言うでしょう?」

 ジュツは、体の経絡にチャクラを通し、その回転速度を上げていく事で発動する。

 しかし経絡は人体に備わる“物理的な物”である。

 体が欠ければ経絡という道は途絶え、最悪ジュツは発動出来なくなる。

「それで人の目を? 馬鹿馬鹿しい……そんなの、どうなるっていうのよ」

 そして経絡というのは、オンリーワンである。例え、物理的、遺伝子的に同じ――一卵性双生児やクローンによる移植であっても、その失った経絡の代わりにはならない。

 ましてや、他人の体でどうにかなった、なんて話は世界中で前例が無い。

「でも、ほら。もしかしたらっていうのがあるかもしれないじゃない?」

「無いわ、絶対に」

 医学的に、ミナはそう言い切る。そして今はそれよりも重要な話があった。

「――ところで貴方はどうしてそんなに詳しいの、イア・スジュークお嬢ちゃん?」

 “手術台”に転がったミナがその名を呼ぶと、少女イアの口が笑顔の形になる。

「あははははは、もう分かってるんじゃないのお姉ちゃん。私がその、目を集めている泥棒なのよ?」

「――でしょうね。その包帯の巻き方、自分で巻かないとなかなかそうはならないもの」

「ふふふ、ええ。だって他の人に任せられないんだもの。自分の事でしょう、自分でやらないと」

 そう言って部屋の明かりを付けると、そこはまごうこと無く手術室だった。

 ミナは手術台に寝かされ、その上にある手術用のライトが明るく、眩しすぎる光で照らしてくる。

 周囲は意外な程に清潔だが、少女と並び立つと逆にそれが不気味だった。

 明るくなって気付く。その動きやすそうなナース服のような衣装の模様は、全て返り血の物だった。

「お姉ちゃんの目はどうかしら? ええ、そんなに素敵な目なんだもの、もしかしたらわたしの目になってくれるかもしれないわね」

 嬉しそうに、薬剤や執刀道具を引き寄せる。既に準備は万端、後は動かないミナの目を抜き取るだけだ。

「麻酔はね、しないの。やっぱり眠っているままで抜き取るのが良く無かったんだわ、もっときちんと分かるように抜き取って、そうね。“生きたい”って気持ちでチャクラを活性化させれば、上手く行くと思うの!」

