勤労より アパレル大手や零細を経験して

 懐かしい話である。アパレルで働き始めて間もく、まだ仕事上の責任の所在がどこにあるかなど露程もしらない頃の話だ。

 状況は単純だった。バックヤードでの業務を任され、年かさが一回りも上のベテラン派遣さんと一緒に作業をしていた。立場上私が指示だしをするようにと言われたが当時まだ働き出して二ヶ月経っていないくらいだったため、ベテランさんと相談のしつつ作業を進める形となった。

勤務時間の都合で私が先に休憩に出ることになり、その間に進めてもらう作業を話して休憩に出た。

 そして休憩から作業場に戻るとベテランさんの姿がない、しかも作業中の洋服が出しっぱなし。そこにちょうど休憩から同じタイミングで上がった店長代理と鉢合わせた。アイテムを出したままその場を離れるなと注意を受け、私が何を言う間もなく店代は立ち去ってしまう。その後作業に戻るとベテランさんが戻ってきて、恐縮だがアイテムを出したまま離席しないよう言いうと、私が注意を受けたことを察して後に私の知らないところで店代に謝っておいてくれたそうである。

 しかしその後からどうも店代のあたりが強く、どうにも居心地の悪さを感じた。後に店長とそのことを話すと、店代の中ではどうしても私の監督不行き届きという結論以外にはないということであった。店長から「いい経験をしたね」という含みのある言い方をされてこの一件は収束することとなる。

 さて店代の中では責任の所在は私にある、ということだ。だが後に多くの社会人の先輩に話をすると、新米にその場の仕切りを任せる店代の采配に問題があるというものが大方を占め、また私もそれに納得するところであった。

いうなれば新米に仕切らせた店代に責任がある上、その後の対応も全くイマイチであったという結論である。

さらに仕事を重ねるうち、店代はどうも問題ある人であるということがよりはっきりしていくことになる。

 その後いろいろ経験して、所詮アパレルというと聞こえは悪いが、やはりそういうことの多い業界なのだということは納得に至った。

 何よりそんな人が店長代理を務めるお店は名のあるブランドで都内の大型店。予算も高く、社内でも売上でたびたび表彰を受ける店舗だ。販売という仕事自体は面白いが、どうにも肌が合わない気がすると思ったきっかけでもあったし、自分はそういう上司になるまいとも思った。しかし、当時の私は甘かった。問題の根はそんなところに存在しなかったのである。

 私が経験したアパレル二社はどちらも店舗の人間と本社の人間の対立が激しかった。どの業界でもそうなのだろうが、現場と本社というのは仲が悪い。しかもとにかく文句が多いのだ。本社の人間に対して、経営に対して、店舗内の人間関係に対して、環境に対して、みんなとにかくよく文句をいう。今にして思えばあまり精神衛生上よくない環境であったな、としみじみ思いだされる。

 文句を言うな、ということではない。現状に対する不平や不満を全く感じずに仕事をするのは不可能だといえるだろう。何より文句として想起される自分の言葉には、業務に対する改善の余地が必ず隠されている。

 当然のことなのだ。本社の人間に文句があるといいうことは店舗運営の上で改善点があるということだし、経営に文句があるということは売るアイテムに改善点があるということだし、人間関係に文句があるということはもっと効率的な人材の配置があるはずだし、環境に文句があるならばマーケティングに改善点があるということだ。

 問題はここからで、日本は言うまでもなく縦割りの年功序列社会。これが業務遂行にどのような問題を与えるかは、「シン・ゴジラ」という映画の冒頭でよくよく表現されているため是非一度ご覧いただきたい。

 なるべく簡潔に表現するならばこうであろうか。「無能も昇進できるシステム」「個人の裁量が少なく、自分も運営であるという感が低い」等。

 当然メリットもある。「安定した運営」「摩擦を代替の人間が用意しやすい現場に任せることができる」等。

 つまり社風や無能上司、その無能上司と付き合えるかすらも人を選別するフィルターの役割を果たしている。愚痴を言いながらも残留する人はその職場に適性がある、ということだ。

 残念ながら私にはその適正がなかった。そもそも組織人向きの人間ではない。そういう人間はどうすればよいのか。やはり場所を変える他には手立てがない。

 最近は個人の裁量を大きくするのが社風という会社も増えてきた。しかし中小零細企業に多い話で、大手はやはり旧態依然というのが率直な感想である。

 大手と中小零細、どちらも体験できるならしたほうがいい。ものなら売りやすさが段違いだし、営業なら反応が段違いなのだ。ネームによる権威強化ができない圧倒的デメリットを自由な社風でどう克服するかが中小零細の課題だろう。なにより大手と違って人材も人手もてんで足りないことが多い。

 人材と人手についてはそれだけでエッセイになりそうなものが書けると思う。

とにかく一長一短なのだ。しかし収入に絡む実生活という点では大手が圧倒的であるという点に異議はそうないだろう。ついでに言うと大手の名前出すだけでモテる。

 さて責任の所在が分からない上司の話、文句が活きない日本の会社システムが抱える問題の話、逆にそういうシステムのメリット、等を書き連ねてみた。

 これはよく言えば私なりの問題提起なのだ。日本では高齢社会で働き手が日に日に減っている。昔は忙しくても給料がいい会社がいいのだ、という基準が主流だったと聞くが、今はプライベートな時間が確保できるかという全く逆の価値観が就活生の間にあるスタンダートだ。

 これは日本の好機チャンスなのだと感じる。クールジャパンは残念ながら見せかけの虚像に終わりそうな感がある。そもそも考えてみてほしい、日本の持つ独自性は色々な外国文化を柔軟に取り込み、まぁ比較的高いと思われる民度でもってそれら奔放な文化をまとめ、約二百年前にはもう春画で触手ものが描かれるという変態性に裏打ちされてきたものではないのか。

 それらはどうしてもクールジャパンという言葉に集約しきれるものだとは思えない。日本の文化や成長を支えた立役者を調べてみると、礼賛されるべき変態のいかに多いことか!クールというよりでフールである。

 私もそんな先人に倣い、新しいものを創り出してみたいと思わんでもない。今のシステムの多くは偉大な先人が創り出した当時最新鋭のシステムだ。価値観の変化がTVなんかでも取り上げられ、週休3日という新しい働き方を大手が実践しようとすらし始めた時代、この流れを支え、新しい風潮で次代日本を支える礎を作るのは我々若者なのではないか。新しい時代をつくるのは老人ではないと言っていた人が誰だったかは忘れてしまったが、それに近いものがある気がする。

 小説を書く人が集まる場所なのだし、そういう社会システムの変遷を若者が切り拓くものをモチーフとして書いてみるのは面白いのではないか。昔見たアニメではガンダム00ダブルオーが近似値を取るのかな、と思う。

 くれぐれも私は社会派なんていう高尚な部類には収まれない。上記だって悪く言うなら「既存の社会では生きにくくてしょうがない!」という不適格者の遠吠にすぎないのだ。だが、人も社会もいつだって変わってきた。変化しないものは緩やかに死を待つばかりである。

 たまには準社会派程度のものが書いてみたくて、それを実行してみた。なかなか楽しかったので、私の中では良い試みのうちの一つとなった。

 カクヨムという媒体は私と同様若い人が多いらしい。読者諸氏にある心の熱を、ほんの少しでも高められたら幸いである。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る