紫煙と共に世を捨てて
※このエッセイには煙草に関する記述が含まれますので、閲覧は自己責任でお願いします。また未成年者への喫煙を助長する意図を含みません。
もともと煙草はよく目にする
シガレットが大量生産され一般に流布し始めたのは二十世紀に入ってからだ。つまり千三百年程ある煙草史の中でまだ百年程度に過ぎない。世界大戦が始まると兵士たちは手頃な嗜好品、贅沢としてシガレットによる喫煙を広く楽しむようになった。当然、戦争という極限状態でニコチンを効率的に摂取する方法としてシガレットが優れていたというのもその理由の一つだろう。
しかしとにかくシガレットは臭い。あの煙の中にいるだけで頭が痛くなるし、シガレット吸いだって他人がシガレットを吸っていると臭いと言い出す始末だからロクなものじゃない。それもそのはずで現在のシガレットの多くは燃焼促進剤を含み、多様な化学物質が添加され、香りもえらく粗悪である。
では煙草の源流たるシガーやパイプ、煙管煙草はどうなのか。これらには筆舌に尽くしがたい香りの高さがある。一説にはこの世におわす香りの成分をほとんどを含有しているとか。それが事実かはともかく経験者としてはシガレットと別物であるという事は保証しよう。またこれも面白いことなのだが、シガレットのみ禁止の喫煙室がこの世には存在する。その喫煙室は世の喫煙所と違って嫌な臭いがしない。パイプ煙草のバージニア葉からする柑橘にも似た爽やかな香りすら感じるほどだ。嘘か真かは読者諸氏で確かめて頂きたい。
また一部のコンビニにおいてある煙草ペーパーで出来たシガリロの粗悪品を試してシガーを知った気には決してならないでほしい。あれは似て非なるものである。
煙草は人生の余白にぴったりと寄り添う。美味しい紅茶と共にくゆらすパイプは時間を忘れさせてくれるし、ウィスキーとやるシガーは実生活の下らなさを全て煙にしてくれる。当然私は、単体でやるのも大好きなのだが。
当代は随分と生きにくいと思う。規制や禁止の果てに、国家運営がうまくいった試しを私は知らない。国が焚書坑儒をしても、禁酒法を制定しても、結果は歴史が示す通りではないか。大体何かを禁止しよう規制しようという風潮には時代の閉塞感がある。寺田寅彦氏が煙草のエッセイを新聞に載せていた時代も一長一短ではあるが拙作に注意書きをせねばならんと思う時代は、やはり息苦しい。
そして私は今日も世界の隅で紫煙をそっと、そして豊かにくゆらせるのである。
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