 そんな前例は無い。この世界の、チャクラや経絡というものがある今の医学として見ても、異端、あるいは妄言でしかない。

「ふふふ、大丈夫。目を貰うだけだから。ああでも傷ついてしまったら、反対側も貰っちゃうかもしれないわね――」

 まるで料理、いやおままごとでもするかのように、イアは手術の準備を始める。

 そしてミナから視線を外し、振り返った瞬間。

「――え」

 間の抜けた顔をする少女の顔面を、立ち上がったミナがストーレトパンチで殴り飛ばしていた。

 ミナも10代後半相応の体付きでしかない。だが13歳のイアの体は、渾身のパンチで吹き飛び、背後にあったラックを巻き込んで倒れ込んだ。

 けたたましい金属音が響く。

「っ!! ど、どうして……! 何で、動ける、のよ……薬、が……」

「残念だったわね。そんなもん最初っから効いて無いわよ」

 ミナは、麻酔銃で眠らされて誘拐された。

 そしてここに担ぎ込まれる時も追加で投与されている。医療用にも使われるソレは、そう簡単に抜けるようなものではないし、体質差で済む時間でもない。

 けれどもミナはしっかりと立ち、殴った方の手をまた握りこむ。

「アンタ達が使う薬は、あの子の診察をした時に分かってたから、先に分解薬仕込んどいたのよ。ほんと、コレ後から抜く時に後遺症と中毒性がマジキツイんだからね」

 ――分解薬、とはいうが体の負担は大きい。下手な麻薬よりもキツイ後遺症を覚悟の上で、ミナは囮に望んだ。

「……ほんと、想定にはあったけど、あんたが目を奪ってたなんてね」

 イア・スジュークは魔眼が覚醒したアデプトだという記録があった。

 その目が狙われたのか、あるいは目を奪う側なのか――という想定は彼ら3人の中にあった。

「あ、あぁあ……そん、な」

 アデプトとはいえ、魔眼が無ければ、イアの身体能力は単なる子供に過ぎない。

 転がり、ラックや刃物をぶちまけた体はあちこちから血を滴らせる。

「いくつか、話して貰う事があるわ。それまで殺しはしないけど……面倒だわ、足くらい折っておこうかしら」

 ミナは、情に厚い人間だ。

 理不尽に憤り、他人の不幸を悲しむ事が出来る。

 だが、決して甘くは無い。この街で生きていくだけの非情も弁えている。

 相手が子供で、どんな事情でジュツを失ったかという部分はあっても、そこで甘い顔を見せる事は無い。

「そんな、イヤよ! わたしは、ただ目を……取り戻したかっただけなのに! 何も悪い事なんてしてない!!!」

「……へぇ」

「どうせ、あんな所にいる子なんて、勝手に死ぬのよ! わたしがその前に、目を奪っても、何が違うのよ!」

 ――それは、何もこの娘が狂っているという訳ではない。比良坂でのエヴォルというのは、それだけの事をする。そして、制裁する相手がいないからこそ、それがまかり通ってきた。

 そんな世界で育ってきた彼女にとって、ストリートの子供達は同じ人間では無かった。

 その事実に、ミナは強く歯を噛む。

「言いたい事は、それだけ?」

「何よ! 目さえ、ジュツさえ、使えれば……わたしは! あんたなんかに……!」

 あとは、大人と子供だ。転がっていたメスをイアは掴み、起き上がろうとする。

 苦し紛れに振り回されるメスは、けれどミナに当たる事は無い。

 無様だった。

「けど、終わりよ! 直ぐに外にいる大人たちが来るわ、そうしたらあなた、殺されるだけよ。あはははは、絶対に許してあげない、死ねばいいわ!!」

「その前に貴方を殺すとは思わないの?」

「知った事じゃないわ! それに、目の無いわたしなんて、もう生きてる意味が無いわ!」

 ――ジュツはアデプトのアイデンティティだ。その個人から完全にズレた物が発現する事は無い。

 そうなった時に、肉体が変質しミュータントになるのだ、とも言われている。

 そしてそのアイデンティティを失えば?


「なら、死にましょうか」


 言葉と共に投擲されたナイフが、イアの首に深々と突き刺さった。

「――?」

 言葉の代わりに、ゴポリとペットボトルを逆さにしたような音を立てて血が口からこぼれた。

 ミナが振り返ると、奥から現れたカイドが次のナイフを持ち、近づいてくる。

「……何、してんのよ! 何で殺したの!」

「――下の様子を見てくれば、そんな事も言えなくなりますよ」

 イアが崩れ落ちる。ミナはそちらに目もくれずにカイドの胸ぐらを掴み上げる。

「殺したら、何も証明出来ないでしょう! この子がやった事も、殺された事も、何も……!」

 睨み付けられ、カイドは何も言えない。

「答えなさい、カイド・カゴ!」

「……すみません、怒りが先に立ちました。ええ、貴方の言う通りですアーシェン。殺してしまったのは、その……気が立っていた」

 素直に認めたカイドから手を離す。

 転がったイアは人が立ててはいけない、破れたホースに水と空気をまとめて送り込むような音を立てていた。

「ゃ、だ……」

 けれど、2人はまるで同情をしない。

 ――エヴォルがそれまでストリートの子供を、人間扱いしなかったように。ミナもカイドも、非情に徹する事が出来てしまっていた。

「いいえ、そのまま死になさい。“下の様子”を見た私が、もう一度殺しに来ない事を祈りなさい」

 力無く床に手を伸ばすが、かきむしる事も出来ない。

 そのまま、生きてはいるが動きを止める。

「……ところで、どうやってココまで入ってきたの。外にはこの子の面倒みてた、私を誘拐した奴らがいるんじゃないの」

「もういませんよ。――ヨウが約束を守りましたからね」


 ●


 ――時間は少し戻る。

 ミナが運ばれ、あの手術台で寝かされていた時間は、それなりにあった。

 少なくとも、あの後に尋問を行ったカイドがこの現場にたどり着き、ここまで上がってくるだけの時間差はあった。

 その間、何故ヨウはここまでたどり着いていなかったのか。


 アーシェンが連れ込まれた建物は見失わないで済んだ。

「眠らされても、フリだから大丈夫」なんてアイツは言ってたけど、早く助けに行くに越した事は無い。

 バイクで馬鹿正直に正面から突っ込むのは、流石にやらない。

 俺が付いてきている事に気付いた――という前提で、出来るだけ気付かれないように裏から回り込んだ。

 俺のジュツは、こういった潜入とかに全く向いて無いし、体を強化するような物でもない。

 つまり、こういう事は地の体力が物を言う。

「……さて、何処に担ぎ込まれた」

 この辺の地図は分かっても、流石に建物の中身までは分からない。おおざっぱに見当を付けて、中に潜り込んだものの、案の定上手く行きはしなかった。


 建物の中に入り込んだ俺はあっさりと見つかり、銃で追い立てられていた。

 そう、銃だ! 危険物を外から持ち込めないこの比良坂で、俺みたいなコソ泥相手に容赦なく銃弾を撒き散らしてくる。

 そんな事が出来るのは、その外と繋がりがあるエヴォルくらいしかいない。

「くっそ、想像通り噛んでやがったかよ」

 逃げ回る度に追っ手が増える。銃は1丁のようだけど、他の奴等の動きも甘く無い。

 そうして結局、正面のホールまで追い立てられてしまった。

 元は病院か何かだったのか。けれどもあっただろう待合の椅子やら何やらは撤去され、だだっぴろい空間になっていた。

 銃から身を隠せるような物も無いけれど、戻ればその場で撃たれる。

 ――しくじった。

 アーシェンの安全なんて考えずにカイドを待っていれば良かったか。そうしなかったのは、何でか。

 傷つけずに誘拐された時点で、そうそう殺されたりはしなかっただろうに、まさかアイツを気づかってしまった。

 その結果がコレだ。甘いにも程がある。

「クソが、ねーちゃんの言う通り適当にやっときゃ良かったぜ……」

 悪態を吐きながらチャクラを練る。

 俺のジュツは“熱”だ。炎じゃない。

 触れた場所を焼く事が出来るけれど、その後に俺自身が氷水に叩き込まれたようになってしまうし、触れた手は焼けただれてしまう。

 ジュツの制御が甘いのか、何か違うのか。

 どのみち、銃相手に真っ当に役立つ物じゃない。普段武器を持たないで、触れたら必殺出来る、その程度のジュツだ。

 それを使える程度に体は鍛えてきたけれども、銃相手には分が悪すぎる。

 それでも、諦めるつもりはない。

 チャクラを練ると、それだけ神経が過敏になり、五感が研ぎ澄まされる。

 ――その感覚で、気付いてしまった。

 俺を追い立てていたのは、見せ札だった。

 ホールにたどり着いた事で、本命の“銃撃”がこっちを見ていた。

 俺に向く銃口、発射される弾丸までもがくっきり見える。

 見えるからといって体が動く訳じゃない。

 狙いはしっかりしてて、俺の脳天まで一直線だった。

 避けられない、間に合わない。

 1秒がギリギリと引き延ばされていく。

 これはジュツというよりも死にかけた神経が、脳がフル回転してるんだ、と冷めた所が把握する。

 死が近づいてくる。

 死。

 

その、銃弾が俺の額に、あた、る――。


 皮膚に触れ、抉る瞬間。目の前が、真っ白になった。


 ●


「――ヨウ、生きてますか」

 壁にもたれかかって、座り込んでいた俺をカイドが呼ぶ。

「……生きてる」

 真っ白い息を吐き、細い声でそう答えるとカイドは安堵の息をこぼし、俺の手を引き立ち上がらせる。

「……これは、ヨウが?」

 ロビーを見回し、流石にカイドが理解を超えた状況に戸惑いを滲ませる。

 何も無かったロビーは、まるで長年使われてきた大型冷凍庫のようになっていた。

 壁や天井は凍り付いて貼り付き、息は白く凍てついていた。

 けれどそれは俺の周りだけ。

 離れた所は焼け焦げ、そして炭になった“人間だったらしき物”が溶けた銃の残骸と共に転がっていた――そうだ。

「多分、そうだ」

「……多分、とは?」

「ジュツを、使った。けど、今までと使い方が違ったっつーか、多分こっちが本当の、使い方なんだと思う」

 俺のジュツは熱だと思ってた。それは間違って無かったけど、使い方が違ってた。

 今までのジュツは俺の体の熱を、一点に集めてたたき付けていた。それが、間違ってた。

 俺のジュツは“体を通して”熱を扱う物だった。熱は周囲から持ってくれば良い……んだと思う。その感覚を、死ぬ直前に掴んで、実際に実行した。

「俺が座り込んでる間に、どうなった」

 今までとは比べものにならない規模でジュツを使ったせいで、発動後は動けずに座り込んで、焼き付きかけた経絡を、必死に沈静化させていた。

「……途中、子供たちの死体を見つけましたよ。把握してるよりもずっと多い数でした」

「クソが……」

「もっとも、アーシェンはまだ見つけていませんがね」

「行ってくれ。俺は、もうちょっとココで休む。足手まといになるからな」

 カイドが手を離すと、そのまままたへたり込んでしまう。ここまでの規模でジュツを使った事が無くて、まだ体の方が混乱してるのが自分で分かる。

「分かりました、何かあっても助けには来られませんよ」

「分かってる」

 カイドは嘆息を残し、奥へ向かう。

 俺が座り込んでる間、誰も来なかったし一通り片付けられたんだろう。

 そうでなければ、もう殺されていた。

「……休んだら、行くか」


 ――この時のヨウの判断は、間違っていた。手術室以外の生き残りは居た。

 だがしかし、一瞬にして銃弾を“昇華”させ、自身の周囲を凍り付かせながら追いかけてきた人間をまとめて炭化させるだけの熱を放つようなアデプト相手に、銃も無く挑みたいと思うだろうか。

 そしてカイドが来る前に逃げ帰った男は、しかし失敗の粛正が怖く組織に戻る事は無かった。

 転げ落ちた路地裏で、彼は語った。自分をこんな所に落とした悪魔のようなアデプトの事を。

 “絶対零度”。

 その名が広まるのは、もう少し後の事だった。



 ●



 手術室では、探していた筈の奴が死んでた。

 カイドの投げナイフで喉を貫かれて、出血死。

 そいつもまとめて、遺品をざっくりあつめて、地下で死んでた奴等をまとめて灰にした。

「ヨウ、ジュツの調子はどうですか」

「良いよ。今まで一速でずっと走ってたようなもんだな」

 沈静化させてみれば経絡が焼き付く事も無く、意識するとチャクラをきちんと回す事が出来ていた。

 自分の限界を超えたジュツを使い、焼き付いてしまうなんて話も良く聞くから不安だった。

「――で、これからどうすんだよ」

「どう、とは?」

「このガキ、エヴォル幹部の娘なんだろ。殺した上に灰にして大丈夫なのか?」

 やった後で聞く事じゃないが。

「このままでは大丈夫ではないでしょうね」

「大丈夫じゃねえのかよ」

 一息吐いた後、家捜しをしながら俺とカイドはそんな話をしていた。

 クレジットスティックや煙草、残った銃弾。

 大漁、とはいえこれまでやこれからを考えると素直に喜べやしなかった。

「アーシェン、調子はどうだ」

 そして、相手の麻酔薬に抵抗する為にまたドーピングをしていたアーシェンは例の手術室で、さらに薬で症状を抑えながら俺達の帰りを待っていた。

「人間、薬に頼るもんじゃないわね。後できっと地獄だわ」

「あーヤク抜きか。場所ねえなら、コマキねーさんのトコ行くか?」

 その為、という訳ではないけれど、そうする時に使う部屋もある。それにそこなら比較的安全だ。

「正直、助かるけど。良いの?」

「――貸しにしといてやる」

 多分、ババァからの報酬を使う事になるけど、他の分の報酬もあるし損にはならない。

「……そっか、それじゃ頼むかも。それはそれとしてこれからよ。私達がこの子の件を嗅ぎ回ってたのは隠しても無いものね――なのに、あっさりあの子をカゴが殺すから」

 そう言ってジト目でカイドを見る。

「あれに関しては、確かに短気でした。ええ、申し訳無いが。ですが私も後先考えて無かった訳ではないんですよ」

 そう言ってカイドは懐から何か見慣れないコインを取りだした。

「……ソレは、金か?」

 普通の新100円に見えるけれど、違うのか。

「隣の地区のエヴォルで働いてる証明ですよ。もっとも、おおっぴらに出回ってる通貨を偽造したもので、意図的なエラーコインという物ですかね」

「……どうすんだよ、それ。そんなん転がしといてもわざとらしすぎて誤魔化せやしないだろ」

「ええ、ですのでもう一つ死体を用意しましょうか」

 んん? と俺とアーシェンが顔を見合わせる。

「精々、殺し合って頂きましょう」

 事も無く言うカイドの目は、普段よりも冷たかった。


 ――カイドは、エヴォルを恨んでいる。

 例え、理性でその恨みを制御出来たとしても、逆に言えばその恨みを暴走させず、理性的に晴らそうとも出来る。

 カイドが用意した死体は、隣町のミスター・ジョンだった。

 任務の終了から言葉巧みに誘い出し、そして殺害した。

「彼は、私を雇い行方不明になったイア・スジュークを殺そうとした」

 死人に口なし。

 カイドの用意した筋書きと、情報操作(これは風俗街も荷担した)は最早出所も分からない程に広まり、南地区のミスター・ジョンが西南地区のイアを殺したという事実が状況を後押しする。


 そして目論見通り、2つの地区はエヴォル同士の激しい抗争が始まった。


 ●


「――ゴミ共が。精々つぶし合って下さい」

 その絵を描いたカイドは、不快そうにその様子を見ていた。

「お前さあ、どの段階からこうするつもりだったんだよ」

 俺達は棲家の廃バスで転がっていた。日も暮れ、外は雨が降っている中だというのに、遠くでは火の手が上がり、今も抗争は続いている。

「元からこうする予定だった訳ではありません。ただ、そう出来る状況が整ったからそうしただけです」

「だったら今まで、エヴォルに睨まれないように立ち回ってきたのは何だったんだよ」

「良く考えて下さいヨウ。――今、私達はエヴォルに睨まれていますか?」

 考えてみれば、直接俺達は睨まれて無い。睨まれてたらとっくに襲われてる。

「……よくまあ誤魔化せたもんだな」

 椅子をとっぱらい、持ち込んだベッドの上に転がり直す。

 そんな俺達の横。あれから一緒に逃げ回っているアーシェンが足を組み険しい顔をして外を見ていた。

「――今回の顛末にご不満が? ああ、タダ働きになってしまったのは本当に申し訳無く思いますが」

 ババァからの報酬も結局治療費で大体消えたし、アーシェンもまだ薬が抜けきってない。

 もっとも、あとは忍耐と精神の問題で、少なくともこのバスにはヤクも酒も無いから耐えるしかない。

「いいえ、そうじゃないわ。この状況になったんだもの、もう一勝負するつもりはない?」

 至極真面目な表情で、俺達を真っ直ぐに見つめてそう言った。

「……嫌な予感しかしねえんだけど、話してみろよ」

「今、南と西南が争ってるでしょう。それを他の地区も漁夫の利が狙えないか虎視眈々と狙ってる」

 エヴォルは一枚岩ではない、どころか地区を管理する幹部同士では相手を出し抜こうと闘争、暗闘を続けている。

 今回はその状況に俺達が火を付けて、面子の問題もあって全面抗争するしか無くなっただけだ。

「それが何か?」

「――南と西南、今のうちにあいつ等から強奪出来ないかしら」

 言ってる意味が分からなかった。

「どういう意味だよ、ソレ」

「抗争って言っても、昔の大戦みたいな大軍隊じゃなくて、戦力に限りがあるでしょ? それに他の地区にも目を光らせてるなら尚更。だったら今、意外とボスって手薄なんじゃないかしら」

「エヴォルはボスが死んだ位じゃ変わらないぞ。別の地区なりどこかからか、他の後釜が来るだけだ」

「――来させなければ良いんじゃない?」

「……強奪、というのはつまり。地区の支配圏を取り戻すつもりだと言うんですか?」

「ええ。少なくとも支配させない、南と西南両方が無理なら、ここ西南だけでもいいわ。私は出来ると思う」

 戦力が外に向いてるうちに、内側のてっぺんを取るとでも言うのか。

「……どうやってだ。追い出した後、誰が支配するんだ。お前か?」

「無理よ、だけどエヴォルが出て行った後に、手を出すのは損だって思わせる位はできるわ――というか、元よりこの辺って管理するには貧乏くじでしょ?」

 西南はいわゆるスラム街だ。何か旨味がある訳でもなく、治安も悪く、比良坂の中でも1番ゴミゴミしてる。

 その上、1番幅を利かせてる風俗街は独自の防衛力を持ってる上に、他の幹部共も使うから中立地帯だ。

 その風俗街から利益を独占、あるいは吸い上げようとして失敗もしている。それが今のエヴォルにとっての西南だ。

「だから、一度追い出して、次から来る奴は全部敵、でもって来たら見せしめで追い出す。この地区でエヴォルである事は得じゃない、そう思わせてやれば――」

「アーシェン、ミナ・アーシェン。お前は何でそんな事をしたがる。カイドみたいな恨みか?」

 大まじめに言っているアーシェンが異質な、本当に同じ人間とは思えずに問いかけてしまった。理解が、出来ない。何故そんな事を考えるのか。

「……恨み、そうね恨みだわ。きっとそう。だけど私個人だけじゃなくて、今までにエヴォルに酷い目に会わされた人たち全員分。それを今、ここからでも晴らせるんじゃないか、そう思ったの」

「何だそりゃ。そうやってエヴォルに嫌がらせをして――お前に得はあるのかよ?」

「やりたいから、やるの。やれそうだから、やるのよ。いつまでも、恨みだけ抱えて生きて行くくらいなら、出来る事をするわ」

「……訳わかんねぇ。殺されるかもしれないだろ」

「やらないで死ぬより良いわ」

 命が惜しくないのか、死ぬのが怖くないのか。――死ぬより、怖いのか。

 けれど、その思いはチクリとしてしまう。

 皆の恨みを晴らせる。

 エヴォルにデカイ顔をさせない。

 もしそんな事が出来たら、それは“気持ち良い”のではないだろうか。なんて思ってしまった。


 ――まるで、燻っている俺の心に微かに火を灯したように。


「アーシェン。貴方は自分の為にやりたいのですか」

「そうよ。自分が納得して、満足したいから。弱い人ほど生きられない状況には、愛想が尽きてるの。それが当たり前だと思って、どうとも思わない奴等の鼻っ柱をへし折ってやりたいのよ」

 立ち上がり、腰に手を当て胸を張る。

「今の私は負け犬だわ。だけど、偉くて強いと思ってるやつらに噛みついて、へし折ってやれたら、滅茶苦茶気持ち良いと思わない?」

 清々しいまでに、はっきり言い切った。

「く、はは、ははははははは!」

「おい、カイド――」

「いや、確かに。恨みだなんだと暗躍して同士討ちさせて、それでこんな所で満足していたのがバカらしい。成る程、やるなら徹底的に痛い目を見せた方が“気持ち良い”でしょうね」

「お前までそんな事言うのかよ!?」

「ええ、極論。私はエヴォルに復讐する為に今生きてるようなものですから、どうせ火を付けるなら大炎上させてやりたいですね」

「……出来るのかよ、大炎上」

「出来なくは無い、と思いますよ。理想を言えば燃え尽きて荒野になって欲しい所ですが――」

「それをやると弱い人から死ぬでしょ、ダメよ。貴方は復讐がしたい、私は弱い人が生きて行ける場所にしたい。そこは譲らないわ」

 その言葉に、イヤイヤだと自分で分かっているのに。けれども、胸の内の“やりたい”気持ちが勝手に口を動かす。

「――そっちだったら、手伝ってやってもいい」

「……ヨウ?」

「お前等みたいにエヴォルのせいで今、ストリートを転がってる訳じゃないけどな、転がってるガキが死なない、増えないかもしれないなら、だったら、俺が火を付けてやってもいい」

 何故、そんな事を言ったのか。

 気分、としか言えない。何が満足で、何がそうじゃないのか、ミナとカイドを見て、迷ってしまった。

 置いてかれたくないとも思ったし、ガキが死ぬのをこれ以上見たくないとも思った。


 ――これは結局、若い俺達がその時の気分だけで突っ走り始めただけだった。

 何をどうすれば本当に願いが叶うのか、その為の道筋なんてきちんと立てておらず、ただ気にくわない奴を後ろから殴り倒せるチャンスがあったから、殴るというだけの話だ。


 これが、俺達の始まり。

 子供たちの恨みを晴らす為に立ち上がった少女、ミナ・アーシェン。

 弱い者の守護者。無法の中での正義。理想ではなく力で悪と戦う少女。

 ミナの“食い物にされる弱者を救いたい”という理想は揺るがず、戦い続け、そしていつしか彼女はこう呼ばれた。

 “聖女ミナ”。

 これから10年以上、街を支配してきた組織“エヴォル”と戦い続ける組織“青堂会”。

 その最初の火が灯った事件の話だった。



 ●



 それが、20年くらい前の話。

 俺とカイドはまだ10代で、ミナも2,3歳年上って位で20歳にすらなって無かった。

 無敵じゃないけれど、誰とでも戦えて、誰かの為に戦って、誰かを守っていた。

 街を囲む壁の外に出る事は出来ない。

 けれども、出来る事はある。ミナと一緒に戦い続けて、そう思うようになっていた。


 そう信じていた。

 そう出来ると思っていた。

 けれども。


 今から5年前にミナが死んだ。。


「ごめん、やっちゃったわ――後、お願い」


 理由は何てことない、それまで無理をしすぎただけだった。

 不幸な銃弾とか、子供を庇ってとかそんなドラマチックな出来事も無く、拠点の聖堂で急に倒れた。

 俺とカイドが看取って、それで終わりだった。

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